騎士ピエールの冒険 

 スライム族にとってこの世に住まいとできない場所はない。どのような土地であれ、スライム族はその地に適した形態を取り、雄雄しくたくましく生きぬいて子孫の繁栄を図ってきた。
「繁栄つったって、分裂するだけだろうが」
ヘンリーは肩をすくめた。
 ピエールは挑発に乗らなかった。誇り高きスライムナイトたるもの、くちばしの黄色い若造にいちいちかまってやる義理はない。
「おぬしにできないからといって、妬むには及ばん」
「誰が妬むと言ったよ?」
「ヘンリー、ヘンリー」
ルークがたしなめた。
 ルークは極めてもののわかった人物で、真実求道者と呼びうる珍しい種類の人間だった。たとえ、歩行の際に、二本の足を使いたがるという悪趣味があるにしても、である。
「今はそんなことしている時じゃないよ、そうだろ?」
「わかってるけどさ」
若造が口を尖らせた。
「こいつはとにかく、やることなすこと全部引っかかるんだ」
 ピエールは優雅にスライム部分をバウンドさせて前へ出た。大地の感触は腹に快く、蒼穹は快晴にしてピエールに微風を送る。すでにピエールの念頭には来るべき戦いしか存在しなかった。
 背後で騒ぐ若造などは鴻毛の軽きに等しい。ピエールは風に向かって嘯いた。
「俗人と小人は養いがたしである」
「放せッ、一回蹴り入れてやる!」
「たのむよ、もう」
 生きるもののけはいとてない荒野が断崖となって海に落ちかかるあたりに、古い修道院が見えてきた。
「ルーク、あれが目的の地か?」
ピエールが聞くと、情のこもった声が後ろから答えた。
「うん。なんだか懐かしいな。ここを出てきたのは、まだそれほど昔のことじゃないのに」
 突然若造が先頭に立った。
「露払いとはよい心がけである」
ヘンリーは無礼にも無視をきめこみ、足を速めた。マントを肩先に跳ね上げ、大きく手を振った。
「マリア!」
 修道院の入口に、潮風にふかれて立つ乙女の姿があった。乙女は上品に片手をあげた。若造は彼女めがけて猛然と走り出した。
 生意気である。ピエールは大きく弾み、負けじと後を追った。
「ヘンリーさん、お元気そうですね」
 マリアと呼ばれた修道女は花のように微笑んだ。飾りも何もない簡素な修道服をまとってさえ、姫君のような物腰であった。
「マリアは元気だった?見違えたよ。幸せそうだし、見るたびにきれいになっているし」
「元が奴隷だったから、ひどすぎたのよ」
「そんなこと」
なおも若造は乙女にまとわりつこうとしていた。ピエールは義憤を持ってその間へ割りこんだ。
「御初に御意を得る。これはピエールと申す者。ルーク殿の旅の仲間である」
「まあ」
マリアは牡丹の花のように身を屈めた。
「ルークさんのあたらしいお仲間ね。マリアです。はじめまして」
「こちらこそ」
ピエールは、白魚の指を手にとって口付けした。
「てめぇ、この野郎」
「おぬしは宿のおばさんの相手でもしていればよいのである」
「ンだと、こらァ!」
「御婦人の前である。気をつけるがよい」
若造は池の鯉のように口をパクパクさせた。
 そのときマリアはすっと立ちあがりルークに近寄っていった。
「ルークさん、おひさしぶり」
「こんにちは、マリア」
言葉は短いが、実の兄妹でも珍しいほどの誠実な親愛の情を、ピエールは聞き取った。
「みなさん、長く歩いて御疲れでしょう。中へどうぞ」
修道院の扉の中は、ひやりと冷たい空気が漂った。
「これは、古いものである」
ピエールはやや驚いてあたりを見まわした。建物を形作る石の一つ一つが歴史を語りかけていた。
「先ほど訪れたあの塔と遜色ない。スライム族の歴史には及ばぬが」
 乙女はピエールと人間たちを小部屋へ案内した。手ずから汲んだらしいひと椀の清水がもてなしのすべてだった。清冽な水は喉に染み渡った。
「あの南の塔へいらしたの?」
「行ったことある?」
若造が聞くとマリアは首を振った。
「でも、院長様からうかがったことがあります。レヌール古王国のころにもう、誰が建てたかわからない塔としてあそこに立っていたんですって」
「それが“神の塔”だ。中へ入りたいんだ。偽りを暴き、真実を映し出すというラーの鏡があの中にあるはずなのに……どうしても扉が開かなくて」
「長い事開かなかったのよ。中がどうなっているか、わからないのでしょ?」
マリアは優しいまなざしをヘンリーの上に注いだ。
「それでも行かなくちゃ。危険は承知」
若造の手が乙女の指先にずうずうしく接近していた。
