不思議の館へようこそ 8.クレイジーナイトの終わり

「Bad∞End∞Night」「Crazy∞Night」(ひとしずく×やま△様) 二次創作小説

 やはりこの本だ、とミクは思った。胸をどきどきさせながら分厚い立派な本をあらためてミクは調べにかかった。さあ、ハッピーエンドはどこにあるの!?
 あせりがミスを呼び、同じページに何度も戻ってきたりする。もう分岐をあきらめて、すこしでもハッピーエンドらしいセクションがないかとページを手繰った。目が文字の上をすべり、視線は見開きの上を斜めに走る。薄暗い密室の、棺の山の前で必死にゲームブックをめくる姿は、自分でも滑稽だとミクは思った。
「涙、出そう」
わからない。どこかにあるはずなのに、行きつくのは恐ろしい結末ばかり。
「ない、ない、ないっ」
隣室でがやがやと騒ぐ声もパニックに近い不安をかきたてた。
「こんな本、こうしてやるっ」
ついにミクは、ナイフをページに突き刺して切り裂いた。
「もう、いい。こんなもの!」
ランダムにページを開き、斬りつけていく。自分が助かるための台本を自分で壊しながらミクはヒステリックに笑い、涙を浮かべていた。
 ぼろぼろにしたその本を、ミクは秘密の部屋のすきまからカイトの部屋の真中へ投げ出した。
「え?」
「これは、どこから?」
住人たちがぼろぼろの『アリス』に注目している。そのすきにミクは秘密の部屋からすべり出た。このまま彼らに見つからなければ、二階のテラスから脱出できるかもしれない。ミクは部屋の片隅から出口の方へ少しづつにじりよった。
「ひどい」
「誰がこんなことを」
 グミが台本を拾い上げてテーブルに置いた。
「ページが一枚なくなっています。盗まれたのかしら」
執事がのぞき見た。
「おそらく犯人の望まない場面が取られたのでしょう」
双子人形が本を見ようと首を突っ込んだ。
「次のページ、ないんだね?!」
「次のページでどうなるの?犯人がわかるの?」
メイコはじっと台本を見つめてつぶやいた。
「少なくとも未来の場面ね」
「おかしいじゃないか」
とカイトがつぶやいた。
「まだ来ていない場面が望ましいか望ましくないかなんて、どうやって知ったんだ?」
ルカは、長い指を薔薇色の前髪にさしいれ、そっと梳いた。
「わかる人がいるとしたら」
ルカはいきなり壁際に向かって振り向いた。ミクはぎくりとした。

「【ソレ】ができるのは・・・」
「「「「「「「犯人は貴方でしょう?」」」」」」」

 ルカの、カイトの、メイコの視線が、まっすぐミクに向かっていた。
 未来の場面を知ることができるのは、この不思議の館の外から来た者だけ。執事もメイドも双子人形も、館の住人すべてが、同じ結論に達したのだった。
 ……殺されるわ。
 最初のトライで味わった、いいようのない無力感が背筋を登ってきた。何をどうあがいても、絶望の結末から逃れられないあの恐怖。
 すすり泣きが喉の奥からもれそうになってミクはあわてた。顎を引き、歯を食いしばり、そして両手のこぶしに『鍵』を隠し持ってミクはその場に踏みとどまった。
 握りしめる『鍵』が、手の中で熱くなった。
 その“熱”を最大限に引き出す言葉を、ミクは知っていた。

「みーっつっけた」

 カウンセラーと助手は青くなった。眠る患者の耳元に口を寄せて暗示を与えた。
「もう、眠りから醒めてください。これから合図をします。手をたたく音が聞こえたら、あなたは目を覚ます、いいですね?いち、にの、さん!」
ぱん、と手を打ち鳴らした。が美空は反応しなかった。
「1,2,3!」
二人は互いの顔を見合わせた。
「そんな……、1,2,3!」

ソレなら! 1、2、3 で 刻んで、ページ!
もっと もっと ・・・壊そうぜ
ほんとの EnD 見たいなら
もももっと狂わせて

「ほんとの Crazy nighT 返して頂戴!
きっと きっと 【コレ】じゃない・・・」
【台本どおり演(や)った】ことだけが
真実だとは限らない・・・??

