パラケルサスの犯罪 31.第五章 第八話

 院長のあわてぶりは、はたから見ても、度を越していた。エドとアルと、何か話していたかと思うと、とつぜん叫び声を上げてグラン・ウブラッジの中へ走りこんだのだった。
 ジョン・クラウンは、人ごみをおしわけて、ペインター大尉に近づいた。
「『セントラル絵入り』のクラウンです。ぜひ、お話を」
大尉がこちらを向いた。憲兵に気づかれる前に、クラウンはささやいた。
「わが社への情報提供も感謝します!」
はにかんだような微笑が、“犯人”の口元に浮かんだ。
 黒い制服の憲兵が数名、気がついてやってきた。
「彼は、反逆罪の容疑者だ。報道は自粛してくれ」
「そんな、まだ罪名が決まってないじゃないですか」
憲兵たちは、お互いの顔を見合わせた。
「いや、たぶんそうなるから、と院長先生に言われているんで」
そのとき、クラウンは、軽く肩を押された。
「悪いね」
青い軍服を着た背の高い男が、後ろからやってきたのだった。
 きれいに撫で付けた黒髪が額に一筋落ちかかっている。その下の眼鏡は、レンズがやけに細い長四角だった。あごのあたりに、まばらなヒゲがあるのは、わざと残しているらしい。
「反逆罪は成立しないぞ、君たち」
ひょうひょうと、その男は言った。
「国家にとって必要欠くべからざる財産を毀損した、ということだったが、その成立に必要な条件が満たされんのだ」
憲兵たちは、おそるおそる聞いた。
「失礼ですが……?」
「おっと」
男はそう言って、懐から身分証明を取り出してかざした。
「調査部のヒューズというものだ。セントラルから容疑者の引き取りに来た」
「はっ」
憲兵隊一同、直立不動になった。クラウンはあらためて、ヒューズと名乗った軍人の顔をまじまじと見上げてしまった。
 セントラルで新聞を作っていれば、調査部の切れ者、マース・ヒューズ中佐の名を聞かない日はなかった。
「鍵を」
ヒューズ中佐は鍵を受け取ると、ペインターの手錠をはずした。手錠が下に落ちて、音を立てて転がった。
「あの、自分は」
大尉は目をぱちぱちしていた。
「君の第一の容疑、国家財産の毀損は成立しない。あのケシの花はもう国家財産ではなく、院長が軍の設備を勝手に使って個人的に栽培した植物へ格下げになったよ」
「本当ですか」
中佐はにやりとした。
「なにせ、現物がないうえに、もう二度と作れないんだからな」
「ほんとうですか」
と、もう一度くりかえして、ペインター大尉は、空を仰ぎ、うれしそうに笑った。
「はは、よかった」
つられたように、中佐も微笑を浮かべた。
「あとは君の罪名はまあ、伝票の不正操作くらいだな。減俸くらいがまんするなら、また軍で働けるが、どうする?」
ペインター大尉は、ほほを染めた。
「もうちょっとあとでお返事してもかまいませんか。相談したい人がいるので」
クラウンは取材メモを片手に割り込んだ。
「それ、あの美人の看護婦さんでしょ?ね?図星だ!彼女にもぜひインタビューしたいんですが。お願いしますよ」
野次馬のむれは、今は上を指差している。グラン・ウブラッジの上に、いきなり林が出現しているのだ。
 わあわあ言う群集をかきわけて、シャーロット・ターナーがこちらへこようとしていた。
「ターナーさん、ぜひ、一言」
そう叫んだとき、クラウンは、彼女が立ち止まるのを見た。
 シャーロットは足をとめ、赤いコートの少年を呼び止めた。
「わからないわ。今日、こんなことをする手間をかけるくらいなら、どうしてあのとき、あの人を逮捕させたの?」
エドは答えた。
「あいつの逮捕は、おれが国家錬金術師でいるためには、どうしてもやらなくちゃならなかったんだ」
それから少し考えて、付け加えた。
「今日の仕事は、おれがエドワード・エルリックでいるためには、やっぱり、やらなくちゃならないことだった」
「つくづくガンコなのね」
シャーロットは、そっと手を伸ばして少年の顔を包み込んだ。
「“鋼の錬金術師”、この二つ名を忘れないわ。ありがとう」
きまりのわるそうな小声でエドがつぶやいた。
「こんなの、あいつのためにとっとけよ」
くす、とシャーロットは笑った。
「あの人の分は、たくさんとってあるの。これは、あなたに」
そう言って、額に唇を軽くふれた。エドはためいきをついた。
「なんだよ、のろけか……」
くすくすとシャーロットは笑った。笑いながら涙があふれているようだった。クラウンを追い越して、ペインター大尉が彼女に歩みよった。
「ローレンス」
恥ずかしそうな顔で、ペインター大尉はシャーロットを抱きしめた。
 管理部のスタッフが、気がついたようだった。大群衆をかきわけ、かきわけ、ウィーバーが、ジェニー・レンが、そしてほかの面々も、いっしょうけんめい、やってくる。
 何か叫んでいるようだったが、あたりがあまりにやかましくて、まるで聞こえない。第一、ペインター大尉たちはまわりの一切が耳に入っていないようだった。
 クラウンは、鉛筆で髪のなかをかりかりとかいた。
「このぶんじゃ、インタビューは、あとまわしだな」
ペインター大尉は、腕の中で泣きじゃくるシャーロットから、ちょっとだけ顔をあげ、笑顔を見せた。
 人々はグラン・ウブラッジへ向かっておしよせてくるが、エルリック兄弟は、その波を縫うようにして反対の方向へ去っていくところだった。が、大尉が見ているのに気づいたらしく、群衆の向こうからアルは手を振った。エドはふりむき、肩をすくめ、それでもにやっと笑って、また駅のほうへ歩き出した。

