衣装設定用原稿#1”狩衣” 第二話

 召使の童女が一人、広間の片隅からじっと見詰めていた。色白の横顔に赤みがかった茶色の頭髪がかかっている。その中から、犬耳が見えていた。無表情な顔に似合わず、熱のこもったくちぶりで彼女はつぶやいた。
「見つけたわ、犬夜叉」

 播磨の大将は、自室で一人、涼を楽しんでいた。大広間とはまたちがう贅沢な部屋で、蔀戸をはね、御簾を巻き上げ、風をとりこむようにしてあった。
 蒔絵の脇息にもたれ、直衣を後ろに落とし、大将は単の着物を大きくはだけて、かわほり(大きな扇)であおいだ。
「誰かある。水を所望だ」
「はい」
小姓がくるくると走って、破璃の茶碗をもってきた。一息に干して大将は息をついた。
「酒の後は、これが甘露だな」
「お館様」
「なんだ?」
「大江山のお殿様がおみえですが」
「ほう。通せ」
ほどなく、大江山の殿と呼ばれた長老がやってきた。昼間と同じ、狩衣姿である。
「あの、こちらに太郎君はおいでになりませぬので」
「わし一人だ。いささか、食らい酔うた」
「実は、秋の御殿にお姿が見えませんのです」
「そりゃ、おまえ」
大将はひくっとつぶやいた。
「妻問いをしてもよいと言ったからな。好きな女のところへでも忍んでいるのだろうよ」
「お館様!」
大江山は目を吊り上げた。
「昨日までは野合でございましたからなんということもございませんが、今日からは太郎君の選ぶおなごは、そのまま正式な奥方となられるのですぞ。めったな娘ではなりますまい」
「そうか?わしは、あれの趣味を信用しているのだが」
「僭越ながら、太郎君にはわが家の姫を献上せんと思い、お姿を探しているのですが、お館中探しても、どこにもいらっしゃいませぬ」
「それであちこち、騒がしかったのか」
ふー、と酔いの回った顔で大将はつぶやいた。
 大江山は両手をついた。
「昼間の殺生丸様のお姿を拝見して、心に決め申した。ぜひとも、殺生丸様をいただきたい。大事な婿君として、たいせつにかしづきます」
時代はすでに平安の世を遠く過ぎていたが、この一族は通い婚の伝統をもち続けていた。
「あれは今日披露したばかりだぞ。愛息子をわしからさらっていく気か」
「めっそうもない」
大将はくすくすと笑った。
「当分、あれの好きにさせておくことだな」
「しかし」
大江山は言いかけたが、族長の言葉は絶対だった。
「失礼致しました」
すごすごと退出していく。
 その姿を見送って、大将は軽く目を閉じた。この館は、彼の作り出した結界の中にある。どこにだれがいるのかくらいは、簡単に探り当てることができた。
「ほう……大騒ぎだ。じじぃどもが殺生丸を探しまわっておるわ。いずれも娘を押し付けようと……あれの嫌がる顔が目に見えるな。ん?」
くすくすと大将は笑った。
「なんと!そこへ隠れたか。名案だ、殺生丸……」

 広大なこの“院”のなかで亡くなった十六夜姫に与えられていたのは、あまり犬妖たちが近寄らない奥まった一角、冬の館の西の対だった。そこで勤めているのは、半妖の女房たちが多い。だが、彼女たちは、おされ気味だった。
「但馬様、お助けを」
但馬と呼ばれた高位の女房は、袿のすそをきりりと持ち、後ろに配下の半妖たちをかばった。
「何事でございますか!」
但馬は相手をねめつけた。
「北の対の女房衆ならば、西の対に勝手に踏み込んでよいとお思いか!」
但馬の唇がめくれ、犬歯がそろそろと現れていた。ふん、と北の対の女房の一人がつぶやいた。
「だれがすき好んで半妖殿へ足を踏み入れたいものか。用があるからまいったまで。そこをおどき」
そこは、冬の館へ通じる中門廊の上だった。女房たちは、ほとんど力づくでもみあった。
「どかれませぬ。西の対の主は、今は犬夜叉様でいらっしゃる。主の承諾なしには、どなたもお通しできませぬ」
「但馬」
押しかけてきた女たちの中で、最も位の高いらしい女房が前へ出てきた。
「あの半妖の肩を持つかえ。おまえは真妖であろうに」
但馬の顔に、さっと朱がさした。
「関係のないことでございます。お帰りください、北の対の唐津様」
