ギガンテスチキンラン 1.第一話

 雪のガライヤ半島は鉛色の海に突き出した岬で終わっていた。岬の先端には木立があり、わずかにひらけたところに石の十字架が立っていた。十字架の前には一株の野花が生え、薄紅色の花をふたつ慎ましく咲かせていた。
 発明家ラライ……であった幽霊は十字架の前の定位置にいたが、ふと顔を氷原の方へ向けた。
 最初地鳴りに聞こえたそれは、冷たい大気をふるわせるほどの轟音となって迫ってきた。ラライは存在しない唾液を飲み込んだ。それはありえない音だった。
 いや、とラライは思った。自分の生前にはそれは存在しなかったが、今は現存する。音の主は木立をぬってやってくると、ラライの墓の前で急停止した。
「まさか……造ったのか」
「造ったさ」
マイラのビルダー、アッシュが答えた。精霊ルビスよりものを作る力を与えられた選ばれたる者。そのプライドが自信となってアッシュを輝かせていた。
 それでは彼は、教えた通りブルーブロックを作り出し、マシンパーツのメモを手に入れたのだろう。その結果がそれ、前面双角付き直列3魔筒エンジン搭載ハーフカウルトライクだった。
「そのドヤ顔はやめてくれたまえ。ボクの記録があったんなら、このくらい、できてあたりまえだ」
ふうん?とアッシュはつぶやいた。
「よっぽど落ち込んでるかと思ったら元気いいじゃないか?」
「幽霊に元気もなにもない。さあ、キミの作品は拝見したよ。もう帰ってくれ」
「作りたかったものを他人が完成させたらもう見たくないってか。おまえ、マジで人間が小さいよな。アメルダがよくがまんしたもんだ」
「小さくて結構!そっとしておいてくれないか」
にや、とアッシュが笑った。
「帰ってもいいぞ。ただし、条件がある」
「なんだって?」
「もしイヤだと言ったら、あらくれどもを引き連れて毎日ここまで冥福を祈りに来っぞ」
冗談じゃない、とラライは思った。
「死んでまで筋肉地獄なんてごめんだ」
「それじゃ話はついたな」
 アッシュは顎で氷原の方を指してみせた。
「あの氷原の真ん中にギガンテスが一人立ってるだろう?これから俺は自分の造ったこの超激突マシンであいつを倒す」
アッシュは両手を広げて目の前に付きだした。
「10回だ。10回突撃する間に仕留めてやる」
 ラライは暗算した。
「ギガンテスのHPは1000ほどだ。そのマシンで削れるHPは」
「100前後」
ということは、アッシュは一回もミスできない。ただでさえ巨大で力も強いギガンテスに向かってマシンで突っ込んでいかなくてはならないというのに。
「ギガンテスチキンラン、回数アタックだ。達成できたら俺の勝ち。アンタはひとつだけ俺の言うことをなんでもきく」
「じゃ、ボクが勝ったら?」
「俺がお前の言うことをなんでもひとつだけ聞いてやるよ」
「ボクは別にキミに聞いてほしい願いなんかない。それでも勝負したいっていうのなら、ハンデをつけてもらいたいね。そうだな、その変な名前のマシンから下りないつもりなら、キミ個人の防御力や回復用の薬なんてなくてもいいはずだよね」
ここまで言えば引き下がるかと思えば、アッシュはさっさと魔法の鎧を外して装備を旅人の服に換え、傷薬と薬草を大倉庫へしまい込んだ。
「じゃあ、決まりだな?」
「大した自信だね」
気持ちがすこし、いや、本当は大いに動いている。自分、ラライが考案したマシンパーツに、ビルダーは全幅の信頼を置くと言っているのだった。
「もちろん自信はある。目の前でこいつがガライヤ半島最大のモンスターと勝負するとこ、見たくないか?」
平手でぱんぱんとマシンをたたいてアッシュは挑発した。ラライは心を決めた。
「了解した。ギガンテスチキンラン、10回で決めてみせてもらうよ」
 氷原のギガンテスは遠くからでもよく見えた。周りはだだっ広い氷原な上に、ギガンテスはもともとストーンマンなどとくらべてもひとまわり大きなモンスターなのだ。
 その背中を遠くに見る位置についてアッシュとラライは超激突マシンを据えた。すでに魔筒のなかでパワーの生成は始まっている。マシンパーツは武者震いのようなうなりをあげてアイドリングしていた。
