暗殺者の耳飾り

 その翠緑色の表面は深い色合いを帯び、豊かな光沢を放っていた。涙滴型と呼ぶには細長く、先端が鋭く尖り、むしろハートシェイプに近い。表面に施した飾りと広めの縁取りはアンティークな金色だった。
「きれい……」
 人目につくように黒い布の上に、二つのハートは飾ってあった。ハートの上部には小さな薔薇色の石を嵌めた金具があり、耳に留める部分なのだとわかる。左右一対、美しい装身具だった。スライム闘技場景品、と書いた札がそばに置かれていた。
「それ、欲しいんですか?」
眼鏡の少年が、隣にいた少女に聞いた。髪を頭頂でひとつにまとめた、大きな目の少女だった。
「欲しいっていうのと、違うの。今ここを通ったときに、何か話しかけられたような気がして」
「話しかけた?このピアスがですか?」
少女はつんとした。
「信じてないのね?」
「信じますとも。カルベローナの跡継ぎの大魔女のおっしゃることですから」
少女はちょっと機嫌を直したようだった。
「ほんと言うと、気のせいかなって思えるくらいなの」
 少女の仲間たちは、自分たちが育てたスライムが闘技場に出るのを見るために観客席の方へ陣取っている。そろそろ試合が始まるのだろう。あたりは騒がしかった。少女は、気持ちを集中させるかのように両手の指を組み合わせ、真剣な表情でその不思議なピアスを見つめた。
「でも、なんだか立ち去りがたくて。この子達、なにか話したいみたい。なにか覚えてるんだわ」

 その男からは、血の匂いがした。巨大な体躯に黒々とした髪のその男こそ、新しい王だった。肩までの長さの黒髪には、王の徴である太い金冠を被っていた。
 ゲイリスは、震えた。先王のものであったその冠は、まだ先の王の血潮に濡れているように見えたのだ。新王となったこの男が先王を殺害したときのその血痕だった。
 むろんのこと、それは幻覚である。だが、血の匂いは幻ではない。即位式を終えた新王が国民に姿を見せたのは王宮前の広場に面したテラスだった。昨夜から今日の夜明けまでその広場では、夜通し斬首刑が続いていた。
 先王の妃、王子女、王族や貴族、大臣や将軍たち。新王は、城を空にする勢いだった。一人も生かしてはおかない、と。
 新王を支持する兵士たちが武器をかざし、歓呼して王を迎えた。わああっと声が広場にこだまして、すぐに沈黙が訪れた。広場に借り集められた群集はおどおどし、遠慮がちにぱちぱちと拍手をした。
 傲然と新王はテラスから国民を見下ろした。
「おろかなやつらだ」
残酷極まりないその笑顔を見たとき、ゲイリスはぞっとした。
「神よ、この男をも、愛を持って接しなくてはならないのですか?」
ゲイリスは尼僧だった。二年前、親子兄弟の縁をはじめ人の世のしがらみを断ち切り、身の飾りをすべて落とした。髪は短く切り、黒い衣と白い頭巾に身を包んで、装飾品などは思いもよらない。
 新王が大声で何かを命じた。兵士たちが一人の男を引き立ててきた。ゲイリスの心臓が恐怖に跳ね上がった。ゲイリスはその男を知っていた。
「アラム……」
俗世を捨てる前、ゲイリスのいいなづけだった男。腕のいい鍛冶屋である。
 アラムは左右から兵士にこづかれ、王の前に膝をついた。
「まだわしの剣を打つ気にならぬか」
アラムは黙っていた。
「何が不足だ。金か」
「いいえ」
やつれた表情のわりには明瞭な声でアラムは答えた。
「あまりわしを甘く見るなよ、鍛冶屋。おまえを生かしておいたのは、おまえが良い剣を造るからに過ぎぬ」
王は酷薄な笑みを浮かべた。
「命をやろう。そして、自由もくれてやるかもしれぬぞ。わしの剣を打つな?」
「恐れながら」
とアラムは言った。
「私の剣は、あなたさまには似合いますまい」
 静かな、おとなしい男だった。偏屈で頑固な鍛冶屋の師匠に仕えて、文句ひとつ言わず二十年近くを修行に明け暮れた。だが、無双の名人とたたえられた師匠は、この寡黙な弟子を跡継ぎに選んで、そして満足そうに逝った。尼僧としてその死を見取ったゲイリスは、そのとき初めてアラムの涙を見た。
 静かで穏やかだが、反骨精神は師匠譲り。アラムはまっすぐに簒奪者の目を見据えた。
「お断り申し上げます」
王は怒号した。
「殺せ!」