 不思議の館は静まり返っていた。さきほどまで館を満たしていた騒音はもうなかった。いくつもの悲鳴、罵声、必死で逃げる足音は、かすかな残響を残して消えうせた。
 目を見開き、両手にナイフを持ち、とぼとぼとミクは館の長い廊下を歩いていた。殺し合いのあいだに何度か反撃され、抵抗を受けたために、ミク自身あちこちが傷ついている。服は返り血を浴びて汚れ、ぼろぼろになり、手にも顔にも傷をおっていた。さっさと歩くことができないのは、ひどい疲れと絶望のほかにも脇腹のケガのためだった。
「いきさつは変わったけど、同じだわ」
セクションナンバー350の直前から、ミクはエンドロールの近くまで台本をすっ飛ばしたのだ。
「何をやっても、結論は狂わないなんて。なんだ、つまらない」
口の中でつまらない、つまらないとつぶやきながら、ミクは歩き続けた。
 足は自然に吹き抜けになったホールへ向かった。明り取りから青い月光の入るこのホールは、おそらく館の中で一番明るい部屋だった。
 正面扉の前でミクはナイフをまとめてスカートのポケットへつっこんだ。片手で腹部の傷を抑え、もう片方の手で扉を開けようと思ったのだ。かさ、と音を立ててナイフはポケットからはみだした。
 ミクは扉の取っ手をつかんで回そうとした。
 ドアは、動かなかった。ナイフをもう一度出し、その先端を鍵穴らしいところへつっこんでみた。動くものはなし。扉も開かなかった。
「ここは開かない。そういうことね」
口に出してそう言うと疲労感が募った。
 血を流し過ぎたらしい。頭がくらくらしてたまらず、ミクは扉の前にひざをついてうずくまった。
 そのとき、何か足元に落ちているものに気付いた。くしゃっと丸められた紙のようだった。
 ナイフと一緒にポケットから出て下へ落ちたらしい。さきほどかさかさ言ったのはその紙のようだった。
 拾い上げてその紙を広げた。広げる前にミクはそれの正体を悟っていた。
「セクションナンバー148。"あなたは怖くなり、その部屋を飛び出しました。館から出ようと廊下を歩いているときに、カイトの部屋にうっかり入ってしまいました。そこに大きな時計がありました。時計を調べますか?"」
ミクの名が書かれたあの紙だった。薄い線や爪でひっかいていろいろな書き込みのある紙、落書きのような模様で数を数えた痕跡のある紙。
「あはははっは」
開かないドアに額を押しつけてミクはふてくされた笑い声をもらした。
「そう。やっぱりこれだけが残るってわけ」
全部ひっかけだったんだわ、とミクは思った。あの台本に、ハッピーエンドはたぶん、ない。台本通りに演ると、バッドエンドにいきつくしかないのだ。
「あたしはどうすればよかったの。ここまで来てしまった。やり直すことなんて、できないじゃない」
ずるずると身体がすべった。出血が多すぎたようだった。ミクはホールの床に転がった。目を開けるとホールの上から、清らかな月の光が降り注いでいた。
 この館に朝は来ない。いくつもの死体が転がるこの館に、ミクは死ぬまで血を流して横たわっていることしかできないのだ。夜明けではない、死が、やり直しの合図だった。
 いつのまにか喉がからからになっていたが、もう唾液をのみこむことさえできなかった。ミクは目を閉じて月光から顔をそむけた。
「いいわ、また今夜会いましょう」
永遠に探し続けよう、ハッピーエンドを。

ここから先は、とんぼが捏造したエンドです。

「Bad∞End∞Night」および「 Crazy∞Night」は繰返し構造が不気味な魅力となっているのですが、エンドが来るとのその構造を壊すことになります。

それでもあなたはこの続きを読みますか?

