南の国の結婚式 第二話

 こほん、と僧侶が咳払いをした。それが合図だった。客たちは静まり返った。聖歌隊がボーイソプラノで精霊の讃歌を歌い始めた。
 正面の扉がゆっくりと開いた。
 ルドマンの腕にすがって、ベールの花嫁が現れた。会衆の中から感嘆の声があふれでた。凛とした白尽くめの花嫁衣装を身につけて、花嫁は通路へ一歩を踏み出した。男の子と女の子が後ろから花を撒いて続いた。
 讃歌は高く、低く、精霊の加護を祈って続く。
 通路の半ばへ達したとき、ルドマンは花嫁の手を花婿の手に預け、ヘンリーは緊張しきった花婿を花嫁に引き渡した。すばやく背中をたたいて、歩け、とつぶやいた。
「ビアンカ嬢、美しいである」
感に堪えたような声で、脇からピエールがささやいた。花嫁は足をとめ、ベールの陰から忘れられないような笑顔を送った。
「ビアンカさん、おきれいですわ」
「ええ、本当に」
 男勝りで、気が強く、と彼女を知る者は言う。だが、今のビアンカは、すべての花嫁に共通する畏れと不安に直面して、細かく震えていた。それでもビアンカは毅然として顔を上げ歩き続けた。すべては彼女の傍らを歩む男のために。
 二人は祭壇の前に到達して、正面を向いた。聖歌がやんだ。僧侶は、新郎新婦の手を結び合わせ、長い祈りの言葉を口にした。
「いついかなるときも、互いを信頼し、愛し、敬い……」
 花婿と花嫁はじっと聞き入っている。そして僧侶は、二人に指輪を交換させた。
「本日ただいまより、この二人は晴れて夫婦となります。マスタードラゴンよ、どうか末永く、愛し合う二人を守りたまえ!誓いのキスを……」

 式典の後はルドマンの屋敷を開放して、町をあげての大宴会となった。旅芸人たちが入れ替わり立ち代り、芸を披露しに来る。町の大噴水のまわりには、あっというまに踊りの輪ができた。宿屋の女将も酒場の主人も、支払いはすべてルドマンもちで、大盤振る舞いをしている。
 どこもかしこも、陽気な音楽と乾杯の叫び、冗談と明るい笑い声でいっぱいになった。セルジオをはじめ客たちはもちろん、ルドマン邸の広間でサラボナ風の豪華な料理と酒を堪能した。
 女性たちもほろ酔いになり、マリア、フローラ、ビアンカの三人はしめしあわせてスライムナイトのピエールをちやほやしまくった。おかげでピエールは、鎧がふくれあがるくらいにご満悦だった。身長差をものともせずに婦人の手をとって踊ろうとする。おそらく今夜は、彼の生涯で最高の夜のひとつにちがいない。
「そこにいやがったか!」
ヘンリーが見つけてやってきた。
「おお、若造か。見ての通り、我輩はご婦人方のお相手で忙しい。かまってはやれないのである」
だがヘンリーは、ピエールの明らかな挑発にも乗らなかった。
「ルドマンの奥方が、古い上等なサラベル酒をひとかめ、祝いのために特別に開けるそうだ。そこで!」
びしっと指を突きつける。
「勝負だ、ピエール!飲み比べといこうじゃないか」
そばにいた花婿が驚いた。
「やめなよ、ヘンリー」
「ルークは黙ってな。おれの意地がかかってるんだ」
「マリア、ヘンリーを停めたほうがいいよ」
マリアはためいきをついた。
「言い出すと聞かない人ですから。後で私がついています」
ピエールとヘンリーの周りには、もう人だかりができていた。
「昼のリベンジだ。逃げるなよ」
「受けて立つである!」
「ピエール!だめだったら。知ってるだろう?」
つん、とピエールはそっくり返った。
「満座のど真ん中で挑戦を受けて拒んだとあっては、スライムナイトの名がすたる!」
「困ったな」
花婿はターバンの下に人差し指を入れてかりかりとかいた。
「フローラさん、すみません、どこかに寝椅子はありませんか?」
