真珠白 6.第六話

 物見の兵が戻ってきたのは、数日後のことだった。春の館の小姓が、次々と伝令に走る。院内の各館では、朝から騒然となっていた。
「戦評定でございます!おのおの方、おいでくださりませ」
但馬はあわてて院内の御櫛笥殿へ飛んでいき、男性用の衣装を何種類も抱えて帰ってきた。
「ええもう、うちの若様がはじめてご一族の前にお目見えになるのですから、きちんとしていただかなくては」
犬夜叉はめんどうくさそうだった。
「いいよ、おれ。このままで」
「衣冠束帯とは申しません、が、もう少しましなお召し物を」
「かっこ見せに行くんじゃねえだろ?」
 但馬がはらはらと泣くのを尻目に、長い渡り廊下を、犬夜叉以下かごめ、弥勒、珊瑚たちは渡っていき、そして春の館の西の対で、小姓の案内を待つ殺生丸一行に出くわしたのだった。
 唐津以下、女房たちがつき従い、惚れ惚れと見上げている。それも無理はないと思えるほど、あでやかに美しい貴公子ぶりだった。白い毛皮に半ば覆われいかめしい胴鎧をつけているのは見慣れたスタイルだが、鎧下にまとうのはいつもの白絹の単衣ではなく、青みがかった紫の地に、流水と紅葉が絵羽になった、豪華な振袖だった。
 かごめたちが近づいていくと、秋の館の女房たちは、白い目を向けた。唐津が、例のせせら笑いを浮かべて、見下したように言った。
「犬夜叉さま、申し上げなくてもおわかりかと思っていましたが」
「なんか文句あんのかよ」
「大事なご一族の評定に、人間どもをお連れになることはかないますまい」
かごめたちはむっとした。
「あのアリとなら、あたしたちのほうが戦った経験があるわ!」
さげすむような目で唐津はつぶやいた。
「そのごひいきの小娘が勝手な口をたたかないようになさったほうがよろしい。一族とお館さまの前で恥をかくのは、犬夜叉様ですぞえ」
「てめえ」
弥勒がそっと犬夜叉の肩をたたいた。
「なんなら、おまえだけ評定へ出ますか?私たちは夏のお館で待っていますから」
「そんなん、ありかよ。おまえらが行かねえなら、おれもごめんだ」
珊瑚が肩をすくめた。
「熱くなってもしょうがないだろ?とにかく、アリとの戦いはやらなくちゃならないんだし。後から教えてくれればいいから」
かごめはしばらくためらったが、うなずいた。
「あたしも、いいわよ?人間がどんな風に思われてるか、わかっちゃったから」
「おれだって、半分人間だ。おめえらといっしょだからって、恥をかくなんて思ってねえ!」
 そのとき、殺生丸が動いた。左腰の太刀の柄に長い袂がふわりとかかる。毛皮、腰紐、そして鎧を結ぶ細紐の房がいっしょに揺れて優雅な立ち姿だった。
「行くぞ」
「ああ?」
殺生丸は向き直った。
「一族の評定に出るときの作法でもっとも難しいのは、着席の席次だ。私のあとについて歩け」
「誰が」
と犬夜叉が言いかけたのを、かごめがさえぎった。
「待って、殺生丸は、教えてくれようとしてるんじゃないの?」
「こいつがか?」
冷たい口調で殺生丸は言った。
「半妖であることを恥じぬというのなら、せめて胸を張って歩け!」
若様、と唐津たちが眉をひそめているが、殺生丸は気にも留めないようすだった。犬夜叉は目をぱちくりしていた。
「おめえ、ほんとに」
 春の館の小姓が案内に現れた。長髪を翻し殺生丸は先にたって歩き出した。
「父上がお待ちである。急げ。それから」
何か思いついたように、殺生丸はふりかえって言った。
「一族の集うところで私を呼ぶときは呼び捨てにすることは許さん。“兄上”だ。いいな」
「誰がてめえなんか」
「きさまが礼儀知らずだと思われれば、父上の恥だ。心しておけ」
「う~」
犬夜叉は、せっぱつまった表情だった。
