ダークネイション物語 3.第三話

 神羅モータースの誇る最新モデルは、神羅本社ビルの地下駐車場を出発した。順番待ちなどない。メタリックシルバーのボディはすべるように高速道路を走り出した。副社長ルーファウス・神羅が外出するのだった。
 広い後部シートで足を組み、副社長は会社からもってきたファイルを広げ、書類に書き込みをしていた。隣にツォンが座り、足元では、DNがうずくまっている。
 なめらかなハンドルさばきは乗客に車に乗っていることを忘れさせるほどだった。運転手は本社総務部車輌課のベテランだった。いつもなら目的地に着くまで忘れていられるのだが、今日に限ってひっかかった。
「どうした?」
「事故のようです」
運転手は振り向いた。
「申し訳ありません、ルーファウスさま。少々遅れるかもしれません」
DNは窓に鼻面をおしつけた。事故の処理らしく、パイロンで立ち入り禁止になった場所が路上にあり、すぐそばで警備員らしい制服の人間が手を振って停まるように合図していた。運転手はゆっくり車の速度を落とした。
 そのとき、ツォンが叫んだ。
「だめだ、停まるなっ」
銃声が響いた。その一発が運転手の頭部を打ち抜き、運転席に真紅の飛沫が飛び散った。運転手の体の下でクラクションが悲鳴のように長く響く。車は制御を失ってフェンスに頭からつっこんだ。
「頭を下げていてください、ルーファウス様」
くそ、とルーファウスはつぶやいた。
「誘拐なんて、何年ぶりだ!助かりそうか?」
「車を囲んでいる人数によります」
そう言ってふところのホルダーから銃を抜き、ドアの片方に向けて構えた。
「反対側のドアは、お願いします」
「来い、DN!」
荒々しくルーファウスはささやいた。DNは主人を隠すようにその体の上に乗り上げた。同時に自分たちの周囲にバリアを展開する。四肢を緊張させ、前足の爪を肉球から剥き出し、襲撃者が車のドアを開けるのを待ち構えた。

 白昼堂々の犯行声明が、神羅本社ビルを揺るがした。
「申し訳、ありません……」
髯面を蒼白にして、ハイデッカーが言った。
「ミッドガル市内で、誘拐の暴挙に出るとは思っておりませんで」
プレジデント・神羅は、じろりとその顔をにらみつけた。
「責任の問題は、あとでじっくりと追及してくれる!」
ハイデッカーは首をすくめた。
「それで?結局、ルーファウスは今、どこにいるのだ?」
社長室に集まった神羅幹部の面々は、顔を見合わせた。リーブが口を引き結んで話し出した。
「われわれが確認したことは、以下の通りです。まず、首都高速で、副社長のお車が発見されました。運転席には運転手の射殺死体があり、車の周りには五名の未知の人物の死体が発見されましたが、副社長ご自身は、そして同行していたはずのツォンも、行方不明です」
「その未知の、というのは?」
「反神羅組織のメンバーであることは確認されました。犯行声明を出したグループに所属しています」
「そいつらは、ツォンが殺ったのか」
「死体のうち三つは銃創ですので、おそらく。残りの死体は、首筋を切断されていました」
凄絶な現場写真にちらりと目をやって、リーブは身震いした。
「それを見せてくれないかね、リーブ君」
目をきらきらさせて宝条が言った。リーブは血まみれの死体写真を手渡した。
「おお。まちがいないね。これは大型の動物に首を食いちぎられた跡だ」
うれしそうだった。リーブは辟易した。
「大型の動物だったら、何なんですか?」
「我が科学部門の作品、ダークネイションは、成功だったということさ。ちゃんと副社長を守ったらしいな」
プレジデントが早口に聞いた。
「本当か?」
「守れなかったのなら、現場のどこかに副社長かダークネイションの死体がなくてはならない。ちがいますか?」
息子を誘拐された父親に、面と向かってそれを言うか、とリーブは思ったが、黙って我慢した。宝条がもたらした情報は、結局かなりの朗報だった。
「社長、宝条の言うとおりかもしれません」
リーブは言った。
「この誘拐事件には、奇妙な点があります。犯行声明ではルーファウス・神羅を誘拐したと言っているのですが、身代金ほかを要求していません」
「どういうことだ?」
「彼らのアジトのひとつはわかっているので治安維持部門が調査したところ、動きがおかしいそうです。たぶん、連中は、まだルーファウス様を捕らえていないものを思われます」
「なんだと?」
「車を襲ったものの、ルーファウス様は襲撃者の手を逃れて、どこかに潜んでおいでだと思われます」
「それなら、なぜツォンがつれて帰ってこないのだ」
「両名、あるいはどちらかが負傷して隠れ場所から動けないのかもしれません」
プレジデントはじっと考え込んでいた。リーブたちは黙って彼の決断を待った。
「よし」
とプレジデントは言った。
「これは、時間の勝負だ。どちらが早く息子を見つけるかで、勝ち負けが決る。ソルジャーを動かせ。向こうより先にルーファウスを見つけ出すんだ」