「このマシンパーツは?」
「俺が作ったやつ。あんたが作ったのはまだ竜王軍が持ってる」
「やはり盗られたんだな」
 アッシュは前を見たままつぶやいた。
「ロビンを責めるなよ?あいつは宝箱の前で死んでた。最後までマシンパーツを守ろうとしたんだ。実際、制作記録のほうは守り通したぞ」
「そんなこと、わかってる。ロビンはボクが修理した中では最高のキラーマシンだった」
 アッシュはサドルにまたがりゴーグルを目まで引き下げた。
「じゃ、行くぞ」
一気に音が高まった。ギガンテスは聞こえているのかいないのか、小ゆるぎもしなかった。
 細かい雪片が突風に乗って飛び去った。その瞬間、アッシュが飛び出した。
「早い!」
霊体のラライだから追いかけることもできるが、羽があるキメラでもホークマンでもちょっと追随できないだろう。
 赤いマシンは小さな段差をものともせずに乗り越えて、大きな弧を描きながら青い氷の湖を巡り、ついにギガンテスを正面にとらえた。
 ギガンテスは無感動に見下ろした。彼にとってアッシュは羽虫のような存在でしかないのだろう。めんどうくさそうに動きを目で追った。
 ラライはゴーグルの下の唇がにやりと笑うのを見た。
 アッシュの手がグリップを握りなおした。
 マシンパーツが咆哮した。
 赤い軌跡を描いてマシンがつっこむ。
 激突の瞬間、いきなりスピードが上がった。
「ひとつ!」
魔法インゴット……魔神の金槌と同じ素材のマシンによるインパクトがきて初めて、ギガンテスは攻撃されたことを理解したようだった。動きは鈍いがものすごい重量のある片足が上がった。船底のような足裏が高みから氷上へたたきつけられた。

 白銀の髪を頭の後ろでひとつに結い、ゆったりした白い衣をその若者は身に付けていた。白衣の上から縁取りのある青い上着を片袖通し、中央に一筋の金糸を縫い込んだ帯で衣ごと締めていた。羽を飾った平たい帽子も、赤紫のスカーフ、帯から下げた魔石の根付けも上等で、かなり裕福なのだろうと察しがついた。
「おや、キミはボクの姿が見えるのかい?」
あ、こいつやっぱり幽霊か、とマイラのビルダー、アッシュは思って、げんなりした。
「こんなところへ何しに?おや、キミが持ってるのは、大砲じゃないか」
風貌にあった気取った口調で幽霊はつづけた。
「ということはまさか、そこの牢屋に囚われている女を助けに来たんじゃないだろうね」
「何やってるの、アッシュったら。やっとアネゴを救出できるんですからね。集中してちょうだい!」
「わかってるよ、ギエラ姐さん」
筋骨粒々としたあらくれ男のギエラは、両手で顔をはさんでしなをつくった。
「もうっ、姐さんはやめてって言ったじゃないの~」
実はただの脳ミソ筋肉ではなく、有能で漢気のあるギエラは、しかしおネエ言葉とこの媚態をいついかなるときでもやめようとしない。
「何をしておるのだ?せっかくのチャンスだぞ」
「は、はやくアネゴ連れてアジトへ帰ろうぜ、なあ!」
ベイパーとガロンが催促した。
 ふん、とお坊っちゃまふうの幽霊が鼻を鳴らした。
「やめておくんだね。その女とかかわりあいになるとろくなことがない」
作業の手を休めることなくアッシュはつぶやいた。
「なんでかかわりになっちゃだめなんだ?」
意気揚々と幽霊は言った。
「あの女が人殺しだからさ」
アッシュは手を止めた。
「アッシュぅ?」
あらくれたちが呼んだ。幽霊はにやついていた。
「わかったかい?その女を」
据え付けた大砲の整備がやっと終わった。砲弾よし、炸薬よし、狙い12時の方向、仰角30度。アッシュは大砲をぶっ放した。
 幽霊の話を遮って轟音が響いた。目の前の牢屋の鉄格子が崩れ去った。
「やったわ!」
「アネゴ、アネゴ!」
急いで大事な大砲を回収してアッシュは牢へ入った。壁に取り付けた鎖に一人の女が手首をつながれていた。
「あ、あんたら……」
「もう大丈夫よ」