 見るからにごついバトルアックスが、釘に支えられて武器屋の壁にかかっている。研ぎ澄まされた刃が、ギラリと光った。柄には金属のバンドを巻いて補強をほどこしてある。まさに戦士の相棒だった。
 隣にあるのはドラゴンキラーだった。斧よりはすっきりしているが、竜の角を模した飾りのついたその武器は見るからに鋭い刃を持ち、斬るにも突くにも適した形をしている。ドラゴンの鱗を貫くほどの威力がある、といううたい文句も素直にうなずけた。
「でもあたし、あんなのより、こっちがいいな」
どんな戦士でも欲しがるような武器を、赤い巻き毛の少女は簡単に切って捨てた。
「こっちというと、これですか。ううむ、どうしたものか」
年はとってもかくしゃくとした老人が、彼女の手元を覗き込んでつぶやいた。金の縁取りのある緑色の耳飾りが一対、武器屋の店先に飾ってあった。
「かわいいでしょ?」
「姫、遊び半分ならばおやめくだされ」
「素手で戦うな、って言ったのは誰よ」
「第一、これはそもそも、武器なのですか?」
「武器だよ?これ、戦いたがってるもん」
モノに意志が宿るなどと言う例を、老人はその年まで聞いたことがない。だが、彼女の父君をはじめ、サントハイムの王家の人々が常ならぬものを見る一族だということを、たまたま老人は知っていた。
「ねえ!」
 巻き毛の少女が呼びかけたのは、一行のリーダーをつとめる少年だった。少年は村の中の大きな塔を見上げていた。
「ねえ、これ買ってもいい?」
少年が振り向いた。が、老人は咳払いをした。
「姫、そのようなおねだりは」
「黙ってて!ね、買ってもいいよね?絶対大事にするから」

 ゲイリスは、新王の前にひざまづき頭を垂れた。
「先ほど死を宣告された若者は、従兄弟でございます」
王は玉座のひじかけにひじをつき、こぶしの上にあごを載せてせせら笑うような表情でゲイリスを眺めた。
「惚れた男か?尼僧のおまえが」
 新王はなぜか、王族や貴族の姫よりも、小間使いの娘や商人の女房などを好み、宮廷の召使もとっかえひっかえ寵愛した。死を免れた女たちに求められているものは明白だった。しかし、女たちのだれかれが呼ばれる時、ゲイリスは聖職を盾にとって王に媚を売るのを断り続けてきた。
 ゲイリスはかたくなな態度と仮面のような表情で守りを固めた。
「伯父伯母に従兄弟の最期を知らせてやりとうございます。刑の執行を延ばし、面会をお許しくださいませ」
新王は、疑い深そうに目を細めた。ゲイリスは両手を揉み絞りたいのを必死でこらえた。
「おまえに面会を許して、わしに何の得がある」
と王は言った。ゲイリスは唇を噛んだ。動揺を察したのか、王はほくそ笑んだ。
「だが、おまえがわしの意を汲むのなら、面会を許そう」
安堵のあまり、ゲイリスはふるえた。
「なんなりと」
「明日の夜の宴に出よ。宴の余興に、その野暮な頭巾と衣を脱いで、肌と髪を露わにし、化粧をしてまいれ」
 その提案を受け入れれば、ゲイリスは尼僧の戒めを破ることになる。ただの女なら、王の誘いを断る理由をもたないのだった。ゲイリスは覚悟を決めた。

