ダイの大冒険二次小品集

こちらには、「ダイの大冒険」の二次創作で短めの作品を集めました。

起きろポップ

 ザザザ……という音が響いてくる。デルムリン島を取り巻く潮のざわめきだった。
「じゃあ、みんな、元気で!」
 一人の少年が小舟を海に押し出したところだった。少年の養父をはじめ島のモンスターたちは浜に集まって、旅立ちを見守っていた。
 そのモンスターの群れをかきわけて、走ってくる者がいた。
「ダイーッ!!」
 ダイが振り向いた。走ってくる少年は声をからして叫んでいた。
「ふ…ふざけんじゃねえぞ!」
「……ポップ!?」
 濡れた砂浜は足が沈んで走りにくい。だがポップは必死だった。
――追い付かなけりゃ、どうしても!
 ポップには、ダイに追い付きたい切実な理由があった。

 ポップはもともと朝の早いのは苦手だった。故郷の実家にいたころから朝寝坊で、よく父に怒られていた。修行の旅に出たあとも、早朝練習などもってのほか。
「……先生…」
 その朝ポップは寝床の上に座り込み、昨日失ったばかりの師のことを考えていた。
「何やってんだ!」
 いきなり誰かがそう言った。寝ぼけたままの頭でポップはきょろきょろした。
「だ、誰だ」
 この島には人間がいないんじゃなかったか?だが、部屋のすみの暗がりに二人の旅人が立ってこちらを見ていた。
「とっとと起きろ!起きて浜へ行け!」
そう言った旅人は、おそらく魔法使いだと思われた。裾の長い緑のチュニックに白い襟のある緑のマントを重ね、胸から斜め掛けのボディバッグを装備している。アバン先生よりちょっと若いくらいの年だとポップは思った。
「……なんで勝手に人の家に入ってきてんだ」
 魔法使いはふり向いて、もう一人の旅人に声をかけた。
「荷物のまとめ、終わったか?」
「もうちょっと!」
そう答えたのは同じくらいの年のひとだった。からし色のインナーの上に青い旅人の服を身につけている。赤紫のマントを重ね、額にはサークレットがあった。剣を装備しているので戦士かなとポップは考えた。
「ほら、さっさと着替えろよ」
 自分の上着を取って頭からかぶりながらポップは文句をつけた。
「あのなあ!おれは昨日、大事な先生を亡くしたばかりで……」
「知ってら。けどな、お前に同情してくれる人間はこの島にはいないぞ。めそめそしてても、誰も助けちゃくれない」
 暗に甘ったれるなと言われてポップはむっとした。
「人間ならいるぞ。ダイってやつが」
 緑の魔法使いは鼻で笑った。
「あいつはこの島を出るところだ。ダイについていけ。そうじゃないとお前、島から出られなくなるぞ」
 ポップは言葉に詰まった。アバンの力なしには、自分がどこへも移動できないのは事実だった。だが、口でやりこめられるのは我慢できなかった。
「あんな世間知らず!どうせすぐ逃げ帰ってくるさ!」
「そんなことないよ」
 戦士がそう言った。
「ポップがいっしょに行かなかったら、あの子はロモスの王宮あたりで死ぬよ。だから君を迎えに来ることもできない」
 まったくの真顔だった。
 おい、と魔法使いさえたしなめる口調になった。
 くす、と笑って戦士は、だってそうだろ?と言い返した。魔法使いはなぜかにやりとして、それから肩をすくめた。
「だいいち、今から二か月もしたら世界が滅びるからな。どっちみちお陀仏だ」
 大人二人がうんうんとうなずきあっているのを、ポップは茫然と見ていた。
「そ、そんなこと、いきなり言われたって信じられるかよっ」
 ん?という表情で魔法使いは見下ろした。こいつ、ほんとにイライラさせんの上手いな、とポップは思った。
「ハドラーに会ったんだろ?」
「会ったけど……」
 アバンの死を目の当たりにして、すっかり忘れていた。地上に魔王が舞い戻ってきたことを。
「でも、おれなんかいてもいなくても」
 バカ野郎!と魔法使いがどなった。
「ごちゃごちゃ言ってるヒマがあったら動け!おまえはランカークスに居場所を見つけられなくて世界へ飛び出したんだろうが!」
 ひゅっと音を立ててポップは息を吸い込んだ。
「なんでそんなことっ」
「知ってんだよ、おれは」
 魔法使いは家のドアをあけ放ち、海を指した。
「あの子の、ダイの隣がおまえの居場所だ。追いかけろ、どこまでもだ!」
 その瞬間、ポップは家から飛び出した。

 走るのは得意じゃない。旅に出てから自分のもろさ弱さを思い知った。それでもポップは走り、叫び、足を動かし続けた。
「ふざけんじゃねえぞ!おれをおいていこうなんて……!」
――あの魔法使いと戦士、どこの誰だったんだろう。やけにいろいろ詳しかったよな。
 砂浜が尽きて足元が海水につかる。目の前の小舟は沖へ向かって動いていた。
 船尾にいるダイが手を伸ばし、こちらへむかってせいいっぱい差し出していた。その手をつかもうとポップも一生懸命身体を傾け、手を伸ばした。
 お互いがお互いの手首をつかみあうのと、ダイが小舟の中へ体ごと倒れ込むのが同時だった。
「ポップ!」
 満面の笑顔だった。
「か、かんちがいするんじゃねえぞ」
 おまえの隣にいなくちゃと思ったわけじゃないんだから、と言おうとして、ポップは一度口ごもった。
――ダイの隣、って誰が言ったんだっけ?
 急速に記憶が薄れていく。一度咳払いしてポップは言い直した。
「あんな島にのんびりしていたくねえだけなんだからな!」
 にこ、とダイが笑った。この顔どこかで見た、とポップは思った。

