嵐の前 第一話

 ヘンリーは、悪童のような笑顔を見せた。
「小道具は手に入れた。次は役者だ」
 オレストは疑い深げに目を細めた。
「ぼくが説明します」
 ルークはかもめ亭の食堂のテーブルの上に水差しを載せた。
「これがアデル太后。でもおそらく偽者です。彼女の黒幕が恐らく大司教ボアレイズ。でも今は都にいません。警戒すべきは太后の近衛兵たち」
水差しの回りに三つのコップが置かれた。
「ぼくたちが彼女の正体を暴いたときにまず押さえなくてはならないのが、グレイブルグ大公妃ユリア」
さらにソルトシェーカーが並んだ。
「そして宰相、オラクルベリー公ゴーネン」
宰相は砂糖壷だった。
「すべて一度に始末する必要があります。一部を残せば、そこから光の教団が再び力を得てくる」
「しかし」
オレストはコップの縁を指ではじいた。
「太后の周囲を固めるのは外国人が大半の傭兵軍団だ。王宮内のあちこちにいるから、難しい」
「王宮内部でだめなら外へひきずり出す」
ヘンリーはそう言って、パンの塊をテーブルに置いた。
「こいつら、えさを目当てに出てくることになる」
「えさ?」
「デールさ」
 ジュストは食器を片付けながら、オレストたちが話すのを聞いていた。ヘンリー、ルーク、それにピエールと呼ばれるモンスターは、昨日一日どこかへ出かけて、夜遅く帰ってきた。
 同じ日に、トムと名乗る辺境警備隊の制服を身につけた兵士がかもめ亭を訪れた。オレストは予期していたかのようにトムを迎え、今朝はオレストと、トムを交えた部下たちが、朝から話しこんでいた。
 オレストは砂糖壷を引き寄せた。
「宰相閣下は私たち、元王宮警備隊が押さえます」
トムがソルトシェーカーを手に取った。
「おれとあと何人かでユリア大公妃をやります。しかし、傭兵隊は」
ヘンリーはコップを重ねて水差しの前につんだ。
「おれたちの担当」
よろしいのか、と目で問うオレストにルークはうなずいた。
「シナリオの要はデールだ。連絡を取らなきゃ」
「あのうヘンリー様?」
ジュストは思いきって声をかけた。
「今朝ポルトから知らせがありました。昨日、広場にあるセルジオの店が鎧戸を開けて誰かを入れたらしいです」
「やった」
ヘンリーはそう言って飛びあがった。
「つなぎに使える。ちょっと行ってくる」
「外では用心なされ、殿下!」
オレストが叫んだときには、ヘンリーとルークはもうかもめ亭を飛び出していた。
「おまえ、殿下のご用を勤めるようになったのか?」
 その姿を見送って、オレストはジュストにたずねた。
 ジュストは昨夜、この豪胆で沈着冷静な伯父から、こっぴどく叱られていた。光の教団の言うなりになって、ヘンリーを殺しかけた件である。
「仲間とも話し合ったんだ。王の器だよ、あの人は」
「お仕えするなら、気合をいれておけ。その辺の宮廷貴族のようなぬるいご主人様ではないからな」
わかってる、とジュストは胸の中でつぶやいた。何せ、このオレスト伯父を怒鳴りつけるお人だから。

 ネビルはびくびくしながらラインハットへやってきた。ここ数日の人狩りのものすごさは、オラクルベリーにも伝わっていた。
 だが領主である宰相が、ひと財産ほどの莫大な援助金をオラクルベリーの各商家に強制的に求めてきていた。オラクルベリー御免状を奪われて以来、要求は格段に厳しくなってきていた。
 セルジオはネビルに金を宰相に送り届けろと言った。
「ご挨拶を兼ねて、王宮内に宰相閣下をお尋ねするように。そして、町と、城のようすをよく見て報告しなさい」
ネビルはしぶしぶ叔父であり、主人であるセルジオの言いつけにしたがった。
