不思議の館へようこそ 2.秘密の部屋

「Bad∞End∞Night」「Crazy∞Night」(ひとしずく×やま△様) 二次創作小説

 舞台は暗転していた。舞台のあちこちの暗がりでは、登場人物たちがそれぞれ小休止を取っている。誰かがおさえきれないような笑い声を漏らした。それは密やかでたくらみに満ちた、邪な空間だった。
 誰かが厚い扉を開け、静かにやってきた。
「旦那様」
大きな一人掛けのソファにカイトは半ば寝そべるようにすわっていた。スカーフをほどき、襟を広げて酔いを覚ましていた。
「どうした」
執事は酔いを感じさせない動作で主人に近寄り、ソファの傍らで身を屈め、ささやいた。
「あの娘、薄々感づいているようです」
カイトは唇のはしを小さくあげた。
「今夜のクライマックスは早めだね」
「はい。もうそろそろ」
暗がりの中に二人の男の白い顔が浮かび上がった。
「出番が近いなら、酔い醒ましに珈琲を淹れてくれ」
「そう思いまして、お持ちいたしました」
魔法のような手際で執事は受け皿に乗ったカップを差し出した。
「ああ、こいつだ」
コーヒーを一口飲んで、カイトは満足そうにつぶやいた。
「今夜は、おまえはどこに立つ?」
「旦那様が先にお選びください」
ずるいな、とカイトが言って小さく笑った。
「玄関ホールにしよう」
「では、私は図書室を守ることにいたします」
「メイコの今夜の持ち場を知っているかい?」
「グミの話ではギャラリーとか。お嬢様はテラスにおいでになるそうです」
「グミはどうするんだ」
「あれはいつものように厨房です」
「よし」
執事が差し出すナプキンを取って、カイトは唇をぬぐった。
「狩りの始まりだ」
主人と執事の姿をした狩人二人が、ぎらりとした視線を交わしあった。

 ベッドの上の美空は、小さく身じろぎして薄く目を開けた。
「今、何時ですか」
診察開始から30分ほどたっていた。
「3時半ですね」
「外は?」
「いいお天気ですよ」
「お日様があるのね」
「はい」
美空はためいきをひとつついて、再び目を閉じた。カウンセラーは助手に合図して、薬剤のバッグを交換させた。
「パーティの夜、あなたは酔って眠ってしまった。目を覚ましたのはいつですか?」
「目を覚ましたのは、夜でした」
浅い眠りに落ちかけて、美空はぶるっと身を震わせた。
「最初自分がどこにいるかわからなかったの。やっと道に迷ってお屋敷にたどりついて酔っぱらったことを思い出した。すごくあせった……。無断で外泊してしまったなんて、きっとすごく怒られるわ」
カウンセラーはわずかに眉をひそめた。美空は夢の中の少女になりきって、現在形で話している。
「それであなたはどうしました?」
「ベッドから立って部屋を出ようと思いました。そうしたら、何かが、カサって」
「何の音でした?」
「紙でした。ケープの下から折り畳んだ紙が落ちて、それが音をたてたみたい」
「紙?どんな?」
「大判の紙を三つ折りにしてあって、折り目が日に焼けて黄ばんでいました。そこにローマ字で私の名前が書いてありました」
「名前だけ?」
「いいえ、文章が印刷されてて、余白に名前が。手書きでした」
「どんな文章です?覚えていますか?」
「せりふです。登場人物の名前、セミコロン、せりふという組み合わせがいくつかあって、その次にト書きらしいものがきて、それから選択肢。それがひとつのセクションで、一セクションづつ番号がついていました」
「何番から何番まで?」
「続き番号じゃなかった。ずいぶん飛んでました」
「ページ番号じゃないんですね?」
「ページ番号は、394っていうのが紙の隅の方に別に印刷されていました」
「ページ付けがあるということは、何かの本の一部ですか?」
「そうだと思います。きっと大きな本から三百九十四ページめを破り取ったのだと思います。縁がぎざぎざになっていましたから。おかげで読めない部分もありました。だけどその行と行の間に手書きの文字がたくさん書いてあったし、裏の三百九十五ページには余白に私の名前、下の方には落書きみたいな模様も描いてありました」
「では読める部分についてお聞きします。破られたページの最初の方は、どんなせりふで始まるのですか?」
「登場人物の名前は破れてわかりませんけど、台詞はこんなふうでした。"秘密を教えてあげる"」