唐津と呼ばれた女房は、冷たい目で但馬を見下ろした。
「帰られぬ。われらは今、殺生丸様をお探ししている。もしやと思うたが、西の対へお渡りではないのか」
「存じませぬ」
「まことか」
「唐津様の大事な大事な若様が、なに用あって、この対の屋へおみ足を踏み入れましょう」
 そのとき、西の対の長大な庇の間に、長髪の若者が出てきた。
「うるさいと思ったら、唐津の婆ぁか」
西の対の主、犬夜叉だった。
「うちのおふくろいびり殺しやがったくせに、てめぇ、よくここへ顔出しできるな。とっとと帰れ」
妻戸にもたれ、犬夜叉は腕をくんだままそう言い放った。
 唐津は、ぎりと歯を噛みしめた。
「殺生丸様はこちらへお見えではありませぬか」
はっ、と犬夜叉は喉をそらせて笑った。
「女のとこにでもいったんだろ?あんな見てくれでも、男だからな、いちおう」
北の対の女房たちがざわめいた。
「なんと無礼な」
唐津は女房たちを手で制した。
「若様はどこのおなごのところへ通っておられるか、ご存知か」
「おれがぁ?」
あはは、と犬夜叉は笑った。
「そんなに仲がよく見えるのかよ、おれたちが?女ができたからって、打ち明け話をしあうような間柄じゃないんだよ、あいにくとな!」
ふ、と唐津はつぶやいた。
「それは承知しておりますが」
彼女の口調には、殺生丸様が、おまえごときと、という侮りが漂っていた。
「昼の宴のあと、ごいっしょに御前を下がってこられましたな。あのあと殺生丸様はどちらへいかれましたか」
「秋の館のほうへ歩いていったぜ?いつものように」
秋の館は春の館の隣にあり、その北の対が、殺生丸のなくなった母の住まいだったところである。
「そうですか」
「さあ、帰れ帰れ。おれは眠いんだ」
まだじろじろと唐津は見ていた。
「それとも何か、やつのにおいがするか、ここから?」
「いえ」
「じゃ、いねぇんだよ。決まりだ!」
唐津は一瞬凄い形相になったが、同輩の女房たちを促して出て行った。

 犬夜叉は、自分の寝室へ戻ってきた。四方を塗り込めにした部屋で、机帳と文机、褥がおいてある。
「唐津の婆ぁ、わりとカンがいいな。こんなとこまで探しに来るなんてよ。あいつら帰ったぞ、殺生丸」
机帳の中には、端然と殺生丸が座っていた。長い袂の単に袴だけだった。
「昼間はうるさかったくせに、おまえ、上着をどこへやったんだ」
「脱いだ。邪魔だった」
犬夜叉はその向かいにすわりこんだ。
「どうでもいいけどな。さっさと出ていけよ。てめぇをかくまう義理はないからな」
「うるさい」
「おめえは都合が悪いと、すぐそれだよな」
「とっとと寝てしまえ」
「寝首を掻くなよ?」
「くだらん」
「だんだん腹がたってきた。唐津婆を呼び戻して、ここにいるぞって言いつけてやろうか」
机帳がふわりと動いた、と見えたときは、殺生丸の爪が喉にかかっていた。
「ちくしょう」
ささやくように犬夜叉は言った。
「まだ言うか。あまりうるさいと、本気で黙らせるぞ。においのことがなかったら、わたしがきさまのところで夜を明かす必要はないのだ」
殺生丸は、愁眉をかすかに開いた。
「匂いということなら、死体でもいい」
「真剣な口調で言うな。わかったよ。黙ってる」
鋭い爪が、やっとのど元を離れた。
「けど、おまえと似た匂いのそばに隠れるっていうんなら、いっそ、親父のところへ行けよ」
「こんな醜態を父上にお見せできるか」
にやと、犬夜叉は笑った。
「ああ、醜態だよなぁ。女どもから逃げ回るなんてよ」
殺生丸は、ばき、と音をたてて右手をかざした。
「おっと!」
鋭い軌道を描いて飛んでくる爪を、犬夜叉はかわした。
 そのときだった。悲鳴が上がった。
「おまえ」
部屋の入り口に、半妖の童女が立っていた。
「危ない!」
犬夜叉の腕が童女をひっさらった。彼女のいた場所を殺生丸の爪が正確にえぐっていた。
「やつあたりすんな!」
ちっ、と殺生丸はつぶやいて、爪を収めた。
「おまえ、けがはないか?」
召使の少女はうなずいた。茶髪の間に犬耳が見えていた。
