「大奥」感想

2010年10月現在既刊六巻までの感想です。とんぼの読み違い、見当違いなどありましたら御容赦ください。

 今年(2010年)の夏から秋にかけて、とんぼは主に江戸時代を扱った時代小説とその資料について調べていました。そんなときコミックス版の「大奥」(白泉社 よしながふみ 2005年)のことをサイトでちらっと書いたところ、立て続けに「おもしろいよ」と推薦してもらいました。

思い切って既刊(6巻まで)を全部買って読んでいたところ、たまたま読売新聞で記事になっているのを見つけました。今年(2010年)9月27日の夕刊で、尾崎未央さんという署名のある記事です。その記事からの引用です。

「確かに『美男3000人』の“逆転大奥”は一見ぎょっとするけれど、男が虐げられているわけではなく、病弱で少ないからエライ世界。女が家事も子育ても仕事もこなす状況は……あれ、私たち現代女性の置かれている状況そっくり?」

家事も子育ても~のくだりは、4巻47pのコマからの引用でしょう。たしかによしなが「大奥」は、男と女の立場を逆転させてその滑稽さを笑ったり下剋上っぷりに溜飲を下げたりしているのではなく、21世紀の日本の女の現在をフィクションの形で見せているように思います。

たとえば。
●年老いた親との関係はすっきり整理できないからもどかしく、いらだたしく、うしろめたい(桂昌院と綱吉)。
●プライドばかり高くて気のきかない、しかも逆切れしやすい男の部下を持つとほんとに苦労する(浅野と吉良)。
●仕事で忙しいときは亭主を甘やかす時間もない。でもちょっと悪いとは思ってる(家宣と御台、綱吉とお伝)。
●子供はマジかわいい。だから熱なんか出してくれるな。心配だし、仕事にも差し支える(家光と千代姫、綱吉と松姫)。
●どんな立場でも、やっぱり“求められる存在”でいたい。そのためにはテクニックを磨くこともいとわない(綱吉ほか)。

家事も仕事も子育てもパーフェクトを要求される……思い当たるところがいろいろあるので、これほど逆転世界の江戸の女たちに違和感がないのでしょうか。とんぼはかなり早く感情移入することができました。

が、上述の記事によると、作者自身は「ジェンダーを震撼させる作品を書いたつもりはない」とのこと。社会を書きたかったわけではない、だとしたら何を?記事によると「持病や古傷みたいなわだかまりを持ち生きる。それでもいいんだよって話」なのだそうです。

古典的なハッピーエンドカップルがほとんどいないのはそのテーマに沿っているからかもしれません。6巻まで登場した将軍は、家光、家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗まで。最後の吉宗はとにかく、すごく幸せな将軍がまずいない。

さて作者は特に家光、綱吉に焦点をあて、紙数を費やしています。

家光の恋は、「それは二羽の傷付き凍えた雛が互いに身を寄せ合うように始まった恋であった」(2巻ラスト)。2巻をほとんど全部使って作者は少女将軍の心の動きを見せてくれます。家光こと千恵姫の中の“女であるもの”は春日の局に捕えられいきなり髪を切られたときに始まって、名を奪われ、男装を強いられ、望まない妊娠の上の死産を経て、自らを「借り腹」=どんな精子でも受け入れざるを得ない一個の子宮と呼ぶほどに傷つけられていきます。

これに対してお万=有功は、やはり春日の局によって本来の自分のあり方を取りあげられた人間でした。春日への反発がこのふたりを引き寄せ、また葛藤もおこります。「御自分お一人が辛い思いをしているとお思いならそれは大間違いや!!」(2巻196p)とは、甘ったれるな、の意味でしょう。その言葉で彼女をつきはなしたことを有功は後悔しますが、彼がそのあとにとった行動にとんぼは目を見開かされました。

この哀れな将軍の肩に女の象徴であるかいどりをかけ、似合う、と言ってやる。傷ついた“女であるもの”が豪華な打ち掛けにくるまれ、癒される瞬間を、作者はしだいに変化する三つの表情と大きなコマ、そして一枚絵で描写してくれました。