秘密を教えてあげるよ
時計を見てごらん

 ねえねえ、という騒々しい声が扉の向こうから聞こえたかと思うと、いきなり開いて双子人形が顔を出した。
「あ、起きた!」
無邪気にリンが笑った。
「わーい、遊ぼうよ」
ミクは困って双子の顔を見た。
「ごめんなさい、あたし、帰らないと」
「いいじゃ~ん」
人形らしくないほどのなれなれしさで双子はミクにくっついてきた。
「館から出てうちへ帰っても、おもしろくないよ?ここでずっとぼくらと遊ぼうよ、ミク」
「そういうわけにもいかないの」
「いくよ~」
リンが唇をとがらせた。
「まだわかんないの?」
「え?」
双子は顔を見合わせて肩をすくめた。
「じゃあさー、いいこと教えてあげる」
熱心な顔がミクを見上げた。
「な、なあに?」
「館の秘密だよ」
ミクはどきりとした。
「あのね、知ってる?この館に住んでるのはね、みんなあたしたちの仲間なの」
ほら、とリンは、垂れ下がるほど長い袖口を肘の方へずらせて見せた。球体関節のある手首が現れた。
「あたしたち、この館じゃ一番古いの」
「最初のモデルなんだ」
口々に子供たちは言った。
「カイトとメイコがその次」
「つぎ?」
うん、とレンは言った。
「僕らの次のモデルだよ」
「何ですって……?」
最高の冗談のオチをつけるように、レンは得意満面だった。
「やっぱりわかってなかった?カイトもメイコも、人間じゃないよ?人形なんだ」
そう、夕べレンは、ちょっとブラックなジョークをさんざんとばしていたではないか。ミクはばくばくする胸を手で押さえ、何とか笑った。
「またからかってるでしょ。昨日は一緒にお食事もしたし」
「あたしたちだってできるもん」
自慢げにリンは言った。
「関節がぜんぜんわからないってのは、新しいモデルだからだよねー」
「ねー」
「残念ね。私昨日、ルカお嬢様から聞いたの。カイトさんもメイコ奥様もこの館の前のご主人の夫婦養子だって。ルカさんはそのあとでいらしたって」
「そうだよ?」
当然のことのようにレンは答えた。
「前のご主人は人形師なんだ」
ひっとミクは息をのんだ。
「うそよ……」
義父の作品はお気に召しまして?
「じゃあ、ルカさんは」
「オプションのあるモデルさ」
「執事さんたちはそのことを知ってるの?!」
「もちろん」
「あの二人が一番新参のモデルだから」
ミクは顔がひきつりそうになった。必死で首を振った。
「嘘、嘘!みんな関節なんかわからなかった!」
「だからそう言ったじゃん~」
「ね~」
左右に一人づつ双子人形が迫ってきた。
「カイトよりあとのモデルは、見た目人間とまず変わらないんだ」
「それと、カイトよりあとのみんなは、へんなこと考えるよね」
二人はミク越しにうなずきあった。
「人間になりたいだなんてね」
「この館を出て、どうやって暮らすつもりなんだろ」
「つまんないよね」
「つまんないよ、きっと」
ミクは、いやなものがからみつく喉を咳払いでおさえた。
「人間になるって、どうやるの?」
「もうわかるでしょ?」
「わかってるくせに」
薄々、うすうすとは、ミクはわかっていた。
「あたしに、なりすますのね」
ジョークのオチをミクが言い当てたかのように、双子は満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「そうだよ?」
「この館に来た人間で、家族や知り合いのできるだけ少ない者を選んで、そいつになりすましてそいつの居たところに帰って行くんだ」
だからパーティの時根ほり葉ほり聞かれたのだ。家族は、友達は、学校は、と。
「家族や知り合いがたくさんいて、なりすましてもまわりをごまかしきれないような人間は、パーティの後、家に帰すんだ」
「一番のグッドエンドだねっ」
ミクは両手で顔を覆った。
「じゃあ、ルカが、じゃなかったらグミが……」
「ちがうよー」
「まだ誤解してる」
「え?」
「みんな人形なんだもん、コアパーツ以外は取り替えがきくんだ。ミクの顔や身体を手に入れるなんて、すっごく簡単なんだよ」
「ここにお手本があるんだから」
いいながらリンはミクの肩に手をかけた。びくっとしてミクはそれを振り払った。
「やめてよ!」
「えー?もー、秘密を教えてあげたのに」
「ねえ、もう、わかったでしょ?外へは出られないんだから、ぼくらと一緒に遊ぼうよ」
ミクは双子人形からあとずさった。
「あたし、帰る!」
「むりむり」
それ以上聞かずにミクはドアを開けて廊下へ飛び出した。
無邪気で恐ろしい声が、パニックに駆られて走るミクの背に追いついた。
「時計を見てごらんー!」

