はいと答えた男 1.はいと答えた戦士

 夜明け前のラダトーム城は静まり返っていた。城の西南の隅には、小さな水場がある。今夜西側の巡回はラスタンらしい。あたりを見張りながら靴音を忍ばせてそばを通ったとき、ラスタンはふとこちらを見た。
「こんな時間から作業なのか?」
ラダトームのビルダー、アッシュは片手で汗を拭き、やはり小声で答えた。
「こんな時間まで、かな。徹夜なんだ」
ラスタンは小さく笑った。
「もう敵は竜王だけなんだろう?ラダトームを強化したって意味ないじゃないか」
大金槌を肩に担ぎあげてアッシュはつぶやいた。
「ま、いろいろあって。とりあえず城壁を直す」
先日襲ってきたダースドラゴンは尾のひとふりで城正面の正門まわりをさんざんに破壊していった。水場もその時破壊されて、水は城外へダダ漏れになっていた。ドラゴンを城外で仕留めることができたのは不幸中の幸いだった。
 無理するなよ、とつぶやいてラスタンはまた巡回に行ってしまった。
 アッシュは小さく息を吐き出した。大扉を取り付けなおして正門周辺は修理が終わった。あふれた水は、城の周りを全部ひとマスづつ掘り下げてお濠にしてしまった。これからやっと水場そのものにとりかかれる。
 城壁ブロックで水場に接する城壁に開いた穴をひとつひとつ丁寧にアッシュは埋めた。西南の角にあるので、背の高い大城壁で二面の壁となった。水場に隣接しているのは教会だった。壁の一面はそれを共有とする。最後の一面は柔らかな感じのレンガブロックを使い、とあるダンジョンからもぎとってきた牢屋の扉をはめこんだ。ひとマスに収まるささやかな扉はこれしかなかったのだ。
 やがて6×6の小じんまりした空間が出来上がった。
 アッシュは大金槌を手に池へ飛び降りた。広げるところは広げ、埋めるところは埋める。そして池の中には必ず浄化の噴水がなくてはならない。部屋の中央に2×2のつつましやかな池ができた。
 ドラキーの落とし物を使って、アッシュはその部屋の土床をすべて草生す草原へ変えた。
「まだあったはずだよな……」
袋の中を指で探ると、あるキングスライムのために集めた花のつぼみの残りがでてきた。白、黄色、桃色と池の周りに並べて植えていった。色合いに満足が行くと、それを眺められるような壁際に一台のベンチ。その上に壁掛けの燭台。小さな水場は、花の咲いている部屋となった。
 ようやく日が昇ってきた。陽光は城壁をこえてさしこんできた。住人たちが目覚め、部屋から動き出した。ドアを開閉する音や足音が聞こえてきた。メルキドなまりのロロンドの挨拶、アメルダの威勢のいい声も遠くから響いた。
 レンガの料理台で火がぱちぱちと音を立てている。隣の教会でシスター・エルが朝食の準備を始めたらしい。鋼の大扉が遠くで開いた。ラダトームの王女が私室を出て玉座の間へ入ったようだった。
 花の咲く部屋は静かに朝の光を浴びていた。花はかすかに風に揺れ、水場では噴水から清らかな水があふれだしてせせらぎの音をたてていた。
「これでいいかな」
とアッシュはつぶやいた。袋の中にはまだもう一つ、アイテムが残っていた。慎重に取り出し、アッシュは室内を見まわした。城壁が光を遮って陰となるひと隅に、アッシュは場所を定め、それを据えた。
 飾りもないシンプルな石の墓標だった。
「アッシュドロル?」
牢屋の扉が開き、兵士のチョビがこちらを見ていた。
「朝ごハンを食べテいきますカ?」
「いや、ちょっと行くところがあるんだ」
オオッ、とチョビはのけぞった。
「ではツイにりゅうおうさまト?」
「それはまた今度な」
アッシュはチョビの横をすりぬけ、旅の扉へ向かった。
「今日は別の用があるんで。じゃな」

 旅の扉・赤からつながる島はラダトームの南にある。アッシュは助走をつけてほこらから飛び出し、モノトーンの大地へ着地した。
 白に近い灰色の大地が延々と続く。黒い影草や大きな角のまわりには白いしゃれこうべがごろごろしている。時折現れるのは竜族の骨。血の色をした土のほかに世界に色彩はなく、目にきつい白と黒のコントラストが視界のほとんどすべてを支配していた。
 にもかかわらず、早朝の大気は爽やかで心地よかった。真上を見上げるとまだ暗いままの空があるのだが、アレフガルドの住人なら今が朝だということを否定しないだろう。ジャンプで段差を超えながらアッシュはほぼ真東へと駆け抜けた。
