はいと答えた男 4.精霊の答え

 アッシュは深く息を吸い、長く吐き出した。
「四つの町があり、三人の幽霊がいる。最後の町、メルキドにもいるかもしれないと思ったんだ。誰かが過去にメルキドで、竜王の問いにはいと答えたんじゃないか?」
「知りません」
「へえ?俺もメルキドのゴーレムと戦ったけど、けっこう大変だった。メルキドがしょっちゅうゴーレムに襲われていたなら、そいつはこう願ったんじゃないか?”メルキドをゴーレムから救ってください”って」
「だから何なのです?」
「もしその願いを竜王に告げ、仲間になることを承諾したら、そいつには不幸が訪れたはずだ。それも本人だけじゃなく、周りを巻き込むような災厄だ」
ルビスは何も言わなかった。
「それで思い返してみたのさ、メルキドで大きな災厄にみまわれた痕跡があったかなって」
「ただの廃墟にそんなものあるわけが」
ルビスの言葉をアッシュはさえぎった。
「あったよ。目の前に」
「なんの目の前ですって?」
アッシュは両手を広げた。
「あー、説明がわるかったな。メルキド拠点の中におれはロッシの設計図で見張り台を建てた。てっぺんから地上までは階段を四つ使った。その階段の一番下から地下へ向かってさらに四つの階段をつなげ、降りた先にメルキドガーデンを開いたんだ。ガーデンが完成した日の夜、水際のベンチに座っておれは空を見上げた。もう、遠くの丘の向こうに光が降りてきていて、メルキドで過ごす夜もその時が最後だった。星空の下に、俺は自分が出てきた穴蔵があるのを見ていた」
アッシュは一度言葉を切った。長くしゃべりすぎて辛い。体力の限界に来ているのは分かっていた。
「そのとき気づいたんだ。あれが俺の墓だってことに。今日までおれはアレフガルド中を旅してきたが、あれ以上の規模で埋葬された者はいなかった。豪華って意味じゃない。広い敷地、つか、丘ひとつまるまる使って中をくり貫き、その中へ埋葬してあった。同じフロアには壁に取り付けた鎖に骸がいくつか繋がれていた。そして穴倉の地上出口は牢屋の扉だった。まるで出てくるのを恐れているように、念入りに閉じ込められたんだ」
アッシュは中空を睨んだ。
「教えてくれよ。おれは、誰だ?なぜあんなに厳重に埋葬されたんだ?」
答えは沈黙のみだった。
「おれは、生け贄だったんじゃないのか、ゴーレムを鎮めるための」
「アッシュ……」
そう言ったまま精霊は沈黙した。
「メルキドに住んでいた俺は、なぜか失われたはずの“物を作る力”を持っていた。竜王はそれを脅威とみなして例の問いを俺に与えた。『もしわしの味方になるならメルキドをゴーレムから救ってやろう』じゃないかな。俺は竜王の問いにはいと答え、その代償としてメルキドの人々の手によって生贄にささげられた。
 メルキドの人間たちは、メルキドをいったん捨てて、別の島のシェルターへ引っ越したはずだ。生贄の件はその移住の前と後、どっちかな?
 いや、移住の時ぴったしかもしれない。メルキドの民は、俺をあの穴倉へ閉じ込めてゴーレムに捧げた。ゴーレムがあの穴倉を攻撃している間に大挙してシェルターへ移ったとしたらどうだ?せっかくの囮がうろうろ外に出てこられちゃ困るよな。それで厳重に閉じ込めたんじゃないのか?」
「知らないと言ったはずです」
「おれが光の玉を抑えてるってことを忘れんなよ」
一言釘を刺してアッシュは続けた。
「そういえばロッシが何か言ってたな。やつのじいちゃんだか誰だかが、昔ひどい事件があったって」
いきなりルビスが遮った。
「何を言ったのです、あの若者は!」
「おばはん、落ち着け」
アッシュは咳払いをした。
「あんた、俺が竜王を倒しに行くのをずっと反対してたな。あれさ、俺が竜王と会うのをやめさせたかったんじゃない?」
「私は、あなたに与えた生命が尽きるのを心配して」
「竜王に会った時、驚いたよ。『ああ、おまえか、久しぶりだな』なんて言うから」
「なんですって?そんなバカな」
はっとしたようすでルビスは口をつぐんだ。
 ふう、とアッシュはつぶやいた。
「そうだよ。あんたの言う通り。竜王は“久しぶり”なんて言わなかった。初対面だと思ってたみたい。それさ、あんたが俺の顔を作り替えたからだろ?どう考えてもおれはあの穴倉で白骨死体になってたはず。それをあんたが肉付けしてよみがえらせたんだ、文字通り」
ルビスは沈黙していた。