「よもや、未来の九代目セルジオを捕らえはすまい!」
 から元気を付けてネビルはラインハットへやってきた。
 ネビルの目にも、ラインハットは異様に映った。ここ数日でラインハットは廃墟のようになっていた。人々はみな、人狩りを恐れて家に閉じこもっているらしい。店は閉じ、人通りは少なく、傭兵たちだけが凶暴な犬を連れて徘徊していた。
ラインハット支店を任されている大番頭が、ネビルについて大金を王宮まで運ぶことになり、馬車に乗りこんだ。
「いってらっしゃいませ」
 小僧にいたるまで店の前へ出て見送りをさせ、ネビルは堂々と出発した。先日の件を反省して、セルジオ商会でも屈強の手代を選んで御者と従者を勤めさせている。
 急にあたりが騒がしくなった。
「なんの騒ぎだ!」
いらいらしてネビルが言うと、馬車が止まった。ネビルはぞっとした。
「ネビルさん、外に」
手代の情けない声がした。
「よっ若旦那」
馬車のドアを開けて入りこんできたのは、いつぞやのヘンリーとか言う、無礼な旅人だった。
「きさま、やはり物盗りか」
「とんでもない。ちょっとお耳に入れたいことがあってね。ルーク、馬車は適当に走らせてくれよ」
 年よりの大番頭は青くなっている。馬車がゆっくり動き始めた。
「これから宰相のとこへ行くんだろ」
「貴様には関係ない」
「邪魔なんかしないって。ついでに王様のところへ寄ってみないか?」
「なに?」
「王様はご注文がおありなのさ。今すぐに御用聞きにうかがえば、儲かること間違いなし、という話だ」
「なんできさまが」
「まあ、いいからいいから。おまえ、セルジオ旦那にいいとこ見せたいんだろ?九代目狙ってんだよな?」
「う、まあ」
「これ持ってけ」
ヘンリーはネビルの手に、手紙をのせた。
「こいつが儲けのタネだ。忘れずに王様に渡せ。じゃな」
しゃべるだけしゃべってヘンリーはさっと姿を消した。

 ネビルと大番頭は、人相の悪い兵士たちに囲まれた格好で宰相の御前へまかり出た。オラクルベリー公ゴーネンは、初老ではあるが、赤毛に団子鼻の脂ぎった男だった。
「やっと着いたか!あまり遅いので、御上にたてつく気かと気を揉んでおった。妙な噂が立ったら、かばうのも難しいでな」
ゴーネンは恩着せがましく言った。
「合力はたしかに戴いたと、伯父殿にお伝えしてくれ」
含み笑いで宰相は金を受け取った。
「太后様も御喜びのことだろう。そうそう、軍資金のめどがついたら、いよいよエルファンネル大陸へ軍を送る話にあいなる。たしか、セルジオ商会の船はまことに頑丈でよいと聞いたが」
船までむしる気か、とネビルは思ったが、おとなしくお辞儀をしておいた。
「おそれいります。付きましては、国王陛下にもご挨拶申し上げたく」
宰相はじろっとネビルを見た。
「お忙しければ、またいずれ」
あわててネビルは言った。
「まあ、かまわないだろう。案内してやれ」
傭兵らしい巨漢が敬礼して、ネビルに寄って来た。
「番頭さんはここで待ってもらおうか。ぼんぼんだけついてきな」
ネビルは心の中で悲鳴を上げたが、九代目、九代目とつぶやいて王宮内を歩き出した。
 国王の居間に近づくと、人間ばなれしてごつい衛兵がぎっしりと詰めていた。
「どうなってんだ、この城は」
ひそかにネビルはつぶやいた。顔はかわいいが高飛車な侍女がネビルを迎え控えの間にいるように言った。
「ただいま陛下は大事なお話中ですので、少々御待ちくださいませ」
ネビルは落ち着かなかったが、贅沢なイスに腰を下ろした。懐にあの手紙がある。ふとネビルは、読んでみる気になった。慎重に封印をはがして、中をのぞいた。ネビルには意味不明の文章が並んでいた。
