二十人目の客 第一話

 日没の鐘が響き渡り、不夜城オラクルベリーの夜が始まろうとしていた。
「ようこそ、オラクルベリーへ!ここは誰もが夢を見る町だよ!」
誰かが大声で叫ぶ。町の真ん中のカジノに明かりが入ったらしい。
「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」
「旅の人、お泊りならこちらだよ!」
「伝説の剣、本日入荷!」
「は~い、そこのおじさまがた、一杯いかがぁ?」
たちまち喧騒が訪れる。世界最大の名に恥じない、オラクルベリーの歓楽街を行き交う人々は、ものめずらしそうにあちこちを見回して歩いていく。
デイジーは、お腹に力をこめた。
「お、お食事はいかがですかっ」
だが、かんだかい子供の声は、町のざわめきにかき消されてしまう。
「お食事、お食事!おいしいですよ」
誰もふりむいてくれない。
「おいしいお食事、たったの5ゴールド!」
 背の高い剣士がちらっとこちらを見たが、すぐに行ってしまった。なんだか意地悪そうな目で、“ほんとにうまいのか?”と聞かれたような気がした。デイジーの口元が震えた。だが、これであきらめるわけには行かなかった。一人でも食べに来てもらわないと、うちは……
「おいしいお食事、たったの5ゴールド!」
そのとき、誰かがデイジーの前に立った。
「5ゴールドでいいのか?」
 身なりはみすぼらしい。旅に汚れたマントの下は、片方の肩でやっとつながったようなぼろ服だった。が、デイジーを見下ろした目は、さきほどの剣士とはまったくちがった。恨みもいじけもなく、不思議なくらい堂々としていて、思わずこちらが引きずり込まれるような明るさがあった。
「はい。お一人様、5ゴールドで」
にっ、と旅人は笑った。その表情にデイジーは見とれた。彼が、ひどく若いことにデイジーは気づいた。街のわんぱくより少し上ぐらい年齢なのだ。旅人は肩越しにふりむいた。
「ここにしようぜ?」
後ろから、連れがやってきた。紫のマントとターバンのやはり若い旅人だった。
「うん、おなかすいたね」
二人目の旅人は、デイジーにも笑いかけた。
「お世話になるね?」
「はい!」
デイジーは、どきどきした。お父さん、うまくやってよ……
「お二人様、ご案内!」

 先ほどとは別の意味で、デイジーは目を見張った。デイジーの母、リジーも、グラスを拭くふりさえ、もうしていない。あっけにとられて、客の二人を見つめている。
「うめー!」
「おかわりください!」
リジーはあわてて大皿をかかえ、調理場へ走った。リジーがおかわりをもってきたとき、デイジーの父で店の料理人でもあるリックスも、いっしょについてきた。まだレードルを持ったままだ。
 店は細長く、店内は長いL字型のカウンター席だけだった。L字の角のところにいつもいる、常連のティトじいさんも、グラスを手に持ったまま、唖然としてふたりの食べっぷりを見ている。
 見物人の目をものともせず、二人は次々と料理をたいらげた。一枚板のカウンターの上に、皿や椀が積み上げられていく。
「若い衆、料理は……うまいかね?」
ティトじいさんが、おそるおそる聞いた。
デイジーに最初に声をかけた、緑の髪の旅人が、げっぷを一つして答えた。
「ああ、うまいよっ」
連れの若者もうれしそうに笑って言った。
「すごくおいしいです」
「いやはや。あんたたち、どこから来たんだ……この店は、まずいんで有名なんだが」
「おい、じいさん!」
リックスがすごんだ。
「本当のことじゃろう。わしの知るところ、今月のお客は、このお二人さんでやっと20人めじゃ」
 リジーがうつむいた。一生懸命やっているのだが、リックスの料理の腕はちっともあがらず、デイジーがどんなに声を嗄らして呼び込みをしても、店は寂れる一方だったのだ。
