鱗の思い出

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第55回) by tonnbo_trumpet

 猫は己の死期を知って姿を隠す。象は死の直前に象の墓場へ赴き、貴重な象牙とともに巨大な骨格を残す。そしてまた、ドラゴンの死に場所を見た者もいなかった。
 そのドラゴンは、老いていた。歳月を経て巨大に成長した身体は雲を衝くかと思われ、背に負った比較質の翼を広げれば天の半ばを覆う。爪も牙も鋭さを失わず、眼光は炯々として射るようだったが、生きることに飽き飽きした表情やものうげに腹をつけて横たわった姿勢は、老齢によるものだった。
 老いたるドラゴンは長い首を動かし、至近距離からじろりとにらみつけた。
「坊主、何を見ている」
坊主と呼ばれたのは6~7歳の男児だった。まん丸な目をさらに見開き、口までぽかんと全開にして老ドラゴンを見上げていた。
「……でっけぇ」
老ドラゴンは、牙の生えた口を開ければその子供など上下の歯の間に入ってしまうほどの大きさがあった。
「おれ、ドラゴン見ちゃった。触ってもいい?」
うれしそうに男の子はそう言った。
 ドラゴンはしばらくその子を眺めていた。
「無礼を咎めることすらめんどうくさい。好きにしろ」
男の子はおずおずと手を出して、すぐそばにあるドラゴンの顔に触れた。
「ぴかぴかだ」
大量の鱗は、ドラゴンのドラゴンたるゆえんである。その竜は苔のような濃緑色から若葉の薄緑まで、あらゆる緑の色の鱗で覆われていた。
「ふん!」
あわてて男の子はとびのいた。そうしなかったら、鼻の穴から噴き出した高熱のガスに全身をさらしていただろう。生きるか死ぬかという場面だったのだが、男の子はおびえるどころか、きゃあきゃあとはしゃいだ。
「バカか?低脳か?死ぬのか、きさまは!」
男の子は大喜びで走っていく。足音がこだました。
 そこは、山中にある洞窟だった。入り口はずっと山の上、翼ある種族ぐらいしか出入りできないところにある。そこから入ってずっと下ったところに岩に囲まれ、一部に地下水の流れる広めの空間がある。一カ所が外界に接していて、わずかに日の光が射し、風が吹く。出歩くのもめんどうになった老ドラゴンにとってかっこうの隠居所だった。
 ところが、彼にとっていわば明かり取りの窓のようなその開口部から、ある日ぼろりと石が落ちた。そうして広がってしまった明かり取りに、ついさきほど小猿のようにすばしっこく、かつやかましい生き物、すなわち人間の男の子がぬっと顔をつっこんできたのだった。
「いいかげんに出て行け」
わーいっと男の子は叫び、遠目でほれぼれと眺め、近寄ってしげしげと観察し、ときどき興奮した顔で手を触れた。ただし、うんざりしたドラゴンの言葉など聞いちゃいなかった。
「すげー、かっこいー、でっか!尾っぽ、ながーっ」
「何が楽しいのだ、おまえは」
「だって、だって、ほんとのドラゴンじゃん」
目がきらきらしていた。
「うるさいやつだ。丸飲みにしてやろうか!」
少年の答えは、歓喜の悲鳴だった。
「お腹んなか、見てもいいのっ?」
「だ、誰が、きさまごときに」
結局その日は、腹を空かして家に帰るというまでその子は騒ぎ続けた。

