ヤミヤミ島の恐怖 1.昨日の敵は

 震える指で薬草を探り当て、自分の口の中へ押し込んだ。指先の血が葉についたらしい。薬草は鉄の味がした。
「ふぅ」
ようやく人心地がついた。
――シドー君抜きでヤミヤミ島に来るなんて、ムリがあったよね、やっぱり。
 現在相棒はからっぽ島にいて、生まれて初めて書いた設計図から建物が組みあがっていくのを、わくわくしながら眺め、ときにはちょっと手伝ったりもしているはずだった。一緒に来てくれとは言えなかったのだ。ビルドはパーティからシドーを外し、スターキメラを入れた。
 一人(と一羽)で行くと言うとヤス船長は驚いていたが、とりあえずこのヤミヤミ島までビルドたちを送ってくれた。
 キィキィと、鳴き声がした。スターキメラのホシコが心配そうにビルドの顔をのぞきこんでいた。素材採集中に紫の鎧の骸骨、ハーゴンの騎士たちに囲まれ、ビルドは回転斬りを繰り返して切り抜けた。だがダメージもかなりもらってしまい、戦いの場所からこの仮工房へ戻ってきて壁際へすわりこんだ。というより、倒れ込んだ。まだ残っていた薬草をやっと呑みこんだところだった。
「大丈夫。ちょっと回復したし、あとはゆっくりHP戻ってくるから」
かすれた声でそう言って笑いかけると、ホシコはやっと落ち着いたようすになった。
 今装備しているのはかなり守備力の高い鎧だった。それでもビルドの全身はボロボロになっている。あちこちの傷口からまだ血の筋がしたたり落ちた。手近なタオルで血をぬぐい、ビルドは顔を上げた。
 膝がまだがくがくしている。だが、立ち上がらなくては。自分、ビルドは、そのためにここへ来たのだから。
 仮工房の前には、作業台、神鉄炉、金床が並んでいた。ビルドは腕をかばいながらそこへ近寄った。持ちなれたハンマーが重い。それでも思いついたレシピが頭の中でぐいぐい膨れ上がっている。早く造らないと、頭がい骨を破って飛びだしそうだった。
「よし!」
材料をそろえ、ビルドはハンマーを振り上げた。ハンマーが金床に当たってカァン、と高い音をたてた。
 メタルゼリー、マガマガ島で採れた素材、そして、このヤミヤミ島で入手した希少鉱石、オリハルコン。この“ビルド”がうまくいったら、今からっぽ島を訪れているロトの勇者たちを含めてみんなを驚かすことができるはず。そう思ってハンマーをふるう。新しい意欲が疲れた身体にチカラを吹き込んだ。
 ヤミヤミ島には太陽が届かない。ここは常に闇の中にある島だった。ビルドがあてにできる光源は仮工房の周りに置いた焚き火の灯りだけだった。
 カァン、カァンと音が鳴った。ビルドは片手で額に浮いた汗をぬぐった。
 ふいにビルドは身を固くした。
 金床の天板が暗くなった。何かが焚き火の灯りを遮っている。
――何かいる!
「ホシコ!」
そう叫ぶのがせいいっぱいだった。
「逃げて!」
見上げるビルドの顔が青ざめた。ヤミヤミ島の闇を凝縮したような巨大な暗黒がビルドの上にのしかかろうとしていた。

 ヤス船長は慣れた手つきで小島の桟橋へ船をつけた。まだ船を舫う前にシドーが飛び下りた。
「おい、ここなんだな?!」
キェッと鋭くホシコが鳴いた。
「よし、助けに行くぞ。待ってろ、ビルド!」
暗く不穏な空の下、そのまま小島の頂上へ駆け上がろうとした。
「おい、待て!」
船の中から声がかかった。
「お前、風のマント持ってないだろうが!あわてるんじゃない。海へ飛びこんでどうする!」
今まさに船から降り立ったのは、青い服とゴーグル付き革のヘルメットをつけた若者だった。ローレシアのロイアル。当代の勇者だった。
 シドーは振り返った。
「うるさい!泳いでも行くぞ!」
赤い目が険しくなり、全身からピリピリと殺気を放っていた。
「その必要はないよ」
ロイアルの傍らに緑の祭服の若者が立った。彼、サマルトリアのサリューは、手に浅葱色の繊細な布地を抱えている。ムーンブルクの至宝、風のマントだった。
「ロイはいつものように、私たちを両脇に抱えてちょうだい。シドー、あなたはロイの足につかまればいいわ」
