パラケルサスの犯罪 1.第一章 第一話

 いかめしい目つきも、威厳のある口ひげも、ぴしりとした背筋の伸び方も、どれひとつとして卑屈さを示すものはなかった。元騎兵隊長、ローフォード大佐は、毅然として憲兵隊の前に立った。
「ジョージ・ローフォード。横領の罪により、貴殿を逮捕する」
ローフォードは、深みのある声で答えた。
「それを〝横領〝と呼ぶならば、呼べ。私は自分の信条の前に罪を犯してはいない」
ローフォードの家は質素なものだった。その部屋も、読書とパイプを趣味にしている一人暮らしの老人が、悠々と老後を送る居心地の良い書斎、という範疇から一歩も出るところはない。軍用長靴で踏み込んだ憲兵たちのほうが、野蛮で粗野に見えた。
「なんとでも言いたまえ。おい、ベイツを呼べ」
憲兵の隊長は、廊下から一人の男を呼び入れた。金のかかったスーツ姿の中年の男だったが、あからさまにおびえた様子だった。
「本当に、こいつだな?」
隊長の質問に、ベイツと呼ばれた男は、上目遣いにローフォードを見た。
「う、はあ、たぶん……」
聞き苦しいあえぎ声を、ローフォードがさえぎった。
「もういい、〝マイダス〝。やはり君は、共にこの国の未来を語る相手ではなかった。私の目がね違いということだ」
マイダスと呼ばれた男は、恰幅のいい体をもみしぼるような仕草をした。
「許してくれ、〝ハンニバル〝。怖くて、どうにもたまらなかったんだよ」
「怖かった、という理由で、仲間を売ったのか」
〝マイダス〝は首を縮めた。
「この人たちは荒っぽくて。私の知っていることは、全部しゃべらされたんだ」
「君の知っていること?」
ローフォードの口調が変わった。
「では、君、私、そして……?」
「〝アスクレピオス〝と〝ニムロデ〝だ」
隊長はベイツをさえぎった。
「犯行グループは、全部で5人、そうだな?通称はすべてわかっている。だが、最後の一人の正体だけは、この男は知らんらしい。貴殿におうかがいすることになる」
隊長は咳払いをした。
「我々としても、南部戦線の英雄に手荒なまねはしたくない。潔く自白していただきたいものだ」
ローフォードは、隊長を無視して、ベイツにたずねるような視線を向けた。〝マイダス〝は唇を震わせた。
「もう〝ニムロデ〝は、姿を消した。〝アスクレピオス〝は、私のせいで今朝、毒を飲んだ。〝彼〝が誰なのかを話す前にね」
ローフォードは、左手のひらに、右手の拳をうちつけた。
「ジョナサンがか!いいやつだった。ああ、最後まで伏せてくれたんだな」
隊長が言った。
「それ以上のことは、こちらで聞かせていただこう。横領のほかに、第一級の反逆の嫌疑もかかっていることを忘れずに」
ローフォードは後ずさり、窓辺へと近寄った。
「反逆か。第一級ね。よく言った。だが、裁かれるのが誰なのか、よくおぼえておきたまえ」
不思議なほど明るい、落ち着いた声音だった。
 隊長は部下に合図した。憲兵たちは老人に近づいていったが、ローフォードはかまわず大きな窓をひきあけた。
「シャバの見納めぐらい、させてくれ。いい天気だ。見たまえ、〝マイダス〝」
〝マイダス〝はふらふらと窓辺へ近寄った。
そのときだった。窓の外で、何かがきらりと光った。隊長は、はっとした。
「伏せろ!」
次の瞬間、立て続けに二発の銃声が響いた。
「がっ……」
ローフォードの後頭部から小さな真紅の噴水があがり、誇り高き老人は窓辺に倒れこんだ。
「狙撃だ!窓を閉めろ!容疑者を確保せよ!」
「だめです、こちらもやられています!」
部下が〝マイダス〝をごろりと仰向けにした。その額にも、赤い小さな穴が開いていた。
「しまった……〝ニムロデ〝のしわざか。急げ、外だ!最後の一人の正体を知っているのは、やつだけだ」

 汽車が東部から南部へ入ると、景色は一変する。内乱に苦しめられた東部の荒涼とした風景が、植生も、空の色も、はるかに明るい南部のそれと入れ替わるのだ。
 東部を斜めに横切ってきたこの路線はしばらくの間、深南部の国境沿いをこするように走り、それからセントラルへ向かって北上していくことになっていた。
 すすけた木の窓枠から、乗客の少年が身を乗り出した。
「おっ、あれか!」
 きつい印象の、つり目がちの目が見開かれた。珍しい黄金色の瞳だった。流れる風が彼の顔を打ちつける。短い金髪の三つ編みが、背中でぱたぱたと揺れた。そのまま声もなく、彼は目の前の光景に強いまなざしを注いで動かなかった。
 汽車は大きなカーブを曲がりきった。視線の正面に、天然の丘をまるまるひとつ占領する、大型要塞都市が姿を現した。