「あれ、おまえ、うちの対の子か?見覚えねえが」
殺生丸が立ち上がった。
「それどころか。その娘、妖気もない。何者だ?」
え、と言って犬夜叉は茶髪の童女を見直した。
「クグツ」
と童女は言った。
「このからだは、クグツです。本当のあたしは、遠いところにいるんだけど、どうしてもあなたに会わなけりゃならなかったの」
「誰だ、おめえ」
無表情な顔つきの童女は、熱のこもったくちぶりで訴えた。
「あたし、かごめ。かごめよ、犬夜叉」

 塗りごめの部屋は、独立した一室で盗み聞きの心配はなかった。それでも犬夜叉は、入り口の戸を締め切った。
「かごめ、って言ったな」
クグツの少女はうなずいた。
「でも、あなたには、何の意味もない名前なんでしょうね」
「ああ。悪いけど」
「こっちの世界の犬夜叉はあたしの……友達なの。犬夜叉は、死にそうなのよ。お願いだから助けて?ここの世界では、他に頼れる人がいないの」
「死にそうって、おれがか?何があったんだ?」
「そのまえに」
と殺生丸が言った。
「おまえの身元を明かせ。犬夜叉、あたまからこいつの話を鵜呑みにするな」
犬夜叉は肩をすくめた。
「だってさ。うるさいやつがいるんで、そっちのことを話してみてくれねえか?」
「やってみるわ。こっちはそちらと違う世界よ。パラレルワールドって言っても、通じないか。要するにちょっとだけ条件の違う、“ありえたかもしれない世界”だと思ってちょうだい」
クグツは息を大きく吸い込んだ。
「こっちの世界では、あなたたちのお父さんは200年前に亡くなったの」
な、と殺生丸がつぶやいた。
「誰が殺した」
「詳しくは知らないわ。ただ、そのあと、大混乱だったみたい」
「当然だ」
「あの、ちょっと説明難しいんで、法師様、代わってよ」
突然、クグツの声が変わった。
「いいですよ」
若い男の声だった。
「おまえは?」
「弥勒、と申します」
「おまえも、人間だよな。ええと、そっちのおれの、友達ってやつか?」
「そういうことにしておきましょう。犬夜叉、もしおまえが幼少のころ、お父上が亡くなったとしたら、どうなったと思います?」
「真っ先に、追い出されただろうよ、おれと、おふくろは」
感情を交えずに殺生丸が言った。
「一族の慣わしだからな」
「そして慣わしに従えば兄上殿、あなたが新しい長になっているはずですね?」
「そうだ」
「ですが、昼間の宴を拝見していたのですが、あなたを長としていただくことに不服を抱く者もいるようでした。そういうみなさんは、そのときどうなさる?」
「考えうる手段はひとつ。家督争いか」
「はい。そして、あなたと長の地位を争うことができるのは」
殺生丸はまっすぐに犬夜叉を見た。
「おまえか」
「おれ?」
「そうです」
と弥勒は言った。
「詳しい事情はわかりませんが、推測を総合すると、こうなります。一族の誰かが、まだ幼い犬夜叉を名目上の盟主として、兄上殿に刃向かった。だが、一敗地にまみれた。当然、犬夜叉は断罪される。まだ子供の犬夜叉にとって、それは青天の霹靂です。今まで兄と信じていた人が、いきなり自分を捕らえに来るのですから」
「それでは」
と殺生丸はつぶやいた。
「わたしは、犬夜叉を殺さなくてはならない」
クグツはうなずいた。
「人間でもそうですが、一族の長に反旗を翻した者を生かしておいては、長の地位を保つことができません。あなたは反逆者を殺す義務を負った。ところがどうしたことか、犬夜叉は殺される前に脱出した。あなたはすぐに後を追った」
弥勒は一度息を継いだ。
「もしかしたら、それは策略だったかもしれません。一族の長老が“長の義務なのだから、犬夜叉を殺すまでは館へ帰るな”とでも言ったのでしょう。こうして、あなた方兄弟は、西国をはなれ、遠くあずまの地を放浪することになる。二人ともお互いが自分を裏切ったと思いながら」
「おれたちが、戦うのか」
犬夜叉は、殺生丸のほうへ視線を走らせた。
「どっちか、死ぬな」
「きさまに決まっている」
傲然と殺生丸は言い放った。