 丘の向こうにトロルの巨体が見える。その手前から骸骨が二体剣を手にこちらへ向かってくる。
 アッシュは音を立てて王者の剣を引き抜いた。なぜかモンスターどもは彼、アッシュの攻撃力を測ることができるらしい。骸骨剣士はくるりと向きを変えて去っていった。
――装備、変えとくか。
そんなことを考えながらアッシュは砂漠と溶岩地帯の間を快調に駆けていた。
 一度アッシュは聖水を使って、このあたりで大地にかけられた呪いを解いてみたことがある。だがそんなことをしても負け戦の旗は負け戦の旗のままだし、放棄された天幕も壊れたバリケードもそのままだった。
 戦があったんだろうな、とアッシュは思う。当然、ラダトーム軍と竜王軍との対決だったのだろう。だが、勇者を欠いたラダトーム軍はなすすべもなく竜王軍に蹂躙され、集められた軍勢は天幕を残して滅び去ったのだ。
 きれいさっぱりかたづけりゃいいものを、なんで竜王はこんな痕跡を残しておくのか。アッシュは頭を振った。竜王からの、これは見せしめなのだろう。
 まもなく目の前に高い建物が見えてきた。魔城の壁を高く積み上げたその城は、威圧的で不吉だった。入り口は竜の柱を左右に配置した石の階段でその先は厳重に閉ざした魔法の扉である。つい数日前、アッシュ自身がその扉を最後の鍵で開けたばかりだった。
 階段のところには、看板がひとつ、立っている。そこには荒々しい筆跡でこう書かれていた。
「世界ノ半分」
と。
「よお」
鋼の鎧と大金槌を装備したかっこうで、アッシュは話しかけた。
 看板の足もとに、一人の若者がしょんぼりと坐っているのが見えた。若者は顔を上げた。
「君は?」
「アッシュ。ビルダーのアッシュ」
と答えた。
 それは誠実そうな瞳に筋肉質の体つきをした若い男だった。短めの黒髪の中に両手の指を入れて、若者は階段にすわりこみ、頭を抱えていたのだった。
「アッシュ?初めて会うね。ここはどこだい?なんで白と黒だけなんだい?君はどこから来たの?ぼくはいったいどうしてこんなところにいるんだ?なんでぼくは何も持ってないんだ?」
アッシュは大金槌を背中からおろし、柄の先に顎を乗せて尋ねた。
「何から答えればいい?」
若者は赤面した。
「ああ、その、悪かったね。話しかけてくれたのは君が初めてなんだ」
「だろうな」
アッシュは肩をすくめた。
「ここらには人はあまりいないよ。みんなラダトームに集まってる」
知っている町の名前を聞いて、若者の顔に理解の光が宿った。
「そう、それだ。ラダトームだ。君、ぼくをそこまでつれてってくれないか」
ケッパーが、ヘイザンが、ギエラが、ちょうど同じことを言ってなかったか。懐かしい思い出が心に浮かんだ。
「ああ、そのために来たんだ。来いよ。こっちだ」
そう言ってアッシュは歩き出した。

 若者はきょろきょろしていた。
「どこまでもこんななんだな」
灰色の骨岩、黒い影草、立ち枯れの木の幹、根元にはニガキノコ。背景となる空は闇黒に呑まれ、不吉な赤い窪地の上には岩の塊が浮遊する。
 ぽつりとアッシュは答えた。
「竜王のせいだよ」
「ああ、やっぱり。でも、僕が知ってるアレフガルドは、これほどひどくなかったのに」
二人は小さな丘を目指していた。もう目の前に旅の扉から立ち上る光が見えていた。アッシュは歩きながらため息をついた。
「時間が立ってるんで」
「時間が経過しただけでこんな呪われた世界になったのか?」
呪われた、か。嫌悪を現すその言葉が実は正確な表現なのだと、彼は知っているはずがないのだが。
 ほこらへの階段をのぼりながらアッシュは重い口を開いた。
「昔はまだましだった。けど、竜王は、竜王城の奥深くにある玉座の前で、勇者に尋ねたんだ。『もしわしの味方になれば世界の半分をおまえにやろう。どうじゃ?』と」
若者は何か言いかけて沈黙した。
「『はい』か『いいえ』かと問われて、そいつは『はい』と言った」
「それって」
若者は目を見開いて何か言いかけた。アッシュは彼の手をつかんだまま、旅の扉へ飛び込んだ。

 空間のうねりが二人の上を通り過ぎた。あらためてクリアになった視界のなかに、緑滴る大地が姿を現した。
「ここはっ」