 勇者の衣装のダイは、両手に荷物を持ったままぼやいた。
「ポップったら、荷物おいてっちゃったよ」
 魔法使いの衣装で変装したポップはにやっとした。
「でも杖は持ってった。あれでいいのさ」
「未来のこともばらしちゃったね、おれたち」
「心配すんな。あいつがダイの手をつかんだときに全部忘れるような暗示もかけてある」
「そんなことできるんだ。すごいね」
 へへへ、と少年の時と同じ顔でポップは照れていた。
「あいつには、いろいろ忠告してやりたかったんだ。挫折しそうな時がくる、とかさ。でもやめた。あれは自分で解決しなきゃならないことだ」
 ダイは荷物を残し、家からすべりでた。
「じゃあ、おれたちの時代へ帰ろう。早くしないと先生に見つかっちゃうよ」
「変装しても先生には即バレしそうだし、そうなったら説明がめんどくさいよな。帰るか」
 そう答えたポップは、あ、とつぶやいた。
「あれだけは言っておいてもよかったな」
「あれって?」
「おまえが五年後に、とんでもねえとこから帰ってくるってことさ」
 勇者と魔法使いの衣装の二人の姿は、そのままゆっくり薄れ、消えていった。

2023年10月23日 ネット上の企画「純粋と勇気」のためのもの。

呪文返し

 空気の中にはまだ焦げ臭いにおいが漂っていたが、潮風が次第に吹き散らしていた。
「……いいか、ポップ、この呪文を使うにあたって一つだけいっとくことがある。反射攻撃にだけは注意しろ!」
 大魔道士マトリフは、めったにないほど真剣な表情だった。
「反射攻撃?」
 弟子のポップはオウム返しにつぶやいた。
 二人がいるのは、海岸だった。マトリフが世をすねて隠居を決め込んでいる住処のすぐ近くである。自称百に近いという高齢をおしてマトリフは畢生の攻撃魔法「メドローア」を生涯ただ一人の弟子に伝授したばかりだった。
「呪文の中にはマホカンタといって相手の呪文をそのままはねかえしちまうものがある。それと同じ能力を持った伝説の武器なんかもあるしな」
 ポップは最初きょとんとした顔をしていたが、その意味を理解するにつれて次第に青ざめていった。“メドローア”は炎系の極大呪文と氷系の極大呪文をあわせて放つ大業、すべてを消滅させてしまう。それをはねかえされたら……!
「もしそれを敵が持っていたらもうアウトだ。全滅すんのはこっちだよ」
 マトリフは瞑目し、両腕を組んだ。
「オレが昔ビビッて使わなかったのもそのためさ。自分のミスでてめえだけ死ぬならともかく、仲間まで巻き添えにしちまったらシャレにならんだろう?」
 傍若無人に見えるが、マトリフは自分のパーティーの仲間に対しては義理堅い男だった。
 ポップはつぶやいた。
「そっか。あまりに強力すぎることが逆にこの呪文の最大の弱点ってわけだ」
 もうまもなくこの少年は、当代の勇者について世界最大の敵と対峙することになっている。敵はあまりにも大きく、彼はあまりにも幼かった。
「うむ。"両刃の剣"ってやつだな」
 唇をかんでポップは考え込んだ。
 お調子者で臆病者、だが一度腹をくくると一心不乱に努力する。ほとんど曾孫くらいの年のこの弟子になんといってやるべきか、マトリフは悩んだ。
「……昔、マホカンタの得意な魔法使いがいた」
 砂の上を歩きながらマトリフはつぶやいた。
「そいつと魔法勝負をするはめになったんだが、ありゃあ、ちっと苦労したぜ」
 ポップは顔を上げた。
「なんだよ師匠、負けたのかよ」
「ほざけ、ひよっこが。勝ったさ。大魔道士マトリフをなめんじゃねえ」
「どうやって勝ったんだ?」
 ふん、とマトリフは鼻を鳴らした。
「あれはアバンのパーティに加わってクエストの途中のことだった。とある国の国境をおれたちは通り抜けたいと思っていたんだが、そこらのボスづらをした大馬鹿が関所を勝手に作っていたんだ。ご近所の素人衆にもご迷惑だったからパーティでカチコミかけてアバンとロカの二人で馬鹿に焼きを入れてやったわけよ」
 ポップが嘆いた。
「焼きって……アバン先生が不良みてぇ」
「うるせぇ、黙ってきけ。ところが、そいつのダチにやっかいなやつがいた。そこらの王様の親戚筋だとかいう、貴族のボンボンのくせに魔法使いになったという男だった。自分のことを弟子たちには”マスター”(お坊っちゃま)と呼ばせてたぜ。そいつが、腹の虫がおさまらねえってちっちぇえ理由で勝負を挑んできたわけだ。そう、魔法使い同士、サシで勝負がしたい、とね」
「魔法使いどうし?はは~ん、師匠見て、こんな老いぼれなら勝てるとふんだわけか」
 ぱこっと音を立ててマトリフは弟子の頭をはたいた。
「今から十五年ほど前だ!おれは八十代の前半だった」
「立派な老いぼれじゃねえか」
「バカやろう、六十,七十洟垂れ小僧、百すぎてから男盛りだ」
 ポップは頭を両手でおさえ、唇をとがらせた。
「都合のいいときだけ年寄りになるくせに」
 マトリフは無視を決め込んだ。
「マスターが勝負を仕掛けてきたのは、国境にある山の中腹を回る道だった。馬車一台やっと通れる幅の道が坂を上りきってまた下ろうとしているそのてっぺんに立ちはだかって、勝負だといいやがった。ロカなんざ、王様の親戚筋がどうした、やっちまえって息巻いてやがったんだが、レイラが留めたのと、何よりアバンが乗り気じゃなかった。戦士が腕力で魔法使いに優るのは当たり前、魔法使いどうしの勝負の方が公正だ、とね」
 マトリフは肩をすくめた。
「おれはロカが騒いでいる間は腕組んで黙ってたんだが、アバンは言った。”やっかいなことをお願いしてすいませんが、勝てますか?”」
「師匠はなんて言ったんだい?」
 にやりとマトリフは笑った。
「”オレの仕事だ。任せろ”」