 新王に従う兵士たちは、国の北方の出身で、蛮夷の気風を持つものが多い。彼らにとって宴とは、荒々しい酒宴と無礼講のことだった。
 以前は洗練された優雅な夜会が行われた城の大広間は、その夜、荒れ果てた姿をさらすことになった。酒の杯や瓶などがあちこちに割れて散乱していた。 料理を盛った大皿が汚らしく食い散らかされて転がっている。末座の方では酒の勢いで兵士たちの間にケンカ騒ぎまで起きていた。王は自分の重臣以外の者には、剣を持ったまま自分のそばへ寄ることを許さなかったので、兵士のケンカはなぐりあいである。
 王とその取り巻きは玉座を中心に集まって、騒ぎさえも余興にして飲み続けていた。
 広間の隅では楽士たちが、おどおどした目でそのようすをうかがっていた。さきほどまで女芸人の一座が来ていたのだが、“おもしろくない”という理由で剣で追い回され、散り散りになったところだった。床にはまだ新しい血しぶきがかかっている。あまりの凶暴さに、給仕をする女たちはとっくに逃げてしまった。
「これで終わりか!」
野蛮さを丸出しにして王の重臣……兵士長上がりの男が叫んだ。
「もう芸のあるやつはおらんのか!つまらんっ、誰でもよいから、よこせ!」
目が血走っている。新王と側近は、酔いに任せてなぶる相手を欲しがっているのだった。
 楽士たちは、お互いに目配せをして立ち上がった。このままここにいたら、自分たちが危ない。足を忍ばせて扉のほうへにじり寄ったときだった。その扉が開いた。
「今度はなんだ、あ?」
酔っ払いが大声をあげてどっと笑いがおこり、そして静まり返った。
 入ってきたのは女だった。尼僧ゲイリスである。だがもう、その姿は尼僧のそれではなかった。僧衣に包み隠していた白い肢体には、踊り子の衣装をまとっている。豊かな胸を朱色の布でおさえ、腰からは同じ色合いの薄ものをたなびかせていた。形の良いへその上には金の金具で鎖を留め、あごまでの長さに切りそろえた髪の下にも金の耳飾りが輝いている。一歩進むたびに手首と足首の細い金の輪がしゃらしゃらと鳴った。
 床の血しぶきをものともせず、ゲイリスは玉座の前に進み出た。
 一人の男がいきなりゲイリスの手首をつかんでひきよせようとした。が、さっとゲイリスは逃れた。王は哄笑した。
「ついに尼僧を見限ったか。いいぞ、女!さあ、踊ってみせろ。おまえの男のために、命乞いをしろ!」
酔眼がぎらぎらと輝いていた。ゲイリスは、媚のない悲しい微笑を浮かべ、悲惨な大広間の中央で、舞いの始まりのポーズを取った。
 今まであっけにとられていた楽士たちは顔を見合わせ、その場に座り直した。
旋律が流れ出し、ゲイリスは踊りだした。美しい足が高々と上がった。
――神よ、お許しください。私は尼僧の戒めを破ります。

 オラクルベリーのカジノのフロアに、青い髪の若い女性が立っていた。後ろからそっと背中をたたかれて、彼女は我にかえった。
「大丈夫かい?」
「大丈夫ですわ、あなた。あんまりにぎやかなもので、ぼうっとしましたの」
彼女の夫はふっと笑うと、景品交換所に立ち寄った。
「すいません。その、キラーピアスを」
手持ちのコインをほとんど渡して、彼は品物を受け取った。
「はい。これを見てたでしょう」
「まあ、せっかくためたコインですのに」
「八年分の結婚記念日の分だよ」
彼女は夫の手から、金と緑の耳飾りを受け取った。そのときだった。
「何かしら。これ」
「どうかした?」
「何か、声が聞こえるんですの」
青い髪の若い妻は、両手にキラーピアスを包み込み、胸に当てて瞳を閉じた。その姿を、同じように若い夫が、じっと見守っている。

