主ヘン十題 6.帰郷 後篇

 だが、いつもとかわらぬやさしい表情で、ルークは言った。
「ただいま、ドリス。ぼくの奥さんは、どこかな?」
「坊ちゃん、血がでてるよ」
「え、ああ」
 ありあわせの布を巻きつけて、縛ろうとする。ドリスがあわてて手伝った。そのとき初めて、ルークが、ドリスよりも頭ひとつ分背が高く、よく筋肉のついた、ひきしまった体の持ち主だということに気付いた。城内に残されている、パパス王の肖像を、ドリスは思い出した。
「十分だよ。ありがとう、ドリス」
 笑ってそう言って、足早に後宮のほうへ歩いていった。そのあとからスライムナイトやキラーパンサーがついていく。モンスターどもは、どこもケガがないようだった。
「あいつは、そういうやつなんだ」
つぶやくようにヘンリーが言った。
「自分のMPを、ほかのやつの回復で使い切っちまう」
ドリスは少しおどろいた。
「なんで知ってんの?」
「レディ、おれも昔、いっしょに戦いました」
「あんた、剣なんて使えるんだ?」
「今は、練習不足ですが。得意なのは、呪文の方でね」
ドリスは改めて、貴公子然とした男の顔を見上げた。
「じゃあ、あんたのことか。坊ちゃんが言ってたのは」
「おれのことを?」
「う、まあ」
しぶしぶドリスは認めた。
「大事な仲間がいるって。剣の腕も頼りになるけど、凄く頭がよくて、ほしいと思ったときに呪文を使ってくれるって」
 ドリスはそれ以上のことを話すかどうか、ためらっていた。ルークはそのとき、なつかしそうな表情で、大事な親友のことを話してくれたのだった。
“一番つらい時に、ぼくを助けてくれたんだよ。彼が最高に親分で、王子様らしかったのは、地獄にいたときだったんだ……”
 ドリスはためらったあげく、あのさ、と言った。
「どうもギャップがあるんだよ。ルークの話に出てきたあんたと、目の前のあんたが」
「そうですか?」
「ちょうどいいや。あたし、坊ちゃんからあんたに宛てたモノを預かってるんだ」
きら、と目が輝いたように見えたのは、月明かりが反射したためかもしれなかった。
「どうすれば、わたしていただけますか、レディ」
「坊ちゃんはね、ブツをグランバニア城内のどこかへ隠したんだ。あたしだけがその場所を知ってる。それを見つけてみてよ」
「おれは、この城のことはほとんど知らない。何かヒントはいただけませんか?」
「なくもないよ。坊ちゃんからあんたに、伝言がある。『今度はぼくの番だよ』、それだけ」

 やけにおしゃれな従僕が、ヘンリーのあとからおろおろとくっついて歩くのは、見ていてこっけいだった。
「やめましょうよ、殿下。船はすぐ出るんですよ?」
「ふざけるんじゃない、子分から挑戦を受けて断る親分がどこにいる」
「そんなあ」
「さっさと荷物まとめて部屋で待ってろ、ネビル」
「いっつもそれなんだから」
「文句があるならおまえは居残りだ。初の駐グランバニア大使になってみるか、ああ?」
ネビルというその従僕は、ぶちぶち言いながらひきさがった。
 ドリスと話した翌日、ヘンリーは朝っぱらからケープを翻すような速さでグランバニア城内を歩いていた。最初は教会だった。精霊像の裏をのぞきこみ、神父の立つ説教壇の下を探り、シスターたちにいろいろと尋ねていた。
「なにをやっているのかね、ヘンリー殿は?」
オジロンがふしぎそうにしていたが、ドリスは肩をすくめた。
 ヘンリーは市街を上がったり降りたりして、武器屋、防具屋をまわり何か聞き込んだ。宿屋へ立ち寄ったとき、そこの一人息子と長い間話し込んでいた。
「降参?」
ドリスが言うと、ヘンリーはにやりとした。
「まだまだ」
道具屋、酒場、民家。ヘンリーは飽くことを知らないようだった。
 昼過ぎになって、ドリスは、サンチョの家から出てきたヘンリーをつかまえた。
「そろそろあきらめたら?あんたの従僕が胃を痛めてるみたいだったよ」
「ああ、ネビルの胃は筋金入りですから、ご心配なく」
まだ余裕ヅラだった。
「いったい何を調べてたんだ、あんた」
「あいつがこの町で、一番よく行く場所を探してたんですよ」
「へえ。わかった?」
「いっしょに来ていただけますか?」
「いいよ」
ヘンリーがやってきたのは、国王居住区だった。
「ここが、何?」
「ここが、あいつがこの城で一番なじんでいる場所です。身重の奥方を見舞い、後には小さな双子に会うために、毎日欠かさずやってきた場所です」
「それで?」
ヘンリーは、すやすやと眠っているアイトヘル王子を抱き上げ、その下のクッションを探った。
「あった」
そっと赤ん坊を下ろすと、ヘンリーは小さくたたんだ紙片をつまみあげた。
「それがなんで、『ぼくの番』になるのさ」
「ラインハットでは、おれの番だったからです」
にやりとヘンリーは笑った。
「おれは、おれがラインハットで一番なじんでいる場所、昔の子ども部屋の、しかもあいつには印象の深い宝箱にメッセージを残した。だからあいつも」
そう言ってヘンリーは、紙片を開いた。

