はいと答えた男 3.はいと答えた薬師

 その日、珍しくリムルダールは雨が降らなかった。美しい夕陽が町を染めて紫の毒沼の向こうへ暮れていくと住人は仕事を終えて寝室へ入り、そして夜が訪れた。
「用意はいいか?」
希望の旗の立つ台の前でリムルダールのビルダー、アッシュと女兵士ミノリは背中合わせに立ち、息を殺していた。ミノリはひのきで造った棒をかまえ、アッシュは先日造った鉄の剣の柄を握って先端を地に向けていた。夜は深々と更けていった。
 新生リムルダールは周辺をぐるりと2マスの高さの木のブロックで囲まれていた。実は希望の旗を立てた直後から町の中の高低差もわずかに残る壁の遺構も、アッシュは大木槌で壊しまくった。南側にあった小高い丘は木の作業台ごとまるっと姿を消した。あちこちに残っていた床石ブロックも壊して集めて、町の東側中央のみ堅牢な石壁を築いている。おかげでおおきづちどもは”壊せない”と嘆くばかりだし、リカントもドロルも入ってこなかった。
 ただし、夜になるとあいつらだけは必ずやってくる。
 闇のなかにぼうっと紫のゆらめきが起こった。次の瞬間、旅のほこらの外壁に火球が激突して派手な炎があがった。
「魔物発見!」
ミノリが機敏に飛び出した。
「じゃ、打ち合わせどおりに」
「了解」
二人は旅のほこらへ向かって走り出した。闇の中から赤みをおびた体に緑の帽子をかぶったメトロゴーストが拳をふりあげて襲ってきた。バックステップでふり下ろしを避け、剣で一撃を与えた。そのままくるっとふりむいてアッシュは走った。怒ったメトロゴーストが追いかけてきた。
 すぐにミノリが並んだ。背後にもう一匹メトロゴーストをくっつけていた。アッシュとミノリは一目散にベッドホテルを目指した。
 町の南東の隅に9×8という広い敷地を取ってベッドホテルをアッシュは作っていた。ベッドは八台あり中央にスクリーンがわりのわらの扉を並べて立てて男女別にスペースをしきっている。名付けて「魔法の鍵亭」。
 アッシュとミノリはモンスターを引き連れてベッドホテルへ飛び込んだ。
「ケケケケケケ」
毎度けたたましい声をあげて笑うモンスターたちが、そのとき途中で口をつぐんだ。
「おお、魔物が!」
「魔物だねっ」
闘志満々の住民たちがメトロゴーストどもに反応してぱっと起き上がった。
「すげえ、フルボッコだ」
ケーシー、ザッコそしてシスター・エルの繊細な手から百発百中の石つぶてが飛び、賢者ゲンローワはワイルドにも棍棒を振り回してモンスターをぶちのめした。
「今度はあちらよ!」
「逃がすもんか!」
運悪く来合わせたおおきづちめがけてザッコが壁上から飛び下りた。
 エキサイトした住民一同は一晩中不運なモンスターどもを追いかけ回した。やがて空が白みはじめた。特にゴースト系は朝に弱い。一目散に退散していく姿をミノリとアッシュは半笑いで見送った。
「今晩町に入ってくるなんて運が悪かったな」
「これで緑帽ども、当分来ないでしょうかね」
「だといいけどな」
ホテルの床にちらばった羽と卵を拾いながらアッシュはそう答えた。
「わしはもうちょっと寝るぞ」
多少HPを減らした住民たちは朝寝をすることにしたらしい。
「どうぞどうぞ」
そういって ホテルを出て後ろ手に木の扉を閉めようとしたときだった。ふぁ~とあくびの音がきこえてきた。
「あーよく寝た。お、おはよミノリ、アッシュ。なんだその顔。なんかあったのか?」
「こいつ、まさか」
あれだけ大騒ぎをしたと言うのに、まったく気付かずにぐーぐー寝ていたらしい。アッシュは逆に感心した。
「なんだよ、いったい」
「なんでもない。つか、おまえつくづく大物だな、ノリン」
はあ?とノリンは答えた。

