捜神アレフガルド 7.魔物使いフィフス

 ドムドーラの町の東には深く入り込んだ入り江があった。大昔はそのあたりに小さな港があり、都市間を内海でつなぐ航路があった。今、ドムドーラ地方は砂漠であり、海岸は岩だらけの荒野だった。
 見渡す限り何もない海岸には雨風に白くさらされた岩がごろごろと転がっている。強い潮の匂いが漂っている。入り江の反対側はメルキドへ至る水郷地帯で、その向こうの岩山が見えていた。
 内海の波が荒れ果てた海岸へ、打ち寄せてはまた、引いていく。その単調な音をじっとアレフは聞いていた。
 ラダトームで話を聞いた後、一行は口数少なく城を出た。ガライを経由して、湖の横を南下し、滅びてしまったドムドーラへやってきた。
 ドムドーラには何もなかった。砂に埋もれそうな家と枯れ木がいくつかやっと立っているだけの廃墟だった。
 たまらずにアレフは町を出て、あてもなく東の海岸へ来た。平たい岩の一つにすわりこみ、頭を抱えたままじっと波の音を聞いていたのだった。
 アレフの後ろではエイトたちがいた。彼らが自分に声をかけられず、やや離れてかたまっているのをわかっていたが、どうにもできなかった。
「発端は、俺か」
ラーレ。
豊かな黄金の髪を左右二つにわけて頭の両脇で結った、気の強い少女のような神霊だった。色白の肌、血色の良いほほ、きらきらと輝く大きな目。
 女として愛した覚えはない。だが、勝ち気な妹がいたらこんな感じかなと思ったことはある。
「勇者アレフよ、太陽神ラーレの名においてアレフガルドを救うことを命じます」
勝ち誇った口振りでラーレは言った。
「どうかおまかせを」
甘やかすような口調でそう請け負うと、ぱっと顔を輝かせた。かわいい、と思った。
「けど、もう、だめだ」
ヒフミは、老婆に聞いたことをすぐムツヘタに言ったのではないとアレフは知っていた。その前にパーティのリーダーである自分に相談を持ちかけたのだ。
「俺は、ちゃんと聞かないで女神ラーレの前にヒフミを引きずり出したんだ。直接聞いてみろよ、と言って」
単純すぎた。ラーレが人に害をなすなどと、思いもよらなかった。二人で話せば誤解は解ける、ラーレに悪意があったはずがない、と決めつけていた。
「ヒフミは黙ってふるえていた。そりゃそうだろう。もしあそこで女神ラーレを告発していたら、今度は自分が焼かれる番だ」
ヒフミ。かわいそうなヒフミ。きっと俺に裏切られたと思ったことだろう。
「くそっ」
アレフ、と後ろで声がした。エイトの声だった。
「これからどうしますか?」
「ラーレ様を探す」
とアレフは答えた。
「ラーレ様を主神に戻す為じゃない。アレフガルドを、諦めさせる」
「……できますか」
アレフは立ち上がった。エイトの後ろにフォースが来ていた。
「俺は、女神ラーレによって選ばれた勇者だ。俺が説得できなけりゃ誰にもできないだろう」
「あんた、死ぬぞ」
フォースはずばっと言った。
「女神ラーレがあんたを手放すわけねぇし」
軽い口調とうらはらに、フォースの目は真剣だった。
「じゃ、おれが心中してやればラーレ様はあきらめるかもしれないな」
「マジか」
「世界は転変したんだ。もうここは俺の世界じゃない」
 そのときだった。遠くから、レックスが呼んだ。
「みんな、見て!」
レックスの指は南を指していた。砂漠の深部から何かやってくる。アレフたちは思わず身構えた。
「ドラゴン?」
「こんなところに?多いな!」
何のための移動なのか、相当大きな群れがこちらへ向かってくる。アレフは首を傾げた。こんな白昼の、しかも乾燥した土地をドラゴンはあまり好かない。しかも薄緑の腹と四肢、鈍い金色の体を持ち、首の後ろから背骨に沿ってしっぽの先まで鮮やかな水色のとさかをつけたその巨体はダースドラゴンのものだった。暗く湿った環境を好むドラゴン族で、ダンジョンの奥がお気に入りのはずだった。
「おい、なんだ、あれ」
唐突にフォースが言った。
「誰かいるじゃん!ほら、先頭のやつの角の後ろ見ろ」
最初、気づかなかった。ほとんど違和感なく溶け込んでいる。近づいてくると、やっと人間の男だとわかった。大きな紫の布をマントがわりにつけて口元までおおっているがその下は太めのズボンとブーツだけの半裸らしい。ただズボンの上から毛皮の腰巻を巻き付けベルトで留めている。頭に紫のターバンを巻き、片手に杖を携えていた。
 こちらを見下ろす表情が、奇妙なほど人間らしさを欠いている。彼の目の虹彩が縦長なことにアレフは気づいた。無表情なようすは、まるで人間の姿をしたは虫類のようだった。
 突然レックスが前に出た。大きく手を振ると、その男に向かって叫んだ。