ギエラは冷静に大金槌をふるって壁の鎖をぶった斬っていた。ベイパーはそのアネゴという女性の足にマッサージを施していた。
「歩けそうか?ダメならワシにおぶさってくれ」
ガロンは言葉にならない唸り声をあげて、手放しでボロボロ泣いていた。
 おやおや、と幽霊はつぶやいた。
「きっと後悔すると思うよ?いちおう忠告は」
「さっきからごちゃごちゃうるせえ!」
ついにアッシュは頭に来た。
「こっちは取り込み中なんだよ!」
真夜中の竜王軍マイラ地方統括基地、その奥深くに築かれた刑務所の牢破りにアッシュたちは来ている。
先日、幾重にも築かれた厳重な要塞の正面突破をやった結果、回復薬が品切れになるほどの目に遭った。そのため今回はわざわざ崖を登り、キメラどもを蹴散らしながら一日がかりで山岳地帯を走破し、その威圧的な濃紺の魔城の背後からアッシュたちは侵入していた。
 どしんと音をたててアッシュは大砲を逆向きに据えた。たった今アッシュたちが入ってきた道、すなわち脱出路は、悪魔の騎士、魔道師たちが押すな押すなという人数で塞いでいた。そして鉄格子をすかした視界の真ん中にでっかいトロルがトゲのついたこん棒を手にニヤニヤ笑っているのが見えた。たぶん、"アネゴ”を取り返しに来るレジスタンスを一網打尽にしようと待ち構えていたのだろう。
「キメラの翼を使えるところまでは肉弾で突破する。みんな俺から離れずに動いてくれ!」
おうっ!とあらくれどもが叫んだ。
「行くぞ」
最初の一発が竜王軍のど真ん中へ着弾した。入れ替わりに魔導師のメラミが飛んできた。アッシュたちは走り出した。あの幽霊が空中をただよって、アッシュとならんだ。
「だから言っただろう、その女とかかわりになると」
けっとアッシュはつぶやいた。
「そんなヤバイ女なら、なんであんた、今までそばにくっついてたんだ?」
いやみのつもりだったのだが、どうやら図星のようだった。お坊っちゃま幽霊の余裕ありげな顔にむっとした表情がうかんだ。
「ボクの勝手だ!」
「じゃ、こっちも勝手させてもらうぜ。アメルダはいただいてく。じゃあな!」
キメラの翼を夜空にかかげてアッシュはそう言った。

 ガロンは明らかに動揺していた。
「…んあ?なんだって?アネゴの牢の前で人と話した、だと!?」
最初に竜王軍が拠点に攻めてきたときから思っていたのだが、このガロンという男、気が小さい。今も冷汗たらたらだった。
「ああ。そいつ、アメルダのことを人殺しだから助けるなって言ってた」
「ぬああ?アネゴが人殺し!?その牢の前にいた男が言ってたのか?ああああんな場所に人がいるとは思えねえ!どどどどうせ夢でも見たんだろ!」
絶対こいつ何か知ってる。アッシュはつい、探るような目になった。
「おぬし、ほんとに見たのか」
背後からベイパーがそう尋ねた。
「銀髪で坊っちゃんふうの優男だな?」
アッシュはうなずいた。
「片袖脱ぎの青い上着に金縁の羽根つき帽子をかぶってた」
あの幽霊がなにか訳知りだということはわかっていた。なら、アネゴことアメルダの回りにいた人物に違いない。
「幽霊が見えるなぞ本当なら信じられぬところだが、ヤツに会ったことのないおぬしがそこまで詳しいとなると夢ですますわけにはいかんな」
豪快なくせに思慮深いベイパーは考え込んだ。
「おぬしが話した特徴に一致する者と言えば一人しかおらぬ。雪のガライヤ地方出身の発明家、ラライという男だ」
「アメルダの知り合いなんだな?」
けっこう繊細なガロンがつぶやいた。
「もうよせ。ア、アネゴには触れたくない過去のキズってもんがあるんだからよ」
「触れたくないところは触れなくていい。さしさわりのないとこで教えてよ」
ベイパーはふりむいた。
 アッシュが修理したマイラ温泉は、現在ボーイズタイムである。あらくれ三人とアッシュだけが仲良く湯船につかっていた。
 ギエラは、腕を組んで考えていたが、やがて言った。
「なんたってアネゴを助け出せたのはアッシュのおかげですもんね」
ベイパーがうなずいた。