 ヘンリーのことだから、コレを見つけるのにそれほど時間はかからなかっただろうね。ぼくの宝物を紹介するよ。グランバニアだ。父が残してくれた、ぼくの城だ。自信を持ってそう言えるよ。信じてくれるかどうかわからないけど、この城を山の上からながめた時、ひどくなつかしい感じがしたんだ。
 根無し草だと思っていたぼくにこんなにも確固としたふるさとがあったなんて。サンタローズとはまたちがう、なじみ深さなんだよ。この城が愛しいんだ。ここで妻……って書くのはまだ照れくさいよ。ビアンカと、生まれてくる子どもたちと、ぼくは新しい歴史を作っていくだろう。
 ぼくはいつでもここで待っているよ。時々会いに来てくれるとうれしいな。

 ヘンリーはため息をついた。
「そういうことをぬかしておいて、自分が行方不明になってどうする」
苦笑いのような、哀しいような顔で、ヘンリーはつぶやいた。
「ったく、いくつになってもトロいぜ、おまえは!」
ふとヘンリーはドリスのほうを見た。
「これは失礼」
ドリスは首を振った。
「あんた、本当に坊ちゃんの友だちなんだね」
ヘンリーは、じっとドリスのほうを見た。
「レディがあいつのことを、名前で呼ぶのを聞いたことがない。なんでいつも、“坊っちゃん”なのです?」
ドリスはじっと、ヘンリーをながめて、そして言った。
「わざと“ルーク”と、呼んでやらないんだ。だって、あの男前の鈍感には、ビアンカさんがいるじゃない」
「美人ですね」
ドリスは笑った。
「わが国の王妃様は、極めつけのいい女。好みで言うなら、最高にあたしの好みだよ、あの人。でも、だから、絶対かなわないってわかってるから、ルークなんて、呼べない」
あたしには、天空を行く翼は、ない。
「わかります。レディもおれも、人間だ」
ドリスはおどろいた。
 翼をもたない甘悲しさは、あきらめというにはひどく熱く、あこがれにしてはほろ苦い。“わかります”と言ったとき、外国から来たこの気障な男が、その複雑な感情を完全に理解した、ということを、ドリスは直感で悟った。
「レディって言うの、やめな。あたしはドリス」
ヘンリーは片手を差し出した。
「では、ドリス、メッセージはいただきました。ありがとう」
ドリスは、差し出された手を軽く握った。
 部屋の外がうるさかった。あのガチョウのような従僕が叫んでいる。
「殿下~、船長が、出発だって言ってます!」
「ああ、今いく」
ルークの手紙を大事そうに懐にしまうと、ヘンリーはドリスの手をはなし、部屋を出ようとした。
「そうそう」
直前でふりむいて、彼は言った。
「あのプレゼント、よかったらお使いください。ルークから手紙がきた時にあなたの好みが書いてあってよかった」
またもや色男ぶって帽子に片手を添えて挨拶して、ヘンリーは出て行った。
「プレゼント?」
クッションごと取り上げて、たしか、部屋のすみへおいたはず。ドリスは探して、よくよく見て、開いた口がふさがらなかった。
 けっこうな攻撃力の、キラーピアスだった。