 決闘に定められた時刻は午後の早い時間だった。暑くもなく、寒くもなし。空は曇りがちで太陽は直に見えない。相対する二人には、直射による不利もない。峠道の片側は完全な崖となっている。下からあがってくる風もなく、ほぼ無風。条件は悪くなかった。
 前日のうちに、アバンが仕切って場の準備は終わっていた。岩だの木の根っこだのは片づけて、あたりはすっきりしている。峠道は通行禁止にしてあったが、そもそも非合法関所があったのだから同じことだった。敵方からもマスターの弟子たちというのが来て、こっそり魔法アイテムを隠したりしていないことをお互いに確かめ合っていた。
 マトリフは、自分の頭の数倍ある帽子を被り長いマントを引き、たっぷりした法衣を身につけて峠道に立った。
 峠の反対側から馬車があがってきた。パーティの見ている前で、そこから白いローブ姿のマスターが現れた。黒々とした髪を後ろへなでつけ、額には贅沢な金のサークレットをつけていた。
「おまえたちに恨みはない」
 開口一番マスターは宣った。
「私の友人に謝罪をするなら、水に流してやってもよいぞ」
 見るとマスターの弟子たちに囲まれて、騒ぎの発端となった関所づくりの馬鹿がこちらをにらんでいた。
「謝罪する気はありません」
 涼しい顔でアバンが答えた。
「この道は重要な街道で、あなた方には勝手に関所をつくっていい理由はなかった」
「黙れ、余所者」
 ぴしゃっと言うなり、マスターは前へ飛び出した。
「ならば勝負だ!」
 その手の中に魔法弾が生まれた。
 マトリフはちょっと意外だった。裕福でまわりにおだてられただけのお坊ちゃんだと思っていたのだが、けっこう強い魔力を備えているようだった。
「バギマ!」
 間髪入れずにマトリフが応じた。
「ベギラマ!」
 魔法弾が激突した。
 アバンたちは慣れているのでちゃんと距離を取って見ていたのだが、魔法使いの弟子たちが悲鳴をあげた。
「すごい……」
 マトリフの口元がにやりとほころんだ。
 マスターにこれだけの魔力があればたしかにこのあたりじゃ天才扱いだろうが、世間は広い。そしてパーティを組んで歩き回ってきたマトリフにとって、攻撃魔法のぶつけあいならまずひけをとる相手ではなかった。
 同じことをマスターも感じ取ったらしかった。
「確かに魔力はあるようだな。だが、これならどうだ!」
 マスターは若さにものを言わせて動き出した。決闘場を駆け回りあらゆる角度からマトリフめがけて魔法弾をふかっけてきた。
 マトリフは年寄り、しかもゆったりした衣服は激しく動き回るようにはできていない。ふりそそぐ光の矢は爆風を呼び爆炎をあげた。
「やったか!」
 黒煙の向こうで何かが光った。
「わああああっ」
 マスターは悲鳴を上げ、魔法弾をよけようとして無様にひっくりかえった。
「次は外さねえよ」
 次第に薄れる黒煙の向こうにまったく無傷のマトリフが立っていた。マスターの魔法を両手で次々と弾いた結果だった。実は一歩も動いていない。
「くそ!」
 弟子たちの視線がマスターの背中につきささっていた。マスターは一瞬泣きそうな顔になったが、あらためて峠道の真ん中に立ちはだかった。
「け、けっこう使うことはわかった。だが、おまえはけして勝てぬぞ」
 宣言すると同時に、マスターの手から新たな魔力が噴き上がった。マトリフは身構えた。が、それは攻撃魔法ではなかった。魔力はマスターの前に展開し、わずかに湾曲した透明の壁となって定着した。
「私の得意な魔法は、このマホカンタだからだ」
 美しい虹色にマホカンタの壁が輝いた。
 マトリフは肩をすくめた。
「しかたねえな」
 タメなしにマトリフは魔法を使った。まずは、ルーラ-ヒャド。
「ハウアッ」
 真横から氷弾をぶつけられてマスターはわめいた。
「マホカンタ!」
 二重掛けで側面を守る。今度は真後ろでルーラ-メラ。
「ぎゃっ」
 ルーラ-ギラ。
「ヒイッ」
 何度か続けた結果、マスターは何重にもマホカンタをかけて360度周囲をがちがちに固めてしまった。
 マホカンタのつくる防御壁は、外から見ると美しかった。使用者が身じろぎすると顔の上まである壁に沿って虹色の光が輝くのだ。四方八方を輝く壁の筒で覆ってマスターは荒い息をしていた。
「ど、どうだ……」
 マホカンタは理論上すべての魔法を跳ね返す。これでマトリフには攻撃する手段がなくなったとマスターは言っていた。
 ごきりと音を立ててマトリフは首を回した。もともとお偉い賢者様を気取るのは肩が凝って嫌いなのだ。やっと地金が出せる。ケッとマトリフはつぶやいた。決闘場から、マトリフのひととなりを心得ているアバン以下パーティのメンツが真打登場とばかりにわくわくしているのが見えた。
「それで仕舞ぇか、頭でっかち野郎」
「なっ」
 マスターがむっとした顔になり、何か言い返そうとした。
「何か言い分があるってぇのか?もともと天下の往来を私しようってその根性がねじ曲がってやがるんだ。盗人にも三分の理というが、さすがに何も言い訳はあるめえよ」
 巻き舌まじりの罵詈雑言をまくしたてる。肩をすくめ、両手をひらき、マトリフは馬鹿にするような態度でマスターの周囲を回り込んだ。
「自分のあこぎをとがめられて開き直るたぁどういう料簡だ、ええ?おまけに得意が呪文返しときたもんだ、あきれた半可通だぜ。おれとサシで勝負がしてぇだと?てめぇなんざ十年早ぇや、馬鹿野郎」
 それまでむしろ口数少なく振る舞っていたマトリフにいきなりののしられてマスターは顔が赤くなったり青くなったりしていた。が、立て板に水のようなべらんめいに口を挟むすきもなかった。
「年長者と思って黙っていれば、よ、よくも、学究の徒が、そのような、下品な」
 マトリフはせせら笑った。
「おう、坊ちゃんよ。あんた、魔法使いにゃ向かねえよ。少なくとも現場はやめてもらいてえ、まわりが苦労すっから。せいぜい塔にこもって水晶玉でも眺めてろ。それが世のためヒトのためってやつだ。まわりを眺めてみねぇ。おめぇの弟子って連中がうんざりしてるぜ。あんたら、仕事とは言え坊ちゃんのお守りもてぇへんだなあ」
 人望の有無がどうやらこのマスターのコンプレックスだったらしい。見事に突いた図星がマスターを動かした。
「言うなあああぁ!」
 マスターが動く。光の壁も一緒に動く。相手は年寄り一人。マスターは拳をふりあげてなぐりかかってきた。
 さっとマトリフが体を横へひねった。悲鳴とともにマスターは崖から足を踏み外した。
「動くんじゃねえ!」
 マトリフが一喝した。魔法使いの弟子たちが硬直した。マトリフは片手につかんだ魔力の炎を頭上に掲げ、崖の途中にに両手でつかまっているマスターを見下ろした。
「てめぇの頭の上はマホカンタでカバーしてねえよな」
 マスターは青くなった。避けようのない状況で頭上からメラミが放たれようとしていた。
「全包囲マホカンタなんてバカをやるからだろうぜ。内側からの視界が全方位でゆがんでんだ、そんな状態で走ったら足下がおぼつかなくて当たりめえだろうが」
 それは極度の近視乱視用の眼鏡をかけて全力疾走するに等しい。
「降参するか?」
 恨みがましい目で頭上を見上げてマスターはつぶやいた。
「あの罵詈雑言は、私を走らせるためか……」
「あたぼうよ」
とマトリフは言った。
「でなかったら、オレ様みたいな聖人君子があんなせりふを言うもんけぇ」

