ヘンリー20のお題 13.プロポーズ

 ラインハットの王宮から、祝いのための鐘が華やかに打ち鳴らされ、都中に響き渡った。空は青く、雲は白く、絶好の結婚式日和となった。
 町でも城でも、人々の表情は明るい。暗くぎすぎすした時代が過ぎ去り、新しい宰相が就任して、治世は刷新された。この結婚式は、まさにその、新生ラインハットの象徴だった。
 本日の花婿こそ、宰相、ヘンリー殿下その人だった。パーティもセレモニーもあまり好まない、という噂だったが、さすがに結婚式となると、地味に、というわけにもいかなかった。
 国王デール一世をはじめとして、国内の主だった大貴族が式に参列し、オラクルベリー大公夫妻の誕生を見守ることになる。城内の礼拝堂は早くからきれいに飾り付けられ、身分の高い賓客が到着し、席にひしめきあっていた。お互いに丁重な挨拶を交わしながら、彼らは今日の花嫁についての情報を探り合っていた。
「おたくさまあたり、いろいろと残念でございましたわね?いえ、上のお嬢様など、大公殿下とはお似合い、と噂でしたのに」
貴婦人が、隣にいる恰幅のいい貴族にささやいた。
「おや、そちらこそ。末の妹ぎみは亡くなったさきの国王陛下が昔、“息子の嫁に”とおっしゃったとか、おっしゃらないとか、うかがっておりますが」
「あらまあ、そんな昔のこと。しかたありませんわ。大公殿下が、よい方を見つけておいでになったのですから」
「ここだけの話、殿下は、どこから、花嫁を見つけていらしたのです?」
「え?てっきり、おたくさまなら、どちらのおうちの姫君か知っていらっしゃるとばかり思っておりました」
紳士は、あたりを見回して声を潜めた。
「では、下々から、というあの噂は、本当だったのですか?」
貴婦人は意味ありげな表情になった。
「ほら、殿下の父君、さきの陛下のご趣味はご存知でしょう?今の太后さまも、町方のお生まれですから」
 彼らの視線は貴賓席へと向かった。礼拝堂客席二階中央のその場所には国王のための玉座がすえられ、その横に国王の生母アデル太后の席があった。アデルは黒い簡素な衣装に身を包み、顔はベールで隠している。が、かつてエリオス六世をひと目でとりこにした美貌とすらりとした容姿は、健在のようだった。
 彼女が公の場に姿を見せるのは、ラインハットの政変以来、初めてのことだった。人々の視線はけして暖かくはない。もっとも、大貴族のだれかれにとってもともとアデルの評判は、ひとえにその生まれつきの身分のせいで、よくはなかった。
「おやおや」
呆れたような顔で男はささやいた。
「では、本日のすばらしい華燭の典の主役は、どこかの馬の骨ですか!」
貴婦人は扇で顔を隠して、陰険な微笑をもらした。
「殿下のあまのじゃくのおかげで、もったいないこと。いくらあてつけといっても、乞食嫁をもらうなんてねえ」
「さぞかし貧相でおどおどした小娘でしょう」
「かわいそうに、せいいっぱい着飾ってくるんでしょうよ」
客席への案内をしていた侍女たちは、お互いに顔を見合わせた。
「言うに事欠いて、ったく」
「いいじゃない、見ていただきましょうよ、今日の花嫁御寮を」
ほえ面かくな、とつぶやき、それでも何食わぬ顔で、侍女たちは客席から下がった。

