グロッタ地底王国の冒険 1.第一話

 松明を掲げたとたん、紫の袖なしコートを身につけた男はヒュッと息を呑んだ。
「テオ、どうした?」
 テオと呼ばれた男は年季の入ったトレジャーハンターであり、のほほんとした性格で、めったなことでは驚いた顔さえしなかった。そのテオがしばらく物も言わずに立ち尽くしていた。手にした松明の炎がかすかに揺れていた。
「ねえ、何か見つけたの?後ろにいるぼくらは見えないんだからさ」
 一行は縦一列になって海岸の崖に穿たれた穴から地の底へ文字通り潜り込んでいた。人ひとりやっと通れるかどうかという道をたどり、きつい坂を上り、縦穴をくだり、また分岐点では行きつ戻りつ、ようやくここまで進んできた。
 先ほどから手にした地図をにらみながら、テオは”このあたりなんだが”とつぶやき、隧道の壁を手で探りまわしていた。そのあげく、しゃがみこんだ眼の高さに何かを見つけ、がたがた音を立てて取り外した。そして松明をかざして中をのぞきこみ、そのまま動かなくなったのである。
 テオが振り向いた。珍しく緊張し、そして、顔いっぱいで笑っていた。
「見ろ!」
言うなり、剣を鞘ごと抜いて鞘尻で自分の前の壁を強く突いた。バラバラと土砂が崩れ落ちた。現れた光は、入り口のアーチ形をしていた。
「なんだ、これは!」
使いこんだ鎧を装備した戦士、いつも冷静なゼフ(デルカダール王子)が驚きの声をあげた。
「やっぱり!ぼくはあると思ってたよ!」
ブーツにマントという旅姿のロウ(ユグノア王子)がすぐ後ろで叫んだ。
「まさかほんとにあったなんてねえ……」
長身に魔法使いのガウンをつけたクレイ(クレイモラン王子)が目を見開いていた。
「ぼ、ぼく、見えません」
彼の後ろで砂漠の民らしい軽装とターバンのサマル(サマディー王子)がぴょんぴょんはねて泣き声をあげた。
「みんなが進めば見られますよ。テオ、後ろがつかえてるぞ!」
騎士見習い姿のジエーゴ(ソルティコ領主長男)が前へ向かって呼ばわった。
「こういう秘密の場所に着いたときは、警戒を強めるのがトレジャーハンターの習いだ。ゆっくり進むぞ」
テオの一行は地底の迷路からひとりずつその場へ足を踏み入れた。しばらくの間、一行は声も出なかった。
 そこが地底だとは、とうてい信じられない。町ひとつ包み込むほど壮大な地底の空洞だった。
 柱頭飾りと基壇のある太い円柱が何本も、宮殿とも神殿ともつかぬ巨大建築を支えている。足もとはむき出しの地面ではなく、淡い金色と濃い茶色の二色の石をよく磨いて市松模様に敷き詰めた美しい床だった。その他に黒光りのする輝石がところどころにはめこまれていた。
 テオの率いる一行はゆっくり歩いてその神殿の正面へやってきた。堂々たるファサード(正面玄関装飾)であり、ひときわ見事な柱が左右対称に並んでいた。
「誰もいないようだな」
テオが言うと、声がかすかに反響した。
「あれ、なんだろう」
クレイがファサードを見上げてつぶやいた。
「あれって?」
ロウが尋ねた。
「ファサードの一番上の三角形の部分の真ん中に大きな円があるね。円から短い線が左右に四本ずつ突きだして、直角に曲がっている。紋章学ではあまり見ないモチーフなんだ」
「ぼくも知らないや。まあ、勉強不足なんだけど」
テオが声をかけた。
「この遺跡が古すぎるんだ。神話時代よりちょっとだけ新しいていどでね。まったく未知の領域だと思ってくれ」
 一行は顔を見合わせ、うなずきあった。
「先頭はオレとジエーゴ、しんがりはゼフとロウで。クレイとサマルが真ん中。真ん中のおふたりは、いざとなったら魔法で援護をたのむ。戦闘系の諸君は抜刀の必要はないが、常に武器の柄をつかんでいること。ただし危険を見つけたらエンカウントに入るより仲間に知らせることを優先してくれ」
てきぱきと指示を下して、テオたちは神殿の中へ入っていった。

 その神殿はほとんどすべて石でできていた。正面入り口の円柱列から中に入ると、広幅の階段を数段降りた先に見上げるような天井の大広間があった。