「体力、妖力、剣技、すばやさ、そのすべてにおい、わたしが上回っている。どうやって負けるのだ。それほど器用ではないぞ」
犬夜叉は肩を落とした。
「はっきり、言いやがる」
「では、兄上殿、もし犬夜叉が、鉄砕牙を手にしていたら、どうなります」
殺生丸は、一度目を見開いた。
「それほど結果は、変わるものではない。長射程攻撃(風の傷)が可能だとしても、当たらなければ意味がないのだから」
「もうひとつ、犬夜叉は風を読むことができると、あなたが知らなかった、あるいは侮ったとすれば」
殺生丸はしばらく沈黙していた。
「その状態で、もし、わたしが不用意に間合いに踏み込んだとしたら」
「おれが勝つ。そうだろっ?」
うれしそうに犬夜叉が言った。険のある目で弟を見据えて殺生丸が答えた。
「だとすれば、犬夜叉、そのときに確実にわたしを殺して、とどめを刺せ。おまえに与えられた唯一の機会だ。二度目はない」
犬夜叉は、けっ、とつぶやいた。
「おい、弥勒、おまえさっきから、“だとすれば”ばっかりだが、それ、本当にあったことなんだろ?結果はどうなったんだ?」
弥勒は咳払いをした。
「はい、本当にあったことです、こちらではね」
「じゃあ、なんで死にそうなのがおれなんだよ。殺生丸じゃないのか」
突然、かごめの声が割り込んだ。
「そのとき犬夜叉は、とどめをささなかったのよ」
「えっ?」
「非常識な」
犬夜叉はあっけに取られ、殺生丸は眉をひそめた。
「ねえ犬夜叉、あたし、あなたが、始めてあったときの犬夜叉と同じなのかと思ってたの。あなたには、わかる?どうしてとどめをささなかったのか」
犬夜叉は、黙っていた。
「ねえ」
「わかる、かもしんねぇ。ちょっとだけ」
「ほう、言ってみろ」
殺生丸は不思議そうだった。
「なぜだ?」
「なんでもいいだろ?」
「聞かなくてはわからん」
「うるせえな。恥ずかしくって言えるかよ」
くすくすと少女の笑い声がした。
「ああ、ほんとに犬夜叉なのね。何が違うのかな。お父さんがいたから?ひねくれ方が全然ちがうわ。かわいがって育てられたのね」
「そんなこた、どうでもいいだろ?」
「わかったわ。手短に話すから、聞いて」
「わたしはまだ、おまえを信用したとは言っていないぞ」
クグツは、無表情な顔を殺生丸に向けた。
「じゃ、あなたのことを話すわ、殺生丸。死にかけているのは、あなたも同じよ」
「なんだと」
「妖力がどんどん失われているみたい。もう人の形をとっていられなくなってるわ。凄く大きな白い犬だったんだけど、どんどん小さくなって、今は仔犬のサイズかしら。目を閉じたままで、意識がないみたい。脈が弱いの。体温も落ちてるわ」
「どうして、そんなことになったのだ」
クグツは黙っていた。弥勒の声が答えた。
「言っても信じてもらえないと思うのですが、ある人間の命を救うために、あなたは身代わりになったようです」
殺生丸も、犬夜叉も、何も言わなかった。
「あの、もしもし?」
「弥勒って言ったか?それ、本当に殺生丸か?人違いじゃねえのか?」
「ま、もう少し聞いてください。まず、その人間が生命の危機に陥って、その子を助けるために兄上殿が罠にかかって、その兄上の意識を呼び戻すために犬夜叉、おまえが」
「やっぱ、人違いだ」
「話を聞けと言ったろうが!」
いらついた口調で弥勒が言った。
「逆にいえば、りんが起きれば、あの子の意識をたどって他の二人も起すことができるらしいのです。が、りんも今は眠らされています」
「りんとは、何者だ?」
「子供です。そもそものことの始まりになった、人間の女の子です」
クグツの声がまたかごめにもどった。
「犬夜叉、そっちの世界にいるはずのりんちゃんを探してくれない?聞きたいことがあるの。あの子じゃないとわからないことなのよ」
「名前だけか、手がかりは?」
「今は1500、じゃなかった、享禄三年の卯月十日だと思うんだけど、ちがう?もしそうなら、明日、江口の里の神崎の渡しに人買い舟が着くの。武蔵の国から買われてきた、りん、て言う名前の10歳くらいの女の子がいるわ。その子を助け出して」  

未完