闇の翼と銀の歌

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第46回) by tonnbo_trumpet

 最初に目に付いたのは、闇色の髪と瞳だった。
「うふふふふ、くすくすくす」
夜の色の目の若い男、というより少年に近い。吟遊詩人の長上着を身につけているが楽器はもたず、というよりも荷物らしい物もなにひとつなく、若者は日没の光を浴びて、笑いながら踊るように岩場を歩いていた。
「なにやってんだ、あいつ……」
戦士がつぶやいた。
「死にたいのか」
勇者一行はまだ緊張を解いていない。そこはアレフガルド、遠くにメルキド市の城壁を眺める郊外の、岩がちな高地だった。このあたりに生息するドラゴンの群にパーティはなんどか遭遇した。戦士と女武闘家が負傷し、賢者のMPが少なくなってきたあたりで勇者は一度ラダトームへ戻ることを考えていた。ちょうどそのとき、大岩の陰から数頭のドラゴンが飛び出し、一行はまったくの不意打ちを喰らってしまった。
 全滅の二文字が脳裏に浮かび上がってきたとき、異変は起こった。どこからかピュウイッと口笛の音がしたかと思うと、いきなりドラゴンが動きを止め、別の方角へ移動し始めたのだ。まるで目の前に勇者一行という獲物がいることを忘れ去ったかのような行動だった。
 勇者の判断は速かった。賢者に頼んで満タンではないものの回復をとり、そっとドラゴンの群のあとをつけたのだった。
「あいつら、襲う気はないのか」
あいつらというのがドラゴンのことだった。ドラゴンは黒髪の華奢な若者のまわりに集まり、おとなしく座り、あるいは寝そべっていた。
 アレフガルドは闇に閉ざされたままだったが、時間が昼から夜になるときは何か不思議な光源が水平線を明るく染めた。その余光を浴びて、若者は岩の上でステップを踏み、そして歌っていた。
 彼が旋回すると長上着のすそと帯のはしがふわりと舞い、片目を覆い隠す長さの黒絹のような髪も同時に揺れた。その唇から流れ出るのは、不思議にもの悲しい、心に響く旋律だった。
 彼が歌い終わるとドラゴンたちは名残惜しそうに鼻面をこすりつけ、そしてあちこちへ散っていった。
「こんばんわ」
本物の夜がアレフガルドに訪れようとしていた。闇の瞳がこちらへ向いた。
「良い夜になりそうですね、お客人方?」
勇者たちは顔を見合わせ、隠れ場所から立ち上がった。
「君は、誰だ?」
最後の残光が若者の繊細な顔立ちに強烈な陰影を加えた。
「うん?ぼくですか?ぼくはガライ。旅の吟遊詩人です」
 賢者が進み出た。
「旅のって、きみ、荷物は?」
ガライというらしい吟遊詩人はちょっと首を傾げ、肩をすくめた。
「あまり物を持ち歩かないんです。重いし」
野宿の道具も食料、薬草も所持しない旅人というのは珍しすぎる。しかも、ちかごろ物騒なアレフガルドを歩くというのに武器さえ持っていないようだった。
「楽器もないの?」
「楽器?ぼくは竪琴専門なんですが家においてきちゃいました」
「商売道具をか!?」
「あの銀の竪琴の音色はちょっと危険なんで」
危険な音色?賢者はちょっと眉をひそめた。
 こほん、と戦士が咳払いをした。
「とりあえず、礼を言っておこうか。ガライくん。君がドラゴンを呼び集めてくれたおかげで助かった」
ガライは目を丸くした。
「ぼくが?ああ、くちぶえか」
本当にわかっていなかったようだった。
「メルキドまで少しある。今夜はここで野宿しないか?」
と勇者が言った。
「ガライくん、うちの手持ちの食料で作る鍋でよかったらいっしょにどうだい?」
無邪気にガライは微笑んだ。
「わあ、暖かいご飯はひさしぶりです。喜んでいただきます」
賢者は彼の横顔を、じっと眺めていた。

