捜神アレフガルド 5.祠の賢者

 ロッコがいるはずのリムルダールに、アレフは立ち寄らなかった。エイトたちが町に入って食料や薬草などを買い込んできてくれた。
「あいつには、会ってもこないだと同じことになるだけだから」
つい、気持ちが後ろ向きになった。
 その背中をどん、と勢いをつけてフォースがたたいた。
「ごちゃごちゃ言ってるヒマがあったら歩けよ。ったくだせーな」
そう言ってさっさと先に立った。
「あれで慰めてるつもりなんです」
そばにエイトが並んで、そうささやいた。
「そうなのか?」
「そうですとも」
最初に会ったときに正面切ってフォースはなじったのだが、それ以来論争は特にやっていなかった。論争の時は頭に血が上ったが、アレフはある程度フォースが加わったことを歓迎していた。
 エイトは穏やかで謙虚だし、レックスはいかにも良い家で育った優等生らしさがある。ただ時々言うことをくるみすぎてわかりにくいこともあった。その点、歯に衣を着せないフォースの指摘が的を得ていると感じることがあった。
「要するに、ボケ二人にツッコミが俺だけってのはしんどかったわけだ」
とアレフは思っている。
 アレフたちはリムルダール島の南端を目指していた。そこへ行こうと言い出したのはエイトだった。
「レティスの話では、行動に行き詰まった時にぼくたちが頼れる人がそこにいるということでした」
東の方にあてがある、と以前エイトたちはそう言っていた。
「リムルダールの南ってたしかえらい田舎だぞ。そんなとこに何かあるのか?」
「ぼくにもわかりません。そこへ行って、人を探しましょう」
「情報は大事ですよ、アレフ」
フォースは何も言わなかったが反対もしなかったので、アレフたちはマイラからガライへ戻らず、南へ向かうことにしたのだった。
 リムルダールの南の森を抜けたところで橋を渡ると岩山があるのが見えた。かなり高いが、南へ行くと登山口がわかった。噴火口のあとでもあるのか、岩山の真ん中は窪地になり、樹木が密生している。それを切り開いて一本の道があり、行き止まりに古いほこらがあった。
 ほこらの正面の入り口前に立ったとき、たぶんあたりだ、とアレフは思った。間違いなく人が住んでいる。修理の痕跡、掃除をしたあと、薪をはじめ生活品の備蓄などがそれを物語っていた。
 両開きの扉をアレフは開いた。短い階段を下りると内部は太い柱が支える堂になっていた。堂の真ん中に壇が築かれ、そこで火が燃えている。火の前に一人の老人がいた。
「やっと来おったか!」
年寄りらしい短気さを丸出しにして老人はそう言った。
「いったいどこをうろついておったのじゃ!」
アレフたちは顔を見合わせた。
「賢者殿、おれは」
「そなたはラダトームのアレフ!ラルス16世の子、太陽神ラーレによる勇者アレフ。間違いなかろうな」
アレフは一瞬、口ごもった。
「女神ラーレを、知ってるのか、あんたは?」
「"あんた"?」
論外と言わんばかりの口調で老人は言い返した。
「失礼した、賢者殿」
アレフは咳払いをした。
「いかにも俺はアレフ。いきなりすべてを失った理由を求めてここまでやってきた。ぜひ、ご教示願いたい」
こほん、と賢者は咳払いをして、アレフの後ろにいた面々を見渡した。
「おぬしらは、何一つこの男に話していない、そういうことじゃな?」
素直なレックスは顔を赤らめ、エイトはうつむいた。
「うまく説明できなかったんです」
フォースはそっぽをむいた。
「おれ、よくわかんねぇし」
思わずアレフは、彼らと賢者を見比べた。
「アレフよ。はっきり言おう。女神ラーレは、アレフガルドの主神の座を退かれた」
「なぜ!」
「神々の思惑、としかわからん」
憮然として賢者は言った。
「ラーレ様の何かが“アレフガルドの神にふさわしからぬ”と認定された」
「ラーレ様は、それを受け入れたのか?」
あの、ある意味強情で気位の高い女神が?アレフは信じられない思いだった。
 賢者はため息を付いた。
「受け入れてはいない。女神ラーレは逆らった。が、神々はアレフガルドのために新たなる主神を据えた。それが、精霊女神ルビスだ」
「るびす?」
聞き覚えのない名だった。
「世界は、転変した」

 ほとんど感情を交えずに、賢者は言った。
「ラルス一世の時代にまでさかのぼり、アレフガルドは変革された。今、この世界を貫くのは精霊ルビスの理(ことわり)であり、彼女の意を体現して戦った勇者ロトの理だ」
