黒い服の男 1.第一話

 漆黒のモニターに数字と記号交じりのアルファベットが現れた。のぞきこむ社員の顔には、濃い疲労がにじんでいる。夜間のコンピュータールームの窓の外はミッドガルの夜景だが、社員の目はモニターにくぎづけになっていた。
一行。また、一行。
「殺しにはちがいないが……」
そうつぶやいた社員は、ふと、違和感を感じた。経験から来る直感にしたがっていくつか操作を加える。いきなり最後の一行が反転し、見る間にメッセージを形作った。ゆっくりしたスクロールが始まる。読んでいた社員の顔が、見る見るうちに青くなっていった。

 ルーファウス・神羅は、会議室に一歩入って、立ち止まった。昼間とは、雰囲気が違う。父が、目で座れ、と合図した。
 ルーファウスは、贅沢な椅子のひとつに腰掛けて、会議室に集まったメンツを見回した。神羅各部門の長が、雁首そろえて何の相談をしていたものか。長いテーブルには、プリントアウトが載っていた。
 リーブは青ざめている。スカーレットはいらいらしている。パルマーはきょろきょろしている。ハイデッカーは冷や汗を流し、父、プレジデント・神羅は憮然としていた。一人、宝条だけが、にやにやしていた。
「やあ、副社長。お早いおいでだ」
「何があったんだ、宝条……博士」
宝条は、くすくすといやな笑い方をした。
「先日のワーム事件を、覚えておいでだろう。あれの解析が終了した。一番最後に、お茶目なメッセージがついていたそうだ」
どんな、と聞こうとして、ルーファウスは父の顔を見た。そもそも解析は、ワームの中にプレジデント・神羅個人を特定して殺すような指示があったかどうかを調べるのが目的ではなかったか。
 プレジデントは、なんとも言いがたい表情をしていた。
「あのワームは、神羅一族の息の根をとめるような指示がしてあった」
ルーファウスは、思わず父の目を見つめなおした。
「私も標的だったのですか」
「そうだ」
宝条が笑った。
「だいぶ、恨みを買ってますからな!」
プレジデントは、じろ、と宝条をにらみつけた。
「動機は、怨恨ではない。ルーファウス、これは金銭目当ての犯罪だ。ワームを解析してみると、最後に私あてのメッセージが出てきたそうだ。同じような事態になることを避けたいなら、指定の口座に大金を振り込むよう、指示がしてあった」
「まさか、従うおつもりではないでしょうな」
と、ハイデッカーが言った。
「このタイプの要求には、きりがありませんぞ」
「無論、要求に応じるつもりはない。相手を特定して、こちらからつぶしにかかるつもりだ」
「賛成です」
とルーファウスは言った。
「なめられるわけにはいきませんから。このあいだのように、ソルジャーを動かしましょう」
リーブが口を挟んだ。
「それが」
「どうした?」
「メッセージには続きがあったのです」
リーブは、テーブルの上のプリントアウトをとってルーファウスに渡した。
プリントアウトの上半分は意味の取れない文字、数字、記号の羅列だった。が、下半分に、ゴシックでメッセージが印刷されていた。
「『もし、軍事力を頼みにして、こちらの要求に応じない場合、われわれも思い切った手段を取らざるをえない。ソルジャーのシンボル、セフィロスを、神羅カンパニーから取り上げる』」
そこまで読んで、ルーファウスは顔を上げた。
「どこの誇大妄想がこんなものをよこしたんです?」
舌なめずりをして宝条が言った。
「問題は、そのあと、あと!」
どうしてこいつはこううれしそうなのだろう。ひとつにらみつけてから、ルーファウスはプリントアウトに視線を落とした。
「『われわれはセフィロス自身さえ知らない、彼の秘密を知っている。それを教えるだけで、彼は、カンパニーから離反するはずだ』……どういう意味です?」
「さあねえ?」
宝条はうれしそうだった。
「とにかく」
ハイデッカーがさえぎった。
「セフィロスは、すでに一個人ではありません。純粋な“力“であり、いまや神羅のシンボルです。社長、セフィロスを取られたりしたら、やっかいなことになりますよ」
「恐喝犯人のほうは、手を打ってあるのかね」
「指定された口座とワームのリリース元から調べさせています。その間、犯人からの秘密暴露を防ぐことに専念します」
「具体的には?」
「市内で盗聴と、郵便物の検閲を強化しましょう。市内のネット、社内LANも対象です。すべてのマスメディアは、そもそも神羅の息がかかっています。この恐喝犯が彼にメッセージを伝えるためには彼に接近する以外、手はありません。そこで」
ハイデッカーはひといきついた。
「監視をつけるべきです。いや、セフィロス自身が自分が監視されていると知ってはならない。ですから、護衛という名目で監視します」
ルーファウスは耳を疑った。
「ウソくさいな。ソルジャー・1st・セフィロスを、誰が護衛するって?」
プレジデント以下幹部たちは、そろってルーファウスの顔を見た。
「総務部の、あの連中以外、どの部署にまかせられるというんだ?」

