シャドウアタック 2.ひよこと狂犬

 派手な音を立ててドラゴンの小鼻が息を吐き出した。
「なんだ?」
二人は立ち止まった。
 太古から大地に君臨するモンスターの王は、吐く息すなわち紅蓮の炎である。ドラゴンの下顎はまるで溶鉱炉のようだった。岩の隙間をかいくぐって炎が殺到してきた。
「うおおおおおおおおーっっ!!」
咆哮とともに生きた溶鉱炉に貯めこんだ炎が二人に向かってまっしぐらにほとばしる。両側は石の壁だった。炎に追われて疲労も忘れ、二人はその通路をひたすらに走った。直撃を避けて壁へ身を寄せたとたん、燃え盛る炎が岩壁を貫いた。二人は背を炙られながら貫通した場所へ飛び込んだ。
 呼吸が荒い。とても立っていられずに二人はその場へへたりこんだ。放置された端材の上でぷすぷすと音を立ててまだ炎がくすぶっていた。
「助かったか……。やれやれこんなところにいたら、命がいくつあっても足りねえ」
イレブンが何か答えようとしたようだった。その声にあわただしい足音が重なった。
「見つけたぞ!悪魔の子だ!」
兵士たちだった。来い、と手で合図をして先頭の兵士が仲間を率いて向かってきた。
 疲れ切った体を起こし、二人は後ずさった。
「おいおいマジかよ!逃げるぞ勇者様!」
いったいどこをどう駆け抜けたのか、気が付くと目の前に明るい光があった。あともう少し。光の中へ駈け込んで、カミュはうめき声を上げた。
「やられたな……」
二人がいるのはまちがいなく太陽の下だった。ついに城から外へ出られたのだ。だが、その場所は大きな滝つぼの近くに張り出した岩の上だった。轟音を上げて大量の水が遙か下方へ流れ落ちていった。
 振り向くとデルカダール兵士たちはやはり追いついてきた。くっとつぶやいてイレブンが右手で武器を探った。
「よせ。たしかにお前は強いが、残りの体力を考えろ」
じりじりと兵士たちはこちらを追い詰めてきた。イレブンが咳払いした。
「さっきの礼だ」
兵士たちを凝視したまま、小声だがはっきりとイレブンは言った。
「ぼくをつきだせば、きみは見逃してもらえるぞ」
ひゅっと音を立ててカミュは息を呑みこんだ。
――オーブを集め
「ふざけるなよ、オレはレッドオーブを盗んだんだ」
――地の底で出会う勇者に力を貸せば
「地下牢で終身刑か、死刑だ。第一、お前」
――贖罪は果たされる
「お前はどうすんだよ」
答えはなかった。
「ったく、ぶっきらぼうで偉そうなやつだな、お前は!」
「じゃ、見捨てろよ!」
歯を食いしばって言うイレブンの肩をカミュは強くつかんだ。思った通り、震えていた。不機嫌で、傲慢で、あまのじゃくだが、本当は怖くてたまらないのだとカミュは知った。
「行くぞ」
とカミュは言った。
「オレは信じるぜ。勇者の奇跡ってやつを……」
イレブンが眼を見開いた。
「信じてるのか、奇跡を?」
「奇跡じゃない、お前を信じる」
むすっとしているか無表情のどちらかになりやすいイレブンの顔が、泣きそうにゆがんだ。
 カミュは親指で背後を指した。イレブンはうなずいた。
 奇妙なほど意識が高ぶる。きみと/お前といっしょなら、空だって飛べる。二人ともそう考えていることがなぜかお互いにわかった。もう背後の兵士など関係ない。二人は追っ手に背を向け、滝つぼにむかいあった。
「おい!キサマら!何をするつもりだ!?」
兵士が叫んだが、二人とも無視した。
「……きみの、名前は?」
カミュはずっとかぶっていたフードを自ら下げた。
「言ってなかったか。オレの名前はカミュ。覚えていてくれよな」
 行くぞ、とあごを動かして先にカミュが走り出した。イレブンがすぐに追ってきた。
 あわてふためく兵士たちはかるく引き離した。大地は唐突に途切れ、二人の足が崖っぷちを蹴った。

 ベッドの上の若者がみじろぎした。薄そうな瞼の裏で眼球が動いていた。
「おきろ、イレブン。……おい起きろよ、イレブン!」
カミュは声をかけた。
 二三度イレブンは瞬きをして、眼を開けた。
「よおっ!ようやくお目覚めか。ここデルカダールのはずれにある教会だ。お前あれからずっと気を失ってたんだぜ」
脱獄の時一緒だったあまのじゃくの狂犬なら、何と言うかな、とカミュは考えた。“逃げ切ったのか。ぼくの剣はどこだ?”くらいのことは言いそうだなとカミュは思っていた。
 イレブンは部屋の中を見回しながら、寝台に座りなおした。
「カ、カミュ、だよね?」
カミュは言葉に詰まった。“だよね”だと?