「そのとおりだ。アッシュ、そうだな、ワシらが初めてラライに会ったときの話を聞いてもらうか。そのときワシらはガライヤ地方のレジスタンスに頼まれてラライをガライの町まで護衛することになっていた」

 ガライヤ半島のレジスタンスを率いるのは、痩せた老人だった。代々兵士の家系だそうで、年を取っても背筋はぴしっとのびていた。
「わしらは七台の馬車に分乗してバラバラに逃げることになっている」
ガライヤ地方は氷河魔人の猛威に屈し、レジスタンスは壊滅寸前だった。事実、レジスタンスは南へと撤退を続け、最後のアジトにしている洞窟が竜王軍の徹底的な山狩りで発見されてしまうまで、あと一昼夜あるかないかというところに迫っていた。
「はっきり言って七台の馬車はおとりだ」
崇高な表情で老リーダーは言った。
「ドムドーラへ続く橋が落ちた以上、逃げ込むところなど我らにはない。時間を稼ぐことだけが目的だ。その間にこいつを、ラライを、ガライの町にある研究所へ届けてほしい」
「リーダー!」
 金切り声で異を唱えたのは、白銀の髪の若者だった。
「ボクだけ逃がしてくれなんて誰が言った?ボクはここで」
 ラライ、とリーダーは静かに若者の名を呼んだ。
「わしはおまえが伝説のビルダーなのではないかと思った。おまえは違うというが、モンスターを、特にあのブリザードを倒すことのできる兵器を作り上げる可能性があるのはおまえだけだ。このアジトはもうだめだ。ガライの研究所へもどれ」
「それじゃあ、みんないっしょに」
「おまえがレジスタンスに加わるとき、リーダーの指示に従うと約束したな?」
「でも!」
 レジスタンスのメンバーがそまつな布包みを差し出した。
「食料をかき集めてきたよ。それから、あんたの竪琴が入ってる。持っていきなさい」
ラライはうつむいて激しく首をふるだけだった。リーダーは静かに問いかけた。
「こういうわけだ、アメルダ殿。この仕事を受けてもらえるか」
 ガロンをはじめあらくれたちは、今生の別れを前にして言葉もなく立ち尽くしていた。圧し殺した声でアメルダは答えた。
「確かに引き受けた」
 その答えに安心したのか、レジスタンスのリーダーは立ち上がった。
「さあ、馬車の準備はよいか!」
アジトにしている洞窟から、七台一度に飛び出す、とリーダーは言った。
「竜王軍のやつらをガライヤ中引きずり回してやれ。皆の衆、行くぞ!」
ベテランリーダーのかけ声で残存メンバーが一斉に動きだした。もうラライのほうを見る者もいなかった。そして、夜明けが近いころ、馬車隊がわざと騒々しく出発した。
 アメルダとあらくれたち、そしてラライは、洞窟のなかでじっと待った。
「そろそろだ。行くよ」
そういってアメルダが立ち上がった。あらくれたちも従った。
「勝手にいけば」
ラライは動かなかった。その場にうずくまって膝を抱えた。
「何言ってんだ、おまえ」
「おぬし、リーダー殿の指示を聞かなかったのか」
ラライはあらぬ方を眺めて動かなかった。
「知らないね。リーダーが勝手に決めたんだ。ボクはいかない。ここで待ってればきっとみんな」
 つかつかとアメルダが歩み寄った。足元に置かれた布包みを取り、ラライに差し出した。
「リーダーからあんたを任されたんだ。意地でもガライへ連れていくよ」
「できるもんなら」
とラライが言いかけたときだった。ぱあんといい音をたててラライの頬が鳴り、体がふっとんだ。
「ふざけんじゃないよ、このあまったれが!」
ラライはわめきたくてもわめけないほど驚いた顔だった。
「こ、この」
「ああ、暴力女さ。けどあんたより強いよ。さあ、自分の足で歩くか?それともむりやり担いで運ばれたいか?」
 ラライは真っ赤になっていた。くるりとアメルダは背をむけた。
「ついてきな」
くそ!とつぶやいてラライが一歩踏み出した。
「その荷物も自分で持ちな!」
あらためてラライの顔が屈辱に燃えた。
「ただの荷物じゃない、あの人たちの願いがそこに入ってんだろうが!」
ラライに背を向けたままでアメルダはそう言い捨て、アジトを出て行った。