桜色に上気した美少女は考え込んだ。困ったような顔も、ふるいつきたいほどにかわいい。
「寝椅子はあまり……ベッドではいけませんか?」
「貸していただけるなら、ありがたく」
 召使たちが大きな瓶を運び込んできた。口の封を破ると、すばらしい香りが漂った。
「どちらが先だ?」
「我輩に決まっておる。口開けを賞味させていただくである」
切子ガラスのゴブレットに、薄紫の液体が注ぎ込まれた。ピエールは手にとって芳香を楽しみ、くいっとあおった。あたりからやんやの喝采が起こった。
「ピエール、がんばって~」
「ビアンカ、ビアンカ、あおっちゃだめだよ」
「あら、どうして?ピエールはけっこういける口でしょ?」
「ピエールはね。でも」
今度はヘンリーだった。丈の高いゴブレットを優雅に傾けると、一口ふくんだ。
「サラベル酒か。さわやかな飲み心地だ……悪くない」
そのまま、喉をのけぞらせて、ひといきに杯を干した。美しいゴブレットをテーブルに置いたそのとき、ヘンリーはふらっとよろけ、その場へ崩れ落ちた。
「ヘンリー殿!」
あわてたルドマンがかけよった。
「ああ、ご心配なく」
ルークがとめた。
「ヘンリーは、極端に酒に弱いんです。すっかりできあがっちゃってるだけですから」
広間の床にひっくりかえったヘンリーは、世にも幸せそうな顔ですやすやと眠っていた。真っ赤である。
「開いている寝室があったら、お借りできますか」
 ルークは、酔っ払いの腕の下に肩を入れてかつぎあげた。セルジオはもう片方の腕を取った。
「お手伝いしますよ」
「すみません、セルジオさん」
「いえ」
セルジオは、ヘンリーの寝顔をつくづく眺めた。
「しかし、こんなに弱かったとは」
「ヘンリー本人は、自分が下戸だって知らないんです」
「本当ですか」
「酔うと記憶がなくなっちゃうみたいで」
 ルドマン邸の客用寝室は、先にフローラとマリアが待っていた。ヘンリーを寝かせると、ヘンリーは眠ったままでにんまりと笑い、枕を抱きしめてマリア、とつぶやいた。
「何の夢を見てるんだか」
くすっとルークは笑った。いまだにやんちゃのぬけない夫の肩に夜具をかけてやり、マリアは幸福をかみしめるように微笑んだ。
「私がヘンリーについてますので。みなさんはどうぞ、パーティーの方へ」
「いいのかい?」
「ルークさんは、今夜の主役じゃないですか」
マリアはいつものように優しく言った。

「お疲れ様でした、セルジオ殿。どうですか、一杯?」
セルジオが広間へ戻ると、ルドマンがサラベル酒のグラス片手にやってきた。
「頂戴します。オラクルベリーでは味わえませんな。大公がひっくりかえるわけだ。実にすばらしい」
はは、とルドマンは笑った。
「よろしければ、お国へお持ちになりますか」
セルジオはにやりとした。柔らかくくるんではあるが、商売の話である。
「いただきましょう。時に、オラクルベリーからのお土産に、絹物や鉄細工をお持ちしたのですが」
ルドマンは商人の顔で笑った。
「実にけっこう」

 ゆっくりと朝寝をして、セルジオは気持ちよく目を覚ました。昨夜はルドマンとしばらく話をし、おたがいに満足の行く線を見つけることができた。
 朝食の食卓は、庭園に出された。きれいな庭のあちらこちらに小テーブルがたくさん置かれ、客たちがそろそろ降りてきていた。
 メイドが風変わりなお茶を運んできた。たっぷりと砂糖とクリームを入れて、セルジオは一口すすった。
 駆け出しの若い冒険商人のように気持ちが高揚している。サラボナとの貿易はすばらしい儲けになりそうだった。早速オラクルベリーへ帰って品物を手配しなくてはならない。