 ジョン・クラウンは、セントラルにある本社編集部のデスクの前に座っていた。タイプライターにはさんだ原稿は、白紙のままだった。膝の上には、スケッチブックを広げていた。
 あの日、グラン・ウブラッジから帰るときにかいま見た光景を、クラウンは今、濃くて柔らかい鉛筆でたどっている。
「じゃ、これで」
と、アルは、三人の錬金術師に言ったのだった。
「今度こそ、本当にさようならだね」
「マーヴェルさん、いろいろありがとうございました」
「住所を聞いていいかい?君たちに手紙を書いてみたいんだ」
ロングホーンが言うと、気のない口ぶりでエドが答えた。
「おれたち、住所不定なもんで」
「どうして?」
「ここんとこ、ずっと旅行中なんだ」
「ご家族は何も言わないのかい?」
「おれの家族は、もうアルだけだよ」
小さな沈黙がおりた。
「最後に、ひとつだけ」
ボイドが言った。
 エドはアルを仰ぎ見た。アルは、両手を首にかけ、兜を脱いだ。少なくとも、盗み見ていたクラウンには、そんなふうに見えたのだった。
 次の瞬間、クラウンは息を呑んだ。
「このことでしょ?」
空っぽの鎧が、そう、聞いた。ボイドたちは凍りついたように動かなかった。
「これが、ぼくが鎧を脱がなかった理由、物を食べられなかった理由です。ぼくには、体がない。原因は、練成の時のリバウンドです」
アルはゆっくりと兜を頭の部分に戻した。
「それじゃ、元気で」
エドが歩き出した。アルは、軽く会釈をして、その後に続いた。
「待ってくれ!」
ロングホーンが言った。二人の足がとまった。
「エドワード君の手足もか?それは、ご家族だったのか?成功したのか?」
エドがふりむいた。はじめて汽車の中で会ったときにクラウンが見た、あの複雑な表情を浮かべていた。
「へえ。わかっちゃうんだ?」
アルが肩をすくめた。
「ま、同業者だもんね」
なぜか蒼白な顔をしている三人に、エドはささやいた。
「答えは、イエス、イエス、ノー、だ」

 ジョン・クラウンは、いきなり肩をどつかれて、ぎょっとした。
「原稿、どうなったんだ、あ?」
編集長だった。
「ええと、がんばってるところです」
「しっかりしてくれよ?こっちはおまえの記事を、大増刷体制を組んで待ってんだからな」
「はあ」
「おいおい、出張に飛び出したときの勢いはどうした。おれはおまえのオハナシが気に入ってるんだ。こう、ぐっとくるやつを見せてくれ」
クラウンは、目を膝に落とした。
 透明人間が鎧を着ているように見えるアルの姿。見開きの反対には、機械鎧をむきだしにしたエドのスケッチ。
 クラウンの心の中でスイッチが入り、ヘッドラインが流れ出した。
 “神に背きし者たちの背負いし罪と罰、天才錬金術師の秘密!”
 クラウンはあのとき、エルリック兄弟が汽車の中へ消えた後、ロングホーンたちをつかまえたのだった。
「さっきの、イエス、イエス、ノーって、なんのことですか?」
「聞いてたのか、君は!」
「ねえ、教えてくださいよ」
「あの二人の体のことだよ。二人とも練成中の事故でああなったそうだ。それだけだ」
「返事になってませんよ、それ。なんでそんなことになったんです?同業者ならわかるってなんのことですか?」
「いくら練成事故でも、あれほどすさまじいリバウンドが起きる例はめったにないから」
ボイドたちは、奇妙な視線を交し合った。
「あれだね?」
「あれしかない」
「ご家族だったそうだから」
クラウンは食い下がった。
「はっきり言ってくださいよ!そうでないなら、ぼくは自分で直接聞きにいきますよ」
「おい」
ロングホーンはあわてたようだった。
「じゃ、一言だけ教える。そうしたら、もうあの子たちにつきまとわないでくれ。いいね?」
「情報によりますね、そりゃ」
ロングホーンは声をひそめた。
「人体練成」