ロイとサリューの間から赤い頭巾の美少女が進み出た。ムーンブルクのアマランスことアムはさっさと足を進めた。
「おい、待てよ」
あわててシドーが後を追った。
「勇者さま方、ビルドさんをよろしくお願いしやす」
一人桟橋にのこる船長は心細げな顔だった。サリューは振り向いてうなずいた。
「大丈夫。きっと助け出します。すぐ出航できるようにしておいてください」

 ホシコが案内したその家は、ヤミヤミ島の黒い沼地のそばの長い丘陵の上に建っていた。灰岩を二段に積み上げてドアをつけただけの家で、窓もない。中にはベッドがふたつ置いてあった。
「これビルドが建てたんだな」
ぽつりとシドーが言った。
「俺は寝なくたっていいのに、仮家にもアイツは必ずベッドを二つ置くんだ」
家の作りはワンルームだった。部屋の隅にはレンガキッチン、食事テーブル、収納箱、洗面台、壁掛けタオル、ドレッサーが並んでいる。
「仮家でも衣食住は満たされるようになってるんだね」
とサリューが言った。ロイは壁掛けタオルがくしゃくしゃになり、赤黒い染みが付いているのを見て、無言で眉をひそめた。
 シドーは一度仮家を出て、横手に回った。
「やっぱりそうだ。見ろよ」
家の外には作業台、神鉄炉、金床があった。そして周辺には七、八個の焚き火がまだ燃えていた。
 作業台の上には道具や素材が置いたままになっていた。サリューはつぶやいた。
「ビルド君らしくない。こんなふうに放りだすなんて」
キェッ、キイッとホシコが騒いだ。シドーは真正面から問いかけた。
「オマエ、助けを連れに来たんだろ?教えろ、アイツはどこだ?」
シドーはホシコの胴をつかんで空へ放った。
「キキキィッ」
ホシコは家のある丘のふもとに広がる紫の毒沼の上へ舞い上がり、その中から頭を出している黒い岩へ向かってパタパタ降りて行った。
 アムが身を乗り出した。
「見て、あれ!」
薄闇の中で目を凝らすと、紫の毒沼の中に黒い岩が頭を出しているのが見えた。その上で何か動いた。
「ビルド君じゃないか?よかった、さっそく」
サリューが飛びだそうとした。
「おい、待てよ、緑の」
匂い、気配、物理的な圧力。シドーが生まれ持っている言いようのない感覚が、強烈な気配を捕らえていた。
「どうやら強い気配がこっちを狙ってるみたいだ」
「なんだと?」
ロイは顔を上げて、風の匂いをかぐようなしぐさをした。
「たしかに殺気だ」
 ロイの顔が引き締まった。ひとつうなずくと、ロイはてきぱきと指示を出し始めた。
「サマ、ビルドを引き上げて回復を取らせてくれ。俺は状況を確認しに行く。アムは……」
「私も行くわ」
「そのほうがよさそうだな。頼む」
シドーは少し意外な気がした。彼女の持つ気配はたしかに強い。だが、女の細腕で何をしようと言うのか。
「こういう時は、ロイの勘はあたるからね」
サリューも、アムが戦いに同行することに賛成のようだった。
「じゃ、これだけ持ってって」
サリューの両手がさらさらと印を結び、空中に呪文が流れ出した。
「トラマナ……スクルト!」
シドーはあっけにとられた。見えない布のようなものが自分の上にかぶさったような気がしたが、不快ではなかった。
「なんだこれ」
「ぼくの魔力。守備力があがるはずだし、毒沼に踏み込んでも大丈夫だよ。ぼくにも同じ魔法がかかってるから、これからビルド君を引き上げに行く。ちゃんと救助したらぼくも合流するね」
「緑の、相棒を頼んだぞ」
「まかせて」
 仮家のある細長い丘の上は毒沼と反対の側に小高い炎色岩の丘があった。暗い空の下の真っ赤な丘やその上のぶよぶよしたゼリーの塊のことをビルドは気味が悪いと言っていたが、シドー自身は嫌いではなかった。
 勇者と姫といっしょにシドーは赤い丘を越えた。強い力の気配はその向こうの平原にいるようだった。三人は丘の稜線に隠れるようにうずくまり、平原のようすをうかがった。
「なんだ、あれ?」
ロイが不思議そうにつぶやいた。
「うっ!」
とアムがうめいた。
 灰岩でできているはずの平地が、白っぽく見えなかった。色の濃い物体が幾百幾千と集まっている。それはうじゃうじゃと蠢いていた。