「『彼女が彼女でないことを証明する。日が中天にかかるころ、彼女と近衛兵が城外にいるようにしてくれ。今日から十日待つ』?」
ヘンリーのばかやろう、とネビルは心の中でぼやいた。これのどこが儲け話だ、どこが。
 そのときすぐ近くから、あまり上品ではない金切り声が聞こえた。
「時間かせぎはやめていただきましょう!」
ネビルは肝を冷やしたが、壁に近寄って耳をそばだてた。
「今すぐ承認の署名をなさい」
聞いているだけで胃の痛いような声に、穏やかな少年の声が続いた。
「グラフトン、私は大声になれていません。ああ、めまいがするようだ」
誰かが机に物をたたきつけるような音がした。
「何日引き伸ばせばお気が済むのか。わがままもいいかげんになされ!太后様がお急ぎなのですぞ」
「わがままなどと。私は常に母上を敬うことをやめませんよ。が、頭が痛くて内容が頭に入らないのだから仕方がない」
その声が国王のものだとネビルは気がついた。気品の感じられるため息が聞こえた。
 グラフトンと呼ばれた金切り声は、うめき声を上げて歩きまわっているようだった。
「何度もご説明申し上げたでしょう!ああ、戦争の準備は着々と進んでいると言うのに」
「お疲れ様」
私が頼んだわけではない、と言外に響かせて国王は言った。
「よろしうございます」
グラフトンが脅すような声を出した。
「この窓から、湖の広場がよく見えますな、陛下?」
「毎日景色を楽しんでいますよ」
「志願兵を募るのを、ごらんになりましたか?」
答えは沈黙だった。
「我が軍の主戦力は、プロの傭兵からなります。あのような素人を集めるのは、ほんの御遊び。われわれがいかにこのたびの出撃に熱意を持っているかをご理解いただくためのショーです」
「観客は私一人か。さみしいことだ」
ぽつりと王は言った。
「もっとショーを続けましょうか」
しばらくの間、何も聞こえなかった。
「楽しいショーだったが、もう十分」
「陛下、ペンをどうぞ」
羊皮紙の上をペン先の走る音がした。
 突然下品な笑い声がした。
「尊敬申し上げるデール陛下、ご署名をいただき、まことに光栄に存じます。では、多忙の身にて、失礼いたします」
いきなり控えの間の扉が開き、髪を撫で付けた気障な男が羊皮紙をひらひらさせながら足早に通りすぎ、どやどやと護衛が続いた。一人としてネビルには目もくれなかった。
侍女が来るまで、ネビルは気まずい思いで腰掛けていた。
「セルジオ商会の方とおっしゃいましたか」
「はあ」
「こちらへ」
ネビルは恐る恐る国王の居間へ入った。ネビルとほぼ同い年の若い王は、窓の一つに持たれかかって外を見ていた。
「すみません、お邪魔して」
王はゆっくり向き直った。顔には涙の跡一つないが、表情は作り物で、その裏に深い絶望が透けていた。
「八代目セルジオの甥、ネビル君。私のまた従兄弟ですね。以前お目にかかったと思いますが」
穏やかな声で王は言った。
「そうです。あの」
ネビルはなんと言っていいかわからずに、ネビルはもじもじした。
「あ、手紙です。これを」
国王にお会いしたら申し上げるべき美辞麗句を、ネビルはすべて忘れてしまっていた。真っ赤になって、ヘンリーの手紙を差し出した。
 王は病人のようにゆっくりと手紙を開いた。
 薄い水色の瞳が行を追って動いていく。
 目を通すその一行ごとに、顔に血が上っていった。
「これは、誰から?」
別人のようにしっかりした声で王は尋ねた。
 ネビルは真っ赤になった。
「申し訳ありません!」
「彼からなんですね?」
それは質問ではなく、断定だった。ネビルは夢中でうなずいた。王は、完全に自分を取り戻していた。