 ノリンは拠点を囲む毒沼の西に倒れていた若者であり、アッシュがエルに頼まれて最初にリムルダールへ連れてきた病人でもあった。
 そのあとの患者たち、たとえばヘイザンのほうが、フライドポテトを持ってこいだのブイヤベースを食わせろだのとうるさかったのだが、なぜかアッシュにとってはノリンのほうが食いしん坊だというイメージがあった。
「おい、ノリン、めちゃくちゃ落ち込んでるやつがいるとして、おまえだったらどうやって慰める?」
即答がかえってきた。
「うまいもん食わす」
やっぱりな、とアッシュは思った。
「え~とザッコのことか?イルマとは昔から友達だったって言ってたから、ショックだろうな」
イルマ、エディ、そしてケンの三人の患者は、ある晩生きながら死者と化した。三人ともリムルダールに蔓延する奇病の犠牲者だった。
 ノリンがぽんとアッシュの肩をたたいた。
「落ち込んでるって、実はアッシュか?」
その夜、剣をふるって元人間のリビングデッド三人を、本当の死者にかえたのはアッシュだった。
「やかましい」
肩からノリンの手をはらいのけてアッシュは言った。
「なんだよ、人が心配してやってんのに。いいから聞けよ。人間、飯食って出すもん出す。基本中の基本だぜ。動物でもモンスターでもそれだけはやってるだろ?生きていくために飯は食わなきゃならない。生きる=飯だ」
ノリンは熱を込めてそう説いた。
「飯を馬鹿にすんなよ?イワシの炭焼きをおろそかにする者は刺身の盛り合わせに泣くのだ……」
わかった、わかったと言ってアッシュは離れようとした。
「あ~ちょっと待った」
めんどくさいことを言い出すんじゃないだろうな、という顔をして見せたのだが、ノリンは空気を読もうとしなかった。
「レンガ料理台って知ってるか?」
目が輝いていた。
「なあ、アッシュ?」
「造ったことはある」
メルキド、いやドムドーラの幽霊から教えてもらったのだ。
「そりゃ話が早くていいや!それ造ってレンガレストランにしてくれよ。敷地はあのへんどうだ?いろいろ料理のバリエーションが広がるじゃないか」
「食って出すだけでいいんだろ?」
つんとしてノリンは言った。
「そういうお下品な言い方はやめてくれ」
自分で言ったくせに、とアッシュは思った。
「美食家のあくなき要求に応えられる施設を待ってるぞ」

 そろそろ耐久度のあやしくなった石のオノを両手でしっかりと持ち、アッシュはたっぷりとタメを取った。
「おりゃああっ!」
回転切りがさく裂した。周辺のあらゆるものがあたりへ飛び散った。
「お、おれの院内食堂がっ!」
「黙れ」
ノリンの指した敷地は実はヤシの木を育てる予定地だった。レストランの場所がないなら、造るまで。アッシュは気合を入れて壊しまくった。
「おまえが造れって言ったんだろうが!」
こじんまりした院内食堂はいったんばらばらにしないと大型テーブルを搬入できない。とあるお屋敷から持って帰ってきた、緑のテーブルクロスをかけたスクェアテーブルは、それだけの大きさがあった。
 まずテーブルを置き、四方にクッション椅子を配置する。うち二つは院内食堂のを流用。木の扉を先に建て、動線を配慮してレンガ料理台の場所を決める。隣に収納箱を据えてから、壁づくりに入った。
 ドドドドドドと派手な音をたてて壁ができていく。あとからフローリングにしてウッドウォールを使って最後にあっちこっちでガメてきた壁掛け松明を、と頭の方が早く働いていた。
 朝から始めた一連の作業は日没までに終わった。さすがにアッシュの呼吸が荒くなった。
「すげー」
目を丸くしたノリンがそう言った。足を開いて石のオノを地面におろし、木製の柄が天にむいたその先端に額をくっつけてアッシュは体重をかけた。
「ほかに言う事ねえのか」
「ありがとう!」
とノリンは言った。
「まじ、ありがとうな。いいなあ、この調理場。それにテーブルがでかいとみんなでわいわい食えるじゃないか。よっしゃ、腕によりかけて美味いもん作ってやるよ」
アッシュは顔を上げた。
「突然素直になるなよ。びっくりする」
ノリンはにかっと笑った。
「おまえ、何が食いたい?こないだ釣ってきてもらったマグロとかタイとかあるから海鮮鍋やるか!」
心からノリンはうれしそうだった。
「うまい食い物ってのは、すげぇ力がある、と思うよおれは。なんたって簡単に幸せになれるじゃないか。美味しいもんを食べられるってだけで生きてるのがうれしくなる。死んだら味なんかわからないもんな」
クッション椅子に腰を掛け、アッシュはぴかぴかのレンガレストランでノリンが料理するのを眺めていた。
 木の扉が開いた。
「いい匂いはここか!おお、おしゃれじゃないか」
「アッシュ様が昼間造っていらしたのはこれでしたのね。なんて素敵な!」
ヘイザンとエルがのぞきこんだ。
「座る?」
アッシュが椅子を指さした。リムルダールの住人がぞろぞろ入ってくる。
「アッシュさん、椅子増やしてもらえねえべか」
「今日は木箱出しとけ」
ノリンが得意料理を持ち出してきた。
「さあさあ、腹いっぱい食べてくれ!」
たちまちレストランの中は歓声に満ちた。
 アッシュは“むちゃくちゃ落ち込んでるやつ”のことをひそかに思い出していた。