 そんなことはない、絶対本音だとポップは思ったが、口には出さなかった。
「で、どうなったの?」
「ああ?関所はなくなった。大馬鹿はおとなしくなったし、あのボンボン魔法使いは修行をやり直すことにしたそうだ。一人で研究室にこもって何かつくるのが性にあってるらしくてそれ以来出てこなくなったとよ」
「ふうん」
15年前のことだという。その”頭でっかち”はいったい何を作っているのやら。
「旅の途中でそいつの噂を聞いたら教えてくれ。おとなしく研究してんなら褒めてやる」
「なんて名前だ、そいつ?」
「シャハル。魔道具制作師シャハルだ」
しかしその名前はそのときのポップにとって、まだ何の意味も持ってはいなかった。

2015年6月9日 当時「DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負」へ提出したのと同じものです。反省点多数につき、撤去ありです。

決闘・地獄門(描写の練習)

「勇者アバンと獄炎の魔王」第37話 決闘・地獄門。描写の練習としてテキストへの書き起こしです。(本編のサイレントなシーンに台詞を入れたりして、かなり主観的になっています、ご注意ください。また、冒頭は第36話終盤からです。)

 地底魔城の長廊下に、自分の足音だけが響いた。少し前まで打撃音や悲鳴がかすかに伝わってきたが、進むにつれてそれも途絶えた。
 おそらくこの道が魔王ハドラーへと続く。アバンは警戒しながら歩を進めた。
 長廊下の先に立ちはだかる人影があった。黒いマントで身を覆った異形の剣士だった。
 アバンは足を止めた。
 剣士は顔がなかった。それどころか、肉体さえなかった。髑髏となった顔、肉を削ぎとられたような骨格だけの身体。しかし腕だけは左右に三本ずつ六本ある。
 異形ではあるが、立ち姿が美しい。筋肉がないのに背筋を伸ばし、腕を組み、ゆったりと構えている。百戦錬磨の剣の名手と相対したような感覚があった。
 異形の剣士がこちらを見た。
「………見事だ、とまず言っておこう」
最初に誉め言葉をもらうとは。
「ここに至るまでの魔王軍の強豪たちを全て突破していなければ、お主は我が前に現れていなかったはずだからな」
 この剣士は地底魔城で観察されたすべてを知っているのだと、今さらながらにアバンは思った。
「仲間たちが私を前に進めてくれた」
と、アバンはつぶやいた。
「それもおそらくお主の徳ゆえ。信じるに値しない者には仲間たちも身を投げ出しはしない」
観察されなかった物事にすら、気付いているらしい。
「名乗ろう!」
異形の剣士は声を上げた。
「我が名は地獄の騎士バルトス!魔王ハドラーさまの御前である地獄門の番人だ!」
 そして、隠し事もなしのようだ、とアバンは思った。バルトスと名乗った剣士は、自分の後ろにある門がハドラーへ続くと明言していた。
 最終ダンジョンである以上、このていどは覚悟している。魔王たる者、勇者にとって一番いやな場所に強豪を配置するなど、常識のうちではあるまいか。
 相手をしなくてはならない。アバンは一歩前に出た。
「…正々堂々たる態度痛み入る。私は……」
 名乗りには、名乗り返すのが礼儀。だが、何と言えばいいだろうか。アバンは片手を剣の柄にかけた。
「私自らそう望んだことはなかったが……人々が皆そう呼んでくれた」
 カールを旅立って以来巡り合ったさまざまな人々の顔が、肩を並べて戦った仲間たちが、心に浮かんでくる。自分が背負ってきた思いの数々が胸にこみあげた。
「その思いを胸に…今ここで名乗らせていただこう!我が名は………」
 刃を鞘から引き出し、切っ先を天へ向けて掲げ、まっすぐに敵を見据えた。
「勇者アバン!」
 バルトスはアバンの抜刀を見てもうろたえなかった。
「…………勇者アバン!相手にとって不足無し!」
 髑髏となった顔面のなか、眼球だけは炯炯と輝きを放っている。片手をすっと脇へ払い、背後の門を示した。
「この地獄門を閉じているのは門番であるワシだ。ワシ以外には開くことはできん。お主がここを突破するためにはこのワシに勝利し、命を絶つ以外にない!よろしいか?」
 アバンはうなずいた。
「では……」
 バルトスは上半身を覆っていたマントの留め金に手をかけ、一気に脱ぎ捨てた。同時に、それまで腕組みしていた六本の腕がすべて背後に回り、一瞬で柄をつかんで剣を引き抜いていた。
「参る!」
 バルトスの胸板が初めてあらわになった。あばら骨の上から外骨格のようなもので覆っている。胸当てか鎧だと思われた。その姿はまさに、七尺豊かな長身の阿修羅。剣を構えたその姿は、陰々とした暗黒の気におおわれていた。
「ッ!」
アバンは息を呑んだ。
 いきなりバルトスが斬りつけた。一瞬の跳躍で間合いを詰め、上段の高みから二刀を同時に振り下ろした。
「ッ!!!」
 とっさに自分の剣を掲げて防いだが、足元にまでその衝撃が及ぶ。アバンは歯を食いしばって耐えた。
 上段からの初撃に続いて、激しさを増した追撃が続く。アバンは剣を合わせるだけでせいいっぱいだった。
 片方の肩から生えた腕三本がまったく異なる軌道で時間差をつけて襲ってくる。骨だけの腕から想像できないほど、一撃一撃が重い。
……想像以上の達人!アバンは額に冷や汗を感じていた。
 片側三振りの軌道が偶然にそろった。腕の動きが剣にしなりを与え、アバンの目にはまるでチーズでできているような柔らかさに見えた。次の瞬間、三本の刃が下段から斜め上へ振り上げられた。
 チーズなど、とんでもない。剣圧は地底魔城の天井をえぐり、巨竜の前足のような三本爪の傷跡をつけた。
 ぎりぎりでのけぞることでアバンは今の攻撃をようやく回避している。
…しかも太刀筋も変幻自在!
 アバンは、はっとした。天井からぼろぼろ落ちる落石を避けてのけぞり気味だったことが災いした。バルトスは六刀のうちの一刀を肩の高さで刺突の型に構え、剣気を高めていた。
 えぐりこむような一突きが襲い掛かった。

