パラケルサスの犯罪 26.第五章 第三話

「そう言えば!」
マーヴェルが手を打った。
「イズミさんのお名前が話に出たとき、大尉も一緒にいたなあ」
「それと、管理部の人間なんだから、伝票の操作なんか簡単だ。木箱を隠したのも、師匠の名前で宿泊予約を入れたのもあいつだ」
「でも、兄さん、大尉は『月刊エメラルド・タブレット』なんて、どこで読んだの」
「あいつが言ってただろ?管理部の何でも屋だって。図書室で月刊誌を整理するのも、あいつの仕事なんだよ」
「しかし、最初の事件のとき、彼はわれわれといっしょにいたのではなかったかね?」
ボイドが言うと、エドは片手にチーズを持ったまま肩をすくめた。
「けど、機銃の連続練成が始まる前、あいつは車両の準備をすると言って、姿を消していた」
「重機関銃の件は?」
「それはわからないけど、履歴を見ればもしかしたら」
アルはレポートの表紙をめくった。
「ああ、南部戦線で、機関銃を担当してる。前線で覚えたんだね」
「それから?軍隊格闘も習ってるだろ?」
「あ~、うん。それも載ってる。こっちのほうが凄いな。大尉さん、特殊部隊にいたことがあるんだ。単独任務にも何回か成功してる。サイレント・キルの専門家なんだよ」
一瞬、エドのもぐもぐがとまった。
「どうりで強かったな。そんなのと二回も打ち合ったのか、おれ」
「二回?砲塔群の間で一回と」
「二度目の爆発の直後、真っ暗な地下室で一回。あいつあのとき、最初のときとまったく同じやり方で、しかけてきたんだ。それが理由の二つ目」
アルが顔を上げた。
「それで兄さん、あのあと浮かない顔だったんだね」
「勘違いだといいな、とずっと思ってた。本当はこの履歴も、あいつが犯人じゃないっていう証拠がほしくて、調査してもらったんだ」
「ねえ、『セントラル絵入り新聞』に情報提供したの、大尉だよね」
「詳しいわけだ。木箱発見のとき、その場に居合わせたんだからな」
「でも、兄さんの機械鎧のこと、新聞社に言わなかったみたい」
「ああ」
エドは、最後に残ったオレンジを取り上げて口に入れた。
「ただ一つわからないのは大尉と錬金術とのつながりだ。何か書いてあるか?」
「ううん、それらしいことは何も」
と言いかけてアルの目が何かを見つけた。
「大尉さん、けっこう表彰されてるんだけど、一度だけ懲罰をくらってる」
「何やらかした」
「ええと、南部の前線の野戦病院でのことで、そうか、大尉さんの戦友って、ここで亡くなったんだ」
「取り乱したって言ってたときの?」
「これ、取り乱したって言うのかな。居合わせた上官と同僚五名と乱闘やって、その人たち全員半殺しにしてる」
アルはしばらくレポートを黙読していた。
「亡くなった戦友の人って、阿片中毒だったみたいだよ」
「戦死じゃないのか?」
「ううん、中毒死扱いになってる。だからきっと、家族がいても、戦死者遺族の資格がないんだ。早く誰かが気づいて、手当てをしてあげればよかったのに」
「友達がそんな死に方したとしたら、あいつ、怒っただろう」
「それが乱闘の原因みたいだね。このときの懲罰で特殊部隊を首になって、結局戦線を離れて、グラン・ウブラッジへ来たらしい」
「そうか」
エドは、それなり黙り込んで、ただオレンジを食べていた。
 ボイドは咳払いをした。
「じゃ、結局、錬金術とのつながりは?なぜ彼は、“パラケルサス”と呼ばれたのかね?」
エドは手の甲で唇をおさえて立ち上がった。
「メシ、ごちそうさま」
「どこか行くのかい」
「あいつのとこへ、面会に行こうと思うんだ。直接聞くのが一番早い」
ロングホーンが妙な顔をした。
「その、ターナーさんがずっとくっついてるよ」
エドの視線が床のほうへさまよった。
「彼女に鬼呼ばわりされるようなことを、おれは本当にやったんだから、ちょっとぐらい冷たくされてもしょうがないさ」