1.とんぼエンドを読む→セクションナンバー1000へ
2.とんぼエンドを読まない→あとがきへ

 

 

 

 

 

セクションナンバー1000

 うっとうめいてベッドの上の美空がのけぞった。
「どうしました!」
言葉にならないようすで美空が悶えた。
「ナースコール!」
助手があわててスイッチを探る。カウンセラーは美空の細い腕を取り、緊急用の薬剤を注入した。
「先生!まずいです!」
助手が叫んだ。
「落ち着け、きみ。美空さん、聞こえますかっ」
廊下を誰かが走ってきた。顔を出した看護婦に助手が叫んだ。
「ストレッチャーお願いします!」
見るなり青ざめた看護婦が、踵を返して走っていった。
「緊急です、術前処置室を空けて!」
カウンセラーはまだ美空に呼びかけていた。
「美空さん、聞こえますか」
もういい、とかすかに彼女はささやいた。
「あたしが死ねば、ミクも解放される」
「ダメです!」
大声でカウンセラーは叫んだ。
「ミク、そこにいるんだろう、なんとか言ってくれ!あきらめるな、君はまだ脱出していない、美空のために、ミク、なんとか言ってくれ!」
廊下の物音はいよいよ激しくなった。小走りの足音、ストレッチャーの台車ががらがらいう音、早口で連発される指示。美空を迎えに来たのだった。

 黒い布を両手でかきよせて、美空はぼんやりした視線で周囲を眺めた。足元がふわふわする。彼女は宙に浮いているのだった。あたりは淡い光で満たされていた。そこは大きな丸い部屋だった。
 光に目が慣れると周囲のようすが見えてきた。二階まで吹き抜けになったホールのようなところに美空はいた。正面扉、書斎や食堂へつながるドア、長い廊下への入口、二階へあがる曲線状の優雅な階段。
「不思議の館だわ。扉を入ってすぐの、吹き抜け……」
 その部屋の床、壊れた扉のすぐ前に異物があった。白いエプロンドレスとふちがスカラップになったピンクのケープの少女、ミクだった。
 美空は眉をひそめた。ミクの死体はあちこちが傷つき、血まみれだった。特に脇腹あたりに大きな傷口があり、そこから血が流れ出して床に小さな血だまりをつくっていた。もう茶色に変色して血だまりの縁は乾きかけていた。
「ミク、まただめだったのね」
美空の気持ちもまた乾いている。空中に漂いながら、美空は死んだ少女をじっくりと眺めた。
「あたしが苦しんでいる分、あなたも苦しんだわけね。でもこれで終わりそうよ?よかったじゃないの」
つぶやきながら美空は床に降り立ち、自分の足で歩いて美空はミクに近寄った。ミクは胎児のようにうずくまったかっこうで倒れていた。
 エプロンのポケットから、時計の長針短針の形のナイフがはみ出している。その刃が血で汚れているのを美空は醒めた目で眺めた。
 ミクの手は投げ出されていた。その手の先の床の上に、紙を丸めたものが転がっていた。手を伸ばして美空はそれを拾い上げた。表面にミクの名が書いていある「手紙」だった。
 かさかさ言う紙を美空は両手で広げた。印刷された台詞と選択肢。ひっかいた痕。長短五本の棒を組み合わせた“落書き”。
「もう一本、足さなきゃね」
ドライにつぶやいて美空は落書きを探した。
 ページの下の方に“落書き”は並んでいる。だが描けるスペースはなかった。“落書き”のほかに、別のものがページを埋めていた。
 線は太く、震えている。色は濁った茶色だが、おそらく最初は鮮血だったのだろう。それは血文字だった。
“あなたがどうしてあれをやったか、私は知ってるよ”
美空はびくっとした。
「あれって、あれって」
自分以外知るはずのないことをこの娘が知っている。美空はぞくっとした。
「あたりまえだわ。ミクも私なんだから」
落ち付け、と自分に言い聞かせ、続きを探した。
 血文字の続きは、ページの裏にあった。乱れて判読可能すれすれの文字が語りかけた。
“……かわいそうに”
ひくっと美空は息をのみ込んだ。死に際のミクのメッセージを、じっと美空は見つめた。
――あなたがどうしてあれをやったか、私は知ってるよ。
ナイフを手に血まみれの狂宴を繰り広げた娘には、確かにそう言う資格があった。
――かわいそうに。
血文字に言い返そうとして美空は言葉に詰まった。ミクの最後の言葉は、美空のふいをついてその心にぴたりと寄りそった。
「あたしは……あたしはっ!」
 ぐっと「手紙」を握り締めた。くしゃっと音を立ててページはあっけなくつぶれた。美空は泣いていた。歯を食いしばっても鼻の奥がゆるみ、目はもっと潤んでしまう。熱い涙がみっともないほどあふれてくるのを感じて美空は当惑していた。
「うわあああああああっ」
死んだ少女のすぐそばにうずくまり、にぎりこぶしで床をたたいて美空はわあわあと泣きわめいた。