「あ……あに……」
「“兄上”だ。そのていどのこともおぼえられんのか、きさまの頭は」
「うっせえな。あ……くそっ……あに……」
「きちんと言ってみろ!」
「あ……」
犬夜叉は、上目遣いに見上げるような顔をした。
「……兄者」
殺生丸は眉をあげたが、ふん、とつぶやくとまた歩き出した。
「ちくしょう~、おぼえてろよ?」 
犬夜叉たちが後を追った。

 春の館の寝殿には、一族の長老が戦評定のために集まっていた。今回の“アリ”討伐のために同行したのは、滝川殿、大江山殿という二大重鎮のほかに、やはり長老格の稲葉殿、有明殿という面々だった。
 広間中央の最上座にはもちろん、一族の長が座っている。白地に縹色の段染めの小袖と水浅黄の袴の上に、胴鎧と肩に届く手甲をまとう、戦闘服姿だった。
 4人の長老は、左右に二人づつ別れて向かい合わせにすわっている。全体でコの字の形だった。その後ろにそれぞれの家中の者が数名控えていた。
 斥候に出ていた者たちは、大きな絵図面をコの字の中央において、重大な報告をしていた。遠くないところに化けアリの巣があり、そこに女王アリが巣食っているらしい、という報告だった。
 しかも、その巣から、若い女王が巣立ちをしようとしている、古巣にいるのは、女王アリを産む太母アリであるらしい……
「ならば、その化けアリの太母を屠ればよい」
長老たちは色めきたった。
「あのアリども、いかがなものじゃ?」
「直に戦ったものはおるのか」
族長は、末席にいた栂ノ尾に声をかけた。
「そなたの見たことを述べてみよ」
栂ノ尾は頭を下げた。長老たちや家中の目が集中する。さすがに緊張した。
「それがし、甘く見まいて、不覚を取り申した。雑魚アリどもの、一匹や二匹ならばこの前足でどうにでもなりますが、あやつらは集団でまいります。ゆめゆめ、あなどってはなりませぬ」
滝川殿の御曹司たちが、唇をめくりあげてこちらを見ていた。
「たかが、アリに、聞き苦しいことだ」
栂ノ尾は声を張り上げた。
「あの体を覆う殻は異常に硬いのです!」
族長が割って入った。
「みなのもの、この評定に他の参加者を加えようと思う。知ってのとおり、異界からまいったわしの、成長したせがれどもが、あのアリどもと戦ったことがある」
そう言って、手をたたいた。
 まもなく先導の小姓が、やってきた一行を寝殿の中央から内部へ導いた。広間の真ん中を彼らはやってきた。
 先頭に立つ二人を見て、一族の者たちは感嘆の声をあげた。若様方だ、と栂ノ尾は思った。二人とも、物怖じもせずに広間の中央を進んでくる。
 突然、ざわ、と一族の者たちが騒いだ。犬夜叉の後ろからやってくるのは、人間たちだった。大江山殿の眉が釣りあがった。何か言いかけたとき、お館さまが機先を制した。
「ようまいられた」
まだ不服そうにしているものもいたが、とにかくこの一言で犬夜叉の連れの人間たちは、一族の客、という立場を得たのだった。栂ノ尾はほっと安堵の息をついた。
 殺生丸は、軽く会釈して、族長の右手の列の上座に向かった。着座する前に後ろから来た弟に、自分の向かい、族長の左手の列の上座へ座るように視線でうながした。
 成長したご兄弟が、父君の左右に控えるのを見るのは、栂ノ尾には何やら豪華で目覚しい気がした。法師と二人の娘は、犬夜叉様の後ろに座った。
「もともと、わしが結界ごとこの世界へやってきたのは、迷惑な穴を作る化けアリどもを滅するのが目的だった」
あらためて、お館さまはそう話し始めた。
「遠見にだした者たちが、アリどもの太母の住処を見つけたようだ。これより、討伐に向かう所存」
族長は、左右にいる息子たちを見回した。
「殺生丸、そなたならばどうする」