 ピエールはその手を払いのけた。
「失礼、マリア嬢。こやつをのさばらせてはいけません」
「てめぇっ」
ヘンリーはつかみかかりそうになった。
「どうしよう、ルークさん?」
ルークは穏やかに微笑んだ。
「大丈夫だよ。二人とも遊んでいるだけだから。それより院長様にお話をうかがえるかな」
「先ほど厨房のそばにおいででした。院長様が何かご存知だと思う?ご案内しましょうか」
「うん。ありがとう」
ルークとマリアは、仲睦まじげに部屋を出ていった。
「いちいち口つっこんでくるんじゃねえっ、聞いてんのか、このスライム!」
ピエールはひと跳びでテーブルの上に飛び上がり、ヘンリーと同じ高さに立った。
「私はスライムナイトである!それに、清純な乙女に手だし無用」
「きさまの知ったことじゃないっ」
ピエールは厳粛に言い渡した。
「哀れむべし、この鈍感。マリア嬢がルークを好いているということがわからぬか?」
う、とつぶやいてヘンリーは絶句した。下々の言葉で言えば、ざまを見ろ、というところであった。
 ルークとマリアは、上気した顔つきで帰ってきた。みじめたらしい目つきでヘンリーは二人を見ていた。
「ヘンリー、どうやら入れるかもしれない」
「ん、ん?」
「院長様にうかがったんだ。信仰厚い乙女が祈れば、神の塔の扉が開くという言い伝えがあるらしいよ」
「わたし、まいります」
マリアはりりしく言った。
「信仰の厚さは自信がないけれど、ルークさんたちをお助けしたい気持ちは人一倍のつもりです。お許しもいただいてきました」
ヘンリーがやっと顔を上げた。
「じゃあ、いっしょに来てくれるの?」
「はい」
マリアは、すばらしい笑顔を見せた。
「おれが守るよ」
 しおれていた青二才はいきなり元気を取り戻した。まことにわかり易い男だった。
「あの塔の中では、おれから離れないで」
「我らが全力で御守り申し上げる」
ピエールが念を押した。

 マリアは頭をたれ、指を組み、真摯な祈りに没頭した。ルークは緊張の面持ちで扉を見つめた。ヘンリーはふぬけたつらでマリアの横顔に見とれていた。
 人間にはわからない、小さな震えが神の塔を走った。ピエールの細胞の最後の一片までがそれを感じ取った。ピエールは叫んだ。
「下がれ、開くのである!」
言うや否や、巨大な扉は自ら意思を持つように、きしみながら動きだした。扉の上部から長い年月の間に積もった塵や砂がさらさらと零れ落ちる。さすがの若造も顔色が変わり、喉がごくりと鳴った。
「怖気づいたのなら置いていくである」
ピエールはそう言い渡して、単身スライムを塔内へ乗り入れた。
 神の塔は中空だった。塔の中央に巨大な吹き抜けがあり、最下層は廃園だった。噴水とおぼしき遺構に可憐な女人像のレリーフが残っていた。
 ピエールは荒れ果てた中庭へ降り、はるか高みにある丸天井を見上げた。小窓から空気が入るらしい。風が巻いて、物悲しげに滅びの歌をうたった。
「勝手に行くなよ」
そう言ってヘンリーが追いついてきた。その体をピエールは剣でとめた。ヘンリーは勢いあまって転びそうになった。
「前をよく見よ、御出迎えである」
舌打ちを一つしてヘンリーはおのれの剣を抜いた。
「エンプーサに、ベビーニュート」
ルークは後ろにマリアをかばったようだった。
「行くぞ!」

 マリアは、真の淑女にふさわしく、気丈で冷静だった。足手まといになるまいと固く決意しているようすが、ひとしおけなげだった。
 狭い回廊の上で戦闘になったときは、返り血が飛んでマリアの顔にまでかかったが、うろたえて騒ぐことはなかった。
「これで顔をふくといいよ」
ヘンリーが水の入った革袋をマリアに差し出した。
「わたしは大丈夫。水のほうが貴重よ」
「それはわたしの革袋である。勝手に取るな、鈍感」
「いちいち鈍感て言うな!」
「ほ。つられて踊っていただけあって、おぬし威勢がいいな」
「なにをぅ」
「もう、二人とも、騒ぐと落ちるよ」
ルークがため息をついてたしなめた。
「こっちの階段が最後なんだ。もうすぐ最上階だよ。ほら、見て」
先に見た吹き抜けの、ついに一番上へ到達したらしかった。高い丸天井の下、最上階の突き当たりに、恐ろしく古く、不思議な力で守られた祭壇があるのが見えた。
 パーティーは祭壇へ向かって殺到した。が、彼らと祭壇の間には、登ってきたのと同じ高さの亀裂が口をあけていた。吹き抜けは最上階にいたって、ケーキに入れたナイフのように、こちら側と祭壇側の連絡をたちきっていた。風がピエールたちの足元で泣いた。