そう言って廊下へ出て行った。
 アルも書類を封筒にしまって立ち上がった。ボイドは話し掛けた。
「君の兄さんは、大人だね。まだ小さいのに」
鎧の頭部がゆらりと動いた。
「兄が本当に子供だった時代は、十一歳くらいで終わってしまったんです」
ついうっかり、ボイドは聞いた。
「身長は別として?」
そのとたん、廊下から怒声がとんできた。
「聞こえてっぞ!」

 留置場は、管理部ではなく、グラン・ウブラッジ常駐部隊の管轄だった。
 面会室の手前に窓口があり、無表情な顔つきの若い兵士が詰めていた。
 アルは、まず、ターナー看護婦を探してしまった。エドはああ言ったが、容赦ない言葉でエドが傷つくのを、できれば見たくはなかった。
「お若いの」
そこにいたのは、ディビス老人だった。
「あの、ターナーさんは」
「さきほどお母さんが見えて、説得して連れて帰ったよ。かわいそうに、院長があの人に面会を許可しないんだ。飲まず食わず、休みもとらずに、ここでずっと待っていたんだが」
「そうですか」
アルは、すこしだけほっとした。
「夕べは悪かったな。あんたたちは、立場上ああするしかなかったんだろ?」
年老いた元軍人は、静かにそう言った。
「わしだって、同じ立場なら、同じことをしただろうよ」
真剣な顔でエドはディビスを見た。
「ディビスさん、もしあんたがおれだったら、これからどうする?」
「どうすると言われても」
と言いかけて、老人はエドとアルを見比べた。いぶかしげな表情が、しだいに確信に変わっていく。
「そうか、そうか。ああ、とめやせんよ。これからどうするかって?答えは“できることをやる”だ」
一瞬、エドはあごをひき、独特の笑顔を見せた。すぐに窓口のほうを向いて近寄っていった。
「容疑者に面会に来た」
兵士が敬礼した。
「院長より、どうしても必要な場合以外は禁止、と命令されています」
「じゃ、院長に、おれはてめえの命令下にはないと言ってやれ」
「と、言われましても」
「制度上、おれのボスは、大総統だ」
兵士は、後ろにいる同僚か誰かに小声で相談しているらしかった。が、まもなく面会室の扉が開いた。
「このことは、院長先生まで報告を上げることになりますよ?」
負け犬のような窓口係の言うことに背中を見せたまま、“かってにしろ”と片手をふって、エドは面会室へ入っていった。
 いちだんと殺風景な部屋だった。小さな机をはさんで、椅子が二つ。部屋の隅に、武装した兵士が二人立っている。反対側のドアが開いて、ペインター大尉が現れた。
「やあ」
かすかな微笑にもかかわらず両手首に手錠がかかっているのが痛々しかった。軍服の上着は脱いで、肩から羽織っているだけだった。
 連行してきた兵士が椅子をひき、大尉の肩を押し付けるようにして座らせた。
“敗者は黙って立つのみ”と大尉は言ったが、その言葉どおり、アルがレポートで目を見張ったほどの実力にもかかわらず、何も逆らわず、言うなりになっているようだった。
「大丈夫か?」
向かい合う椅子に腰をおろして、エドが言った。
「エドワードさんが釘を刺してくれたおかげでしょう。特別、手荒な扱いは受けていません」
「夕べは、あんたをひっかけた」
うつむいてエドは言った。
「逮捕じたいはともかく、やり方が汚かった。悪かったよ」
大尉は、口元をゆるめた。
「それなら、自分も謝らないと。最初の地下捜索のとき、エドワードさんの性格を利用して、わざとあの大温室へ入り込むように仕向けたんですから」
読まれていたらしい。アルは、エドがやや赤くなるのを見ていた。
「聞きたいことがあってきたんだ」
ごく自然な表情で大尉は顔を上げた。
「なにか」
「あんたと、錬金術のかかわり。それだけがどうしてもわからないんだ」
くす、と声を立てて大尉が笑った。
「それは、それは。そうかもしれません。自分は、本物の“パラケルサス”ではないんです」