 木箱の間の冷たい石の床に座り込み、石の壁に背をつけて、幼いヒュンケルは耳をふさいでいた。その部屋は地底魔城の倉庫として使われているもので、ヒュンケルはバルトスの手でそこに隠されていた。
 木箱の陰に何か落ちている。木でつくった練習用の剣のようだった。ヒュンケルはつぶやいた。
「これ、父さんが」
 物心ついたころにはヒュンケルは地底魔城にいた。どうしてそこで育ったのかなど、ヒュンケルは考えたこともなかった。自分がニンゲンだという意識も希薄だった。幼児だったヒュンケルにとって、地底魔城は宇宙の全てだった。
「父さん…父さーん!」
背の高いバルトスに追い付くには、幼いヒュンケルは走らなくてはならなかった。うまくマントのすそをつかんで引っ張ると、バルトスは気づいて足を止めてくれた。
「おれも父さんみたいに強くなりたいんだ。剣術を教えてよ!」
 自分をニンゲンだと思っていなかったから、モンスターばかりの環境に疑問を持ったこともない。異質そのものの自分を、地底魔城のモンスターたちは受け入れてくれていた。剣を学びたい、と思ったのは、別にモンスターたちを従えたかったのではなく、純粋に父と同じことがしたいというのが理由だった。
 バルトスは口角をあげ、優しいまなざしをヒュンケルに向けた。
「ふふふ、まだおまえには早いのではないか?」
 頭から拒否されなかったことで、ヒュンケルは勢いづいた。ヒュンケルは両手を握って力説した。
「小さいうちから覚えた方が強くなるでしょ」
 ついにバルトスは笑い出した。
「それも道理。ならばまずは腕一本で相手をしよう」
 本当のことを言うと、もうちょっと小さかったころヒュンケルは、自分も大人になったら腕があと二本くらいは生えてくるんじゃないかと思っていた。どうやら違うらしい、とわかっても、剣士になることはあきらめなかった。だって、父さんは強くてカッコイイし。
「よーよー、がんばれっ」
 場所は地底魔城の闘技場だった。バルトスはその場をときどき、部下の訓練に使っていた。魔王軍最強の剣士としてバルトスの名はとどろいている。そのバルトスが、酔狂にも育てている子供の、剣の相手をしているとあって、そのへんの物見高いモンスターたちも集まってきていた。
小さなヒュンケルは、練習用の木剣をかまえた。
「おーい、ボウズ、がんばれよぉ」
「案外、さまになってんじゃねえか!」
 大好きな父が闘技場で模擬試合を行っているとき、ヒュンケルは観客席の陰からずっと見ていた。こっそり剣の構えをマネして、やってみたこともあった。
 身長に合わせた短めの剣を正面上段に高くかまえ、バルトスめがけてヒュンケルは打ちかかった。
 バルトスは六手のうち五手を組み、手一本で木剣ひとふりを握り、ヒュンケルの打ち込みを難なくさばいている。
「なかなか鋭い打ち込みだ」
 褒められて、ヒュンケルはうれしかった。
「よーしっ、行くぞ!」
「いいぞ、その意気だ」
 バッと飛び上がって剣をうちおろした。
 バルトスの反応は早かった。一手を前に長く伸ばして手のひらを広げ、反対側の一手を刺突の型にかまえ、襲ってくる木剣を、その刀身だけをピンポイントで狙った。
 もしバルトスが成長したヒュンケルの姿を見たら、自分の突きの型がブラッディースクライドとして養子の中に生きていることに目を細めたかもしれなかった。
 バキャッと音を立ててヒュンケルの木剣が砕けて折れた。その勢いで小さな体は仰向けに地面に倒れ込んだ。ギャラリーから悲鳴があがった。
「しまったっ!」
あわててバルトスが走り寄った。見物のモンスターたちもとんできた。
 地面に転がったヒュンケルは、目を丸くしていた。何が起こったかわからないという、驚きの表情だった。その目がぎゅっと閉じて、すぐにあけっぴろげな笑顔になった。
「おれの父さんは、やっぱり強いや!」
 安堵の声がいくつもあがった。バルトスは身をかがめ、片手で息子の手を引いて起こしてやった。
「よい度胸だぞ。剣士はそうでなくてはな」
ヒュンケルは嬉しそうな顔になった。
「もっかい!父さん、もう一回やってよ!」
「残念だが、木剣を壊してしまった」
あ……とつぶやいて、ヒュンケルは立ちすくんだ。
 よしよし、とバルトスは息子の髪を撫でてやった。
「もうひと振り造ってやろう。そうしたらまた、練習だ」
うん!とヒュンケルは力いっぱいうなずいた。
 バルトスの言葉に嘘はなかった。地底魔城の石床に座り込み、前の木剣と同じくらいの長さの木片を選んで、小刀で剣の形に削りだした。
 早くできるといいな、また父さんと試合をするんだ。そう思いながらヒュンケルはわくわくと父の手元を見守っていた………。
 こんなふうになるなんて、あの時は思ってもみなかった。地底魔城の壁は冷え冷えとして、モンスターたちのざわめきも、もう聞こえなかった。ヒュンケルは組んだ両腕の中に自分の頭を深く埋めた。
「父さん!勝って!死なないで!」
 小さなヒュンケルの宇宙は、今まさに滅びようとしていた。

 地獄門の前の戦場は様変わりしていた。地下にあるために、床も壁も天井もすべて石造りである。トンネル型のアーチとなっている壁と天井は、バルトスの突き技で広範囲にえぐられていた。
「……ッ!」
 片手で剣の柄を握り、もう片方の手で刃を支えた状態で、アバンは壁際に身を沈めていた。
――凄まじい!これが地獄の騎士の剣か。
 地獄門の方角から灯火が戦場に光を投げかけていた。その光の中に地獄の騎士バルトスは六臂に剣を取りそれぞれ異なる方角に向け、傲然と立ちはだかっていた。
 アバンにとってもその姿は、生きた伝説だった。活路を求めてアバンは「地獄の騎士」に関する知識を脳裏で総ざらいにしていた。
――地獄の騎士は邪悪な魔力の持ち主が禁呪法で生み出した魔物と太古より伝えられている。戦場の骸の山から優れた剣士の屍を使って生み出される不死身の衛兵……
 死屍累々とした戦場が思い浮かんだ。それぞれの正義を掲げて戦場に出、剣技を尽くして戦った者たちへの、それはなんという冒涜だろう、きちんと葬られることもなく、邪悪な意志によって魔物と化すとは。
――その際に最も強い剣技を持つ腕の骨が複数本選ばれ…本体に癒合すると聞く…………。
 アバンはゆっくり息を整えた。たどりついた結論は戦慄すべきものだった。
――つまり剣の達人六人を同時に相手にしているに等しい。
たった今バルトスから受けた技の威力はすさまじかった。今の攻撃は生前突きの達人だった者の腕に違いない!
 アバンはバルトスの姿に視線を走らせた。剛剣の腕、素早い剣の腕、払い技の腕…………千差万別の攻撃が絶え間なく襲ってくる!
 慎重に足場を探り、アバンは再びバルトスと相対した。バルトスはわずかに立ち位置を変えて再び六つの切っ先をこちらへ向けた。鋭い殺気が放たれるのがわかった。
 アバンは舌を巻いた。生前の腕の能力だけではない。この騎士はとてつもない鍛錬によってそれをさらに高めてきたのだと悟った。
 バルトスの兜の縁から白く輝く眼がのぞいている。
「………足りん……足りんな……」
そうつぶやいた。
――圧倒的な強さ!まさに最後の番人だ!これを突破するには…