 淡い金色の石材はたぶん細工向きの柔らかさなのだろう。淡黄色の石材でできた太い飾り柱が天地を貫いている。壁は茶系濃淡二色の石を使って、八角形を同心円状にした幾何学模様で飾られていた。
 階段の手すり、装飾タイルの縁取り、飾り台の正面等に、丸にL字四対の、あの不思議なモチーフはいたるところに見受けられた。
「王国の紋章だったのかなぁ?」
そうサマルがつぶやいて、直後、驚いて硬直した。
「どうしました、王子?」
ジエーゴが尋ねた。サマルは自分の真横を指さして見せた。
 大広間にある飾り台だった。サマルの身長より大きな、巨大な蜘蛛の像が安置されていた。黒い輝石の両目を持ち、二色の石で縞模様になった八本足のつま先を立てている。ただし、リアルな蜘蛛よりかなりデフォルメされていて、その表情はどこかまじめでユーモラスに見えた。
「びっくりしただけ。でも、これのモデルには、会いたくないかも」
ジエーゴも引きつり気味に笑った。
「オレもです」
 テオたちはあたりを見回した。
「人どころか、動物もモンスターもいないな」
会話に交じるのは敷石を踏んで歩くパーティの足音だけ。
「長いこと誰も足を踏み入れていないみたいです」
 自分の声が反響するのは、奇妙な感じだった。
 事実、豪華に飾った神殿なのだが、灯明の一本もなく、ただ風の吹き抜ける音がするばかりだった。円柱は亀裂がめだち、敷石はひびや欠けが多かった。
 壁際にはいくつか正方形の水盤があり、壁の高いところに水の噴き出し口が造られ、奇跡的に水が流れ出ている。噴き出し口と水盤のまわりの壁だけ、苔が生えていた。大広間は、だが地震でもあったのか、ときどき壁ごと崩れ落ちているところもあった。
 テオは心を決めたようすだった。
「今日はみんな疲れただろう?地上ならもう、日の暮れる頃だ。ここでキャンプを張ろう。本格的な探索は明日だ」
ええ~?とロウが不服そうに言った。
「目の前にこんな魅力的な謎があるのに?」
「ちょっとお預けにしたほうが、なんでも美味しくいただけるってのが相場だろ」
 テオたち一行は神殿の大ホールの真ん中にテントを張り、テントの前で焚き火をした。壁噴水から水をたっぷりもらい、焚き火の上に鍋を置いて湯を沸かすことにした。
 一行は火の周りに集まって座っていた。鍋から水蒸気が上がり、大ホールの上へ吸い込まれていく。
「凄い高天井だな。ドームになっているのか」
真上を見上げてゼフがつぶやいた。皆、真後ろの敷石に両手をついて身を反らせ、上を見上げた。
「昔、ある古い国がグロッタ地方のこのあたりにあったそうな」
とテオが話し出した。
「名前はアラクネア、とだけ伝わっている。かなり好戦的な国で、一度はユグノアとも事をかまえていたはずだ。さすがに勇者ローシュの国は手強かったのか、あきらめて南方へ眼を向け、そちらの部族としょっちゅうぶつかっていたらしい」
テオは荷物から、古びた羊皮紙の巻物を出した。
「あるときアラクネアはついに近隣を巻き込む大戦争を始めた。長く戦いを続けて疲弊しきったところへ敵に攻め込まれて、アラクネア王と側近はこの地底の避難所へ逃げ込もうとした」
「戦場に兵を残してか?」
ゼフがぼそっとつぶやいた。
「この避難所には物資の備蓄があり、何より魔法の力を持つアイテムが神殿に大切に保管されていたんだ。王はおそらく、その両方を使って巻き返しを計ったんだろう」
そうテオが説明したが、おもしろくなさそうにゼフは顔を背けた。
「どうぞ続きを、冒険者殿」
和やかにクレイがうながした。
「実はこの後何が起こったのか、よくわかっていないんだ」
テオは手にした巻物を広げて見せた。
「国王と側近は、命からがら王宮の下の逃げ道を通ってここを目指した。この避難所を作ったのは、国王の信頼厚い大臣だったという。避難所を守る目的で、道中いろいろなトラップをしかけていた」
「ぼくたちはトラップなんて出会わなかったけど」
とロウが言った。
「王と側近たちは、もっと西のほうから正規ルートでここを目指したのさ。オレたちが通ったのは、この数百年の間ここを目指した盗賊やトレジャーハンターたちが作った裏口通路だ」
