パラケルサスの犯罪 8.第二章 第二話

 ふたりの錬金術師と案内役の士官は、少し離れたところにいた。エドワード少年と“助手”が、古い砲塔をしらべているようだった。ドーム型の砲塔の一部から壊れた機関銃が突き出していた。
「だめだ。ここに練成陣があったはずだけど」
手袋をはめた指でそっとドームの表面をなぞった。素材はコンクリートらしい。
「練成と同時に消えたんだな」
「構築式を消去するスクリプトを一番内側に描いておけば、簡単だね」
ペインター大尉が聞いた。
「そんなものがあるんですか?」
「はい」
と、鎧の中の少年の声、アルが答えた。
「たいていの錬金術師は、自分だけの構築式をもっていて、それを使って自分だけの練成陣を描くんです。他人が見ても、何がなんだかわからないことが多いんですけど、兄さんなら」
「すごいな、わかるんですか!」
エドは肩をすくめた。
「カンだけどね。けど、“パラケルサス”は、自分の描いた構築式を秘密にしたかったらしいぜ。練成陣を消せ、っていう内容のスクリプトを、最後に組み入れてあったみたいだな」
「でも、たいていの錬金術師はそれを入れるよ。企業秘密なんだから」
「そりゃそうだ。本当に使える構築式を雑誌に発表するなんてお人よしは、おまえくらいだ」
アルはもじもじしているようだった。
「大尉」
「はい?」
「練成陣が消えたことより何より、おれが気になるのは、この足場なんだけどな」
エドは、両手をポケットに入れ、グラン・ウブラッジ平原を見下ろした。春先の冷たい風が、彼の三つ編みをなびかせて吹きすぎた。
「この段から、下の段に行くにはどうすればいい?」
「今あがってきた非常階段から内部に入り、下の段へ移動して、別の非常階段をあがれば行くことができます」
「砲塔どうしはつながっていないのか?」
「病院に改装したときから、塞いであるそうです。砲塔群は、完全に独立しています」
「上の段の砲塔から下の段の砲塔へ、直接降りることはできないんだな?」
「ご覧のとおりですから」
クラウンも、自分の足元をおそるおそるのぞきこんだ。その場所は、数階だての建築物の上のような高さだった。
「アル、おまえ、練成の現場を見たんだろ、遠くからでも?」
「見たよ。変だな。ひとつの練成から、次の練成まで、すごく早かった。どんどん機関銃が生えてくる、っていう感じだった」
「ところが、ベイツ社長の証言から、“パラケルサス”は一人だけで、協力者もいなかったらしい」
エドは、こぶしできゅっと口元をぬぐった。
「たいへんなもんがでてきたぜ、アル。こいつは、練成陣の連続問題だ」
鎧の目が、きら、と光ったようにクラウンには見えた。
「そんなことって、現実にあるの?」
「グラン・ウブラッジがその証拠だ。やつの通称はダテじゃないらしい」
 クラウンは、取材メモを引き出した。
「すいませんっ、連続問題って何?」
万年筆をかまえたクラウンは、きょとんとした顔にぶつかった。
「あれ、あんた」
「覚えててくれた?ぼくは『セントラル絵入り新聞』の」
突然、びしっとこぶしがとんできた。
「てめぇか~っ」
エドだった。息もつかせない速さで、蹴りが飛んでくる。
「わっ、わっ、落ちる」
「兄さん、だめだよ!」
「放せ、アル、こいつのせいで、全部師匠にばれそうなんだぞっ」
「エドワードさん!」
ペインター大尉が動いた。大人の歩幅をいかしてすばやくエドの間合いに入り腕を遮る。
「!」
大尉の体が、エドの片足をからめてそのまま倒れこんだ。青い軍服のひじが、エドの腹にめりこむ寸前でとまった。
 エドは、キャットウォークにあおむけに倒れ、呆然と大尉を見上げていた。
「すいません、つい」
大尉はさっと立ち上がり、エドに手を差し伸べた。エドは目をぱちぱちさせて、その手をつかんで体を起した。
「油断したのも確かだけど、あんた、強いな」
はは、と大尉は笑った。
「いちおう、自分も、軍人なんで」
「今の、軍隊格闘だろ?」
「はい。グラン・ウブラッジ配属前、南部戦線にいたときに、訓練を受けました」
「へえ。エリートだな」
「いえ、南部じゃ新兵は必修なんですよ。ともかく、理由なしに民間人を襲わないで下さい」
「忘れてたぜ」
エドはクラウンのほうに向き直った。
「おい、逃げるなよ?あんたに聞きたいことがある」

 その部屋はぜいたくで、一見重役用の会議室だったが、大量の書類が散乱し、テーブルの周りには疲れきった顔の男たちが三人、だらしなく椅子にすわっていた。