 あそこへかけあって、あれを仕入れて、と考えをめぐらせていたとき、ヘンリーが一人でやってきた。
「おはよう」
「おはようございます、殿下。その、ご気分はもうよろしいのですか」
「みんなおんなじことを聞くんだよな。なんで?おれは絶好調だぞ?」
狐につままれたような顔をする。本当に昨夜のことを覚えていないらしい。
「ルドマン殿は、まだみたいだな」
「さぞお疲れなのでしょうな。何か御用で?商売のお話ですか?」
ヘンリーはにやっとした。
「そんなんはセルジオが済ませてるだろう。別口だよ」
ヘンリーは急に真顔になった。
「あの話を聞いたか?天空の盾だ」
「こちらの家宝、とか」
「そうさ。で、あの美人と結婚した男が盾を手に入れるんだ。でもルークは幼なじみを選んだ。やつが選んだんだから、それはそれで正しいんだろう。でも、おれは」
言葉を切って、ヘンリーは珍しく考え込んだ。
「ヘンリー様?」
「やっぱり、おせっかいをしにいくか」
「なんですかな?」
ヘンリーは指を組み合わせてぱき、と鳴らした。
「これが他の相手ならどんな汚い手を使ってでも天空の盾は巻き上げて見せるが、ルドマン殿では、申し訳ない。小細工なし。正面から行く」
セルジオはあごが落ちるかと思った。
「殿下のお言葉とも思えませんが……」
ヘンリーは何か含む目つきになった。
「おれが正々堂々と何かしちゃ、悪いか?」
「からみ酒ですか。いったい正面から何をなさる気で?」
「ルドマン殿に昔話を聞かせるのさ。愛する女を求めて二代にわたって世界をさすらう親子の話だ」
「友情とおせっかいは紙一重ですが」
「セルジオだって、今回はルークに助けてもらっただろう?」
「そうとも、言えますかな」
セルジオは、サラボナへ来る直前のやりとりを思い出していた。

 手のひらを黒檀の机につき、もう片方の手を腰に当て、オラクルベリー大公ヘンリーは、商人組合の理事たちをねめつけた。
「どうしても必要なことだ」
「ですが、恐ろしく危険なことです」
理事会の長老、モナーラが言った。
「お国のために資金がいるのは、どこの国でも変わらぬ事。危険な遠距離貿易を試そうとなさるのは、失礼ながら、お若いと申せましょう」
トトもモナーラと同じ意見だった。
「ほかに資金を手に入れる方法もあるでしょうし」
「増税はしたくない」
ヘンリーはつっぱねた。
「施政の方針だ。今は民を育てるときなんだ。だが、代替財源がない。何をするにしても先立つものがないと来ている」
ヘンリーの指がこつこつと机をたたいた。
「危険、危険というが、どんなリスクがどれだけあるか、実際に試したものはいるのか?」
「古い記録ならございます」
セルジオは長いテーブルを挟んで正面から答えた。
「もう一世代は昔のものですが、天候、食糧不足、海上モンスター、病気などがあげられます」
ヘンリーは皮肉な笑みを浮かべた。
「そのリスクとたとえばサラボナと交易して得られる利益を比べると、どうだ?」
理事の一人、サイクスなどは、ごくりとつばを飲んだ。
「どうした、それでもオラクルベリーの誇る大商人か?」
軽く両手を広げてヘンリーは理事たちを挑発した。
「ラインハットは、言うなれば在庫をしこたま抱え込んでいるんだ。いい市場があれば絶対にはける。それにまともな商品を仕入れてくれば、ラインハットで飛ぶように売れるぞ」
セルジオは内心舌を巻いていた。遠距離貿易は冒険商人の夢なのだ。歴代ラインハットの行政責任者のなかで、そこに目をつけたものはこのヘンリーが初めてだった。
 思わずひきこまれそうになる。セルジオはうかうかと乗せられそうな自分を心のなかで叱った。
「殿下、あなたさまは一つ大事な事を忘れていらっしゃる」
「なに?」
