コリンズ君、青ざめる 2.第二話

「コリンズ様、もうそろそろ、紋章学の先生がお見えになりますが」
「今日もか」
コリンズは不機嫌につぶやいて立ち上がった。
「叔父上(=デール)にご挨拶してから行く。いいだろ?」
「そのくらいはけっこうです」
小さなコリンズがキリを従えて通ると、会議室の警備兵たちは何も言わずに通してくれた。
「父上!」
ヘンリーがふりむいた。あの貴族たちはもう、退出してしまっている。
「あいつがもっとふっかけてきたら、どうするつもりだったの?」
ヘンリーはさきほどの大貴族の仮面を脱ぎすて、悪童めいた表情でにやりとした。
「“じゃ、買ってやらない”とつっぱねるだけだ。店で値切る要領だな。さもなきゃデールに一言添えてもらうか。さっきの演技も見事だっただろう?」
「叔父上もぐるなのか!」
デールは微笑んだ。
「私は親分の言うとおりにしただけですよ」
「どーだ、おそれいったか?」
コリンズはふん、とつぶやいた。
「悪いけど、ばればれだったな」
ヘンリーはこつんとコリンズの頭をこづいた。
「生意気ぬかしやがって……あれ?」
ヘンリーはコリンズの顔をのぞきこんだ。
「おまえ、口をどうした」
「う」
コリンズは顔をしかめた。
「奥歯が、ぐらぐらするんだ。また抜けるんだよ、きっと」
去年、前歯から始まった生え変わりは、そろそろ奥歯にきたようだった。
「口を開いてみろ。あ~、これか。気になるんだな?それでしょっちゅう変な顔してるわけか」
キリも思い当たることがあった。コリンズが昨日当たりから、やけに不機嫌でしかたなかったのである。もっともふだんからコリンズは8歳なりに毒舌家の皮肉屋なので歯が痛むとはキリも気づかなかった。
 ヘンリーは、さきほどの貴族がすわっていた椅子を引き寄せて、浅く腰掛けた。
「コリンズ、おまえ、八歳だっけな」
「だったら、何だよ!」
コリンズはけんか腰だったが、ヘンリーは乗らなかった。むしろ、慈しむような表情で、そっと髪に触れた。
「大きくなったもんだ。そうか、八つか。かわいそうだが、これも大人になるためにはしかたがない」
「なんの話だよ」
「奥歯だよ。抜くんだ。全部」
コリンズは、一度目を見開いたが、すぐに首を振った。
「からかってるんだろ?」
ふ、とヘンリーはためいきをついた。
「そうだったら、どんなにいいかと思うよ」
端正な目元に深い哀れみがただよった。それを見てコリンズがあわてた。
「父上、本気じゃないだろ?」
「ラインハットの王家の男子は、歯の生え変わりが奥歯に及ぶと、子供の歯をあらかじめ抜いておくことになってるんだ。大人の歯がきちんと生えてくるようにね」
「ばっ」
コリンズは言いかけて口を閉じそのままぱくぱくと動かした。言葉にならないらしい。
 ヘンリーは昔を思い出すのか、軽く目を閉じ、重そうな口を開いた。
「おれは……死ぬかと思った」
語尾が濁るあたり、妙に信憑性があった。
「嘘だ、嘘だろ、父上?」
コリンズはデールの方を振り向いた。
「嘘でしょう、叔父上?」
デールは片手をコリンズの肩に置き、優しくたたいた。
「兄上、そんなにいきなり言ったら、コリンズがこわがるじゃないですか。大丈夫ですよ、コリンズ」
コリンズは、安堵の吐息を大きくはいた。が、デールの言うのを聞いて、再び凍りついた。
「目隠しはしてもいいのです」
ヘンリーは、腕を組んだ。
「おれは見えないほうが怖かったけどな」
「私は嫌でしたね。だって、こんなに大きなやっとこを持って寄ってくるんですよ?」
コリンズは震え上がった。
「やっとこ?おれのときは蹄鉄をつくるのに使う火バサミだったような気がするけどな。安心しろ、コリンズ。歯を抜く役は、名人をそろえてやるぞ」
「何人もいるの?!」
コリンズの声はほとんど悲鳴だった。
「普通、5人がかりだな。身体を抑える役だろ?、口をこじ開ける役だろ?どの歯を抜くかの見定め役に、でっかい火バサミをつっこんで」
「も、もういい、言わなくていい」
「そうか?でも、みんな白い大きい、てっぺんのとがった袋をかぶって、眼だけくりぬいてあったんだ。誰が誰だか、おれはいまだに知らないんだよな。第一、場所が地下牢だったんで、薄暗くてさ」
デールは苦笑した。
「兄さん、やめてください。コリンズはがんばりますよ」
優しく微笑み、だがきっぱりと、デールは言った。
「王族は、歯が命です」
コリンズは、ふらふらと後ずさりをした。キリはあわててコリンズを支えた。
「どうした、コリンズ?ああ、授業があるのか。がんばってこい。おやつはおいしいのを作ってもらえ?明日、抜いちまったら、当分のあいだヨーグルトだけだ」
ほがらかな父の言葉を背中に受けて、コリンズは、死刑囚のような足取りで会議室を出て行った。