「すわれ」
 クラウンは、殊勝な表情を保ったまま、実はわくわくして腰をおろした。ここはウブラッジ事件の捜査本部じゃないかっ。
「あんたんとこの新聞は、ダブリスでどのくらい出回っているんだ?」
あいかわらず鋭い口調で、エドが聞いた。
「うちのは、主に駅の売店で売ってるんだ。あと、号外はそのつど出すけどね。駅や人通りの多いところに行く人なら、わが社の新聞を見かけると思うよ」
エドとアルは顔を見合わせた。
「師匠、病気がちだし」
「だ、大丈夫かも」
いきなりふたりは肩の力がぬけたような顔になった。
「よかった~」
「何の話ですか?」
と大尉が聞いた。
「その、おれたちが軍の狗やってんのを師匠にはばれたくないんだよ」
「軍の……」
横にいた男が絶句した。あの時、駅にいた男のひとり、ボイドだった。
「エルリック君、そういう言い方は、不謹慎じゃないのか?」
エドは無視した。
「それで、動かぬ証拠の記事を見られたくなかったんだ」
「弟子が国家錬金術師まで出世したなら、師匠は喜ぶべきだろう」
エドは肩をすくめた。
「あいにく、そういう女(ひと)じゃなくてね」
「お師匠は、御婦人か?」
「ああ。カーティス精肉店ていう大きな肉屋の、奥さんだ」
「奥さん。いい響きだ。店のおかみさんというわけだな」
なぜかボイドは、ぽっとほほを染めた。
「おかみさんて言っても、病気で寝ていることが多いんですけどね」
とアルが言った。
「病弱な人妻か」
すでにボイドの目は、遥か彼方を見ていた。
「お名前は」
「イズミ。イズミ・カーティス」
「イズミさん……」
「もしもし?ボイドさん?」
アルが呼んだ。
「入院患者と職員の面接調査は、どうなりました?」
ボイドはため息を一つついて、つらい現実に返ってきた。
「一言で言って、だめだ。いいか、職員、患者、その家族を含めれば、千人はいるだろう。面接は半分も済んでいない」
疲れた顔でボイドは言った。
「第一、もし“パラケルサス”が職員や患者のなかにいたら、正直に『わたしは錬金術をかじりました』とは言わないだろうしな」
「“パラケルサス”は、そんじょそこらの錬金術師じゃない」
と、エドが言った。
「どうやら、連続作動練成陣問題を解決したみたいだ」
空気に電流が走ったようだった。だらけた顔をした錬金術師たちがぎょっとしてその場に座りなおした。ロングホーンなどは、口をパクパクしている。
「本当か!」
「機関銃の練成は、砲塔の数だけやってあった。だが、一つの練成が始まってから別の練成までの時間が、極端に短い。練成陣が連続で作動した、としか思えないんだ」
クラウンは、そっとアルの鎧のはしにさわった。
「アルフォンス君、あの」
「ああ、すいません」
アルはぎしっと音をたててクラウンのほうを向いた。
「錬金術の連続問題というのは昔から謎とされている錬金術上の問題の一つなんです。『複数の練成陣を、連続して作動させることができるか』というもので、今までに解決した例はありません」
「それほど凄いものなのかい?」
「解決したら、大総統から、勲一等六芒星勲章がもらえるって話ですよ」
と、アルは言った。
「他にも例えば、練成陣遠隔作動問題、複数同時練成問題、時限作動練成陣問題、立体練成陣問題などが知られています。錬金術師たちが何世代も研究を続けてきて、いまだにやり方のわからない問題なんです。それを解決したのなら、“パラケルサス”の実力は、そうとうなものです」
クラウンは必死でメモをとっていた。
「そんなやつが」
ボイドの横で、マーヴェルがつぶやいた。
「ここにいるかもしれないわけか」
「せいぜい、質問でも工夫してみるか」
「エルリック君たちも参加するかね?」
「やめとくわ。うざったそうだし」
「きみきみ」
「連続問題について考えているほうがおもしろそうだ」
「そっちは君に任すよ」
大人たちは立ち上がった。
「ランチの時間だ。ちょっと休んでくる。ペインター君もどうだ」
そう言って錬金術師たちは出て行ってしまった。
「兄さん?」
「ん?」
「ボイドさん、誤解してるよね」
「師匠のことか?」
「問題の病弱な人妻は、右手でヒグマを殴り倒して左手で腹わた引きずり出すんですって、言ったほうがいいと思うよ」
「なあ、弟よ」
とエドは言った。
「夢は、きれいなままにしといてやれよ」