 泣いて赤くなった目で美空はカウンセラーを見上げた。心配そうな顔で彼は上からのぞきこんでいた。
「美空さん、申し訳ない」
でもよかった、とカウンセラーはつぶやいた。
「ちょっと薬が強すぎたようです。今日はここに一泊して下さい。明日、検査を受けてからお帰り下さい」
「先生」
と美空は言った。
「それならもう一度、あの館へ行かせてください」
「いや、ですが」
細い指で美空はカウンセラーの白衣にすがった。
「お願い、一度だけ。このままではだめなんです」
カウンセラーは首を振った。
「ルールは変わらないんですよ。扉は開かない。勝手口も、窓もです。ガラスを破ることもできない。オープンエアへ出ていく方法は、あの危険な二階のテラスしかない」
美空はじっと見上げて繰り返した。
「一度だけ。お願いですから」
カウンセラーは助手の方を見て、ちょっとうなずいた。
「わかりました。では、一度だけ。今なら、クレイジーナイトの好きなセクションへジャンプできる。どこを選びますか」
「セクションナンバー148。酔って目を覚ました直後」
と美空は言った。

 ミクは暗がりの中に立っていた。自分の寝かされていた部屋からすぐにこのカイトの書斎へ移動してきたのだった。部屋は常夜灯以外は真っ暗になっていたが、ミクはこの部屋の調度品をもう覚えていた。
 台本ののった立派な机、壁面いっぱいの本棚、陶器の飾りものをたくさん乗せた暖炉、振り子式の大時計。
 ミクはまず机から台本を取った。大時計のカバーをはずして、慣れた手順を踏んで“針”を取りだした。そして振り子室をいじって、秘密の部屋の扉を開けた。
 扉を開けると鈍い音がした。ドン、ドン、とそれは聞こえた。
 室内は相変わらず暗く、ろうそくだけが頼りだった。きつい消臭剤の匂いがする。不吉な棺の列を通り抜けてミクは部屋の端へ進んだ。進むにつれて、不気味な音は大きくなる。まるで死人が棺の中から蓋をたたいているようだった。
 音を立てる棺はすぐにわかった。塔の上の小部屋でレンが話した通りに、ミクは一番奥の棺の蓋に手をかけた。
 蓋は重かった。指先をつぶさないように慎重に時間をかけ、ミクは蓋をずらしていった。意外なことに蓋をずらすと灯りが漏れてきた。薄暗かった秘密の部屋は棺から噴き上げる白い光に照らされた。
 棺の中は、明るかった。
「これは、ガラス?」
 棺は空で、その底は素通しだった。ミクはガラスの下をのぞきこんだ。秘密の部屋の石造りの床が見えるはずなのに、どこか不思議な、奇妙に明るい空間が目に入った。
 部屋ほども大きなガラスのケースのなかにベッドがあり、人が寝ていた。その人は様々なコードやチューブで機械に体をつながれていた。それは女だった。彼女は眼を薄くあけた。口と鼻は透明なマスクで覆われていたが、ミクには彼女の声が聞こえた。
「ミク?」
「そうよ」
その女、集中治療室にいる美空は、空中に向かって語りかけた。
「よく聞いて、ミク。これからセクションナンバー350だから、もうすぐこの部屋にみんな集まってくるわ。その前に、つ・ぎのページを手に入れて」
「次の、って、何の次?」
「ちがうわ、つ・ぎ、よ」

 ナースセンターにいた看護婦は、集中治療室の患者が奇妙な動作をするのを目撃した。痩せて細くなった両腕を空中へ伸ばし、四角い形をつくったのだった。
「美空さん?」
だが、計器類は特に異常を告げていない。看護婦はどうしようかと迷った。

 わかった、とミクはうなずいた。
継ぎのページを手に入れる。そうでしょ?この台本からページを切って、ページを継いで、エンディングをつくるのね?」
「そうよ、そのページはね」
美空は一続きのフレーズを伝えた。それは意外なことに英文だった。
「それを?どうして?」
美空はベッドの上からミクの持っている台本を指差した。
「それが『アリス』だからよ。アリスは、目を覚ます時にそう言うの」
静まり返った館のどこかでドアが開いた。足音がこちらへ向かっていた。
「時間がないわ。うまくやって」