 遙か遠くに水平線が見えていた。けしてたどりつけないその海を背景に、小さな家があった。島から浅瀬でつながった小島だった。
浅瀬はつま先が潜るていどの水深だった。水面には降り続く雨が小さな同心円の模様を絶え間なく描いていた。
 アッシュはその場に立ち尽くしていた。
 動けなかった。
「ありが……とう……助けて……くれて」
異形の怪物となりはて、たった今まで腕を振り回して襲い掛かってきたウルスが、虚ろな眼から一筋の涙をこぼし、そうつぶやいた。紫とも茶色とも見える醜悪な水蒸気のようなものが体全体から立ち上る。
 アッシュは答える言葉がなく、ただ奥歯を噛みしめて耐えた。殺してくれてありがとう、とウルスは言ったのだった。不器用な指で汚い紙片の束を大切そうにつまみ、水蒸気をあげるウルスはアッシュに差し出した。
――ゲンローワ様に……声にならないつぶやきだった。
アッシュはメモを受け取った。たちまち雨粒がその上に落ちてしみをつくった。ぽたぽたと垂れるのは、雨粒だけではなかった。
 ぐしゃっと音を立ててウルスの膝がくだけ、上体が崩れた。死を超越したはずの彼の身体は、物理的に崩壊しようとしていた。変形した顔は異形なりに微笑みを浮かべた。見開いた目にまぶたが下りるのを見たのが、アッシュにとってただひとつの救いだった。そのままウルスという存在は永遠に消え去った。
 すぐ近くの海から聞こえる果てしない波の音。背後の密林からの鳥の声。アッシュは片手にメモを持ち、片手に鉄の剣を下げ、うつむいたまま動けなかった。しゃくりあげるのを必死でこらえていたのだった。

 数日後、同じ場所に、アッシュはたたずんでいた。ウルスの家は、ゾンビ包囲戦をやったときとほとんど変わっていなかった。死を超越するための人体実験が行われた痕跡はもううかがえなかった。
「『美味しいもんを食べられるってだけで生きてるのがうれしくなる』、ってノリンが言ってたよ。美味いもんを食っていりゃあ、生きた死体になろうなんて思わなくて済んだかもな」
もう、誰も料理を食べる人間のいない家で、アッシュはそう言った。
「遅すぎるのはわかってんだが、せめてこれをもってきた」
スクエアテーブルのあったお屋敷から拝借してきたのは、魚料理のプレートだった。
 ふと何かの気配を感じてアッシュは振り向いた。ウルスの家のキッチンだった。見慣れない道具がある。水をためて皿を洗う道具、シンクだった。
「こいつは……」