 メルキド郊外で吟遊詩人ガライに出合ってからしばらくして、勇者一行は北上していた。賢者の主張で直接ラダトームを目指すのではなく、遠回りをしてガライヤ半島へ立ち寄ることにしたのだった。
「まだあの子を疑ってんの?」
と女武闘家は言った。
「ちょっと風変わりだけどいい子じゃない。歌はうまかったし」
賢者がためいきをついた。
「ありとあらゆるモンスターから攻撃対象にされない、というのは、"ちょっと変わってる"以上だと思うんだがな」
この時代、魔物使いという職業は知られていなかった。
「だからって、人間じゃないってのは考えすぎでしょ」
「説明したろ?魔族というのがいるんだ」
二足歩行であり、一見人間に見える。だが、モンスターの一種でMPを持ち、邪悪な性質であることが多い。見分ける方法は耳の形がちょっととがっているとか、肌の色が微妙に濃いめとか、目の色が真っ赤などという特徴が知られているだけだった。
「あの子、目は黒かったわよ?」
わかっている、という仕草で賢者は手を振った。
「でもアレフガルドに魔族が入り込んでいたら大問題だ。だから彼の家族を確認したいのさ。家族が人間じゃなかったらヤバい」
ガライヤ半島は、野宿の時にガライが言った彼のふるさとだった。
「あいつがうそをついていないとしたら、このへんなんだがな」
何の警戒も見せずにガライは実家のある場所を教えてくれていた。一行はそのあたりを歩き、一軒の小屋を見つけた。
「ほら、やっぱりあったじゃない。もういいでしょ?」
勇者が答えた。
「せっかくここまで来たんだから寄ってみようよ。それでご両親がちゃんと人間だって確認できたら、さすがにもういいよね?」
賢者は渋々うなずいた。

 一軒家の主人はたくましい体つきの中年の男とその妻だった。
「なんと、ガライに会われたのですか?」
勇者がガライのことを聞くと、うれしそうな質問が返ってきた。
「たしかにガライでしたか?親の私が言うのもなんですが、どうにも浮き世離れのした風変わりなやつで、ちょっと目をはなすとすぐにうろうろとほっつき歩いていなくなってしまうのですよ」
家の主人は、元ラダトーム王宮の戦士と名乗った。城勤めの経験のせいか、話し方も振るまいも常識に則っていてごく誠実な印象だった。
「メルキドの近くで一緒に野宿をしたのですが、そうですね、浮き世離れ、というか、どことなく俗事に囚われない感じがしました。さすが吟遊詩人、芸術家らしい、とでも言うのでしょうか」
言葉を選んで賢者はそう説明した。
「まあ、それはたぶん、息子だと思います。あの子は元気でしたか?」
その妻、ガライの母親という女性はほっそりとして優しそうなひとだった。
「あの子には困っていますのよ。歌を歌いながら旅をする、と家を出たまま戻ってきませんの」
困っている、と口では言うが、どことなく自慢げなところもうかがえた。
「元気、というか、荷物はあまりないようでしたが」
口元を手でおおってガライの母は笑った。
「ええもう、考えなしで。でもどういうわけか、何一つ持っていなくてもあの子のまわりには食べ物も水も集まってくるのですよ?聞いたら、"モンスターがくれた"ですって」
あのう、とおそるおそる女武闘家が聞いた。
「奥様もそうなんですか?あの、モンスターから攻撃されない、とか、慕われる、とか」
「いいえ、私はそんな。元はラダトームの歌うたいでしたの。歌好きなのはあの子と同じかもしれませんけど、モンスター好きはさっぱり」
「女房はラダトーム一の歌姫だったんです」
ガライの父が口を挟んだ。
「あら……」
両手を頬にあてて、その妻が嬉しそうにはにかんだ。どんないきさつがあって元王宮戦士と歌姫がこんな僻地を選んで住んでいるのかはわからないが、闇のアレフガルドの片隅で肩を寄せ合って生きているようなこの夫妻に、勇者たちはなんとなく好感を抱くようになっていた。
「もしかしたらガライ殿の竪琴は、奥様がお教えになったのですか?」
何気ない問いだった。が、夫妻は一瞬顔を見合わせた。
「あの子は、最初から竪琴を持っていました」
静かに妻の方が言った。
「最初?」
はい、と彼女は言った。
「初めてあの子がこの家にたどりついた時、もうあの銀のきれいな竪琴を持っておりましたわ」
賢者が顔色を変えた。
「失礼、ガライ殿は、それでは」
「あいつは親なし子でした」
とガライの父と名乗った戦士が答えた。
「私らは、訳あってこの地で暮らしていました。王都にくらべて楽な暮らしとは言えませんでしたが、二人きりの生活に満足していました。ただひとつ、なかなか赤子を授からなかったことだけが小さな不満でした。ある日、いつものように森にいたとき、リカントか何かが荒らしたらしい巣に、ドラキーの仔が残されているのを見つけましてね。家へ連れ帰って傷が良くなるまで世話をしました」
戦士の妻は黙ったまま夫に寄り添っていた。
「しばらくして傷が治ったのか、ドラキーは森へ帰っていきました。寂しくなるな、と思ったその日のこと、あの子がいきなりこの家の前まで歩いてやってきたのです。二つか三つほどの幼い黒い目の男の子でした。大きすぎる銀の竪琴を抱えていて、私たちに向かって差しだし、"がらい"と言いました」
「最初は親を探そうとしました。けど、捨て子にしても迷い子にしても、どこから来たのかわからなくて。だって、ドムドーラからもラダトームからもたいそう離れているのですもの」
夫は妻の肩に手を回した。
「だから、私たちは、あの子は授かり物だと考えることにしました」
「……それで拾い子をずっと養った、ということですか」
「ええ、私たちはあの子に食べ物と家を提供しました。お返しにあの子は、たくさんの笑顔と機嫌のいいおしゃべりと、小さな驚きが立て続けに起こる幸せな毎日をくれましたの。だから」
と戦士夫妻は言った。
「あの子が旅に出ると言ったとき、私たちは反対しませんでした。いきなりやってきた子ですから、いきなり去って行っても文句は言うまい、あの子の運命を妨げてはいけないと思ったのです」
勇者たちはしばらく黙っていた。
「問題の竪琴は、今、どこに?」
ガライの父は首を傾げた。
「銀の竪琴ならガライが持っていったと思うが」
「彼は家に置いてきたと言っていました」
「では、地下室にでもあるのではないかな」
「拝見してもよろしいですか」
「どうぞ?」