「お前……イレブンだよな」
ぱっとイレブンは笑った。何の屈託もない、ひとつの嘘もない、天真爛漫な笑顔だった。驚愕のあまり一、二歩カミュは後ずさった。
「うん。イレブンだよ。よかった。きみも無事だったんだね」
「勇者の奇跡ってヤツを信じて崖から飛び降りたが……」
話しながらカミュは視線をそらせ、片手で心臓をおさえた。頭では、目の前のお坊ちゃんが昨日の戦闘狂と同一人物だと理解している。そうでなければカミュの名を知っているはずがないのだから。だが、心がそれを拒否していた。
「……どうやらその賭けには勝ったらしい」
「ぼくたちどうやって助かったの?」
激しい違和感にカミュは縛られていた。
「いや、オレも、何が起きたかわからねえが、気づいたときには無傷で崖下の森の中さ。……たいしたもんだな、勇者ってのは」
そうなんだ、と少年はつぶやいた。
「ぼく、あの時下の方から真っ白な大きなものがせり上がってくるのを見たような気がするんだ」
なんとも無邪気な口ぶりだった。
「大きな口と目がついていたの。なんだったんだろうね?鳥かな?」
「そんなでかい鳥がいるもんか」
こくん、とイレブンはうなずいた。
「そうかも」
素直にそう言うとイレブンはベッドから下りた。
 イレブンは自分の使っていたベッドのシーツを直し、枕をぽんとたたいてその上に乗せた。
「きれいなお部屋だね。掃除もした方がいいかな」
「いや、その、それよりもだ」
こんなバカな。カミュは動揺しまくっていた。
「いいか?オレたちは今、おたずね者なんだ」
うんっと力を込めてイレブンがうなずいた。力を入れ過ぎてほっぺが赤くなり、小鼻がふくらんで鼻息が荒くなっていた。
「だから、つまり……」
絶望のあまりカミュは説明をあきらめた。
「とにかく、オレたちを助けてくれたシスターに礼を言いに行くぞ」
「わかった!」
 崖下の森から這い出して最初に目に着いたのがこの教会だった。本当はここへデルカダール兵が探しに来ることを考えてもっと遠くへ逃げたかったのだが、気絶したイレブン連れでこれ以上の逃走はできなかった。しかたなく丘の教会を選び、びしょ濡れのまま高齢のシスターに助けを求めた。
 正直カミュだけだったら警戒されていたかもしれないと思う。だが、意識のないイレブンを見たとたん、シスターの保護欲が強烈に刺激されたようだった。イレブンは見るからに品のいい良家の子弟という外見をしていた。
 結局教会の客室の一つを貸してもらえたのだが、シスターは時々食べ物を持ってきては眠るイレブンを見て“まあかわいい”を連発していた。
――寝顔がガキなだけで、てっきり目が覚めたら元のピリピリに戻るかと思ったんだが。
 聖堂へ行くと、年配の修道女が女神像に祈りを捧げているところだった。イレブンたちに気が付いて、微笑みかけてくれた。
「あら旅の方……お連れの方のお身体はよろしいのかしら?」
イレブンはぺこんとお辞儀をした。
「もう大丈夫です。おかげさまで助かりました」
にこ、とシスターは微笑んだ。
「よかった。それは何よりです。……ですがお気をつけて。先ほど不穏な話を耳にしました。なんでも凶悪な囚人たちが牢を脱走しこの辺りをうろついているそうです。いったいどんなおそろしい人物なのか……」
イレブンとカミュは顔を見合わせた。どう考えても、それは自分たちのことにまちがいなかった。
「えと、そいつは大変だな。それでその……町のようすはどうなってるんだ?」
用心しいしいカミュは尋ねた。
「町はなんとも、ものものしい雰囲気です。逃走中のふたりの囚人を追って兵士の方々が懸命に探されています。それにあの大英雄グレイグ将軍までもが囚人が来たイシという村への道を封鎖しに自ら南の渓谷地帯へ出陣されたとか」
イレブンの表情が曇ったのを見て何を思ったのかシスターは口調を変えた。
「……あらごめんなさい。不安にさせてしまったわね。大丈夫、きっとすぐに悪人は捕まりますよ。それまではこの教会を宿と思ってお好きに使ってくださいな」
その凶悪犯がイレブンたちだとはまったく気づいていない口ぶりだった。カミュはせいぜい神妙に礼を言った。
「ああそうだな……。すまないがすこし世話になるぜ」
カミュは内陣から踵を返した。
「イレブン、外の風にでもあたりながら、これからのことすこし話さないか?」
シスターには聞かせられない話をしなくてはならない。
「いいよ」
イレブンは礼儀正しく一礼して、カミュと一緒に教会の外へ出た。
 教会のすぐそばまで高い山が迫っている。教会の周囲を巡る岩山の一つから大瀑布が流れ落ちていた。教会の周辺はあたりは起伏の緩やかな野原だった。教会は簡単な木の柵で敷地を囲んでいた。建物の陰を選んでカミュは立ち止まった。
