不思議の館へようこそ 5.塔の中の小部屋

「Bad∞End∞Night」「Crazy∞Night」(ひとしずく×やま△様) 二次創作小説

 常夜灯の灯る廊下に背をもたれ、ミクは小さくすすり泣いていた。どの方角へ進んでも死が待っている。
「あたし、どうすればいいの」
何度か繰り返した言葉をミクはつぶやいた。
 頭の中にあの声が響いた。
「大丈夫、ここから出られますよ」
「でも、選択肢はみんなはずれで!」
「みんな?本当に全部試しましたか?たとえば、あなたのすぐそばにある階段は?」
「そんなものないわ」
「いいや、ある」
声は力強く言い切った。
「廊下の壁紙に紛れて取っ手がわからないようなドアを開けると、その奥に階段があります」
ミクは手で壁紙を探りながら歩き出した。
「そのへんです。触感がちがうところがある」
そう言われたとたん、ミクは不自然なへこみをさぐりあてた。
「これ?」
「あったんですね?そうです、開けてください」
へこみに三本指をかけ、こちら側へ引き出した。
 それはまぎれもなくドアだった。その奥に暗い空間があった。
「暗くてよくわからない」
「少し上れば小さな明かり取りがあります」
ミクは歩き出した。足下の感じは廊下の絨毯とは違い、石のようだった。
「階段をたどって二階へ行きましょう」
片手を壁に当て、ミクは階段を上り続けた。
「二階って、こんなに先?これ、螺旋階段だわ。どこへ行くのかしら」
「螺旋?」
「ええ。長いわ」
頭の中の声は沈黙した。
 階段は長く続いた。まるで塔の中にいて、上へ登っていくようだった。時々小さな窓が切ってあり、そこから月光が入る。外をのぞこうとしたが、背が届かなかった。
 やがて石の螺旋階段は終わりになった。突き当たりは古ぼけた木のドアだった。
 ミクはドアノブに手をかけ、そっと回した。何の抵抗もなくドアは開き、ミクは内部へ足を踏み入れた。
 屋根裏部屋か、と最初思った。壁一面に棚があり、様々な物が収納されている。下の方は大きな長櫃や旅行用のトランク、上の方は紙箱木箱など。だが、棚の向こうから灯りが漏れていた。誰か居るのか……。ミクは見つからないように屈み込んで移動を始めた。
 くすくすと笑い声がした。子供の高い声。リンかレンだろうとミクは思った。
 大きな収納棚は部屋を横断していたらしい。ミクは棚の隅にうずくまって、部屋の向こう側を息を殺してうかがった。
「でね?ぼくが見つけたんだよ?」
ふふふ、と笑う声。
「ちがうもーん、リンが先に見つけたのに、言おうと思ったらレンが言っちゃったんだってば」
「見つけたのも僕が先だよ!」
「あたしだもん!」
「そうねえ」
と誰かが答えた。上品で優雅なその声。ルカだとミクは思った。
「二人でいっしょに見つけたなら、二人とも得点にしていいと思うわ」
ぼく!あたし!双子が言い合うのを、ルカは笑いながら聞いていた。
「ルカは?」
「え?」
「ルカは遊ばないの?」
「ねえ、おいでよ~。おもしろいよ?あの子ジタバタするんだもん」
ミクは棚の陰でひざをついたまま、指を握りあわせた。あたしのことだ……。
「あたしはちょうどお手入れのタイミングがあってしまったから、まだもう少しは出られないわ」
ルカが言うのを、もどかしげにリンが遮った。
「ちょっとくらい早めに切り上げちゃえば?」
「ぼくら、いつもそうしてるよ?」
だ・め・よ、と一言づつ区切ってルカは言った。
「あたしはちゃんと手入れをしておきたいの」
 ミクは床に手を突いて、そっとルカたちの方へ身を乗り出した。せっかく見つけた秘密のルートなのだ。うまく行けば出口があるかもしれない。
 機織のような大きな機械が棚の向こうに置いてあった。その前に椅子がある。機械の横には、積み木のような木片がたくさん入ったかごがあった。
 木片の大きさはさまざまだった。彩色はなく白木のままだが、すべてサイコロのような正六面体である。小さいのは手に握り込めるほど、大きいのは人の頭ほどもあった。
 そこまで考えてミクは悪寒がした。
 大きい方の木片をあの機械に取り付けてくるくる回すと、ちょうど人の頭のような形に削れるのではないか。ミクはおそるおそる視線を上げ室内を見回した。
 まちがいなく人毛と思われるものが、毛糸のようにゆるく巻かれて何種類も壁から下がっている。壁際の小箪笥は上の引き出しが開いていて、小さなガラスの球体が整然と並んでいるのが見えた。瞳を描きこまれているそれは、おそらく、眼球。
「人形師のアトリエなんだわ」
ほかにも胡粉や塗料、紐、金具などが所狭しと並んでいる。天井から針金がさがり、つくりかけのパーツをぶら下げて乾かしてあった。
 も~!と、リンが叫んだ。
「そんなことしてたら、あの子逃げちゃうよ?」
「大丈夫よ」
余裕を含んだ声でルカが応じた。
「この館から逃げられっこないわ」
……逃げてみせるわ。ミクはそう思った。顔をそっと突き出し、周囲を探った。非常口のようなものはないかしら?破れそうな窓はない?