 看護婦はためらいがちにベッドをのぞきこんだ。
「美空さん?どうかしましたか?」
マスクをつけたまま美空は半眼開いていた。そのまま、そっと首を横に振った。
「何か苦しかったりしたら、すぐ教えてくださいね」
美空は従順にうなずいた。看護婦は一度ためらったが、ベッドを離れた。抱えている患者は多く、暇な時間など持っていない。だから看護婦は、美空が何もない空中に向かって微笑みかけるのを見ることはなかった。

 うまくやれ、と美空は言った。ミクは台本を開き、ページを目で追った。もう選択肢はどうでもよかった。単語を拾っていくのだ。目当ての単語があると、短針ナイフで言葉を切り取った。どうしても単語が見つからない時は一文字づつ拾っていった。
 ついに文章がそろった。ミクは本の奥付を破り取るとその上に切り取った単語を並べた。室内に飾ってあった花を花瓶から持ち上げ、指を濡らして単語をページに貼りつける。そうして造った継ぎはぎページを手にすると、元のところへ本を戻し、部屋の暗がりで待ち構えた。
 物事は覚えている通りに進行した。執事とメイドが主人夫妻を案内してくる。
「まあ、時計の針がないなんて、これでは時間が動かないわ」
「まいったな。どうしたものか」
と、カイトが言った。
「考えるまでもありませんわ。舞台は続けなくてはならないの」
毅然としてメイコが答えた。
「この次はどうなっていて?」
「それが、次のページがなくなっております」
執事が答えた。
「なに?!」
カイトとメイコがうろたえた声をあげた。
「ここから先へ進めないじゃないか」
 その時だった。前回の台本にないことが起こった。
「見て、見て。これ」
くしゃくしゃになった紙を大時計の前からレンが拾い上げた。どうやら、時計の鍵を取る時にまた落としてしまったらしかった。
「それはあの娘が持ってた……」
気づいたルカが、指先を上品に口元へあてた。
「これがなくなったページなら、くっつければいいよ!」
元気よくそう言うとリンは台本を広げた。
「えーと、ここ!」
しわくちゃのページを広げ、破り取られた部分の上にそれを重ねる。不思議なことに、破れたページはほのかな光の粉をまきあげてぴったりと寄り添い、元の通りに一枚のページとして再生した。
 館の住人たちはテーブルの周りに集まって、そのようすを見ていた。どの顔にも安堵の表情が浮かんでいた。
 部屋の隅の暗がりから、ミクは歩み出た。
「だめよ、それではトゥルーエンドにならないわ」
住人たちはさっと身構えた。いくつもの視線が身を穿つ。ミクは手を伸ばして、台本を取ろうとした。
 その前にメイコが立ちふさがった。
「これは大事なものなの。あなたには渡せないわ。お下がりなさい」
きっぱりとメイコが言った。それはほとんど命令だった。
 ミクは薄く笑った。
「そうね。あなたは赤の女王にふさわしいわ。『あなたたちなんて、ただのトランプじゃない』You’re nothing but a pack of cards.」
な、とつぶやいてメイコが硬直した。ミクは首を振った。
「やっぱり、これではだめだわ」
ミクは自分がつくりあげた継ぎはぎのページを読みあげた。
「こう言うの。『あなたたちなんて、ただの人形じゃない』。You’re nothing but a set of dolls.」
 その瞬間、竜巻に襲われた。
 部屋の中のすべてが凄まじい早さで動き出した。ミクの目の前で館の住人が入れ替わり立ち替わり狂ったように動き、消え、現れる。しかもすべての動きが前後あべこべだった。
 時間が巻き戻っていく。人々は後ろ方向へ進み、原因より前に結果が現れた。血まみれの胸からナイフが抜け、弾丸は銃口へ吸い込まれる。スプーンは唇から食べ物を皿へと運び、破片は一か所に集まってワイングラスになる。
 場面はめまぐるしくうつりかわった。そしていくつもの死、死、死。カミソリで喉を切り裂かれ、キッチンナイフで胸を刺され、日本刀で頸筋を斬られ、銃弾に貫かれ、高いところから突き落され、重いものに押しつぶされ、リボンで首を絞められる。