「さすがに神の塔。ただでは寄せ付けぬか」
ピエールは思わずため息をついた。
 ルークは腰を下ろした。
「とりあえず、一休みしよう」
マリアはその傍らに腰を下ろし、周囲を見まわした。
「鳥がいるのね」
 丸天井を形作るヴォールトの間に鳥の巣がいくつも掛かっていた。外敵の目を逃れて営巣するには、この塔は理想的だった。
 灰褐色のさえない小鳥が一羽、パーティーから離れて床にとまった。ルークは懐から固くなったパンを取り出し、少しむしってそちらへ撒いてやった。
 小鳥はじっと警戒していたが、やがてチチッと鳴きながら近寄り、一つついばんだ。二、三羽がそれを見て降りてきた。小鳥たちは次第に大胆になり、パーティーへ寄って来た。一羽がルークの手のひらの上にパンのかけらを見つけて盛んに食べ始めた。
「ほんとにおまえ、誰からも好かれるのな」
「そんなことないよ」
マリアはパンのかけらを持って立ち上がり、嬉しそうに小鳥たちにえさを与えていた。
「マリア嬢は鳥の守護精霊のようである」
「お褒めの言葉、ありがとうございます、騎士様。ほら、下から鳥たちがあがってくるわ」
えさを目当てに吹き抜けのなかを鳥の群れが次々と上がってくる。
「塔の中を好きなように飛びまわっているわね」
マリアはため息をついた。ピエールは少し考えて言った。
「昔はかかっていた橋が落ちてしまった可能性がある」
「バカ言え」
借りるぞ、といってヘンリーはルークの杖をつかみ、亀裂ぎりぎりのところにかがみこんだ。
「ほら、こうやって裂け目の壁を杖で撫でていっても、でこぼこ一つない。痕跡すら残ってないなんてことあるか?」
「では、どうやって渡る」
「スイッチでもあるのかな」
 まさにその一瞬、すべてが同時に起こった。
 食い意地の張った小鳥がピエールの(スライムの)体に付着したパンくずをついばんだ。
 突っつかれたピエールが驚いて飛びあがり、屈みこんでいるヘンリーにぶち当たった。
 あっと声を上げて、ヘンリーの上半身がぐらついた。
 そしてマリアは、とっさにヘンリーの腕をつかんで引き戻そうとし、二人は一緒に亀裂の上に落ちかかった。
「ヘンリー!マリア!」
ルークは叫んで走り寄って来た。
 二人は、落ちていなかった。ヘンリーとマリアは、何もない宙に手をついて身を起こした。ヘンリーの手を離れたルークの杖が、二人の先に転がっていた。そこは、吹き抜けのまさに上だった。
「だって、今の今まで、何もなかったのに」
マリアはつぶやいて、いまだに何もないように見えるところに立ち上がった。
「ここを、この場所を、小鳥たちが飛びまわっていたのよ」
ヘンリーが傍らに立った。薄い氷の上に立った人間のようにかかとを見えない床へそっと打ちつけた。
「不思議だけど、今はなにか、ある。ルーク、ここまで来られるか?」
そう言って手を差し伸べた。
「やってみるよ」
ルークはそう言って、空中へ足を踏み出し、ヘンリーのいるところまでの一、二歩を歩いた。
「すごい……」
ルークは本当に震えていた。恐怖やおびえから等ではなく、それは混じりけのない感動だという事が、ピエールにもわかった。
「行こう」
「ああ」
ルークとヘンリーは、祭壇へ近づいていく。
「マリア嬢」
ピエールは心配して声をかけた。
「大丈夫よ。ピエールも来て?いっしょに渡りましょう」
スライムのバウンドに、この橋とやらは耐えられるのだろうか?ピエールはそう思ったが、この勇敢な乙女をひとり橋の上に放置するわけには行かなかった。
「まいる!」
ピエールは大きく弾んで跳んだ。だが、緊張のあまり目測を誤ったらしい。スライムの腹が橋の感触を捕らえる前にピエールはヘンリーの背中がどんどん眼下に近づくのを見た。
 あっと思ったとき、ピエールの体は宙に浮いていた。
「うそだーっ」
若造が口汚くわめいていた。パーティーのまわりで空気が渦巻き、神の塔の内壁がどんどん上へ向かって飛びすぎていく。
 気がつくと、ピエールたちは最初の廃園に倒れていた。不思議なことに、ダメージはないようだった。あたりを見まわし、レリーフの女人像に向かって、ピエールは賢者のごとく話しかけた。
「うむ。人生とはかくのごときものである」
「なに言ってやがる、てめえのせいで全部最初っからやりなおしじゃねえかッ。てめぇ、ぶっ殺す!」
「ヘンリー、頼むから、ああぁ」
ふ、とピエールはつぶやいた。青二才には、まだまだ人生の修行が必要であった。