 リムルダールに戻ると、ほとんど日暮れに近くなっていた。レンガレストランでは今日もノリンが鼻歌まじりにシーフードで何か造っていた。
「なんだそれ?」
「シンクっていうんだ。レアもんだぞ」
ウルスの家にあったシンクを、アッシュは料理台のそばへ設置した。
「なかなか便利そうだな。使っていいのか?」
「大丈夫だろうと思う」
 賑やかな晩飯の後、住人はまたベッドホテルへ寝に帰った。アッシュとミノリは、武器を手に町の中心で再びメトロゴーストを警戒していた。
「ノリンの飯、やばいです」
とミノリがつぶやいた。
「おいしすぎて食べすぎるから、動きが鈍くなっちゃった」
アッシュが答えようとしたとき、轟音が響きメラの炎が踊った。
「今夜はどこだっ」
答えはすぐにわかった。レンガレストランから炎が見えた。
「あいつら!」
叫んでミノリが走ろうとした。
「待ちなって。腹、重いんだろ?急がなくていい」
「でも、アッシュさん!」
アッシュは無言でカフェを指した。
 メトロゴーストたちは、包囲されていた。それも、幽霊によって。人間の姿のウルスがいる。イルマがいる。ケンとエディ、そしてあのウルスの家の床にうずくまっていて人々が霊体になってレストランに集まっていた。
 同じゴーストどうしだと遠慮があるのか、メトロゴーストたちは逃げ腰になった。
――見逃してやるから、行け。
そんな仕草でウルスが手を振った。しょぼんとしてメトロゴーストは消えていった。
「え、え?何が起こったんですか?」
「あ、そうか。見えないのか」
ウルスの家にあったシンクに、見た顔が集まっていたのだった。アッシュはシンクごと彼らをレンガレストランへ連れ込んだ。
「そういや、あれを忘れてた」
アッシュはレンガレストランのスクエアテーブルに近寄った。そして中央に飾った生け花をそっとよけて、持って帰ってきた魚料理のプレートを持ち物からとりだした。
「それ、食べられないんですよね?」
「いいから、いいから」
人間の住人といっしょに飯を食べられなくても、気分だけでもそんな気になってもらおうと思ったのだ。アッシュはプレートを設置した。
 その瞬間、レンガレストランのフローリング全体が、一枚一枚プラチナの煌めきに包まれた。
 森と木のカフェの完成だった。

 暗赤色の服を着た明るい色の髪のウルスは、淡々と語りを終えた。
「ウルス、聞こうと思ってんだ。おまえ、竜王に会ったか?」
ウルスは無口で物静かな若者だった。小首を傾げて少し考えたあと、おもむろにうなずいた。
「姿は見えなかったけど、あの声は竜王だったと思う」
「その声は何と言ったんだ?」
「ぼくのことを哀れなウルスと呼んで、もし自分の味方になれば、死も病も超越出来るようにしてやろう、と」
アッシュはうなずいた。
「ああ、それ、竜王だ。あいつはその時おまえからなにか取り上げなかったか?」
「友情の証に調合ツボをくれと言った。もし病を超越できるならもう薬草なんていらないんだからあげてもいいと、ぼくは思った。でも、竜王がぼくに与えたのは、病からの解放じゃない、生きながら死人と化す奇病だった」
ウルスは天を仰いだ。
「なんで竜王はぼくなんかを嵌めたんだろう。ぼくは竜王を倒す勇者でも、すごい兵器を作り出す発明家でもないのに」
「ぶっちゃけ、目障りの一言だろうな。あいつはもともと、人間が神に近づくような力を持つことを好まないのさ」
「神に近づくだって?ぼくはただの薬師なのに」
「そうさ、ただの薬師だ。でも、人々が病に苦しむさまを眺めたいという竜王の望みを邪魔しそうだった」
 アッシュ、と精霊ルビスが尋ねた。
「あなたの意図を測りかねています。あなたは証人を呼ぶと言った。いったい何を証明したいのですか?」
アッシュは向き直った。
「竜王のやり口が一定のパターンをもっていることを指摘したい。竜王は約束する。それは文言上きっちりと守られる、実際にやることはペテンだとしても。約束を交わした相手は一番大切なものを竜王にさしだし、そして必ず不幸になる。本人だけじゃなく、関係者全部が」
苛立った口調を隠さずにルビスは訊ねた。
「だからどうしたというのです!」
ぼそっとアッシュは言った。
「メルキドは?」