「お父さん!」
トカゲめいた仕草でその男は顔を動かした。杖を持たない方の手でそっとダースドラゴンの角をたたいた。アレフたちの目の前でダースドラゴンの群は静かに停止した。
 人家の二階ほどの高さから、無造作にその男は海岸へ向かって飛び降りた。
「やっぱりモンスターといっしょだったんだね?」
レックスが駆け寄る。紫ターバンの男はじっとレックスを見つめ、いきなり目を見ひらいた。
 アレフたちは驚いて彼を見つめてた。姿形は変わったわけではないのに、その男は一瞬で変化した。ヒト形のドラゴンから、一人の父親に。
「れっくす~、ごめんねっ」
手から杖を放すとターバンの男は走ってきたレックスをぎゅっと抱きしめた。
「もうっ、出かけるときお母さんになんて言われたか覚えてるよねっ?」
まるで叱られた子供のように、ターバンの男は、うん、と渋々うなずいた。
「レックスとはぐれちゃだめよって、言われた」
「じゃ、今まで何してたの?」
「……」
「ドラゴンと遊んでたね?ぼくをほっといて」
ターバンの男はしゃがみこみ、視線の高さを息子にあわせた。
「見たことない子がいっぱいいて、夢中になってたんだ」
「いいわけになるの、それ?」
「だって~」
「ダメだよね?」
「でも~」
軽く下唇を噛んで涙目で下を向いていると、どちらが子供かわからない。
「お父さん!」
びくっとターバンの男はふるえた。上目遣いにレックスを見上げ、小声で聞いた。
「デボラに言う?」
黒髪の少年は口元を引結んだ。
「言わなかったら、あとでぼくがお母さんに怒られるんだから。"お父さんをちゃんと見てなさいってあたしは言ったわよね?"って」
 アレフはつい、口走った。
「迷子になるのは、おやじの方なのか」
「らしいですね」
そう答えてエイトは、身振りで行こうと提案した。アレフとフォースはついていった。
 一行が近づくとレックスの父親が立ち上がった。
「こんにちわ。息子がお世話になりましてありがとうございました」
アレフがめんくらったほど、常識的な挨拶だった。
「ぼくは、グランバニアのパパスの子、フィフス。レックスの父です」
エイトが言った。
「トロデーンのエイトです。先ほどダースドラゴンに乗ってましたよね」
はい、とフィフスは言った。
「気のいい子で、いっしょに行こうと言ってくれまして」
ドラゴンがしゃべるのか、とアレフは意外に感じたが、上を行く質問をエイトが放った。
「あなたはドラゴンなんですか?」
おいおい、とアレフは思ったが、フィフスはこともなげに答えた。
「はい、時々」
えっと思ってアレフは彼の顔を眺めた。今は人間の、それもなかなか優男の顔だが、さきほどアレフはこの男を見て、ヒト型のドラゴンだと思ったのではなかったか?
「そうなんですか。道理で他人みたいな気がしないです」
「あなたは?」
エイトはほほえんだ。
「ぼく、半分ドラゴンです」
はっ?とアレフはつぶやき、エイトの横顔を見た。
「母方が竜神族で」
知らなかった、とつぶやいてアレフは呆然とした。
「ぼくのお母さん、天空人です」
まじめにレックスが言った。
 ということは、とアレフは考えた。おれの今のパーティ、一人がドラゴンハーフ、一人がドラゴンと天空のハーフか。
 驚いたのか顔に出たのか、ちらっとフォースがこちらを見た。
「わりぃ、俺も天空ハーフだ」
ひくっとアレフの口元が勝手に動いた。
「どいつもこいつも……」
俺のパーティ、人外ばっか。

 大量のダースドラゴンに囲まれて野宿をするのは、思ったよりずっと快適だった。多少生ぐさい臭いはするが、何せモンスターというモンスターがまず近寄ってこないのだ。金茶色の巨体がところ狭しとうずくまる場所にわざわざ狩られにくる物好きもいないのだろう。
 海に近い荒野の片隅で一行は野宿することにした。岩を組んでつくった火床でちらちらと炎があがるのを見ながら、アレフたちは今後の計画について話していた。
「ラーレの理(ことわり)とルビスの理が争っている今の状態は、もともと女神ラーレが引き起こしたものだ」
とアレフは言った。
「女神ラーレを見つけて、アレフガルドから手を引かせる。そうすればこの世界は矛盾なくルビスの理にならうはず」
「けど、行き先に心当たりはありますか?」
「神話では高い山の上にラーレ神殿があるはずだが、それがあったはずの山はすでに滅びてなくなっているんだ」
彼らの周りでドラゴンたちは腹を地につけてうずくまり、長い尾を回したなかに首をつっこんであまり動かなかった。
「神々ってのがそいつの立ち回り先を知ってんじゃねえの?」