 花嫁の控え室は、中庭に面した静かな部屋だった。侍女たちは大またでその部屋へ駆け込んだ。
「マリア奥様!聞いてくださいませ」
こじんまりした部屋の中央に、大きな姿見が立てられていた。その前に、純白の花嫁がいた。
 侍女たちはその姿に見とれ、うっとりと立ち尽くした。
「お静かに。なんですか、いったい」
ベールを手にしたメルダが、呆れた顔で侍女たちをたしなめた。
「あ、いいです、もう。なんでもないです」
「このお姿を、早くご披露したいですわ」
マリアはほんのりとほほを染めた。
「まだ、迷います。私だけがこんなに幸せになって、いいんでしょうか」
メルダは力強くうなずいた。
「いいんです。今日は、お偉い様方に若奥様の花嫁姿を見せるっていうのが、ミソなんですからね」
うん、うん、と侍女たちはおおきくうなずいた。
 重々しい地紋の入った白い生地のドレスはハイウェストだった。スカート左右のふくらみはあまりなく、後ろに長くすそを引くスタイルである。胸に逆三角形の装飾パネルをいれ、無数の真珠で飾っていた。
 切替のあたりから豪華なオーバースカートが入る。縁取りには手の込んだ金糸刺繍を施し、打ち合わせも波打つような真珠の飾り綱だった。
 だが、最も華麗なのはドレスの袖だった。優雅なカフスのついた袖の上に、金ブレードでできたオーバースリーブを配し、しかもひじのあたりでまとめて肩先にふくらみをもたせていた。
 全体に白と金とで統一されていたが、ただし、肩から後方へ流れる長いマントだけは、目の覚めるような鮮やかな翠緑に、金色の波型十字を大きく染め抜いたものだった。
 緑の字に金の波型十字は王家の紋章である。これは本来、ラインハットの王妃となる花嫁の衣装だった。
 襟まわりは低めだが、高いレースをつけて首の周りを覆うようにしてある。そのレースの中に、髪を結い上げたマリアの、花のような顔があった。
 マリアは、侍女に手を引かれて、用意されたストールへ腰を下ろした。メルダはその前に立って、そっとベールをかぶせ、ティアラを載せ、あちこちの角度から眺めながらベールが一番きれいに見えるように調節していた。
 ノックの音がした。侍女が答えた。
「どちらさまでしょう?花嫁はお支度中ですが」
大貴族どうしの結婚式ともなると、花嫁の支度中というのは、姻戚となる貴族同士の交流と、新たな同盟関係を探る場となる。花嫁控え室は豪華な贈り物であふれ、そのあいだを宮廷すずめが我が物顔でうろつきまわるのだが、今日の花嫁はそもそも孤児だった。マリアの部屋は、ただ静謐な光があふれているだけだった。
 両開きの扉がそっと開いた。花婿が立っていた。
 侍女たちはあわてた。
「まあ、殿下、いけません」
「悪いね、見逃してくれよ。義母上からどうしてもって、頼まれたんだ」
人懐こい笑顔でそういわれると、侍女たちはいつも逆らえない。ましてや、さすがに今日はめかしこんで、見とれるような貴公子ぶりだった。白い絹の衣装とそろいのケープ、黒い羽を飾った白い帽子である。
「お式の前ですから、少しだけですよ?」
「もちろん。ありがとう、恩に着るよ」
侍女たちが左右に分かれると、ベールの花嫁がそこにすわっていた。あわててベールをあげ、マリアは言った。
「まあ、ヘンリーさま、どうして」
ヘンリーは、黙ってつっ立っていた。
「ヘンリーさま?」
ようやく口を開くと、ヘンリーはすっげぇ、とつぶやいた。それがまぎれもない賞賛であることに気づいて、マリアは真っ赤になった。
「かわいい~」
メルダはあきれかえった。
「やれやれ、ほかに言うことはないんですか?第一、何の御用です」
呆然としていたヘンリーは、やっと我に帰った。
「ええと、あの、ほら、これだ」
ヘンリーはストールに近づくと、手にもった布の包みを差し出した。マリアは膝の上に布包みを受け取り、そっと端を開いた。美しい首飾りが現れた。
「きれいですわ」
ヘンリーは笑った。
「義母上から預かってきたんだ。これをつけてくれって」
マリアは驚いた顔になった。
「私がですか?」
「うん。だめかい?」
マリアは微笑んだ。
「こんなにきれいな……うれしいです」
「ほら、貸して」
ヘンリーは首飾りを、そっと花嫁の首に回して、留め金をとめた。
「似合うよ」
そして、そばに膝を付いて手を伸ばし、マリアの髪をベール越しになでた。
「謝ることがあるんだ、いっこ」
「なんですか?」
「おれは、自分の意志で王位をけっちまった。だが、今になると」
珍しく口ごもるとヘンリーは続けた。
「後悔してるんだ。マリア、できることなら君を、ラインハットの女王と呼ばせたかった」
手袋に覆われたマリアの指が、さっと口元にあがった。しばらくして、マリアは指で、夫の唇に触れた。
「あなたが妻と呼んでくださるなら、女王の冠は、いりません」
ヘンリーは、自分の額をマリアの額にそっとつけた。目がうれしそうに輝いていた。
「それ、プロポーズだと思っていいかい?」
マリアは、身の置き所がないような表情で真っ赤になり、蚊の鳴くような声で、はい、と言った。

 メルダや侍女はじめ、城のスタッフはたいへん満足していた。花嫁は地上に降りた天の使いのように清らかで、かつあでやかで、物見高い列席者の度肝を抜いてくれた。
 花婿と腕を組んで祭壇へと歩む花嫁の胸元には、金とエメラルドの“アデルの首飾り”が輝いていた。それは先王の命令で王妃専用ということになった装飾品であり、目ざとく見つけたどこやらの貴族の奥様方が嫉妬で青ざめた、とかいう話もあったが、それは結婚式の付け足しに過ぎない。
 ましてや、式が終わると真っ先にデール王が義理の姉を祝福して、だれかれに引き合わせたので、誰も“馬の骨”扱いができなくなってしまった、などという件も、どうでもいいことだった。
 大事なのはただひとつ、それから二人がいつまでも幸せに暮らした、ということだけ。