 汽車は豊かな平原の中央をまっすぐに突っ切って行く。平原が海だとすればその丘は海の中にぽっかりと浮いた島だった。正面から見ると、巨人が階段をつくりかけて放り出したようにも見えた。だが、どの段にも窓がいくつも見える。数階建ての建造物がすっぽりと収まるほどの大きさなのだった。汽車が近づくに連れて、階段都市は天の大半を覆うように見えてきた。
「エドワード君だっけ、あぶないよ」
大人の義務と言うやつで、ジョン・クラウンは彼に声をかけた。
 金髪の少年は、苦笑のような表情を浮かべて席に戻った。一人旅らしいが、どことなく大人びている。クラウンが汽車に乗ったとき、すでにこの、六人がけのコンパートメントの窓際に、大きな荷物を置いて座っていたのだった。
「君も、あのグラン・ウブラッジで降りるのかい?」
「ああ」
「子どもが行って楽しいところじゃないよ。親戚でもいるの?」
ぴく、と眉が動いた。クラウンは妙にぞくりとした。この年代の子どもは、たしかに生意気盛りだが、こんな目をしていただろうか?クラウンの前の〝子ども〝の目は、むしろ最近インタビューした、最前線返りの将兵のまなざしに似ていた。
「おれたちは、仕事で呼ばれたんだ」
と、彼は言った。
「〝おれたち〝?」
そう言った時、車掌が通路をやってきた。
「まもなく、グラン・ウブラッジで停車いたします。本日は憲兵隊の検問がありますので、各自、身分証明書をご用意ください」
クラウンの隣に座っていた老女が、まあ、と言った。
「車掌さん、何かあったんですか?」
「グラン・ウブラッジで、事件があったんですよ。なんだか偉い人ばかり亡くなっているみたいで。おかげでこのへんは、どの駅にも憲兵さんだらけで、たいへんですよ」
そう言って車掌は行ってしまった。
「おばあちゃん、どうしたの?」
老婦人の隣で、小さな男の子が、木の兵隊で遊んでいた。老婦人は困ったような顔で微笑んだ。
「なんでもないのよリッキー。疲れた?」
「ううん。でも、少しおなかすいた」
「お土産に持ってきたりんごがあったでしょう。出しておあがり」
「わぁ」
リッキーというらしい男の子は、座席の下の籠から、赤い大きなりんごをつかみだした。
「はい、おばあちゃん!」
「おばあちゃんは、いいわ。おじちゃん方にあげたら?」
「うん」
リッキーは、両手にりんごをいくつも抱えると、クラウンの前にやってきた。
「はい、あげる!」
「え、おれ?」
リッキーはふりむくと、同じコンパートメントに席を取っていた小柄な年寄りにりんごを差し出した。
「りんご、どうぞ」
老人は居眠りをしていたらしかったが、目をぱちぱちさせ、口ひげをしごいた。
「いただこうか」
そうして、老婦人のほうに、軍隊式の敬礼をして見せた。
 コンパートメントは六人がけで、クラウン、老婦人と孫、元軍人らしい年寄り、エドワード少年とその大きな荷物でいっぱいだった。
 礼を言われるのがうれしいらしく、はりきってリッキーはエドワードにりんごを差し出した。
「お兄ちゃんにも」
エドワードは、初めて年相応に、にやっとした。
「悪いな」
そしてリッキーは、彼の隣においてあった荷物……中世のプレート式鎧にも、りんごを突き出したのだった。
「はい。おいしいよ」
人の形をしているから、人間だと思ったらしい。鎧は動かなかった。クラウンは笑って、違うよ、坊や、といおうとした。だが、その前に、エドワードが、鎧のほうに複雑な表情を向けて小さく笑った。
「アル、もらっとけよ」
「そうだね。ありがとう」
声変わり直前の、少年の声がした。
 クラウンはきょろきょろした。リッキーの声でも、エドワードのでもない。クラウンはぎょっとした。鎧の腕が持ち上がり、男の子の手からりんごを受け取ったのだった。
「人が、入ってたのか!」
鎧の、頭部に当たる部分が、揺らいだ。人間なら、首をかしげた、という感じだった。
「ええ、まあ、そんなとこです」
てっきり荷物だと思った。クラウンは、エドワードと、アルと呼ばれた鎧の男、驚くほどの大男だが、声からすると少年、を見比べてしまった。エドワードは、そ知らぬ顔でりんごをかじっている。
「うまいな」
「うちで作ったんだよ」
自慢げにリッキーが言った。
「すげぇじゃん」
「えへへ~」
クラウンも一口かじってみた。みずみずしい果汁がしみだしてきた。田舎風の、昔ながらのりんごの味だった。
「田舎のものなので、お口に合うかどうか」
考えを見透かしたように老婦人が言った。
「いや、うまいです!ごちそうさまです!」
あわててクラウンは答えた。
「お孫さんとごいっしょじゃ、検問はたいへんですね?」
老婦人は、小さな手を上品にほほにあてた。
「検問は時間がかかりますものね。実は、死んだ主人が南方司令部所属でしたので、戦死者遺族の資格があるんです」