こわばっていた若者の顔が歓喜に輝いた。
「ラダトーム城だっ。よかった、無事だったんだ」
 立派なブナの樹が数本づつかたまって生え、見事な枝から葉擦れの音がする。その木下陰に薬の葉の茂みが豊かに群れ、白い花が咲き乱れている。足もとは柔らかな草原だった。
草原のはるか先、ブナの梢のかなたに、堂々とそびえたつ城があった。モノトーンでできた廃墟の世界を見てきた目には、限りなく美しかった。
「あれ、ラダトームの町がない。でもお城が無事なら……、きっと、あのひとも」
うきうきとした足取りで若者は城に向かっていく。アッシュは重い心と金槌を抱えてそのあとについていった。
「海岸に近い麗しの王都。初めて来たとき、ぼくはドキドキしたよ。王様に呼び出されてぼくは」
若者の足取りがとまった。
「ぼくは」
彼の背中をアッシュはそっと押した。
「『光の玉を取り戻してまいれ』って命令をもらった。だろ?」
ぎこちなく若者はうなずいた。
「ぼくは、だから、がんばったんだ。がんばって、そして、あのひとを見つけた。暗い、洞窟の奥で」
「強いよな、ドラゴンは。火を吐くなんて反則だと思うぜ。でもあんたは一人でそれをやってのけた。そして彼女を連れて帰ってきた」
のろのろした足取りで若者は城へ向かった。
「彼女はいつもぼくを待っててくれた」
若者はうつむいた。
「あのときも、ぼくは、きっと帰ってきます、と約束したんだ。帰って来た時には大事な話がありますから、どうか聞いてください、と」
アッシュはため息をついた。
「それをあんたはよ……」
二人は城の正門にたどりついていた。若者は濠に囲まれた堂々たる王城を見上げ、動かなくなった。
「ほら、入るぞ」
若者は口を開こうとして、声も出せずに首を振った。
「ここまで来たんだろうが!」
「……だめだ。入れない」
「扉なら、開けてやるよ」
アッシュは先に立って鋼の大扉をあけ放った。視線の先に青ざめた若者がいた。
「だめだ!あのひとに、どんな顔で会えばいいんだ、ぼくは!」
若者の唇が震えていた。見開いた目は、己の罪の大きさにおののいていた。
「ぼくはどれほどがっかりさせたかわからない。ぼくは、ぼくは!」
アッシュは彼の襟首をつかみあげた。
「いいから来い!」
若者はもがいた。
「いやだ!だめだ!許してなんて、言えっこない……」
「アレフ!」
びくっと若者が震えた。
「彼女は、あんたを責めないよ」
「そんなはずはない……」
裏切りの勇者、アレフはそうつぶやいた。
「ローラ姫は、あんたのことを覚えてない」
アレフはアッシュの手首をつかみなおした。
「まさか!」
つかまれた手首にかかる圧力にアッシュは顔をしかめた。
「落ち着け。姫は、絶望のあまり石と化した。そしておのれのすべてを祈りに代えて、ごくわずかな地域を竜王の呪いから守り抜いたんだ。来たるべきルビスの使者を迎え入れるためだけに。あんたとの思い出は、甘い記憶も苦い悲しみも全部祈りに費やしたんだろう」
アレフの手から力が抜けた。
「ぼくは、なんていうことをしてしまったんだ」
自分勝手な嘆きを無視してアッシュは続けた。
「かわいそうに、全部忘れりゃよかったのに」
とアッシュは言った。
「夢の中だけで彼女は覚えてるんだぞ。うわごとのように何度も繰り返しつぶやくんだ。『アレフ様はお城から見て南に140歩、東に80歩のところにいらっしゃいます』」
アレフの目は開いているが、もうアッシュを見てはいなかった。アッシュの手を放してアレフはその場に座り込んだ。
「だから、ぼくをここへ連れてきたのか」
「ああ」
とアッシュは言った。
「あんたが姫と同じところにいるとわかれば、きっと今夜から彼女の夢は安泰だろうから」
アレフは鋼の大扉の前に座り込み、片手で顔を覆った。
「ぼくは姫に許しを請うこともできないのか」
「できないね」
とアッシュは言った。
「それが罰ってもんだ。魂が再生することもなく、この場にとどまって姫を見守り続けるんだ。彼女がラダトームを蘇らせ、もしかすると結婚して、老いて、死ぬまで」
 アレフはその場にうずくまったままだった。やがて、小さく彼はささやいた。
「彼女を見守ることができるのか。それは僕にとって、罰じゃなくて褒美のようなものだ。そんな罰なら、甘んじて受けたい。だが、僕はそんな褒美に値するのか?」