 栂ノ尾はちょっと意外に思った。お館さまが献策を求めることは、めったにない。今まで策を立てるのは、族長自身であることが多かったのだ。だが、殺生丸は即座に答えた。
「寄せ手をふたてに分けるべきかと存じます。群れを掃討するための軍勢と、それとは別に、ただまっすぐに太母にあたるべき小隊と」
お館さまは、小さく微笑んだ。
「そなた、どちらを引き受ける」
「太母を。私以外のものには、女王アリは切り裂けませぬ」
横から声がかかった。
「待てよ。おれにも、できる」
犬夜叉だった。
「このまえは、できなかったな」
「せっ……」
と言いかけて言葉を一度飲み込むと、犬夜叉は言いなおした。
「兄者にできるなら、おれにだってできる。修行したんだ!」
お館さまと上の若様は、意外そうな表情でじっと犬夜叉の顔を見た。
「なんだよ、ちゃんと言ったぞ、おれ!」
若者らしい熱心さで犬夜叉は言い募った。
「おれも行くぞ」
つい、と殺生丸は視線をそらせた。
「役立たずならば、置いていく」
「誰が!」
これこれ、とお館さまは言った。言葉よりも表情のほうが柔らかかった。息子たちのやり取りを面白がっているようだった。
「では、滝川、大江山、稲葉、有明、その家中とわしとで、アリの群れ全体を、一匹残らず屠る」
と彼は、こともなげに言った。
「おまえたちは、太母をしとめろ」
左右から返事が返った。
「承知」
「まかせろ」
長老の大江山が、咳払いをした。
「犬夜叉様まではよろしいとして、その後ろの……かたがたはどうなさるおつもりか」
一族の視線が、法師と二人の娘に集中した。いかにも足手まとい扱いという口ぶりに、少女の一人が、かっとなったようだった。
「あたしは、犬夜叉といっしょに行くわ!」
小娘が……すでに滝川の若いものなどが、吐き捨てている。そのとき、黒い衣に袈裟がけ姿の若い法師がにや、と笑った。
「失礼ですが、お歴々、あのアリの女王は、やられる間際に卵を産むということはご存知ですか?」
評定の間がざわめいた。
「なんと!それでは、きりがないではないか」
お館さまが声をかけた。
「法師殿。策がおありなら、ご披露願おう」
「いえ、策などいうものではありませんが、卵であれば破壊することも簡単なはず」
「他にも何かご存知のようだな?」
「知っていることなら、すべてお話いたしましょう。なあ、珊瑚」
すました顔で法師は言った。珊瑚と呼ばれた黒い服の娘が、あごに手を当てて口を添えた。
「そうそう、あいつらアリだけに、火がきらいだ、とかね」
また、一族がざわめいた。
「誰もそのことに気づかなかったのか?」
斥候役の者たちが、申し訳なさそうに首をすくめている。
「どうやら、立派な戦力のようだな」
お館さまが言った。
「犬夜叉、お連れとともに行くか」
「ああ。おれの仲間だ」
「よかろう。では、おまえたちと、それから殺生丸と。連絡役として、一族の中から誰かつけよう」
お館さまがそういったとたん、一族が静まり返った。
 栂ノ尾は一族の当惑を感じ取った。このご兄弟は異界から来たとはいえ、まぎれもなくお館さまの血筋。特に殺生丸様のほうは、後継者として名指しされている。だから、殺生丸様だけなら、一族としても喜んで従い、随従を勤めることができる。
 しかし、犬夜叉様、そして人間たちの加わる攻撃隊となると、話が違ってくる。早い話が、どうしても“沽券にかかわる“と思ってしまうのだった。
 長老たちはむっとした顔になり、家中のものは視線を避けてうつむいてしまった。
 栂ノ尾は心を決めた。
「僭越ながら」
一族の視線が、いっせいに突き刺さってきた。
「若様方には、どうかそれがしをお召しくださいますよう」