 かちりと音がして、エアコンのスイッチが入った。
 タイマーが次々と室内を目覚めさせていく。
 自動的に遮光カーテンが窓枠へと引かれ、室内が明るくなった。コーヒーメイカーが起動する。よい匂いが漂ってきた。隣の部屋では、TVがオンになった。
「グッドモーニング、ミッドガル!今、7時をまわったところです。本日の最高気温は24度。終日曇りですが、湿度は低いので過ごしやすい一日となるでしょう……」
大きなベッドの上で、部屋の主が身じろぎした。
「ん……」
小さくつぶやいて、セフィロスは、寝台に手をつき、ゆっくりと体を起こした。頭を軽く振ってまとわり付く長髪を左右に払う。片膝を立てて座った姿勢になり、片手を口元にあて、ちいさなあくびをもらした。
 少し前に起きたワーム事件のために、セフィロスはミッドガルへ召喚され、足止めをくっていた。現場検証やら、調書作成やらで、前線に戻るのが遅れていた。コンピューターシステムはあらかた回復しているが、事件の後始末のほうが長かった。今、ジュノンでの仕事は、別の者が代理でやっている。
 セフィロスはしかたなくミッドガル市内にある、自宅で待機しているのだった。
この家の実際の持ち主は、カンパニーだった。社宅なのだが、市内でも指折りの高級マンションである。いつだったか、功績をあげたとき、報奨金とともに与えられたものだった。
 もっとも、めったにこの家に寝泊りすることはなかったのだが。セフィロスにとって、“家”というのは、本社のサンプル室か兵士用宿舎のことだった。
 眠気を振り払ってベッドから立ち上がり、下着一枚のかっこうでシャワー室へ向かった。顔をわざわざシャワーヘッドのほうへ向けて、頭から湯を浴びる。子供の頃からの習慣だった。目を閉じて湯がまぶたにあたるのを感じた。ゆっくりと目を開く。彼を知る者すべてが褒め称えてやまない、ソルジャー・グリーンの瞳が、あらわになった。
「ふん……」
流麗な銀の髪を乱暴にタオルでしごきながら、彼はキッチンへ向かった。愛用のカップにたっぷりとブラックをそそぎ、一口飲み込んだ。すばらしい芳香が口の中に広がっていった。
「交通情報を申し上げます。首都高速はトラックの過積載事故のために渋滞が発生しています。プレート上は風が強く……」
マンションは高層建築で家はその上のほうにあった。視界の下三分の一は巨大都市、上はいつものように魔晄炉の吐き出す煙が漂う、鉛色の大空だった。
 この日常は、なんなんだろう、と思う。こんなふうにここにいると、おれは普通の人間みたいじゃないか?
 ふ、と神羅の英雄と呼ばれる男は笑みをもらした。
 先日採用した副官、ザックスが、そんなことを言ったのだった。
「たしかに見てくれは変わっているが、おまえは普通の人間だよ」
おれを慰めるなんて、何様のつもりだ、と、そのときは言い返した。
 ずっと自分は特別だ、と思ってきた。だがもしかしたら、ザックスの言うように、実はおれは、“普通”なんじゃなかろうか。
 現に、れっきとしたカンパニーの社員、宮仕えの身。本当の親を知らないで育つ子供は多いし、ちょっとばかり人より戦闘能力が高い人間もけっこういる。ソルジャーがそうだ。自分の誕生日がいつなのかよくわからなくて、巨大企業の実験室で長年モルモットをやった子供というのは……もしかしたら、案外あちこちにいるのかもしれない、おれが知らないだけで。
 セフィロスはカップをキッチンテーブルに置いた。大きな一枚硝子に、自分の姿が映る。本当に自分を平凡な人間だなどと信じるほど愚かではないが、“普通であること”は、自分にとって一種の贅沢だった。
「たまには贅沢もいい」
ワードローブを開き、白いシャツを取り出した。勢いよく袖を通す。ネクタイを選ぶ、というのも、新鮮な経験だった。ズボンのベルトを締め、上着を手に取ったとき、眼下の大都市が視界の隅に入った。
 グッドモーニング、ミッドガル。
「何か忘れているような気がする」
しばらく考えて、セフィロスは小さく手をたたいた。
「今日は、生ゴミの日だ」