「ロト?それは」
いや、と賢者は首を振った。
「そなたの知っているアレフガルドのロトとは違う。異なる世界からアレフガルドに来て大魔王を討伐する勲をあげ、ロトの名を捧げられた勇者のことだ。ルビスの理に従って、アレフガルドのすべては作り替えられた」
ドムドーラ地方へ行く道がなくなっていたことをアレフは思い出した。
「地形まで変わったのか」
「そうじゃ。当然、人の記憶も作り替えられた。ロッコがおまえを忘れたのはそのためだ」
「そんなバカな!じゃあ、でも、それならどうして俺だけは女神ラーレのことを忘れていないんだ?」
「ラーレ様の悪あがきだ」
「そんな!」
「ラーレ様は、主神を降ろされるのをひどくいやがり、そしてあらがった。容赦なくルビスの理に染め変えられていくこのアレフガルドに、爪を立てて食い下がっているのだ。その爪のくいこんでいる場所のひとつが、アレフよ、おまえの心なのだろう」
何も言えずにアレフは立ち尽くした。だが心の中で、それがいかにも女神ラーレらしい、正義の女神を自認し、自分が間違っているなどとは絶対認めない彼女ならあり得る、と納得していた。
 レックスが声をかけた。
「アレフ、僕たちは、神鳥から聞かされていたんです」
アレフは振り向いた。
「世界が転変したのに、その転変から取り残された者がいるということを」
エイトが言った。
「でも、転変そのものがどういうことなのか、正直わかっていませんでした。世界のすべてが換わってしまうなんて、想像もできなかった」
「神鳥ってのは、こっちの世界で何をしろと言ったんだ?」
エイトが咳払いをした。
「あなたの手助けをして、世界の矛盾を解消するように、と」
矛盾か、とアレフは思った。ひとつの世界に二人の女神がいる。それはまちがいなく矛盾だった。
「それなら、俺を助けてくれ。俺は女神ラーレに義理がある。俺を認め勇者として取り立ててくれた御方だ。ラーレ様の何が悪かったのかをつきとめてそれを改めさせることができれば、ラーレ様は主神の座に戻れるかもしれない」
エイトとレックスは考え込んだ。フォースは堂の柱の一つに背をつけて腕を組んでいたが、ため息を付いて首を振った。
「どえらい時間がかかるぞ。まず人の記憶がなくなったこの世界で女神ラーレが何をやったか調べる方法があんのか?」
「最後の日の言い争いの時、ムツヘタが"あんなことをやっておいて"みたいなことを言ってた。ムツヘタはベテランの魔法使いだ。あいつなら、世界の記憶を保存しているかもしれない」
記録魔だったし、とアレフは思った。
「そなた、女神ラーレが過ちを認めると思うか」
と賢者は言った。
「……難しい。が、自分の存在がかかっているとなれば話が違うかもしれない。ラーレ様を見つけて説得してみる」
「しかたがない」
と賢者は言った。
「納得するまでやってみろ」
アレフはうなずいた。
「ああ、そうさせてもらう」
 賢者は一度背後で燃える炎を見つめ、それから視線を戻した。
「いくつか情報をやろう。まず今のラルス王に息子はいない。世継ぎの姫が一人だけだが、竜王にさらわれてしまっている」
「……そうか」
む、と賢者は炎を見つめてつぶやいた。
「リムルダールが危険だ」
「なんだと?」
「モンスターの群れが大挙してリムルダールに向かっている」
「早く教えてあげなきゃ」
とレックスが言った。
「あの町は濠に守られているから、みんな町へ逃げ込めば助かるよ」
「よし、行くか!」
勇者たちに生気が戻った。フォースを先頭に動き出した。
「おまえら、急げ」
堂から地上へつなぐ短い階段の方へ行きかけてアレフは振り向いた。
「感謝する、賢者殿」
賢者は気短に手を振った。
「わしにかまうな、もうここには用はないはずじゃ。行け」
挨拶代わりに片手をあげて、アレフは地上へ向かった。

 手に持ち、背中に背負えるだけの家財道具を持った人々が青ざめた顔でリムルダールを目指していた。
「急げ、急げ!」
リムルダールの正規の守備隊だけでは人手が足りず、傭兵が雇われて避難民を守っていた。
 小さな女の子がつまづいて、泣き声をあげて倒れた。
「お母さん!」
「ナナ!」
母親は娘の名を呼んで手を伸ばした。が、押し寄せる避難民に流されて手は届かなかった。
「おかーさーん!」
小さな身体を、ロッコは小脇に抱えあげた。