家光が輝き始めるのは、有功を手に入れたあとからでしょう。意志を持たない子宮から責任を自覚した女将軍へと家光はかわっていきます。彼女は、というか史実の家光は、徳川(家康の孫)、織田(信長の妹、お市の孫)両系統の血を受け継いだサラブレッドです。したたかな為政者の顔を持ちながら、好きな人に嫌われはしないかと悩むあたり、家光は立派なツンデレです。

読者としては、少なくともとんぼとしては、このまま“ふたりはいつまでも幸せに暮らしました”ということにしてほしいのですが、作者はここでお褥すべりを投入します。これはもう「大奥」を名乗る以上、はずせないポイントでした。

こうして、うっかりするとギャグになりかねない逆転大奥の中で、厳しく哀しい恋が成立します。大奥では、将軍も大奥総取締も、公人なのです。つなぐ絆はともに滅ぶという約束だけ、忍耐の極致、ほとんど視線だけの恋でした。

さてよしなが大奥で四代家綱(千代)はお楽の方の娘、でよかったでしょうか。三代目がツンデレなら彼女はファザコンか?五代目綱吉の印象が激しいので、かなり割を食った将軍だと思います。

綱吉の話に行く前にひとつ。相棒が来て、うちの「大奥」一気読みしていきました。相棒いわく「出てくるいい男がみんなおんなじ顔してる」。そういうことを言うんじゃない。捨蔵(お楽の方)は有功=お万の方に似ているためにスカウトされたんだし、右衛門佐は桂晶院(玉栄)がぎょっとしたほど有功そっくりという設定なので、あたりまえなのです。それに対して驚くべきは、女たち、特に将軍たちの顔の個性ではないでしょうか。

先にあげた将軍たちは、みんなそれぞれの内面を反映した容貌を与えられています。上の記事のインタビューに寄れば、十五代慶喜まで描く予定とか。主役級のキャラを15人つくれと言われたら、とんぼのような駄文書きはうろたえるしかないのですが、きっとよしなが大奥はやってのけるだろうととんぼは信じております。

五代目綱吉。ツンデレ、ファザコンときて、彼女はファムファタール型と呼べばいいのか?正直類型として整理しきれない破格な将軍でした。家光が傷ついた小鳥なら、綱吉は閉じ込められた獣なのではないかと思います。彼女のすさまじい閉塞感が胸に迫ります。政治から遠ざけられ暖衣飽食の檻に閉じ込められて、仕事はただひとつ、世継ぎをつくること。その使命の前には初恋の男(阿久里)も閨でのプライバシーも一切考慮されません。どれだけ好き勝手をしても綱吉の目はうつろです。更年期を迎えた女なら、おまえの肉体は衰えた、と鏡が誰より冷酷に告げることでしょう。「私は結局(略)将軍として女として望まれたことは何ひとつできなかった」。老いた獣は、自嘲的にそうつぶやきます。

綱吉に対して右衛門佐は、最初“利口”な男として登場します。部屋子の秋本に対して「利口なだけの勝気な人間ならば私には必要ない。自分が二人いたとして何になる?」と本人が言っています。彼もある意味、ひどい閉塞感を味わった男でした。教養も能力も人格もまるで関係なく、容姿と生殖能力だけを求められ続けてきたのですから。右衛門佐は大奥総取締の座を射止め、その能力をフルに活用する場を得ることになります。まるで、実力のある女子が、大企業に部署を得て活躍するように。

家光有功組に比べて、綱吉右衛門佐の二人が解放されるには歳月が必要でした。老い衰え、若いころの意地をなくして初めて、二人は互いに惹かれあっていたことを認めあう。右衛門佐の名セリフから続く、“利口”をかなぐり捨てて少年に還ったような熱い告白に綱吉が初めて素直に応えるシーンは、本当に美しいと思います。

長文でだらだらと語ってきてしまいました。ここからあとは、6巻までで印象深かったコマについての駄文です。

◆吉保の顔 5巻26p。優れた知性を持った能臣が、右衛門佐に“どうやって取り入った”と詰め寄るシーンです。既刊の全巻を通じて一二の美女が、上段では怜悧な表情、下では突然、冷静さを保てなくなり嫉妬で醜く歪んだ顔をさらしています。めったに見せない顔で、そのあと右衛門佐がおぞけを振ったのも無理はありません。この顔があったからこそ、後年の綱吉殺しをとんぼは納得しました。