 ひらひらと回転し、腕の動きで幻惑する。卑猥な野次を聞き流し、ゲイリスは舞い続けた。
――昨日牢ごしにアラムが私に手渡したのは、一対の耳飾りでした。“いつか、結婚の贈り物にしよう思って造った”、と言って。
 腰布が翻り、足があらわになる。ゲイリスは挑発するように片手を王に向かって差し伸べ、王の手が触れる寸前にさっと逃れた。げらげらと笑い声があがった。酔った王は立ち上がり、ゲイリスを抱きしめようとする。じらすように待ち構え、だがゲイリスは踊り子のすばやさを生かして、必ず逃れた。
――神よ、死すべき定めの人の子が、同じく人である者の生死を定めるのは僭越ですが
 酔った男たちがはやしたてる。王は大声で彼らに言い返し、勝ち誇った顔でゲイリスにいどみかかった。
――この男、とうてい生かしておけませぬ。
ゲイリスはさっと王の背後に回った。
――寸鉄すら身に帯びぬ踊り子には、この男も警戒をいたしません。
 白い腕を伸ばして、ゲイリスのほうから王の背をかき抱いた。ひゅーっと誰かが、下卑た調子で口笛を吹いた。生意気な女をモノにしたぞ、と王が荒々しく叫ぶ。王の無防備なうなじに、ゲイリスは自分の拳をそっとあて、一気に体重をかけた。
――神よ、お許しを。尼僧の誓いを破ります。
「ぐはぁっ」
大の男がたまらずに悲鳴をあげた。
――神よ、お許しを。不殺の誓いを破ります。
 王は、床に倒れてそのまま動かなくなった。余興のうちか、と思って見ていた男たちが、顔色を変えた。
「女、何をした」
ゲイリスは微笑んだ。両手を差し出し、その手の中に握っていたものを見せた。はずしたばかりの耳飾りだった。その先端は王の血に濡れていた。
「きれいな耳飾りを造ったのは私の純粋な恋人。その先端を尖らせたのは、女暗殺者の、私」
兵士も重臣も男たちはゲイリスに殺到した。とんぼを切るようにしてゲイリスは後ろへ逃れた。
「王は死んだ!」
 優雅さをかなぐり捨て、大声でゲイリスは吼えた。王位簒奪者に従っていた者たちが、大刀を振り上げて襲ってくる。ゲイリスは武器を逆手に持ち替えて、すばやくふるった。ふた筋の閃光が走ったように見えた。先頭にいた男が悲鳴を上げて飛びのいた。血の滴るキラーピアスを両手に構えたまま、ゲイリスは広間を飛び出し、大声で叫びながら城の中を走っていく。
「王は死んだ!」

 眼鏡の少年は、息をつめて聞いていた。
「それで?どうなったんです?」
 少女は深く息を吐いた。長い物語を聞き取ったために、さすがの魔女も疲れたようだった。壁に寄りかかり、女暗殺者の痛みを共有するように胸に手を当てた。
「このあとはわからないわ。お話はここでおしまい」

 彼は青い髪の妻の肩を抱いて、黙って聞いていた。彼女はささやいた。
「こんな哀しいことがあったのですわ」
耳飾りを胸に押し付け、じっと彼女は頭を垂れた。
「あなたと子供たちの命を護るためなら、私もきっと同じことをしたでしょう」

 革の手袋をしっかりとはめた手で、巻き毛の少女はキラーピアスを構えた。
「あなたの声は、確かに聞いたわ」
目の前の敵をきっとにらみつける。エンカウントの瞬間、彼女は飛び出した。
 出会いがしら、横殴りにキラーピアスの鋭い先端で相手を切り裂いた。
「あたしにも、護りたい人がいる!」
 モンスターの緑の体液がびしっと飛ぶのをかいくぐり、低い姿勢から間合いを詰め、足元から頭頂まで一気に相手を斬り飛ばした。
「力を貸して!」
パーティの間から、賞賛の声がもれる。
「さすが、姫様。無敵ですねっ」
後ろから襲ってきた敵を仲間にまかせ、神速の少女は再び敵をめがけて飛び込んでいった。

 命を懸けて護りたい人のいる女には、キラーピアスが心を開く。