 若き勇者は、不思議な行動を取った。自分の持つ剣を下げ、まるで鞘へ納めるかのような仕草をした。
 が、動作の途中でぴたっと手を止め、一度目を閉じて首を振り、改めて剣を正面中央に構え直した。
「……どうした勇者?」
「いえ一瞬の気の迷いです。魔王と戦うために力の温存を考えてしまった」
ここまで進んでくるには、力の配分も考え抜いたはず。その言い分には、バルトスもうなずけるものがあった。
 アバンは顔を上げた。
「だがあなたの剣を見て心を改めました。私自身がここまで培ってきた剣!その全てをぶつけて勝負したい!」
先ほどまでの彼とは熱の入れ方が違う、顔つきが違う。生命のまばゆい輝きが勇者を彩っていた。
「それが敵に対しても正々堂々と挑んできてくれたあなたへの礼儀です!」
朗々と告げるとアバンは剣を構えた。
「今度は、こちらから!御免!」
 助走をつけた跳躍、大上段からうちおろす一撃。さきほどのバルトスの攻撃を映したかのような、真っ向からのチカラ勝負だった。剣を受けるのはバルトスの方だった。一番上の一対の腕で二刀を交差させて斬り込みを支えた。が、支える腕が痺れるほどの強烈さだった。
 たまらず他の腕に構えた刀で至近距離の胴を抜こうとした。アバンの身体は着地と同時に沈み込み、下から上へ向かって第二撃を放った。六刀すべてがその攻撃に弾かれ、バルトスはたたらを踏んだ。
 アバンは一時も動きを止めない。バルトスが刀を交差させて何度その剣を阻んでも、矢継ぎ早に斬りかかってくる。斬るばかりではなく、激しい突きが来た。バルトスは四刀を重ねて剣を支えたが、髑髏の顔が引きつるほどの衝撃が来た。
 地獄門の前はカオスと化した。石床が衝撃で割れる。石壁が剣圧で砕ける。かけらが絶え間なく飛び散った。
「……足りん!足りん!足りん足りん足りん!」
理性的で礼儀正しい若者が、血走った目の獣へと変貌する。アバンの剣の一振りは、その攻撃を支えようとした刀身を通じてバルトスの手に伝わった。激しい金属音を立てて武器は宙を舞い、バルトスの背後の床に突き立った。
「ッ……!!!」
 バルトスの手は、衝撃のあまりまだ痺れている。その手を握り締めてバルトスはつぶやいた。
「腕が6本では……足りんっ…!!」

 地底魔城、玉座の間。玉座は天蓋で飾った壇上にしつらえられ、そこに座を占めるのは城主その人だった。魔王ハドラーは一人玉座に座り込み、十指を組んでうつむいていた。
 地底魔城への侵略は、遠いざわめきだった。それが、この部屋向かってしだいに迫ってくる。
 部屋の外でガキィィンと激しい音がした。剣と剣がぶつかりあっていることは容易に察せられた。
 何を考えているのか、何を待っているのか、魔王は動かなかった。