「レティスの話してくれたところでは、女神ラーレはアレフガルドのどこかに潜伏しているとしかわからないそうです」
「神様ですもんね。どこにだってもぐりこめる」
「そのツンデレがあんたにこだわってんなら、あんたのことをどっかから見てるかもな」
とフォースが言い出した。
「フォース、なんでツンデレだってわかるの?」
真顔でレックスが聞いた。
「スキスキダイスキって面と向かって言えるやつなら、ドムドーラを焼き餅で焼き倒したりしなくてもいいじゃん」
「なるほどね。ちょっとわかるかも」
フォースは指でレックスの額を軽くついた。
「わかんのかよ、ガキのくせに」
旅をしている間にレックスとフォースは、どことなく年の離れた兄弟のようになっていた。自分と兄たちとの関係を思い出すと、アレフは少々うらやましかった。
「だって、ぼくのお母さんと同じタイプですもん」
アレフたちはそろってフィフスの顔を見てしまった。
「レックスったら、何言い出すんだよ?デボラはちゃんと好きって言ってくれるよ?」
「そりゃそうだけど、お母さん、小魚も好きっていうよね?」
「好物だからね。うん」
しばらく考えてフィフスは結論づけた。
「デボラは恥ずかしがり屋さんなんだ」
レックスがためいきをついた。
「すいません、みなさん、父のことはほっといてください」
「そうさせてもらうか」
とアレフは言った。
「いや、でも、恥ずかしがりというのは、ラーレ様の場合ありかもしれません」
とエイトが言った。
「アレフからは見えないが、アレフに見つけて欲しいと思っているかもしれない」
だがそれでは、ラーレがどこにいるか、という問題を解決する役には立たない。
「難しいよな」
とアレフはためいきをついた。
 見て見て~とフィフスがお気楽な声をあげた。
「おもしろい子が来たよ」
焚き火の外の岩のあたりをわざわざのぞき込みに行く。レックスが声をかけた。
「あ~それドロルだよ。さわるとネトネトするから、かまっちゃだめだからね」
「つっつくとつのがへこむ~」
「ダメ!」
フィフス、とアレフは声をかけた。
「ダースドラゴンはドロルを食うことがある。逃がしてやった方がいいと思うが」
「え、本当ですか?それで怖がってたんだね。なんでこんなとこまで来たの?ああ、そうか」
一人で納得するとフィフスはドロルを抱えて海岸へ向かい、波打ち際におろした。
「ほら、お帰り」
トロトロとドロルは這って海岸のごろごろした岩の陰へ消えた。
 小走りにフィフスは戻ってきた。
「アレフ、ダースドラゴンたちは転変の前からこの世界にいました?」
「ダンジョンの奥にはいたな」
ふーん、そうか、とつぶやき、フィフスはいきなり言った。
「ラーレ様がどこにいるかは、ドラゴンが知ってますよ」
何!と叫んでアレフはフィフスの顔を見た。
「なんでそんなことを」
フィフスは片手をダースドラゴンのほうへ向けてひらひら振った。
「あの子たちがそう言ってました。ラーレ様がアレフガルドの女神の座からおろされるとき、そばにドラゴンがいたって」
「どのドラゴンが!」
ん~、とアレフは言った。
「ダースドラゴンって、一族の記憶を共有するみたいです。ぼくを乗せてくれたダースドラゴンの子が、顔を見せてくれたんです。金色の腹に黒に近い紫の鱗の大きなドラゴンでした」
キースドラゴンでもダースドラゴンでもない。
 アレフはエイトの方を見た。
「僕も竜形のままのドラゴンとまともな会話ができるってわけじゃないです。でも、あり得ますね。ドラゴンはモンスターであり、同時に神でもあります。アレフガルドを代表する生き物として、立ち会ったのかも」
お父さん、とレックスが言った。
「ぼくたち、ラーレ様の行方をどうしても知りたいんだ。もう一回仲のいい子に聞いてみて?」
素直にこくんとうなずくとフィフスは立って、ひときわ大きな体のダースドラゴンの腹に手のひらをつけた。
 再びアレフは鳥肌をたてた。フィフスの顔が変わっていく。表情が抜け落ち、まばたきがなくなり、虹彩が縦長になっていく。そこにいるのは、鱗のないドラゴンだった。
「……、……」
「……」
低いうなり声のような音を立てて、二頭のドラゴンが会話をしていた。
いつのまにかエイトとフォースがアレフのすぐそばに回り込み、複雑な表情でその会話のようすを見守っていた。
 フィフスが手を離し、ゆっくり振り向いた。力のオーラが彼の全身から発散されている。ほとんど物理的なプレッシャーだった。
「らーれヲ……オウ者、タチ、ヨ。リュウヲ……サガセ」
苦労してやっと人間の言葉を使っている、そんな印象だった。低くうなるような声でフィフスは繰り返した。
「竜ヲ捜セ!」