「おまえの母ちゃん、どこだ!」
群衆の中から手を伸ばして母親は一生懸命娘を受け取ろうとするが、助かりたい一心の避難民はおびえた動物のように突進していく。ロッコの目の前で母親は人混みに飲まれてしまった。
「くそっ」
誰かが叫んだ。
「ロッコ、あれを見ろ!」
リムルダールを取り巻く森林から、ついにモンスターの群れが姿を現したのだった。
「よりによって、リカントか」
知能も攻撃力も高いリカントは、恐ろしい敵だった。傭兵たちは武器を構えて避難民とリカントの間に立ちふさがった。
口角から泡を吹いて人狼の群が襲ってきた。鋭い爪を一振りすると、半端な防具はつぶされてしまう。最前列にいた数名が、兜をとばされ、大きな手で頭部を一掴みにされ、そのまま頭蓋を握りつぶされた。
「ちくしょう、みんな、逃げろ!」
傭兵たちは応戦をあきらめ、難民をせき立てて走り出した。
 リカントたちは獣の俊足をもって併走した。蜘蛛の子を散らすように避難民の列が割れ、崩れた。その崩壊の中へリカントたちがなだれ込んだ。
「くそっ」
リムルダールの町へ続く橋と逃げ遅れた避難民の間に、血に飢えた猛獣の群が立ちふさがった。 
「ぐるるる」
二足歩行の狼たちは前足に爪を輝かせて迫ってきた。
「やばいぜ」
マイラから同行してきた戦士仲間が、むしろ淡々とつぶやいた。
「やるしかねえな」
ロッコは前に出ようとして、とまどった。足が動かない。先ほど保護したあの少女が、ロッコの足にくっついている。
「おい、ナナちゃん、放してくれよ」
口も利けないほどおびえた少女は、ロッコの服をつかんでふるえていた。ロッコは焦ってリカントの群れと少女を見比べた。
 わずかな間にリカントは跳躍して距離を詰めていた。生臭い体臭、暑苦しい息をロッコは感じた。とっさにロッコは、足下の少女を抱え込んでうずくまった。
 リカントの動きが止まった。
 狼の鳴き声が異様に響いた。
 大きなものが倒れる音がした。
 爪はいつまで待っても襲ってこなかった。
 おそるおそるロッコは緊張を解いた。
 皮の鎧の戦士が立っていた。
「あんた、あの……」
ラダトームで絡んできた男、マイラまで追いかけて来て訳の分からないことをまくし立てた、狂人かと思ったあの男。
「助けてくれたのか」
片手にリカントの血で染まった鉄の斧をひっさげて、アレフと名乗ったその戦士は振り向いた。
「まだ助かっちゃいない。だから、これから殺る。だろう?」
アレフの向こう側に、三人の戦士が佇んでいた。マイラでいっしょにいたやつらだとロッコは思った。
 赤いバンダナに黄色い上着の童顔の若者は、職業的な手際の良さで背中から槍をおろしていた。
「魔法と槍、どちらでも」
自信満々にそう言った。
 竜の翼の飾りをつけたサークレットの少年は、おびえもせずにリカントの群れを見渡した。自分の剣を鞘ごとはずし、同じサークレットの草色の上着の若者に差し出した。
「これを使ってください」
両腕を組んで冷やかにモンスターを見下していたその若者は、その不思議な形の緑の柄の剣と少年の顔を見比べた。
「いいのか」
「そのかわり、星降る腕輪を」
「わかった。そら」
若者は手首にはめていた腕輪を少年に手渡した。
「アレフ?」
少年の視線は尋ねるようだった。
「全員にスクルト。次のターンの頭でやつらにマヌーサ。あとはHPの減っている者から回復してくれ。エイト、フォース、難民から引き離すように動いて一頭づつ撃破」
「了解」
「わかりました」
「はいよ」
アレフはまっすぐにリカントの群れを見た。闘志がかげろうのように立ち上る。斧を握りなおした。
「行くぞ!」
革のブーツが戦場を蹴った。
 リカントはでかい。大の大人でも見上げるような大きさがあるのだが、戦士たちは迷わずに襲いかかった。鉄の斧が、不思議な剣が、鋭い槍が縦横に舞う。リカントの爪を払い、牙を突き放し、的確にとどめを刺した。
 槍使いが一頭のリカントの喉を刺し貫いたとき、背後から別の一頭が襲いかかり爪をむき出した前足で殴りかかった。その肘から先が体液を噴きながら宙を舞った。
「てめぇの相手は俺だ!」
草色の上着の剣士が、剛毛に覆われたリカントの前足を即座にたたき斬ったのだった。
 一人が戦うときは、他の誰かが必ずフォローする。言わず語らずのうちにお互いの背を守りあって戦うさまは見事に連携がとれていた。