 文字通り、手が足りない、と地獄の騎士バルトスは考えていた。
 剣の応酬が延々と続く。互いの手の内を測るような攻撃が、少しずつ変質していた。得意の突きが先ほどから出せない。突き技の型へもっていこうとしてもかわされる。原因はひとつしかない。
 全ての腕の攻撃の性質が早くも見切られはじめている!
 その上それぞれに対応した剣撃を臨機応変に放ってくる。バルトスは心中ひそかにうなっていた。
――まだ青年でありながらなんという実力!これまでの戦いの中でどれほどの鍛錬・経験を積み上げてきたのか?
 美々しい鎧にはへこみがつき、マントはぼろぼろになっている。のみならず顔や首も傷だらけで血がにじんでいた。それなのに、闘志はいよいよ燃え盛っている。何度目かに近々と刃を交えたとき、眼光の鋭さにバルトスはたじろぐほどだった。
――「相手にとって不足無し」などおこがましかった!恐るべき勇者!このままではいずれ全ての太刀筋を見抜かれ押し切られる!ならば!
 バックステップで間合いを開け、バルトスは二つの手から二刀を投げつけた。アバンは目を見開き、ひと呼吸で避けた。
 二刀は石壁に刺さっていた。アバンの視線が石壁へ、そしてすぐにバルトスへ戻った。
「2刀投げた!いや……捨てた!?」
 バルトスに残されたのは、左第一から第三までの腕に一振りずつの三刀だった。それぞれの柄に、右第一から第三までの手が寄り添った。
「不動地獄剣!!」
 元々バルトスの愛刀六振りは、それぞれが両手持ちの大剣に近いサイズだった。それを片手で軽々と扱うバルトスが、両手で一振りを握っている。
 それは迎撃の構えだった。剣を3本に絞り一撃の威力を増して三段構えで相手の攻撃を迎え撃つ!
 警戒もあらわにアバンはようすをうかがっていた。
「……お主の強さには驚かされた!だが!屈するわけにはいかん!この門を死守するのは我が使命!」
――そうだ!失ったハドラー様の信頼を取り戻さねば!たとえ死しても勇者だけはこの場で止めねば!最後の門番の意地見せずにはおられん!
バルトスが叫んだ。
「来いっ!勝負だ!」
 じっと見ていたアバンが、ようやく動いた。アイコンタクトを外さずにじりじりと立ち位置をずらし、同時に剣を上段へ、はるか頭上へと掲げていく。
「大地斬!!」
次の一撃に全身の気を込めるのだろう、勇者の姿から陽炎のように剣気が立ちのぼっていた。
 思わずバルトスはつぶやいた。
「力の剣……だと?バカな。この構えの意味がわからぬお主でもあるまい!」
 相対する両者の目に、同じプロセスが映っているはずだった。
 その構えのとおり、アバンは上段から撃ちかかる。
――ただの剛剣では
 それをバルトスの第一刀が阻む。アバンは自分の剣を動かせなくなるのだ。
――こちらの一撃目に弾かれて
 がら空きの胴を、バルトスの第二刀、第三刀が襲う。
――即二、三撃目をくらうのみ!
 だが、勇者は笑った。眉を釣り上げるような、不敵な笑顔だった。
「あいにく私には手が2本しかありませんからね。できることはこれしかない!」
不利は承知で死中に活を求めるのか、とバルトスは思った。
「……潔き男よ。敵として会いたくなかった」
アバンは即答した。
「同感です!」
 沈黙が訪れた。不動地獄剣は、待ちの剣、迎撃の剣だった。勝負の開始はアバンにかかっている。構えを崩さないままアバンはじっと気を高めている。前方に出した足が、じりっと動いた。
 ドッと音を立てて勇者が跳んだ。頭上から稲妻のような一撃が襲ってきた。すかさずバルトスの第一刀が迎え撃った。激しい金属音が鳴った。
「もらった!」
 第二、第三の刀が勇者の身体を切り払おうと動き出した。
「こちらの攻略法は一つ!」
間近にあるアバンの顔は、目を見開いている。瞳にゆらめくのはギリギリの戦略に賭ける興奮だった。