 ひくっひくっと美空はすすり泣いた。
「私、怖くて、怖くて」
さあさあ、カウンセラーはシーツを握りしめる美空のやせた指をそっとなでた。
「大丈夫、その気になれば、あなたはすぐに現実の世界へ帰ってこられる。夢なんですから。いいですね?」
「はい……」
助手はちらっとカルテに視線を投げた。何ページもある長い記録だった。その記録はこの患者が不定期に診察を受け、薬品とカウンセリング、そして催眠暗示の効果でなんとか悪夢を遠ざけてきた歴史を物語っていた。だが、来院の間隔は初診のときから比べるとずっと頻繁になってきていた。
「それからあなたはどうしました?」
「館は広くて、すぐに迷子になりました」
とミクは言った。
「館には入る前にちょっとだけ見た覚えがありました。この家は、左右に二階建ての棟がついていて、真ん中にテラスのある正面部分がありました。そこが玄関ホールだから、そこまでいけばいいと思って、わたし」
美空はいいよどんだ。
「わたし、館の主人の書斎を探しました」
「どうして?」
「あの、私が持っていたあの紙に書いてあった」
「書斎へ行けって?」
「というよりも、時計へ……」

 夜の館は静かだった。自分の足音さえ絨毯に飲み込まれた。廊下のところどころに常夜灯があり、わずかな光源となっていた。
そのひとつの下でミクは立ち止まった。
「どうすればいいの」
誰かに見つかる前に逃げたい。と同時に、誰でもいい、親しげなルカでも、堂々としたカイトでも、誰かがミクに、人形なんかじゃない、と言って欲しい。
"からかわれたのですよ。あの子たち、いたずら好きだから"。それはそれで、すごく恥ずかしいし気まずい気がする。
 見つかりたくない、見つかりたい。矛盾した気持ちのまま、ミクは途方に暮れた。
 気が付くと、さきほど寝室で見ていた紙片をしっかり手に握りしめていた。しわを伸ばそうと広げたとき、気になる文章が目に入った。
「セクションナンバー148。"あなたは怖くなり、その部屋を飛び出しました。館から出ようと廊下を歩いているときに、カイトの部屋にうっかり入ってしまいました。そこに大きな時計がありました。時計を調べますか?"」
なんだろう、とミクは思った。まるで芝居の台本のようだった。
「"1.時計のねじを調べる。2.時計の針を調べる。3.時計の振り子を調べる"」
それぞれに矢印がつき、1はセクション149へ、2はセクション564へ、3はセクション350へと指示があった。
 ミクは続きを目で追った。セクション149は同じページに印刷してあった。
「セクションナンバー149。"ねじはきちんと巻いてある。異常なし。→セクション148へ戻る”」
そのページはしかし、ずいぶん汚かった。手書きの線がセクションナンバー149という見出しをぐりぐり描いて消している。そのほかにもやたら落書きがあった。
 どこかでかすかな物音がした。ドアのノブをひねる音だとミクは思った。ちょっとためらったあと、ミクはブラウスのポケットへその紙片をしまいこんで、暗い廊下をもう一度歩き出した。やはりまだ見つかりたくなかった。
 曲がり角を曲がったとき、廊下の突き当たりに見覚えのある玄関ホールが見えた。吹き抜けになった上階の明かり取りから、月明かりが入るらしかった。
「ふん、ふん」
もう少しでホールというところで、いかにも気軽な、屈託のない鼻歌が聞こえた。
「ふふん、ふん、ららら、ふん」
カイトさんだ、とミクは思った。
 廊下の壁に身を貼り付けるようにしてのぞくと、青い月明かりの下に白いコートの人影が踊るように歩いているのが見えた。
 やっぱり顔を合わせたくない。あれだけもてなしてもらっておいて、急に家に帰りたくなりましたなどとどうやって説明できるだろう。第一、自分でもどうしてこんなに家に帰りたいのかわからないのだ。
 ミクはきょろきょろした。とりあえず顔を合わせたくない。ミクはわずかに開いているドアを見つけて、内側へ身を滑り込ませた。
「ここ、最初の部屋だわ」
館に入って玄関ホールから最初に通された、主人の書斎だった。誰かいる!そう思って一瞬ミクは身をこわばらせた。が、それは巨大な鏡に映った自分だった。ミクは悲鳴をあげかけた口をなんとか抑えた。鏡、暖炉、机、そして部屋の奥の人の身長よりまだ大きな時計。最初に通された時、見たではないか。
 その時、たったっと足音がした。誰かが廊下を急ぎ足で歩いてくる。ミクはぞっとした。部屋にいるはずの自分が館の主人の部屋に入り込んでいるなんて、何かくすねるつもりだったと思われたらどうしよう。無断で外泊した上に泥棒の疑いなんて!
 ミクはきょろきょろした。部屋から飛び出したらはちあわせしてしまうかもしれない。
「どこか、隠れなきゃ!」
足音が部屋の前で止まったような気がした。
 ミクはとっさに目に付いた大時計に飛びついた。人の背より高いグランドファーザー・クロックの振り子室は、小柄なミクならちょっと窮屈でももぐりこめる。
 ミクは膝をつき、大時計下部にある扉を開けた。
 その瞬間だった。何か重い物が落ちる音がした。ミクはビクッとして立ち上がり、辺りを見回した。
 ミクは奇妙なことに気が付いた。かすかに風を感じるのだ。どこからか空気が流れてくる。やがて理由がわかった。壁の一カ所がはずれ、細い隙間ができていた。その向こうから薄暗い灯りが漏れ、風が吹いてくるのだった。
 がちゃ、と音がした。ドアのノブがまわったらしい。
 ミクは大時計をあきらめ、壁の隙間に飛びついた。指をかけて動かすと、思った通りそれは扉だった。分厚い扉なのか、ひどく重かった。幸いきしみをあげることもなくひと一人分の通り道ができた。ミクは壁の向こうへ入り、また渾身の力で重い扉を閉めた。
 静寂が訪れた。厚い扉が外の物音を遮っているようだった。見つからずに済んだ……ほっとしてミクは扉に寄りかかった。