◆綱吉の解放 6巻66~67p。打ち掛けを桂晶院の手に残し、ふわりと抜け出た綱吉の立ち姿。がんじがらめにされた将軍がようやくもぎとった開放感を見事に表現していると思いました。その瞬間から右衛門佐の死を知るまでのごくわずかな解放でしたが。その哀しみの分、透明感のある美しい姿でした。

◆歌舞伎 4巻112p。江戸の庶民の娯楽、歌舞伎は逆転大奥世界でも健在のようです。役者が女、というのはおもしろかった。つまり、現実には男優が女形をつとめるのに対して、女が男役を演じるわけです。できれば「曽我兄弟」より、「鏡山旧錦絵」がみたいです。多賀家大奥の中老尾上が取締役の局岩藤に苛め殺され、尾上の召使お初が岩藤に仇討ちを実行する、というお話。中老、お局、部屋子、みんな男で演ったら、(現実には歌舞伎俳優は男性ばかりですが)凄惨な舞台になりそうな気がします。

◆久通ほか、忠臣たち 上で将軍たちは個性的な顔立ちをしていると書きましたが、ほかの女性たちもいろいろに描きわけられていると思いました。紀州藩主は聡明そうに、大岡越前は辣腕に描かれています。特筆すべきは忠臣たち。柳沢吉保、間部詮房、加納久通は主君に忠実な臣下たちですが、それぞれ見事に顔が違います。綱吉の影のような吉保、家宣を無邪気なまでに崇拝する詮房、吉宗を知りつくした久通。久通さんは、ある意味とんぼが一番注目しているキャラクターです。ただのしもぶくれではありません。1巻で大奥総取締を、駆け引きと腹芸でこなしてしまいました。↓のミステリで吉宗がホームズなら、彼女がワトソンだろうと思っているのですが。

◆ミステリーとしての「大奥」 よしなが「大奥」は、おもしろいことにミステリーの体裁を取っています。お祐筆村瀬の記した「没日録」を吉宗が読むことで、日本に何が起こったかを知っていくという趣向です。6巻までのところ赤面疱瘡という答えが出ているのですが、なぜかこのミステリーはまだ奥が深いと言う気がします。この病気は、鎖国日本だけにとどまっていたのでしょうか?もしや将軍に拝謁した南蛮人を通じて疫病が流出し、この架空世界はパンデミックに襲われ、16世紀以後、世界各地で男は減少しているのでは?逆転大奥はその背後に、逆転近世史を透けて見せるのです。ナポレオンも林則徐も女かもしれない。いや、黒船で“異国人”かつ“男”が訪れる方がショッキングでしょうか?

◆左京の母親 6巻151p。脇役だと思うのですが、近親相姦という狂気に駆られた顔に慄然としました。住職だろうが元武家だろうが、女の業は脈々とある。同じ近親でも、秋本(メガネキャラ)と妹の絹江の間にはどこか清らかな気配があります。「他の女とはもう誰とも子を作りたくなかった」という繊細でやや押しの弱い性格のためでしょうか。この秋本兄妹と“姪”の汀は、珍しいほどハッピーな結末となっていました。

◆新井白石 歌舞伎役者も能役者も女でしたが、学者も女でした。そう言う意味では、左京の母親(勝田玄白)のように僧侶も女でした。知的芸術的職業でも、女人禁制はもうないということなのでしょう。職人たちもおそらく女が席巻しているものと思われます。当然、料理人にも、というか料理人が女性たちですよね。「男の握った寿司なんざ、食えるかい!」という頑固なお姐さんがいるんでしょうか。

 

思いついたままに書き連ねてしまいました。これは感想ですので結論らしきものはありません。ちなみにとんぼは、六代家宣は名君型、七代家継は置いて八代吉宗は英雄型と仮に呼んでいます。幕末まで進行するのなら、女ばかりの新撰組も登場するんでしょうか。か、かっこいい。浪人も女性ばかりかもしれません。これから出るパートにも注目していこうと思います。最後になりましたが、とんぼに「大奥」を勧めてくださったみなさま、特にメールをくださった方、よい作品を紹介してくださいましてほんとにありがとうございました。

2010年10月 とんぼ