 神羅ソルジャー訓練所はちょっとした興奮状態だった。上級生が現役のソルジャーから実技指導を受けるという、訓練所の名物講座があったからだった。
 1stクラスのソルジャーたちは、順番にその講座の教官をつとめることになっていた。生々しい実技指導は、訓練生たちの恐怖の的であり、同時に本物のソルジャーへの入り口でもある。ただでさえ興奮するというのに、その日、教室に現れた教官を見て、訓練生たちはどよめいた。
「おはよう、諸君」
訓練生たちは、つばを飲み込んで言った。
「おはようございます、閣下(サー)」
“憧れ”が目の前に、神羅軍共通の士官服を着て立っている。スタンドカラー右横掛けの黒い軍服には、縁に沿って渋いメタリックなパイピングが施され、同じ色調のスナップが輝いていた。胸の左側には、黒い正方形の上に、90度ずらせて赤い正方形重ねたシンプルな記章があった。中央の文字が金色なのは、神羅軍特殊部隊、ソルジャー・サービスの所属を示していた。
 セフィロスは、後輩たちのうえに視線を滑らせた。
「講座への参加を感謝する。本講座のテーマは、対ウータイ戦で得られた最新の知見をもとに、都市戦のセオリーへ加えられた更新部分を実際に体験することだ。午前中は理論を、午後はミッドガル市内において、応用と実戦を試みる」
 訓練生がうっとりと教官に見とれていられたのは、講義開始五分までだった。セフィロスは予習をしてこない学生にはきわめて厳しい教官であることを実証してみせた。
「このような展開になった場合、後方からの支援なしで突破しなくてはならない。この場合に取りうる戦略は?最も重要なマテリアは?指揮官である自分自身と部下たちのために選ぶ最適な武器、防具、アクセサリは?」
訓練生の一人が真っ赤になって口ごもった。
「何を聞いていた!勉強しなおしてこい」
がっくりと訓練生は肩を落とした。
「おれ、もう、終わった……」
恐怖の理論編が終わると、地獄の実戦編が待っていた。訓練生たちは戦闘装束に着替え、武器を携えて訓練所の入り口に集合した。教官が現れた。
「地獄でもどこでもいきます、おれ」
誰かがつぶやく。
「やっぱりセフィロスさんは、あのほうがいい」
長い銀髪と、黒いロングコートのすそが優雅に翻り、美しい英雄が彼らの元に舞い降りてこようとしていた。
「お待ちください、サー」
セフィロスは振り向いた。本社の社員の一人が、あわてて走ってくる。
「プレジデントが、おいでいただきたいそうです」
セフィロスは眉をしかめた。
「何かあったのか」
「さあ、自分には……ただ、さきほどから、ミッドガル市内は、神羅軍が戒厳令をしいておりまして」
セフィロスの目が、かすかに細められた。
「わかった。行こう」