「よりによって、虫!?」
青みがかった外骨格を持つカブトムカデは、人の身長よりも長い体の関節をキチキチと動かしながら無数の脚で這いずっていた。一匹一匹が大型犬ほどもあるドラゴンフライは壮大なピンクの蚊柱を作っては崩れた。
「あっちは、蛇だ。キングコブラかよ」
ロイが指したのは、平地の端の崖際だった。チロチロと出し入れする舌、広がった首があるからキングコブラだとわかるが、もし飛んでいたら確実にオリエンタルドラゴンの類と思われただろう。巨大な体は群れごとからまりあって、鱗で出来た小山のようになっていた。
「キングコブラじゃないわ。紫の鱗はバシリスクよ」
「向こうを見ろ。まだまだいる」
昆虫、蛇の次は植物だった。ただし、巨大な花を頂上に持つ肉食自走植物だった。赤いマンイーターと青いポイズンキッスがないしょ話をするかのように花を寄せ合い、茎と根で動き回っている。花弁から涎のように消化液をしたたらせていた。
「いや、真打はその向こうだ」
ロイの声がかすかに上ずった。
 最後に平原へ出てきたのは、ビースト系モンスターたちだった。緑の巨大な猿バブーン、ピンクの虎キラータイガー、紫の翼竜メイジパピラス。奇妙に華やかな彩の獣はそれぞれ群れを作ってやってきた。
「いったい、あいつらどこから来たんだ?」
そうシドーが言うと、え?とロイは言った。
「いつもいるんじゃないのか?」
「この前はいなかったぞ?もともと素材島はそれほどモンスターは出ない。強いのも島に一匹か二匹くらいのもんだ」
 眼下の平原をアムはずっと目で探していた。が、あっと声を上げた。
「あれだわ、たぶん。あの穴からモンスターが今出てきたの」
シドーたちは薄闇の中目を凝らした。灰岩の平原の一番奥、黒い岩山にぶつかるあたり紫色の光の柱が立った。
「また一匹!」
「“魔物の呼び出し床”か」
不思議そうなロイとアムに、シドーは簡単に説明した。
「ビルドがそう呼んでた。なんか、魔物が出るらしい」
「種類を問わないのか?」
「知らん」
「それにしてはこう、嫌な相手ばかりよりすぐりやがって。なんでこんなに……くそっ」
「落ち着けよ」
とシドーは声をかけた。
「おまえら、勇者なんだろ?あれはようするにザコだぞ」
ロイは眉をしかめるような笑い方をした。
「そりゃそうなんだが、クエスト中苦戦した相手ばかり集まってやがる」
「苦戦だと?」
「最初はレベルも低かったからな」
それはシドーにも覚えがあった。
 なあ、とシドーは言った。
「あいつら、うじゃうじゃいるが、そのうち島じゅうにあふれ出すんじゃないか?」
「そりゃめんどくさいな。これからケガ人といっしょに移動しようってときに」
「問題なのは、ビルドがいないとワープできないってことだ。ワープできるのはしろじいとビルドだけだし、キメラの翼は無効だし」
「ワープって、それ、ルーラとちがうのものかしら?」
とアムが尋ねた。
「知らねえ。おまえ、ルーラできるのか?」
「私にはできないの。サリューならできるかしら」
いや、とロイが答えた。
「こっちの世界じゃうまくいかないって言ってたぞ。ルーラはあきらめろ」
「じゃ、ビルド君が意識を失ったままだとしたら、私たち三人でビルド君を連れて船へ戻らなくちゃならないわね。海岸から桟橋のある小島まで、悪くすると海の中から襲ってくるマーマン族を撃退しながら泳ぐことになるわ」
シドーとロイは顔を見合わせた。互いに、一人でならなんとかなるが、かばうべき相手がいるときはまずい、と思っているのがわかった。
「他の方法はないのか」
「ビルドなら、できるだけ高いところへ登って風のマントで船を目指すと思う」
アムは首を振った。
「意識のないビルド君を飛ばすのは……」
不可能、という結論は口に出すまでもなかった。
 おもむろにロイが立ち上がった。
「要は、ビルドだな。あいつが意識を取りもどすまで、この島で粘るしかない。魔物の呼び出し床とやら、ぶっ壊す」
モンスターで満ちあふれた平原を、シドーは顎で指した。