 知ってしまった禁忌の重さに、クラウンはためいきをついた。
「おいおい、ジョン・クラウン?もしもし?」
すぐそばで、編集長が呼んでいる。クラウンは、心を決めた。
「こんなラインでどうでしょう!」
クラウンはスケッチブックを閉じて座りなおした。十指をキーの上に乗せ、勢いよくヘッドラインを打ち出した。
「“鋼の錬金術師”、ウブラッジ事件の全貌を語る!ペインター大尉独占手記、“パラケルサスの犯罪”」

 大きすぎる上着のひじにつぎをあてた少年が、肩からベルトで吊った新聞の束から数部をぬきとり、頭上にかざした。
「ウブラッジ・ケースの続報載ってますっ。“鋼の錬金術師”、事件を解決!」
旅行者らしい男が足を止めた。
「一部くれ」
「はい、まいど!」
見ている前で、『セントラル絵入り新聞』は飛ぶように売れていった。
 イーストシティ中央駅は、東部の交通の要として、広い敷地に何本も線路が通っている。上空は汽車の吐き出す黒煙でいつも曇っていた。
 今日もおおぜいの旅行者が駅に集まり、また散っていく。赤帽が台車に乗せた荷物をひいてホームを行き、その後ろで軍服姿の男たちが家族と別れを惜しんでいた。
 ひときわ大きな蒸気機関車がホームへ入ってきた。黒光りのする車体には鉄道会社のロゴではなく、獅子頭鯨身の怪獣、大総統紋章がついている。軍用列車だった。機関車はゆっくり減速していき、やがて車輪を停め、おたけびのように煙を高く吐き出した。
 ホームでは、青い軍服の男が二人、壁にもたれ、新聞を片手にしゃべっていた。
「『なお、今回の事件のそもそもの責任を問われ、ホレイショ・ヘイバーン博士は近々グラン・ウブラッジ病院長の職を解雇される方針である、と調査部の情報筋は本紙記者に語った』。めでたし、めでたしだな」
一人が、大きな新聞を両手で折り返してそう言った。
「こっちはなんだって?ふん、ふん『試練に耐えたロマンス、ペインター大尉と美人看護婦の恋のゆくえ』」。
「そんなのより、こっちのほうがおもしろいぜ?『超常現象?死者の呪いか、突如生えたジャイアント・セコイア』」
軍用列車から車掌が降りてきた。安全を確認し、降車口を開けていく。
「イースト・シティ、イースト・シティ」
 各車両前後の降車口から荷物をかかえた軍人たちがぞろぞろと降りてきた。手に、『セントラル絵入り新聞』を持っている者も多かった。
「ほら、ここだ。『突然現れてグラン・ウブラッジの大温室を破壊したこのジャイアント・セコイアについて、本紙記者はエルリック氏に尋ねたが、“アーサー・ローフォード中尉の呪い?悪いけど錬金術師は科学者なんだ、そんな非科学的なことはとうてい信じられないね”という返事だった。“では、どう思われますか?”と記者が重ねて聞くと、氏は肩をすくめてこう答えた。“さあねえ。見当もつかないなぁ”』。あの大将、よく言うぜ!」
しばらく間を置いてから、列車の降車口に奇妙なものが現れた。中世のプレート式鎧である。
 慎重にステップを降りると、鎧は後ろをふりむいた。あとから、トランクを手にした少年が降りてきた。
 改札はホームの端だった。乗客たちは、切符と身分証明を手にして列を作った。駅長自ら改札に立ち、提示されたものを調べながら、いちいち敬礼して話し掛けていた。
「南部からですね?イーストシティへようこそ」
「連隊の御用で司令部に?ご苦労様です」
「こちらの気候は、南部の方には厳しいですぞ。晴れの日が珍しいのですからな」
よく動く駅長の舌がとまった。巨大な鎧が目の前に迫ってきたのだった。
 鎧の前にいた、小柄な少年が二人分の切符を差し出した。
「おれはエドワード・エルリック。こいつは」
みなまで聞かずに、駅長は敬礼した。
「どうぞお通り下さい、“鋼の錬金術師”殿」
そう言って、改札をあけた。
 エドワード・エルリックは、一瞬驚いた顔をしたが、ふと苦笑し、つれを見上げた。鎧の頭が、笑っているように小刻みにゆれた。
 列を作っていた乗客たちがふりかえり、あるいは首を伸ばして、彼らを見る。
「“鋼の”ってのは、あいつか!」
「へえ、あいつらが」
「凄いんだってね」
いまや知らぬ者とてない二つ名をその小さな身体に帯びて、エドは改札を抜け弟とともに歩き出した。
 二人の兵士は彼らに近づいて敬礼した。
「東方司令部より、お迎えに上がりました!」
大都市イーストシティの、その突き放すような、不思議と暖かいような、おなじみのざわめきが、改札口のすぐ外から彼らを待ち構えていた。