「いい加減に吐けよ。あんたはおれにメルキドを復興させたかった。おれが生前と同じ顔だと、ロッシやロロンドがよけいなことを言っておれが自分のされたことに気がつき、メルキドに恨みを抱くといけないと思った。だから顔を変えた。そんなとこだろ?どうしたよ、長話のおばはん。自分に不利だとだんまりか?」
深いため息があった。
「だから先ほど、言いかけたじゃありませんか。そもそも私と竜王は太古より地上における人と魔物のことわりを補い合っていたのです」
と、ルビスはつぶやいた。
「人は大地に干渉し、恵みを受け取る。白い花、食用キノコ、丈夫な草、太い枝に始まって、金銀、銅や鉄、オリハルコンにいたるまで。いいえ、ただの土だってあなたはブロックに変えて家を作っていたでしょう。そうやって作り出したものを、モンスターも享受しました。リリパットの弓矢、おおきづちの大木槌、魔導師の衣、竜王の城そのものさえ、人間のモノづくりの技に支えられているのです。モンスターは、基本、新しいものを作れないのですからね。
 けれどもそうやって造ったものは、もう元には戻らない。例えば土ブロックを大量に使ったら、丘が一つ消失します。
 竜王はそれが不快だったようです。彼の望む調和とは、何も変化しないことです。呪われたラダトームをごらんなさい。ブナの樹は立ち枯れていて、あれ以上成長することはありません。白い花なら風に散って枯れ、翌年種から新しい芽が生えて蕾ができるでしょう。でもシャレコウベはそんな変化はしません。
 私が望む調和は、違います。人が新しいものを造り、造ったものを享受して世代を送っていくことです。もしその結果丘が消失したら、私は警告する事でしょう。でも、人類を滅亡させてまで丘から遠ざけようとはしないでしょう。河は絶えず流れて土を運び、べつのところにいつか丘ができるからです。変化、いえ、この世界の大きなサイクルが私の望みです。
 アッシュ、あなたの考えはほとんどあたっています。生前のあなたはゴーレムがメルキドの町をたやすく破壊することに悩んでいました。竜王がそのとき、あなたに取引をもちかけました。内容はさきほどあなたが指摘したのとほとんど同じです。
 あなたは“はい”と言った。ゴーレムが襲ってきたとき、メルキドの市民は荒々しい声が『ロトの末裔を生け贄に捧げれば町は助かる』と言うのを聞きました。あなたとあなたの一族は捕らえられ、あの穴蔵へ閉じ込められました。
 竜王は知っているのですよ。勇者はロトの血筋から出現するということをね。だからあなたを家族ごとまとめて始末できる機会を逃さなかったのです。私は焦りましたが、精霊と言えど、あなたが承諾した取引に介入することはできません。竜王の一人勝ちでした。
 あなたを復活させるときにあなたの顔を変えたのは、竜王にあなたが生きていることを知られたくなかったからです。取引をした以上、あなたは竜王の手下なのですから。あなたは竜王とは無関係のビルダーでいなくてはならなかった。それが理由です」
しばらくして、ぼそっとアッシュはつぶやいた。
「あいかわらず話が長えな」
皮肉を込めてルビスがつぶやいた。
「おや、今度は起きて聞いていたのですか?」
アッシュは肩をすくめた。
「自分で聞いた質問だからな。そっか。思った通りか。竜王はそのとき、何を欲しがったんだ?やつの言う“友情の証”に」
「聞かれたから言いますが……、あなたの利き腕です」
アッシュは自分の腕をもう片方の腕でつかみ、しばらく黙っていた。
「やっぱりエグいな、竜王のやつ。初めて声をかけたとき、俺の身体が動くかどうか聞いたのはそのせいか」
そしてゴーグルを少しつまみあげて、前髪の下の額をかいた。
「メルキドの穴蔵に散らばってたのはおれの家族だったのか。墓、つくってやるかな」
そう言って、あらためて両手を見た。
「ちょっといい建材で。自分も入るかもしれないし」
 精霊ルビスはかるく咳払いをした。
「気はすんだのですか?」
「まあね。光のたま、掲げてやるよ」
「いいのかい?」
とラライは言った。
「君は彼女に、生命力をもう少し欲しいと願ってもいいと思うのだけどね」
冷めた表情でアッシュは片手を振った。
「自分でこうなるってわかってやったんだ。後悔はしてない」
「あなたらしい言い方ですね、アッシュ」
と精霊は言った。
「ひとつ忠告しておきましょう。竜王は霊体となってもまだアレフガルドに強く執着しています。用心なさい。生身のうちは、霊体に対抗するのは難しいのですから」