「あれは、私」
 ありとあらゆるエンドが一秒のうちに十いくつも現れた。やがて死は拡散した。主人一家の、使用人たちの、双子人形の死が入れ替わり立ち替わり現れた。
悲鳴、罵声、哀願、そして勝ち誇った宣言や皮肉、嘲笑の声。それは轟々と耳元で鳴り響いた。
 あらまあ不作法ですわよお客様残念ねまた今夜会いましょう誰かいて床が汚れたわ残念もうグミはこないわよあなたのアレはたぶんリボンだわあなたたちがいると不利だもの先に消えてもらうわおやおやつまらないなあ人なんか殺してないわ全部人形よ人形を壊しただけよっキッチンにあったパンだねよそれ銃口をふさいじゃったのみーっつけったどういたしましてくくくくくっあははははっあーはっはっはっ
 たまらずにミクは目を閉じ、耳をふさいでその場にうずくまった。
 竜巻は荒れ狂った。すべてを巻きあげ、いっしょくたにかきまわし、ものすごい勢いで噴き上げ、ダウンバースト……襲いかかるいくつものエンドの風圧にミクは身を縮めて耐えた。
 その力は、しだいに弱くなった。ミクはようやく力を抜いた。
 あたりは静寂に支配されていた。
 そこはあいかわらず、真夜中の館のカイトの書斎だった。誰もいなかった。大時計、姿見、机、書棚などはこ揺るぎもしていない。凄まじい竜巻にもかかわらず、書棚に並んだ立派な本の背表紙にわずかについたホコリまで動いていなかった。
 あいかわらず贅沢な書斎だった。が、奇妙なものがちらばっていた。
「お人形だ……」
ミクは一番近くにあった人形を拾い上げた。黒いメイドドレスに白い古風なエプロンの人形だった。
 見回すと、毛足の長い絨毯の間にいくつも人形は落ちていた。拾い集めていると、後ろから声がした。
「それ、私の人形なの」
ミクは、しばらく室内をきょろきょろしたあと、等身大の大きな鏡を見つけた。黒い布を頭から被った美空が、こちらを見ていた。
「誕生日になると、ペアの人形を買ってもらえた。だから3ペア6体あるでしょう?」
 ミクはひとつだけペアではない人形を差し出した。
「これは?」
「それは従姉からひとつだけもらったの。お人形ごっこでは、その子が私の役だったわ」
膨らんだ袖の白いブラウスとハイウェストの金のスカート、長い薔薇色の髪の人形を、愛しげに美空は眺めた。
 腕に七体の人形を抱えてミクは鏡に向き直った。
「あたし、ほんとの家族よりその子たちのほうがずっと好きだった」
ミクは黙ってうなずいた。
「その子たちを、本当の居場所へ帰して上げて?」
どこへ、とは聞かなくてもわかった。ミクは秘密の部屋の扉を開けた。
 そこはもう墓所ではなかった。月光のさす静かなタイル張りの部屋だった。棺はうんと小さくなり、七つの人形箱として行儀よく並んでいた。ミクは、一体づつていねいに箱へおさめた。
「ありがとう、これで終りね」
「じゃあ、これでおしまいなの?」
「そうよ」
もうかすかにしか声は聞こえなかった。
「ルールは変わらないわ。扉は開かない、窓は破れない。テラスは壊れる」
「それじゃあ、どうやって出ればいい?」
その答えは思いがけない形でやってきた。あたりがうっすらと明るさを増したのだった。ミクは見上げた。
 天井が透き通っていた。二階部分まで見透かして、はるか上空に残月があった。ふと見回すと、隣の書斎も玄関ホールも、ギャラリーも図書室もキッチンも、すべて透明になり、存在がどんどん薄れていった。
 ルールは変わらない。だが、館が変わった。
 東の方角がはっきりと明るくなった。夜明けが来る。その輝きの中に、館そのものが消失していった。
 ……風を感じた。
 ミクは夜明けの草原に一人立ち尽くしていた。
 足元には細長い葉の雑草が、膝のあたりまで生えている。夜露で靴下が濡れた。夜明けの風がほほにかかり、髪をゆすった。
 ふと両手を見た。時計の長針と短針の形をしたナイフを持っていたはずの手には、それぞれ一本づつ、長い茎の野花を握っていた。
 ミクは二本の花をそろえ、不思議の館だった場所へ供えた。
 そして踵を返し、ゆっくりと朝日の中へ歩き去った。