「商人の慣わし、というものがございます。ひとかどの商人は、信用のある相手でなければ商売はいたしません。はるばる遠い国へ出かけていって、いきなり商売相手を探しても、見つかるものではありません」
「ラインハット王国が保証しても?」
「それでよしとする商人もいるかもしれませんが、いないかもしれません。賭けですな」
ヘンリーはやわらかな布張りの青いソファに、体を投げ出すようにして座った。
「賭けか」
場所はオラクルベリー商人組合の理事室である。へたな貴族の城よりは、よほど贅沢な家具調度で飾った、見事な方形の部屋だった。
「もう一回さらわせてくれ。リスクは確かにある」
ヘンリーは空中に視線をさまよわせた。
「天候、これは季節を選ぶ事ができる」
「確かに」
「食糧不足。きちんと見積もって、しかも多めに持たせること」
「そう、これが一番解決が早い」
「病気。有能な僧侶が要る。それはそうと、セルジオ、昔の記録とはいえ、海図はあるんだな?」
「ございますよ。ポートセルミ経由より、ラインハット東のタンズベール沖を出て南東へ進むほうが早く、海流等の危険も少ない事がわかっています」
すばらしい、とヘンリーはつぶやいた。
「モンスターに関しては、用心棒をつけよう。ラインハット正規軍が同行する」
「ですが、しかし」
「商人の慣わし、か?」
理事たちはうなずいた。
「どのような機会でもいいですから、御互いに一度顔を合わせて商売の相手を確認する事、これがなくては、始まりません」
 ど素人のヘンリーに商売の厳しさを伝えるべく、セルジオは厳格に言い渡した。が、ヘンリーはソファの肘掛にひじをつけ、頬杖をついた。
「なあ、セルジオ、どんな相手と商売したい?」
「それは、もう、正直で、ごまかしのないお人ですな。地元で何年も商売をしてきて、それなりの資本があれば」
「具体的には?」
「サラボナであれば、かのルドマンどのなら」
世界一の大富豪の名を、セルジオは挙げた。ヘンリーは悪童のような笑みを浮かべてソファから立ち上がった。驚く理事たちの後ろを通って、議長席にいるセルジオのすぐそばへやってきた。
 なれなれしいほど近寄ると、セルジオの前に一枚のカードを置いた。
「読んでみな」
よく漂白した羊皮紙のカードに金文字が押されている。
「結婚式招待状……」
ルークという若者が、どこやらの娘と結婚する旨の招待状だった。セルジオは一通り目を通して、招待主の名を見た。
「ル、ルドマン?サラボナの、ルドマン?」
先代セルジオの下で修行して、商人歴三十年。百戦錬磨のセルジオが、思わず声を立ててしまった。
「今朝、城から回送されてきたんだ」
ヘンリーは非常に機嫌がよさそうだった。
「ルークを覚えてない?前に会ったとき、いっしょにいただろう?あいつが結婚するんだ。おれ、ちょっとサラボナまで行ってくるわ」
「サラボナですと?で、殿下、わたくしめも」
サイクスがカードに手を伸ばそうとした。ヘンリーの指が一瞬早くカードを取り上げた。
「おおっと、慈善事業じゃないんだ、ん?」
やんごとなき王兄殿下は、にんまりと笑った。
「こっちはいろいろとリスクをしょってわざわざ行くんだ。船を出してくれるっていうんなら、一緒に行ってやってもいいけどな」
 ヘンリーが同行するということは、ラインハット王家をバックに持っていると商売の相手に宣言するも同じだった。そして今、サラボナまで行かれるような大型船でしかもオラクルベリー港に入っている船というと、セルジオ商会の持ち船“疾風の女王”しかない。セルジオは深く息を吐いた。
「殿下、あなた様は、宰相にしておくのはもったいないですな。商人の家に生まれていたら、今ごろは……」