アッシュはためいきをついた。
「またうざそうだな」
そのとき、ふわりと朱色のマントが翻った。
「心配ない。相手が霊体なら、同じ霊体のぼくが君を守るよ。これでも元勇者だ。戦闘ならいささか自信がある」
アレフだった。その横で気軽くラライが訊ねた。
「何か要るものはないかい?鎧でも盾でも造れるよ、なんなら大砲でも」
ウルスは謙虚ながら、小さく微笑みを浮かべた。
「回復なら任せて下さい。状態異常の解除もできます」
アッシュは両手を広げた。
「だってさ。けっこういいパーティじゃないか?さあ、もういいや。光の玉、いってみようか!」

 竜王を倒し、アレフガルドの空に光が戻った。ラダトームで待つ人々の顔が華やいで明るくなるのは、やはり見ていて楽しかった。
 すべて飲み込んでいるローラ姫の指示で、それなりの宴が開かれた。宴会は実際、にぎやかだった。アッシュの目には、生身と霊体、両方の参加者が見えるため、実際よりもちょっとにぎやかに映った。
 あっちこっちでちやほやされたあげく、アッシュは自分の工房の扉の脇にすわりこんで、城の中央、希望の旗を囲む水場を眺めていた。いくつもの灯りが反射してとてもきれいだった。
「あ~あ」
一番楽な旅人の服でアッシュは宴に参加していた。重い鎧を着なくていいのはありがたかった。
「世界はリア充で満ちてるよな……」
 お酒一杯で赤くなってしまったローラ姫は、花の咲く部屋で酔いをさまそうとしたのだろう。ベンチに座ったまますやすやと寝息を立てていた。その横にアレフの幽霊がすわりこみ、姫を守るように肩を抱いて幸せそうに眼を閉じていた。
 教会のレンガ料理台の前では、エルが腕を振るい、かいがいしく酒肴を整えている。ウルスは、給仕するエルをずっと見つめていた。ウルスにとってはエルは師匠の孫娘なのだから、当然前から知っているのだろう。というより、どんな感情を抱いていたかは、憧れをこめた視線から明らかだった。
 ラライもアメルダにくっついていた。アメルダはどうやらラライの存在に気付いているらしい。乾杯の時には必ずラライの方へもグラスを掲げるのだ。ラライは嬉しくてしかたがないようすだった。
「くそぉ」
どたどたと足音がした。
「どーした、アッシュ。呑んでおるか?」
真っ赤な顔のロロンドがやってきた。酒の力を借りて、ついアッシュは本音を口にした。
「あのさ、なんでピリンが来ないんだよ」
「いーではないか、こうして吾輩が来てやったのだから」
「俺、泣いていいですか?」
「泣け泣け。おまえはよくがんばった!」
そう言ってバカ笑いをする。アッシュは頭を抱えた。
 兵士のチョビがやってきた。
「ロロンドさン、アちらでオーレンが呼んでマス。呑み比べヲやりタイッて」
「おお、そうであった!若造など、ひとひねりだわ!」
酔った頭に響き渡る大声でロロンドはそう宣言し大股に去っていった。
「だいジョウブですカ、アッシュドロル?」
アッシュは、元モンスターの兵士の顔を見た。
「おまえ、何か知ってるのか?」
「……ハイ。姫様ガ独り言を言ッてイルのを聞イテ、察しヲ付けマした」
チョビは声を潜めた。
「そのオ身体ハあまり、長クない、とカ」
アッシュは軽く酔いがさめた。
「ビルダーは竜王戦をやるにはちょっと……か弱くてさ」
「ナント言ってイイカ、アッシュドロル」
チョビは真剣な顔だった。
 ははっとアッシュは笑った。
「絶対はずれない預言で知ってるか?“あなたはいつか必ず死ぬ”っていうんだ。人間である以上、誰だっていつかは死ぬ。30年後かもしれないし、明日かもしれない。俺も例外じゃない」
「デ、でも」
「おれさ、あのおばはんと話してて気が付いたことがあるんだ」
「精霊女神サマのこと、デスよね」
「あのひと、たぶん人間と時間の感覚がちがう。俺に『竜王と戦うな、それはそのうち現れる勇者の仕事だ』と言った時、おれは尋ねた。じゃ、ほんとの勇者が現れるのは、いつだ、と。おばはんいわく、”私にもわかりません。何年か……何百年か……”」
くすくすとアッシュは笑った。
「俺の身体はまだほんの少しなら保つんだって。精霊の言う“そのうち”が百年単位なら、“ほんの少し”って、三十~四十年くらいじゃね?」
アッシュは紫色の城の床にあぐらをかいてすわりこみ、頭を工房の壁につけた。
「どっちでもいいさ。俺の人生オマケだし」
気持ちのいい酔いがやってくる。アッシュはくつろいだ気分で目を閉じた。
「じゃ、お休み」