 神羅カンパニーはいろいろな部門にわかれているが、その部署はほかから独立した組織だった。主任のツォンは、業務を直接社長か副社長から受け、報告も直かに上げている。
 足音をあまりたてず、陰のように副社長室から出て行くツォンを、秘書たちは会釈して見送った。
 いつも、黒ね、あの人。そんな声が背後から聞こえる。
 ツォンは苦笑いをした。必要のあるときはほかの服も着るが、黒の上下、黒ネクタイの制服以外に、彼と部下たちの業務にふさわしい衣装があるだろうか?彼ら、神羅カンパニーの裏工作を担当する、タークスに。
 後ろ暗い、暴力的な仕事を担当する彼らは、人格も個性も不要の、カンパニーの影だった。黒い服は、“そこに存在しない”という記号に等しい。工作員は可能な限り地味に、目立たずにいることが望ましい……例外もいるが。ツォンはレノを思い出してためいきをついた。
 総務部の奥にあるタークス本部では、ルードとレノが待っていた。レノはあくびまじりに主任を迎えた。
「こんな早くから、何事だ?」
ルードが苦笑いした。れっきとした定時なのだった。レノは遅刻が多く、重役出勤状態だった。
「本日から、新しいミッションが始まる」
我ながらあっぱれなポーカーフェイスでツォンが言った。
「セフィロスの護衛だ」
は?とルードがつぶやいた。ツォンは、プリントアウトのコピーを見せて説明した。
「冗談じゃないぞ……」
あきれたようにレノがつぶやいた。
「ああ。冗談など言っていない。今日からしばらく、セフィロスを隠し、部外者に接触させない。そして、本人には護衛と思わせて、24時間、監視する。これがミッションだ」

 神羅カンパニー本社ビルは、ミッドガルのランドマークだった。VIP専用の駐車場があり、そこからビルの入り口までエレベーターが通じている。受付嬢はカウンタの中のモニタで、そのエレベーターが動き出したのを確認した。重役の誰かが、ごゆっくりと出勤してきたらしい。
 制帽をなおし、できるだけきちんと座りなおす。専用エレベーターが開き、世にも凛々しいVIPをフロアに下ろした。
 社員、訪問者をふくめ、周囲の人々が、まずその容姿に見とれた。大柄な体格は、濃紺のスーツと細い縞の品のいいネクタイに包まれている。堂々とした態度とあわせて、ちょっと見、辣腕の営業部長か、若い専務のようだった。
 そこまで来て、たいていの人間は、ダブルテイクをやることになる。ダブルテイク、つまり、ぎょっとして見直すのだ。
 隠しようもない、ソルジャーの瞳を。
 背中をおおうほどの、長い銀髪を。
 あちこちでごくり、とつばを飲み込む音がする。
 受付嬢は、さきほどから自分の目を疑っていた。こっちへ、来る。セフィロスが、こっちへ!
「おはようございます、サー」
挨拶が、せいいっぱい。
「きみ」
秀麗な顔が近づき、深みのある声で話しかけられた。
「なんとかしてもらえないか?」
この人は、存在そのものがめまいに似ている。ぼうっと受付嬢は思った。
「なんでしょうか」
「おれの刀が、エレベーターに乗らないんだが」
彼の愛刀、正宗は、全長3メートル強。VIP用エレベーターは、いくら余裕があるといっても2メートル半。
「あの、貨物用でしたら……どこへ運びましょうか」
「持っていってくれるのか?」
そもそもセフィロスは、めったに表情を変えない。冷笑や苦笑以外に、笑顔を見せることはまずなかった。それだけに、かすかに口元をほころばせるだけでも、攻撃力は絶大だった。
「兵器開発部を呼び出しておれの刀を見てくれるように頼んでくれ。車にある。刃こぼれしているんだ」
「かしこまりました」
受付カウンタから離れながらふりかえり、微笑みもう一発。サンダガ級。
「ありがとう」
楽しげな後姿を見ながら、受付嬢はへたりこんだ。
 隣に座っていたもう一人の受付嬢が、おもむろに受話器を取った。
「総務部レセプション課」
「こちらは正面受付です。たった今、セフィロスさまが、出勤なさいました」
小さな沈黙があった。誰かが電話をかわった。
「そちらの、状況は?」
受付嬢は、今の会話と彼の依頼を説明した。
「そういうわけで、たいへん、ご機嫌がいいようです。おしゃれなスーツをお召しで、にっこり笑って、オフィスへ行かれました」
「わかりました。もし、あの方が社外へ出られたときは、また総務部へ連絡してください」
「了解」