 翌日も小猿はやってきた。その翌日も。聞きたくもないのだがいろいろと騒ぎ回るので、老ドラゴンはその子のことに詳しくなってしまった。
 小猿坊主の名はカドル、親はなく、兄弟といっしょに暮らしている。父親代わりの長兄がデミル、職人だが、仕事を探して兄弟ともども馬車で移動中。末の妹のフィーダが熱を出して一番近い村の薬師に通っている。姉たちも兄たちもみんなフィーダにかかりっきりでカドルがどこへ遊びに行こうとあまり気にしないでいてくれる。
「少しは気にしろ」
と老ドラゴンは思ったが、カドルにむかってつっこみをいれてもまったく効き目がないので言わなかった。
「おい、ガキ。カドル。聞いているか?カドル!」
やっとカドルはふりむいた。
「え、なになに?」
老ドラゴンは舌打ちしたい気分だった。
「本当にちゃんと聞けよ?明日はここへ来るな」
えー?と言いながらカドルは唇をとがらせた。
「なんで」
「おまえに説明してもわかるとは思えんからな。とにかく、来るな。邪魔だ」
「どうしても?」
「くどい!」
老ドラゴンは前歯の先でそっとカドルの服の背中側の襟をはさんでもちあげた。
「わああっ」
いきなり高く持ち上げられてカドルが騒いだ。老ドラゴンは物も言わずに(言えば小猿を落としてしまうからだが)、明かり取りから頭をつきだし、カドルをそこへ落とした。落とした後は、洞窟内に転がっていたものを使って明かり取りをふさいでしまった。
「あんだよー、入れてよー」
外でカドルが騒いでいた。
 誰が入れるか、とドラゴンは思った。あの小僧はうるさいし、やかましいし、何がおもしろいのかドラゴンを眺め回し、時には恭しいような手つきで鱗に触れ、大事そうになでていた。尾の先端が動くのを目を丸くして観察し、いちいち喜び、感心していた。自分が襲われる、食われる、悪意と殺意を向けられるなどということを、まったく危惧していないようにふるまい、全幅の信頼を寄せていた。
「……ふん」
ブレスとなれば激しい炎と化す鼻息が、黒い煙となってむなしく鼻孔からもれた。

 そろそろ時間だ、とドラゴンは思った。それは特にどうという感慨もなかった。この体には飽き飽きしていたのだった。ドラゴンは腹這い状態からさらに長々と体を伸ばした。
 その瞬間だった。細い光が漏れた。ぎくっとしてドラゴンは明かり取りを見た。小さな手が、やっと開けた穴から潜り込み、石をもう一つ取り除こうとしていた。
「バカな、やめろ!」
小石二つ分の穴から、小猿小僧の目がのぞいていた。
「開けてよー」
こんなときに!ドラゴンは焦った。
「カドル、なんか、変だぞ」
男の声がした。
「えー?」
「帰った方がいい。山のようすが、変だ」
「やだよ、デミル兄ちゃん手伝ってくれるって言ったじゃん」
どうやらカドルは、年長の兄弟を連れてきたようだった。
「明日、また来よう、な?」
「やだよう!」
老いたりとはいえ、ドラゴンの知覚には大地の下の異変がはっきりと感じられた。この地方を数十年に一度という地震が襲おうとしていた。
 デミルが見たのはあわてて逃げていく鳥や獣の群れだろう。山が崩れるのだ。ドラゴンが棲めるほどの大きな空洞を持つこの山は、そうとう脆くなっていた。そして今山崩れが起きれば、上の方から巨岩が落ちてくるはずだった。
「くそっ」
この大事なときに、どうして自分が小猿のような子供を助けなくてはならないのだ?頭ではいぶかしく思っているし、明確な答えは出ない。それなのに体が勝手に動いた。
 洞窟を形成する岩にドラゴンは体当たりをくれた。外界に接した壁が崩れ落ちた。
「うっわ!」
デミル、カドル兄弟が、横からいきなり顔を出したドラゴンを驚いて見つめた。
 二人の上にドラゴンは、勢いよくのしかかった。自分の体躯、広げた翼、丸めた尾で兄弟を囲い込んだ。
 岩が落ちてくる。音からしてかなり大きい。背中に強打がきた。
「うっ、ぐうっ」
否応なしに岩がふりかかる。ひとつが脳天を直撃して、ドラゴンはくらくらして目を閉じた。
 巨岩のシャワーは、長いこと続いた。その間、カドルが泣いているような声がした。まったく、少しは口を閉じていられないのか、この小僧は。
「目を開けてよ、ねえ!」
「よせ、カドル」
「だって、兄ちゃん!」
ようやく揺れが収まったとき、かたく抱え込んでいた前足をドラゴンはかろうじてゆるめた。
「行け、おまえたち」
とドラゴンはささやいた。背骨がぐしゃぐしゃでは、さすがに大きな声は出せなかった。
「揺り戻しが来るぞ。ここを離れろ」
カドルがわめこうとしたが、デミルが遮った。
「わかった。……感謝する」
「さっさと行け」
デミルは、末弟を抱え上げたようだった。
「カドル、おまえのやったことをよく考えろ。おまえの考えなしのせいで、この竜はこんなことをしなくてはならなかったんだ」
えぐっえぐっとしゃくりあげる音がした。
「フィーダみたいに、や、薬草を貼ってやれば治るか?背中のとこに」
デミルが弟を抱きしめる気配があった。
「見るな、カドル。背中側は見てやるな!」