 紫のマントの旅人が、さじを皿へ戻して、顔をあげた。
「でも、野菜はいい味だし」
隣で緑の若者がつぶやいた。
「ちょっと生煮えだけどな」
「お肉は香ばしいし」
「ちょっと焦げてるけどな」
「スープはだしがきいてるし」
「ちょっと塩辛いけどな」
紫の若者は、にっこり笑って断言した。
「おいしいですよ」
ティトじいさんは首を振った。
「よほど腹が減っていたと見える」
リックスは、レードルをカウンターへ置いた。
「お客さん、ありがとうよ」
リックスは、涙ぐんでいた。
「やっと俺の料理をわかってくれるお客がいた。生煮えだろうが、黒焦げだろうが、うまいものはうまいんでぇ!」
ぐすっと鼻をすする。
「お客さんたち、宿が決まってないなら、うちの二階へ泊まりな!明日の朝は、すごい朝飯を食わせてやるよ!」
「まじかい、マスター?」
緑の若者が身を乗り出した。
「だめだよ、ヘンリー」
紫の若者があわてた。ヘンリーと呼ばれた若者は、けどよ、と言った。
「文無しは本当なんだ。食事代を払ったら、野宿するつもりだったんだからな」
「このへんは夜はあぶないよ、お客さん。悪いことは言わねえ、うちへ泊まりな。朝飯は何がいい?トリにするか、うまいスープに卵でも」
そのときリジーが、小声で言った。
「おまえさん」
「なんだよ?」
「実は、その、もう、仕入れのお金がないんだよ」
「なんだと?」
「ごめんよ。もうどこも付けで売ってくれなくなっちゃったんだよ」
「なんてこった!」
父のこぶしが震えているのをデイジーは見た。いつかこうなるとデイジーとリジーは知っていた。知っていて、リックスをがっかりさせたくなくて、言えなかったのだ。
「なんてこった!」
そう繰り返すと、リックスはこぶしをカウンターに振り下ろした。
「ちくしょう、ちくしょう!」
リジーはだまってリックスの背をさすっているだけだった。ティトじいさんが、席を立ってデイジーのところへ来た。
「今夜のお代だよ」
「多すぎます!」
「いいから、いいから。半分は、デイジーの“がんばり代”だ」
そう言って店を出て行った。デイジーは金貨を握ったまま呆然としていた。
「デイジー?」
呼ばれて振り向くと、紫の若者が立っていた。
「たいへんなんだね」
それほどでも、と言おうとして、デイジーの喉に言葉がひっかかった。父にも母にも見せられなかった涙が、自然とあふれてくる。
「なあ、オラクルベリーには、モンスター料理の店もあったよな。売ってもらえないなら、狩ってきたらどうだ?」
と、ヘンリーが言った。
「いや、狩に行けとは言ってない。おれたちが行くよ」
だが、紫の若者が、なんともいえない表情でヘンリーを見た。
「……食べるの?」
「気が進まないのか?」
「自分の命を守るためなら闘うよ。それから飢えたときには食べるけど、でも、その……」
ヘンリーはため息をついた。
「とすると、どうすっかな……」
ヘンリーは腕を組んで考え込んだ。紫の若者は、デイジーのほうを向いて微笑みかけた。
「だいじょうぶだよ、デイジー。ぼくたちがなんとかするからね」
「お客さん……」
「はい、10ゴールド。今はこれしか持ってないけど、待っていてくれる?」
「あの」
デイジーは彼らを見比べた。ヘンリーはにやっとした。なんだか、人を安心させるような微笑だった。
「こいつの病気なんだよ、人助けは。その分年季が入ってるから、今度も何とかなるさ。泊めてくれる約束、忘れないでくれよっ」
 朗らかに言うと、二人は店を出て行った。店の扉が閉まる直前、デイジーの耳にヘンリーの声が聞こえた。
「まず、アルミラージを一匹捕まえてな?それから……」