「邪魔者が多いぞ。やつら、どうする?」
ロイはにやりと笑って愛刀の鞘を払った。
「破壊神さまがそれを聞くか?決まってんだろ?」
シドーも立ち上がり、肩にかついだハンマーの柄を握った。
「しかたねえ。つきあってやるか」
口調とはうらはらに、シドーはぞくぞくしていた。恐怖でも嫌悪でもない。鳥肌が立つ時のような、軽い痺れに似た感覚がじわじわと上がってくる。
「よしっ」
と言ったときだった。
「何やってんの、あなたたち」
アムだった。しかも、ルルがひどく不機嫌になった時と同じ口調だった。
「何ってそりゃ」
アムは白いローブの袖を腕組みした。
「もう、これだから男の子は!」
「なんだよ、いったい?!」
機嫌の悪いルルにシドーとビルドがおそるおそるうかがいをたてるのと同じ口調でロイが尋ねた。
「魔物の呼び出し床だけはぶっ壊さないとだめだろ?」
「当たり前でしょ」
氷のような返事が帰ってきた。
「あれだけの数がいるのよ?二人で突っ込んでいってどうするつもり?」
 シドーとロイは顔を見合わせた。
「え~、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」
バカね、とその視線で彼女は告げた。
「そこで待ってなさい。私が先に行くわ」
シドーはちょっと驚いた。彼女は元の世界では一種の巫女なのだという。お祈りをする女、ということは、ミトのようなものだと思っていたのだが。
「おい、行かせていいのか?」
ロイは肩をすくめた。
「いい。つか、俺らも行こうぜ?けっこう見物だぞ」

 白いローブの乙女は、炎色岩の丘の端まで進み出た。華奢な両手を左右に広げればヤミヤミ島の風が両袖を大きくふくらませた。冷たく整った横顔に長いまつ毛を伏せて、アムは何かつぶやいていた。
 あれは、呪文だ、とシドーは思った。さきほどサリューがやって見せたのと似ている。ただし、ひどく大がかりだった。
 たぶん、魔力もずっと強いのだろう。呪文詠唱につれて彼女の周りの空気に、金色の粒子があふれだした。やがてそれはアムのまわりをゆっくり、だんだん早く、高速で回転し始めた。
 静かにアムは目を見開いた。
「ラリホー……ルカナン……マヌーサ!」
どよめきのような音、または波のような光が平原を埋め尽くすモンスターに襲い掛かった。一瞬、すべてのモンスターが動きを止めた。そのまま一部は頭を垂れて眠りこみ、残りはまごついて右往左往していた。だが、まったく影響を受けないもの、敵意むき出しで三人のいる丘を威嚇するものもいた。
「あれも魔法なのか?」
「そうだ。ちょっと戦いやすくしてくれる」
シドーはモンスターで埋め尽くされた戦場を眺めた。
「でも数は減ってないな」
あら!とアムが振り向いて笑みを浮かべた。
「これからよ?乞うご期待」
くるっと向きを変えて、ローブの袖口をめくりあげた。
「あいつ、何をやる気だ?」
まじまじとロイはシドーを見つめた。
「ほんとに忘れてるんだなあ。じゃあ、まあ、見てな」
「だから、何を?」
「爆裂姫の本気」
言い終わる前に、落雷のような激しい音が轟いた。
 ロイは剣を鞘に収め、その場であぐらをかいた。両手の人さし指を耳へつっこんだ表情は、諦め交じりだった。
 バリバリバリ……という音は絶え間なく響き、ヤミヤミ島の暗い空が光で白く抜けた。平原から上がってくるのは、断末魔の悲鳴ばかり。
「シドー?歯がカタカタしてるぞ?」
とロイが小声で言った。
「しょうがねえだろ……」
「慣れてる俺でもそう思うからな」
 やがて爆発音の連続は終わった。ふうっとためいきをひとつついて、アムが戻ってきた。
「八割がたはやったわ」
こともなげに言う。
「数は減らしたから、あとお願い。魔物の呼び出し床のところまで行くくらいはできるはずよ」
遠目で確認すると、魔物の呼び出し床はあいかわらず光の柱を噴き上げていた。この平原が再びモンスターで満ちるまでに、あの呼び出し床のところへ到達し、破壊しなくてはならない。ほっておくと島全体がモンスターだらけになってしまうのだから。