はあ、とアッシュは虚空を眺めて息を吐いた。
「もう、いいんじゃないか?あんたは、竜王が悪ふざけで世界ノ半分と名付けたあの魔城に何百年も監禁されていたんだ。たいした世界だよ。天井は高いがたったひとつのワンルーム、頭上の石像と永遠に燃え続ける灯りのほかは何一つないがらんどうの空間に、あんたはずっと笑い狂いながら閉じ込められていたんだ」
おれだったらあんな部屋、一晩でぶち壊して、三日もあればもう一回造ってやる、とビルダーはつぶやいた。
「そんなに長く?」
呆然とアレフはつぶやいた。
「忘れたのか。あんたを殺したのは俺だ。あのときおれは最後の鍵で扉を開けた。あの扉はものすごく長い間開けられた形跡がなかった」
アッシュは再び先に立ち、アレフに来いよ、と言った。偽王の亡霊はアッシュの後についてラダトーム城の門をくぐった。
 アッシュは、アレフがラダトームの町を満足のいくまで見渡し終わるまで待っていた。それからひっそりと、花の咲く部屋へ向かった。
「ほら、墓をつくっておいた」
アレフは静かな表情でうなずいた。
「ここにいるといい。ここならたぶん、あんたは誰にも邪魔されずに彼女を見守ることができる」
「君が作ったのか」
アッシュはうなずいた。
アレフの亡霊は、音もなく墓標の前に移った。気に入ったようだ、とアッシュは思った。
「さて、ひとつ片付いたな」
これからが一仕事だ、とアッシュは思った。とりあえずひと寝入りしないと。牢屋の扉を開けて出ていこうとして、アッシュは振り向いた。
「ひとつ聞かせてくれよ。なんであんたは、竜王の誘いにはいと言ったんだ?」
「わからない」
というのが答えだった。
「強いて言うなら、精霊ルビスの敷いた路線から一度だけ外れてみたかったから、かな。あそこへ行け、これをしろ、あれを買え、それを拾え、これはやるな、もっとこうしろ……そんなのばかりだった」
アッシュは肩をすくめた。
「ま、そんなこったろうと思ったよ」

 翌朝、アッシュは最後の仕事のために装備を変更した。ひかりの鎧、勇者の盾、王者の剣、まもりのルビー、会心の指輪。昨日アレフの幽霊を迎えに行ったときは、アレフ自身の装備にそっくりな鎧と盾は彼を混乱させたくなくてしまっておいたのだ。
 持ち物には大量の回復薬と、攻撃力、守備力増強のための食料を少々、そして大砲二門と愛車。体力は満タン、満腹度は腹八分。
「おっと……」
倉庫からアッシュは、虹のしずくを取り出した。
 竜王とサシの勝負をする前にアッシュはふと花の咲く部屋を訪れる気になった。扉を開けようとしたとき、ふいに向こう側から開いた。
「あら」
ローラ姫だった。
「いよいよその時が来たのですね。竜王の島へおいでになるのでしょう」
「うん、そう」
とアッシュは答えた。
「姫は何やってんの?」
花のつぼみの入ったかごを抱きかかえてローラ姫は微笑んだ。
「このお部屋をお花でいっぱいにしたくなりましたの」
アッシュはちらっと室内を見た。池の周りは花で埋め尽くされていた。墓の後ろから、アレフがこちらを眺めてかすかに笑っていた。

 アレフは長い物語を終えた。
「これが僕の身に起こったことです。竜王はロトの剣を僕から受け取り、世界ノ半分と名付けた城だけを僕に与えました。そしてすべてを自分のものにしました。竜王に違約を責めることはできません。“世界の半分”とは何なのか、と尋ねなかった僕が悪いと言うでしょう」
「ええ、悪いのはあなたです」
いらだった口調で精霊ルビスは言った。
「そんなことはわかりきっています。アッシュ、いったい彼が何の証人になれるというのですか」
「竜王のやり方がよくわかるだろ?」
とアッシュは言い返した。
「今のをよく覚えていてくれ。竜王はアレフからロトの剣を取り上げ、まやかしの“世界の半分”を与えた」
ルビスが口を挟む前にアレフは再び手を伸ばした。
「次の証人だ。今度はもっとわかりやすい」
先ほどと同じく淡い光の中に彼は現れた。白い髪を頭の後ろでくくり羽を飾った帽子をかぶった身なりの良い若者だった。
「さっきはどうも。マシンの差し入れはありがたかった」
発明家ラライの亡霊は満足そうにうなずいた。
「ま、世話になったからね。今度は証言だって?」
「ああ。お前の時のことを話してくれ」