娘は怖くなり、秘密の部屋へ逃げ込む
重たい扉を開けたらそこは

 秘密の部屋は暗かった。漏れてきた灯りは左右の壁に一つづつ設置されたろうそくだけだった。どきどきする胸を押さえながら、ミクはぼんやりしていた。
目が慣れてきた。
 なんだろう、この部屋、とミクは思った。窓がない。家具もほとんどない、と思ったとき、ベッドが整然と並んでいることに気づいた。
 ミクは、ふっと悪寒におそわれた。
「ベッドじゃない」
大きさはベッドとほとんど同じで立方体だが、布などはかかっていない。今まで無理に無視していた兆候にミクは気づかされた。臭いだった。空気の通わないかび臭さと、強烈な消臭剤の入り交じった嫌な……。
 よろよろとミクは一番近くの立方体へ近づいた。暗がりに慣れた目には、そのサイドにラインが走っていることがわかった。
「嫌よ……」
箱と蓋の継ぎ目だった。そして蓋の上には、見間違いようのないシンボル。
 さっとミクは身を翻した。
「ここ、お墓だ!」
もう一刻だってこんなとこにいられない。あの重たい扉に手をかけようとした瞬間、それは外側から開いた。
「あらあら」
「見てしまったね」
館の主人夫妻だった。もてなし好きのカップルは、捕食者の目をしていた。
「ジーザス、ジーザス!」
「デンジャー、デンジャー!」
無邪気に、そしてブラックに、からかうような声で双子人形が叫んだ。
「こわがらないで」
ルカが立ちふさがった。
 ミクは後ずさった。後ろには棺の山しかない。腰が一番近くの棺に触れ、あわてて振り返った。顔に風を感じた。空気が流れている。ミクは棺の間を走り出した。
「お客様?」
「どこへ行くのです」
執事とメイドが追ってくる気配があった。ミクはかまわず走った。墓所の反対側の壁には、やはりかすかな隙間があった。身体をぶつけるようにしてその扉を開け、ミクは逃げ出した。
「「「「「「「お待ちなさい」」」」」」」
後ろ手に扉を閉め切ると、ミクは必死で逃げ出した。