パラケルサスの犯罪 25.第五章 第二話

 ボイドは自分の荷物をやっとまとめあげ、ひといきついたところだった。
「けっこう、長く居たんだな」
正直言って、セントラルへ帰れるのがうれしい。
 個室のドアをノックする音がした。
「どうぞ」
駅へ荷物を運ぶために、管理部の兵士が来たのだろうとボイドは思った。
「よかった、まだ帰ってなかったんですね?」
エドワードとアルフォンスの、エルリック兄弟だった。
「ああ。今度の件では、いろいろ勉強させてもらったよ。もし君たちがセントラルへ来ることがあったら」
立ち寄ってくれ、と言おうとして、ボイドは目をむいた。
「よーし、これだな。借りてくぞ。アル、そっち持って」
エルリック兄弟は、ボイドの大型ケースに手をかけて、さっさと持ち出そうとしていた。
「おいおい!何するんだ」
エドがふりむいた。
「これ、中身全部、錬金術の実験道具だろ?一式借りるぞ」
ボイドはあわてた。
「待ってくれよ、ひとの商売道具を」
「こっちは人命かかってんだよ」
「人命って、何をするんだね!」
エドは、ボイドの目の前に指を突き出した。見ると、ガラスの破片のようなものをつまんでいた。
「このガラスが何と何でできているかを、正確に知りたいんだ。ほかにも、あちこちから試料を集めてきた。じゃ、忙しくなるんで、そういうわけで」
「“そういうわけで”じゃない、君はいったい」
エドは、ぼそっと言った。
「詳しく聞くとあとで後悔するぜ?」
その表情を見て、ボイドはツバを飲み込んだ。たしかに嫌な予感がした。
「わ、わかった。学術目的ならば、常に協力を惜しまない」
「ものわかりがいいねぇ」
いそいそと、エルリック兄弟は実験道具一式を運び出した。
 兄弟の二人部屋は、ボイドの個室よりもいくらか広めだったが、道具類をずらっとならべると、足の踏み場もなくなった。
「広い場所が要るんだ。アル、かまわないから、ベッドを運び出せ!」
エドは唇の端を小さく上げた。
「どうせ、この仕事が終わるまで、休みはないんだ」
部屋はあっというまに実験室になってしまった。ボイドの大事な卓上用の窯に、火が入れられる。分析が始まった。

 ウィーバー軍曹がぶあついマニラ紙の封筒をもってきたとき、エルリック兄弟の部屋の前には、ほかの錬金術師たちがたむろしていた。
「あの、エドワードさんたちに、お手紙なんですけど」
ボイドが首を振った。
「二人とも、夢中だよ」
「え」
「のぞいてみるかね?」
細くドアを開いて中をのぞきこむと、異臭が漂ってきた。
「あの、エルリックさん?」
返事はなかった。人の背ほどもある、ガラスの蒸留装置からぐらぐらと湯の煮立つような音がしている。エドワードは窓際に立って、真剣な表情でビーカーを光にすかしていた。アルフォンスは床に座り込み、小さなすり鉢で何かをていねいに砕いている。
 部屋の中は見慣れない道具でいっぱいだった。ベッドサイドのデスクだったものの上に、試験管が所狭しとならんでいる。どれもあやしい液体が入っていて、中にはうっすらと煙を上げているのもあった。
「先ほどお求めの、お手紙ですが」
「あ、悪い」
ほんの少し顔をこちらへ向けて、エドが言った。
「そこへ置いといてくれ」
「と言われましても」
床は一面、モノが散乱している。
「外にいるボイドさんたちにお預けしますから」
「わかった!」
耳掻きのようなさじで何か薬品をすくって、エドはビーカーの中へ加えた。いちだんと悪臭が漂った。
 うっ、とつぶやいて、ウィーバーはいそいでしりぞき、ドアをしめた。

 エルリック兄弟が部屋から出てきたのは、数時間後のことだった。
 マーヴェルとロングホーンは、あれからなんとなくボイドの部屋にいすわった。
昼食のとき幹部用の食堂で同席したついでに、ボイドは一度、聞いていみた。
「ロングホーン君は、帰らなくていいのかね?」
「今朝まではそのつもりだったんですが」
ロングホーンは上目遣いになった。
「あのう、エルリック君たちは、何をやる気なんでしょうね」
「わからんね」
「でも、気になるよねっ」
どことなくうれしそうに、マーヴェルが言った。
「それを見届けてから帰ろうと思います」
ボイドは頭をかいた。
「や、君もか」
「ボイドさんたちもですか?」
 幹部用の食堂は、あまり雰囲気が変わっていない。おおむね、今回の逮捕を錬金術師たちの“お手柄”ないし、“勝利”ととらえているらしかった。
「彼らは、俗に言う食べ盛りなんじゃないのかい?」
とマーヴェルが言い出して、大きく切ったミンスパイ、きゅうりとチーズのサンドイッチ、コールドチキン、それに果物を手に入れ、三人ともボイドの部屋へ戻って待ち続けていた。
 長い時間が過ぎた。いつまでも明るい春の夕暮れが、それでもしだいに暗さを増してくる。マーヴェルもロングホーンも、何も言わないし、動きもしないが、眠っているのではないようだった。
 がちゃ、と音がした。ドアが開き、エドワードが顔を出した。
「おれに手紙……あれ?まだいたのか、あんたたち」
ロングホーンとマーヴェルがもぞもぞと身動きした。
「ああ、その、ちょっとね」
「へえ」
エドとアルが入ってきた。ボイドは大きな封筒を手渡した。
「これをあずかった。それから、朝から何も食べてないんじゃないのか?残り物でよかったら」
エドはきょとんとしていた。ぐうぅと音を立てて腹が鳴った。
「兄さん、いただきなよ。すいません、みなさん」
エドはいきなりすわりこむと、三人が幹部用食堂からもってきた食料を、正しい健康優良児の食欲でたいらげはじめた。
「兄さん、のどにつっかえるよ?」
「うるさい、腹が減ってるんだ」
アルは首を振った。
「今まで気づいてなかったの?」
マーヴェルが聞いた。
「アルフォンス君、君は?」
巨大な鎧の頭の部分が、かすかに揺れた。
「こんなときに“おなかがすいてない”なんて言っても信じてもらえませんよね」
「え、ああ」
「ぼくは、物を食べられない体なんです。それだけ」
肩をすくめるような仕草をして、アルは大きな封筒を手にとった。
「ええと、この封筒は」
もぐもぐという音の間に、エドが答えた。
「それはただの裏づけだよ」
「見てもいい?」
「ああ」
アルは封筒から、レポートを取り出した。
「『ローレンス・ペインター大尉履歴』か」
「エルリック君?」
ロングホーンが聞いた。
「あの時は何も聞かなかったんだが、君は要するに、ずっと彼を疑っていたのか?そもそも、どうして彼、ペインター大尉だったんだ?」
ごくり、と盛大に食べ物を飲み込む音がした。
「犯人の条件に全部当てはまるってのが一つ」
とエドは言った。