「二、三撃目まで束ねるほどの超威力を込めて押し切ること!それ以外にないっ!」
アバンの剣は、第一刀の真上から下へ押し込んでいる。武器を動かせなくなったのはバルトスの方だった。
 三振りを交差させた点が、ニンゲンとは思えない力で押されている。バルトスの刀の刀身にびしっとヒビが入った。
「!!!」
全力でバルトスは押し上げた。
 その瞬間、いきなりアバンは剣を真上へ引いた。バルトスの全力は一気に解放され、六本の腕は三刀を真上に突き上げる形になった。
 虚を突かれたバルトスは、一瞬アバンを見失った。
 アバンは足元にいた。剣を引いた直後に身を低く沈め、膝立ちの位置から上へ、神速の一撃を放った。
「海波斬!!!」
その衝撃で三振りの刀がふっとんだ。刀は宙を舞い、音を立てて床に転がった。
「ッ………!!」
アバンが剣を突き付けた。バルトスは硬直していた。
「み………見事っ!」
バルトスはこぶしを握り締めた。
――もはやこれまで!お許しをハドラー様!
 明らかな敗北だった。主君は己を許すことはないだろうと、バルトスは知っていた。この門を守るために自分は生み出され、その責務を果たせなかったのだから。
 当然だと思うかたわら、胸中にこみあげてくる思いがあった。
 廃墟から取り上げた赤子。
 幼く、頼りなく、庇護を求める乳児。
 自分でつくった紙の星を差し出す幼子の笑顔。
 この城の中で震えているであろう少年。
――…ああ…ヒュンケル!
 勇者は無言で剣をつきつけていたが、不意に鞘へ剣を納めた。
 驚きのあまり、バルトスは目を見開いた。
「どうした!?お主の勝ちだ!早く斬れッ!」
「………やめましょう」
アバンには、さきほどの猛々しい剣気はすでになかった。
 バルトスはまくしたてた。
「なにッ!?な情をかけるつもりか…!?門番のワシにとっては屈辱以外の何物でもない!なぜそんな真似をする?」
それが………とつぶやくアバンはあきらかに困惑したようすだった。
「自分でもよくわからないんですよね」
 照れくさそうに後頭部をかきながら、にかっと彼は笑った。まだ青年、とさきほどは思ったが、それどころか、どこかのわんぱく小僧のような笑顔だった。
「でも自然と手が止まったのです。おそらく」
 指を上げてアバンはバルトスの胸を指した。
「……それのせいでしょう」
 それ、とアバンが言うのは、自分が首から下げている、紙で作った星だとバルトスは気づいた。
「闘いが始まった時それに気がつきました。私には邪気そのものを断つ剣技もある。魔王との戦いに備えてその技を放って戦おうとも一瞬考えました」
 あの時の勇者の不思議な動作、その意味をバルトスはようやく悟った。
 アバンは右腕の傷を軽く押さえ、眉をしかめた。
「そうしていればここまで傷つくこともなかったかもしれない。でも結局できませんでした。あなたの命を奪う戦法にためらいがあった。今もそうです。多少無謀でもあなたの武器だけを奪い勝利できる攻撃方法を選んでいた……」
バルトスは星をつまんでしげしげと眺めた。小さなヒュンケルが一生懸命作り、ひもをつけて持ってきたときのことを思い出した。
――とうさんに、あげる!
――おお、ワシにか。ワシが初めてもらった勲章だ。
「それは明らかに子供が作ったもの…まさかとは思ったのですがあなたにも家族が、と……一瞬そう考えたら」
疲れ切っているはずの勇者は、明るく、温かい笑顔になった。
「…斬れなくなりました…!」
「………!!」
地獄の騎士は、本来の意味で“生きて”はいない。だが、骨だけの身体でも心は強く動かされ、感動のために指は震え、眼窩には熱い涙が沸き上がってきた。

2023年12月23日「とんぼ日記」に書いたものをpixivへ投稿。日記の年が変わったので、こちらへ収録しました。