 顔の横の方に、ふわりと何か触れた。ミクはすくみ上がった。声を立てないように棚の陰に戻ってうずくまり、何がさわったのか確かめようとした。
 それはただの布だった。棚の上から、服が下がっている。それだけだった。ふんわりとした上質のシフォンと絹の二枚重ね。金と焦げ茶色の美しい配色。
「スカート?」
ミクの脳裏に、館の主人の居間に現れた貴婦人二人の記憶がよみがえった。あの美少女は、白いブラウスと茶系のハイウェストになったスカートを身につけていなかったか?ちょうど、このような生地の。
 ぞくっとミクは背をふるわせ、あわてて上を見上げた。 棚の上の方にハンガーで服をかけてある、と最初思ったのは、ちょうどそのくらいの位置にスカートが来ていたからだった。
「ちがう……!」
ミクは声をあげかけて、口元を手で押さえた。
「ほら、リン、私、もうすぐ手入れが終わるわ」
「わーい」
「やったー」
無邪気な双子の声がした。
ルカの声は、ルカのスカートと違う場所から聞こえてきた。
 目の前のスカートは裾から下に磨いた革靴の先をのぞかせていた。スカートの上には見覚えのある白いブラウス、袖はパフスリーブ、袖口にはレース、その先には手袋。あるいは手袋のように見える何か。
「人間の、ゆびの、はずが、ないわ」
ミクは自分に言い聞かせた。持ち主がいないのに、手だけが、あるいは、服を着たボディだけがそこにあるなんて。
 棚の陰に座り込んで、ミクはふるえていた。ルカが"手入れ"とやらを終えて出てくる。ここは逃げ出さなければ。ミクは這うようにして部屋の出口を目指した。収納棚の陰を中腰で移動していく。最初に光が漏れていると気づいたところは、棚の上の品物の切れ目だった。ミクはどうしても、そこから向こう側をのぞかずにはいられなかった。
 レンは樽のような物に腰掛け、かかとを樽にぶつけていた。リンは、こちらからは金髪の頭の後ろしか見えなかった。
 ルカはリンの向こうにある椅子にでも座っているのか、やはり薔薇色の長い髪の後頭部が見えているだけだった。
「髪飾りをつけてくれない?」
リンが手を出して、その頬を両手にはさんだ。
「いいよ。こっち向いてね」
リンは無造作に頭部を持ち上げ、置き直した。首から下の体がついていたら、絶対にできない動作だった。
 ミクは自分の喉が鳴るのを聞いた。
 ルカの横顔が現れた。
 置き直し、もう一度、さらにもう一度。美しい顔が正面を向いた。リンがかいがいしくリボンと造花の飾りを髪につけた。
 ルカの生首が晴れやかな笑顔を浮かべた。
「どうかしら?」
「かわいいよ、すごく」
こともなげにリンは応じた。
「ねえ、早く遊ぼうよ!」
「あと二、三分待てないの?」
あやすようにルカが言った。
レンの声が割って入った。
「じゃあ、その間に新しいお話してあげる!」
うふふとルカが笑った。
「レンのお話は大好き。いつも楽しいもの。聞かせてちょうだい」
 チャンスだ、とミクは思った。レンが新しく仕入れたブラックジョークを披露している間に、うまく逃げだせばいい。ミクはそっと扉へ近づいた。
「森の中の不思議な館に、村の娘が迷い込んできました」
とレンは語り始めた。
「娘はもてなしを受け、その晩は館に泊りました。次の日の夕方、娘は目を覚ましました。なんと館の住人はみんな人形で、村娘と入れ替わって人間になりたがっていたのです」
あたしのことだ、とミクは思った。うふふっとルカの笑い声がした。
「それで、それで?」
「娘は怖くなり、逃げようとしました。
『逃げても無駄だよ?』
と少年人形は言いました。
『秘密を教えてあげる』
と少女人形は言いました。
『棺を見てごらん』
言われたとおり娘は秘密の部屋へ行き、一番奥の棺を開けて、中を見てしまいました」
嫌な予感がした。ミクの全身の肌がぞくぞくとあわだった。レンがくくくっと笑う声がした。
「そこにあったのはなんと、村娘の死体でした!」
やめて、聞きたくない!ミクは手で耳をふさぎながら、螺旋階段の最初の一段を足で探った。