ロウは肩をすくめた。
「逃げる王と側近たちは、なんとトラップにやられた。戦争の混乱のためか、大臣はきちんとトラップを解除できなかったらしい。設定されたトラップのために、王の一行はここへたどりつけなかったんだ」
巻物には、王冠を被り杖を持った人物が両手を上げて倒れ伏している絵が描かれていた。
「さて、王が行き倒れてそれっきり古代王国アラクネアは滅びた。この地底王国も、長いこと伝説だった。だろう、クレイ?」
はは、とクレイが笑った。
「私に話をふらないでおくれ?」
「ご冗談だろう、聡明と名高い、クレイモランの王太子殿下が」
クレイモランは古代図書館があるために、知を重んじる国として有名だった。
「まあ、確かにアラクネア伝説は聞いたことがあるよ。ただ、あまりにも昔のことで何もわかっていない。証拠がないと、学者なんて手も足も出ないものだよ。伝説を信じ続けたトレジャーハンターの勝ちかな」
「こりゃどうも」
テオは肩をすくめた。
「勝負にこだわるわけじゃないが、明日、神殿の奥に本当に古代の魔法アイテムが残っていれば信じた者勝ち、ということになるかね」
サマルは思わず声を上げた。
「宝物があるんですか!?」
テオがにやにやした。
「な?ロマンだろ?隠された宝ってのは」
 そもそもこのロイヤルパーティの旅は、ロトゼタシアの七不思議を巡るグランドツアーでもあった。海底王国の海賊船、プチャラオ村の謎かけの岩、ナギムナーの青い真珠、ホムラの里の神隠し、バンデルフォンの呪いの歌劇、ゼーランダ山の龍つかいの笛、そしてグロッタの地底洞窟である。
「世界にはお宝もロマンも、まだまだ隠れてるんだ。わくわくするね」
 持参の携帯食を熱湯で溶かした簡単なスープとビスケットでその日の食事は済ませた。はやる気持ちを抑えて一行は無人の神殿の真ん中で眠りについた。

 翌日の行程は、期待と興奮で幕を開けた。神殿内部は壁際に一定間隔でランタンを載せる飾り窪みが造られ、神殿らしいおごそかな雰囲気だった。だが、何百年という歳月が経過して、敷石がところどころ割れ、装飾もひびが入り埃をかぶり、蜘蛛が巣を張っていた。
 広間から奥へと進むと重そうな扉が通路を遮っていた。錠前は針金一本でテオが開けてしまった。
「おい、その技、どこで覚えた?」
ジエーゴが問い詰めたが、テオははぐらかして答えなかった。
「トレジャーハンターたる者、このていどは教養の内だ」
「どこが教養だ!」
テオは片手をひらひらさせた。
「みんなそれぞれ、表芸以外に裏技を持ってるだろう?オレも例外じゃない」
「裏技ですか?ぼくにはそんなもの、ないかも」
心細げにサマルが言った。
「あるさ、気付いてないだけで。サマル、君の力はその素直さじゃないかな。余計なフィルタがないからどんなことでも吸収できる。それからロウは近接戦闘も魔法もいけるが、それを全部封印してもまだ人たらしの技があるよな」
「なにそれ!?」
当のロウが笑いながら尋ねた。
「そうだな、例えばこの探索の許可をグロッタ市の上の方から出してもらえたのは、ロウのおかげだ」
「ああ、あれはね、グロッタの市議会にぼくの乳母の息子がいて、口をきいてもらったからさ。まだ若いけど父親の跡を継いで議員になってるんだ」
「ほら、そういうところだよ。乳兄弟とつきあいを絶やさないとか、その手の人脈づくりが長い目で見れば宝になる」
「そうかも。覚えとくね」
 ゼフは自嘲交じりにつぶやいた。
「俺はそういうのが苦手でな……」
「表芸が立派過ぎるからね」
とクレイが言った。 
「超大国の堂々たる世継ぎの君だ」
よせ、という身振りでゼフは手を振った。
「でも王子、私もそう思います。剣士としても、兵法家としても王子は、オレの目標です」
すぐ横を歩きながら、真剣なまなざしでジエーゴはそう言った。ゼフは無言でジエーゴの頭に大きな手を乗せ、顔をのぞきこんだ。
「ありがとう。おまえの期待にはきっと応えようと思っている」
「王子」
ジエーゴは、泣きたいような、笑いたいような顔になっていた。モーゼフは忠実な従者の髪をそっと撫でた。