 鎧師は、自分の作品を装備していた。
「これがそのときのドラゴンだ」
弟子たちは、畏敬の念をこめて沈黙していた。
「千枚単位の鱗を使っているが、俺は全部覚えている。これも、これも」
正面装甲は苔のような深い緑色のぶ厚い大きな鱗。脇や背面はやや小さめの明るい緑の鱗。何千枚も連ねることで、耐火耐刃性能の高い鎧、ドラゴンメイルを生み出していた。
「だからこれは最初から傷がついているのさ。俺たちを庇って大岩を浴びた背の鱗も使っているからね」
「売り物にはなりませんね」
と、弟子が言った。
「売るつもりなんか、ないさ」
「師匠は欲がない」
「んなこたあ、ない」
鎧師カドルは、大きな口を開けて笑い、緑の鱗に覆われた腕を高く上げた。
「おーい、ここだ!」
彼らがいるのは、あの地震で崩れてしまった山のあとだった。そこは近くを流れる川を底にした細長いすり鉢のような地形になっていた。
 風を切る音がしたかと思うと、上空に鮮やかな紫色が現れ、どんどん大きくなってきた。弟子たちが息を呑んで後ずさったところに、巨大なドラゴンが舞い降りた。
「きさまか、小猿小僧」
「俺はもう、いい年なんだ。小僧はやめてくれ」
とカドルは言った。
 あ、あの、と弟子が言った。
「これが、あれなんですか?」
「ああ」
とカドルは答えた。
「このドラゴンメイルに使った鱗の元の持ち主さ」
「なんか、生きてるんですけど」
「そりゃそうさ。ドラゴンの再生脳力を知らないだろ。落石ていどでドラゴンが死ぬなら、歴代勇者が苦労してねえよ」
「で、でも」
「この鱗のことか?もらったんだ。ちょうどやつが脱皮したんで」
だっぴ?と異口同音につぶやいて弟子たちが固まった。
「百年も同じ鱗を使うと、さすがに飽きてくるのでな」
とドラゴンが言った。
「今度のはパープル系にしてみた」
カドルはうなずいた。
「綺麗だよな。おれは気に入ってるよ。それも脱皮したらほしいな」
「あと百年ばかり待つがいい」
「こっちが棺桶入りだ」
ドラゴンはふすん、ふすんと鼻孔をふくらませた。
「面倒なものだな、小猿どもは。まあよい。ほかのドラゴンの脱皮した場所を教えてやる」
「ああ、頼む!できるだけ新鮮なのがいいな」
「無茶を言うな。脱皮はドラゴンにとって、とてもデリケートなものだ。プライバシーを守ってやりたい」
「ああ、"大事なとき"なんだろ?心得てるよ。無理矢理にはがす気はないし、いらなくなったのを引き取らせていただくだけだ」
「その態度を忘れるでないぞ、小猿」
そう言ってドラゴンは舞い上がった。
「ついてこい」
カドルは弟子たちにあごで合図をした。
「行くぞ」
そういって鎧師は、売れ筋商品ドラゴンメイルの材料を仕入れに颯爽と歩きだした。