 上から下までじっくりイレブンを眺めてみた。見てくれはあのときの若者にそっくりだったし、ブラックドラゴンに突っ込んでいった時の傷がまだ目の下にかすかに残っていたが、もじもじしている態度やふっくらした顔の輪郭がまったく別人だった。
「おまえ、双子とかいないよな」
イレブンはめんくらったようだった。
「いないよ?あの、何の話?」
カミュはあたりを見回した。
「ああ、うん、お前、これからどうするんだ?イシの村……?あの渓谷地帯にそんな村があるとは驚いたな。そこへ帰るのか?」
イレブンはまじめにうなずいた。
「イシの村は、入り口がわかりにくいんだ。でも確かにあるよ。白い鎧の将軍がイシへ行くって言ってた。村長さんが困ってないといいけど」
「村のこと、気になるだろうが早まるなよ。今、来た道を戻ったところでグレイグの野郎に捕まるだけだ。ヤツに見つからずイシの村へ行くには別の裏道を使うしかない……」
少ししょんぼりしていたイレブンが顔を上げた。
「ぼくをイシへ連れて行って」
頬を赤らめて彼は主張した。
「カミュがいっしょなら、うまく行くと思う!」
「ああ、まあ、そうだな」
自分から提案するつもりだったので、カミュは多少とまどった。ひとつ咳払いをしてカミュは言い出した。
「行くのはいいが、条件がある。まず、先にオレの用事を済ませてくれ。デルカダールの城下町に忘れ物があってな。そいつを取り戻しておきたいんだ」
「わかった」
「場所はデルカダールの下層地区だ。場所、わかるか?」
イレブンは無邪気な表情で首を振った。
「そうか……。ちょっとしたところだ。つまり、危険な地域で、オレたちは襲われるかもしれない。なあ、剣は使えるか?」
イレブンは、カミュの顔をしげしげと眺めた。
「できるよ。見ていたでしょ?一緒に戦ったじゃないか」
では、脱獄の時のことを覚えているのか、とカミュは意外に思った。
「もう一回やって見せてくれ。相手は、そうだな」
カミュは教会の敷地の外の草原を指した。
「あのへんでモンスターがうろうろしているだろ。あれでいい」
イレブンはうなずき、意気揚々と敷地の外へ出た。
 運の悪いリリパットが向こうからつっこんできた。エンカウントが始まった。カミュは防御して、イレブンの戦い方を眺めていた。
「えいっ、ええいっ」
数手のち、カミュは声をかけた。
「剣を使えるのはだいたいわかった」
「うん」
「ひとつ聞きたいんだが」
「なに」
「なんでとどめを刺さないんだ?」
十手ほど使っていたのに、まだリリパットとイレブンはにらみあっていた。
「なんか、かわいそうで……」
「バカか!?」
脱獄の時はデルカダールの一般兵を容赦なく袈裟懸けにしたくせに、なぜモンスターを殺せないのか。
 チッとつぶやいてカミュは飛び出した。短剣のひとふりでリリパットの残りのHPは尽き、リリパットは煙のように消えうせた。
 手先で短剣をくるりと回して鞘に収め、カミュは肩越しにイレブンをにらんだ。
「あのな」
たっぷり説教してやるつもりだったのに、そこで言葉に詰まった。イレブンはしゅんとしてうなだれていた。
「ごめんなさい。ぼく、これからがんばるから」
五~六歳の男の子が叱られているようなようすだった。“相手はモンスターだぞ”とか“パーティ全体を危うくするようなことを”とか、言うべきことはいろいろあった。
 言葉の代わりに、はあ、と深いため息がでた。
「勇者である以上、あれだよな?そのうち魔王を倒さなきゃならねえはずだな、お前は?」
「……たぶん」
「それじゃ、殺しに慣れろ!今のうちに!」
そう言って教会へ向かった。待って、と言いながらイレブンが追いかけてきた。
 ふーっ、とカミュは歩きながら息を吐きだした。暴れる野良犬に首輪をはめてなんとか引きずって行くことを考えていたのに、蓋を開けてみればヒヨコがぴよぴよ鳴きながらついてくる。そんな気分がしていた。
――いや、ヒヨコじゃない。カモだ。
しかも目立つようにネギを背負ってるカモだ。デルカダール下層地区にこいつを連れて行ったら四方八方から狙われるに違いない。
 カミュ自身、下町の住人の思考をあるていどたどることができる。掏り、詐欺、カツ上げ、かっぱらいはまだかわいいほうで、身代金目当ての誘拐や人身売買等、いやなことはいくらでも思いついた。
「カミュ?」
「おまえ、このままじゃチョイ目立ちすぎる。待ってろ、適当なもん探してきてやる」
そう言って教会の中へ入り、寝室にあった長い布を持ちだした。
「ほらこいつを着てカオを隠しな」
イレブンは不思議そうな顔になった。さすがに、そのままじゃいいとこのボンボンすぎて狙われるから、とは説明できなかった。
「兵士どもが待ち受ける城下町にそのままのカッコじゃ戻れないだろ?」
カミュは布をイレブンの頭に被せ、あまった部分を顎の下へ巻いた。イレブンは最初眼を丸くして、それからどういうわけか、ちょっと得意そうな顔になった。
「ぼく、おたずね者らしくなった?」