「そう言えば、俺はソルティコの一件でまだおまえに報いていないな」
 つい先日、一行は路銀を捻出するためにソルティコのカジノへ出入りしていた。テオたちが騙されて連れて行かれてしまい、残ったサマルとジエーゴの年少組が頑張ってパーティを救出するという事件があった。
「お前は四か国の王位継承者の命の恩人だ。大儀であった」
ある意味無骨な、王族らしいねぎらい方だった。だが、まだ十五歳のジエーゴがやっと肩の力を抜いた。
「褒美を取らせよう。何がいい?」
あのっ、とジエーゴが、ほほを紅潮させて申し出た。
「お許しいただけますならば、王子のために剣を振るう者の証として、お召し物の端を賜りませ」
 ヒュウ、とロウが二人の背後で口笛を吹いた。
「ミンネの証※か!」
くす、とクレイが微妙に黒い笑みを浮かべた。
「愛されてるねぇ、デルカダールの」
 サマルはロウを見上げた。
「ミンネの証ってなんですか?」
ロウはわざとらしくため息をついた。
「お子さまには教えられないね。もうちょっと大きくなったら教えてあげるよ」
「えっ、そういう話?!」
モーゼフがさっとふりむいた。
「ば、バカなことを吹き込むな!騎士が主に求める報酬としてはまったく正当なものだ。ジエーゴ、これでいいか?」
そう言って手を自分の後頭部に回し、プラチナブロンドの髪をくくるリボンを解いた。
「今はこれしか持たないが、いつか土地でも身分でもお前の望むように報いよう」
「はい!でも、このリボンも大切にします……」
 クレイはにやにやしていた。
「う~ん、素肌に近い方がミンネのランクが高いんだよね。下着とかさ」
ゼフが噛み気味に抗議した。
「だからそういう話じゃないと言っただろうが!」
「これは、敬愛の証明ですっ」
デルカダール主従はそろって紅潮していた。
「クレイ、そのくらいにして」
とロウは言ったが、どことなくうれしそうだった。
「あとからたっぷり弄ればいいよ。でしょ?」
「それもそうだねえ♪」
サマルはおろおろと両者を見比べていた。
 こほん、とテオがせきばらいをした。
「話題を変えよう。我らがクレイ殿の表芸はすばらしい博識だが……裏技の方は、意地の悪い呪文のあれこれかな?」
ふふふ、とクレイが意味ありげに笑った。
「陰険なのは性分なんだ、申し訳ない」
サマルが割って入った。
「そんなことないですよ!」
ん?という表情で背の高いクレイがまだ13歳のサマルを見下ろした。
「僕、知ってます。あの、クレイさんはパズルが得意ですよね?」
なになに?とロウが身を乗り出して来た。
「どうってことじゃないよ」
クレイは胸の前で手をひらひらさせた。
「クレイモランは冬が長くてね。外に出られないときは石板とチョークで解ける簡単なパズルで遊ぶことが多いんだ。私は小さい頃からいくつもパズルを見ていて、覚えてしまっただけさ」
「でも、すごいですよ、図形パズルとか迷路とか虫食い計算とか、僕には手も足も出ないものばかりすらすら解いて」
「たいしたことないよ」
クレイは半眼閉じて、どこか遠くを見ているような表情だったが、ふと見開いた。
「おやおや、話し込んでいたら行き止まりだ。どうしようか、冒険者殿?」
テオはさっそく羊皮紙の巻物を開いて場所を確かめていた。
 パーティはそれぞれに壁をたたいて音を聞いたり、仕掛けがないかと探りまわったりしていた。が、クレイ一人、少し離れたところに立っているだけだった。
「おい、まじめにやれ!」
ゼフだった。
「やっているさ。今はできることがないだけで」
クレイが飄々と答えた。
「まったく、サマルにまで気を遣わせるんじゃない、おまえが一番年上だろう!」
「心は少年なんだ」
「きさま!」
「大声出すと、ジエーゴが飛んでくるよ?」
ゼフは胸をさすって怒声をこらえた。
「おまえはいつもそうだ。能力はあるくせに、へらへらしてばかりいる。真面目に取り組めばどれだけ凄いことができるかわからんのに」
一瞬クレイは真顔になった。が、すぐに視線をそらせ、いつものように薄笑いを浮かべた。
「きみの買いかぶりだよ……」
語尾はこもって消えた。