 賢者は真っ先に地下への階段を降りた。
「なんてことだ」
「ごめん、さっぱりわからないんだけど」
女武闘家がそういうと、賢者は振り向きもせずに答えた。
「ガライの正体だ。あいつは人間じゃない。魔族でもない」
「王宮戦士殿が助けた小さなモンスター、と言いたいのか?」
勇者が言うと、賢者は階段の下で立ち止まった。
「たぶんね。小さなドラキーの仔がどうやって二歳の男の子に化けたか。それを可能にしたのがおそらくこいつだ」
地下室はよく整頓されていた。そこに宝箱があり、そこにむきだしの銀の竪琴がたてかけてあった。賢者はその竪琴の前に膝をつき、至近距離から眺めてまじめな顔で声をかけた。
「そうだろう、ガライ」
ぽろん、ぽろん、と勝手に竪琴の弦が動き、音が響いた。
「よくぞ見抜いた」
と竪琴がつぶやいた。戦士と女武闘家が何か言いかけたが勇者が手で制した。
「幼い子が言った"がらい"は、手に持った竪琴のことだったんだ。それを夫妻は子供の名前と勘違いした」
ぷるん、と竪琴が弦を震わせた。
「今はもう、あの子供もいきさつを忘れているようだ。自分の名はガライ、自分の不思議な性質は吟遊詩人だから。そう思っている」
「あんたは何者なんだ」
「わからん」
というのが竪琴の答えだった。
「わしはひとの願いを叶えるために存在してきた。おそらく神々によって作られ、このアレフガルドへ与えられた天の贈り物のひとつなのだろう」
「あいつの歌も、あんたが叶えた願いか?」
「いや、あれは違う。あの小さなドラキーはおそらく生まれつき心に響く歌声を持っていたのだ。自分を助けてくれた王宮戦士の恩に報いたくて夫妻の子供になるべく、たまたま人間に姿を変えた。そのために人もモンスターも等しく惹きつける歌を歌い奏でる吟遊詩人になってしまったのだ。何も心配することはない。あいつは歌うために生まれ、そのために生きるのだろうから」
まるで、成功した弟子を誇る教師のような口調で銀の竪琴はそう語った。
 賢者は竪琴の前から立ち上がった。勇者は仲間を促して、地下室から上がろうとした。賢者だけが最後に声をかけた。
「そう言えば、ガライはあんたのことを危険だと言っていたぞ」
竪琴は、なんとなく苦笑のような音を立てた。
「誤解だ。フィールドでわしをかき鳴らすとモンスターがやってくるのは、モンスターがもしやガライが来たのかと思って集まってきて、ガライでないとわかると怒って攻撃するからだ。本当はわしがガライなのだがね……」