「だって、もてなしを受けて酔いつぶされた娘がそこにいるのに、邪悪な人形たちが一昼夜何もしないわけがないでしょう?そこにあったのは、パーツのお手本にするためよけいな傷なしに屠られた、綺麗な死体でした」
指できつく耳たぶを抑えているのに、否応なくレンの高い声が聞こえてくる。
「娘はとっくに殺されて、人形と入れ替わってしまっていたのです」
震えながらミクは石の階段を降り始めた。ひざが震える。抑えようとしても、喉のあたりから嗚咽がもれそうだった。
「哀れな村娘は館の住人たちにからかわれていたのでした」
違う、違う!ミクは人形師のアトリエから飛び出した。
「そのことを悟った村の娘は」
月光だけしか光源のない石の螺旋階段を、ミクはまっしぐらに駆け下りた。理性のきれっぱしが、こんな降り方をしたら転んで大変な目に遭うと警告していた。だがミクは感情の高ぶりに駆られて足を止めることができなかった。
「とうとう気が狂ってしまいましたとさ!」
「もういやぁっ、いやよおぉぉっ!」
誰に向かって訴えているのか、ミクにはわからない。永遠に続くような螺旋階段を血走った目でひたすらにミクは駆けた。
 突然明るい四角形が視界の隅に現れた。元の廊下にあった秘密の出入り口だった。その瞬間に足がもつれた。つんのめるようにして最後の数段を駆け下り、ミクは出入り口から飛び出し、反対側の壁にぶつかるようにして止まった。その場にミクはへたりこんだ。
 呼吸が荒く、息がつらい。いつのまにか涙があふれている。膝がつかれて細かくふるえていた。
「人形なんかじゃない」
確かめるまでもなく、心臓は割れそうにほど早く打ち、目から涙があふれている。まだ、人間だとミクは思った。今は、まだ。
「……帰りたい」
嗚咽混じりにミクはつぶやいた。
「家に、返して」
涙といっしょに鼻水があふれそうになった。あわててミクは服を探り、ハンカチを探した。代わりに手に触れたのは、紙の感触だった。
 ミクはひっぱりだした紙片をぼんやりと眺めた。セクションナンバーが続き、ミクの名前が書いてある謎の手紙だった。
「こんなの、ちっとも役に立たないじゃない」
ミクは手の中でぎゅっとその紙をおしつぶした。
 ふと視線がその手紙の下の方へと動いた。その部分は落書きでいっぱいだった。
「これ、なに?」
マッチのような短い四本の棒が並んでいる。その上を斜めに横切る、長い棒。そのパターンの組み合わせが手紙の余白を埋めるように書き込まれていた。
 パターンひとつが、数字の5を現すのは明白だった。何かを数えた痕なのだ。
「これ、あたしが死んだ回数、なんだ」
衝動におそわれて、ミクはたまらずに笑い声をもらした。
「くっ」
のどが鳴る。押さえきれない興奮がせりあがってくる。
「くくくくくっ……あははははっ……あーはっはっはっ」
 廊下のどこかでドアが開いた。おそらくメイコだろう。見つかれば殺される。だがミクは笑い続けた。人差し指の爪で手紙のはしの未完成のパターンに、新しいマッチ棒を加えながら、ミクは泣き笑いをやめなかった。

  ベッドに横たわったまま、美空は低く笑い声をたて、同時に泣き濡れていた。その姿を眺めながら助手はカウンセラーのほうを見た。
「先生……」
カウンセラーは、カルテを眺めていた。
「前回のカウンセリングの終わりに、心理療法チームが達した結論は勝ち目がない、だった」
「そんな」
カウンセラーはデスクの上にカルテを投げ出した。
「ミクは館から脱出したがっているが、美空は救われるべきではないと思っている。だから、ミクが助かりそうになると美空が妨害して脱出を妨げる」
カウンセラーは深いため息をついた。そして、助手の方を見ると、意を決したようにつぶやいた。
「君に守秘義務があることはわかるね?」
「承知の上です」
カウンセラーは、端末を操作してPDF文書を読みこんだ。
「これが、美空がひとりぼっちになってしまった原因になった事件だ」
助手は身を乗り出してモニターに視線を注いだ。その表情が次第に険しくなっていった。
「これは……こんな……」
助手が文書を読み終わるまで、カウンセラーは待った。
「最後の手段だ。美空/ミクを、解放してみよう」