150年目の出発

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第51回) by tonnbo_trumpet

 サラボナ市近郊の塔の屋上で、紫のマントのモンスター使いは北方の小島のあたりをじっと視線を注いでいた。まだ幼い息子と娘が息を殺してそばにいる。スライムナイトのピエールは無言で剣を抜いてかまえた。
 魔の気配に人一倍敏感な娘は、父のマントを片手でぎゅっと握った。妻に似た金髪の頭を撫でてやりながら、彼自身も高まる緊張に縛られていた。
「ルーク、あれを!」
ピエールが空を指した。
 まぶしいほどの光が小島から上方へいきなり吐き出され、激しく天を衝いた。一瞬にして気温が下がった。今まで明るく輝いていた青空が一気に色あせて不穏な鉛色と化した。空の一点に邪悪な暗雲がたれこめ、渦を巻いている。その渦の中から、光弾は逆に吐き出された。
 着地点はサラボナ北西、その場に文字通りの化け物が巨体を現した。
 ルークの息子、当代の勇者アイルが、衝撃のあまり息をひゅっと吸い込んだ。
 それは巨大なモンスターだった。彼らのいる塔から化け物まではふつうに歩けば半日ほどの距離がある。それなのにそいつが見える。小山のような体を揺すりながら、一町ほどもある歩幅でのっしのっしとこちらを目指して歩いてきた。
 二足歩行だが、それは手足に蹄を備えた獣の身体だった。山羊のような角と蝙蝠めいた羽、牛の尾を持ち、全身が体毛に覆われている。だが150年の封印のためか巨体にはあちこちに苔が生えていた。
 ルドマンの言った、伝説のモンスター「ブオーン」に間違いなかった。
「みんな、気をつけて」
低くルークが言った。ん、とうなずいて子供たちも戦闘態勢に入った。
 はじめはそれでも遠目で小さかったブオーンは一歩ごとに大きくなり、ついに巨大な壁のようにルークたちを見下ろすところまでやってきた。小鼻から激しく鼻嵐を吹き出し、赤く光る三つの小さな目でにらみつけた。
「まったくよく寝たわい。さて……ルドルフはどこだ。かくすとタメにならんぞ」
アイルが天空の剣を構えた。
「なにブオブオ言ってるんだ」
ピエールも闘志満々で進み出た。
「おまえに恨みはないが、ルドマン殿に手を出させるわけにはいかん」
とまどった表情でアイルの妹カイがつぶやいた。
「お兄ちゃん、ピエール、このひと別の人を探してるみたいなんだけど」
ルークはすっと手を出して、首を振ってみせた。
 ルークとそしてカイには、モンスターの声があるていど理解できる。が、それはかなり特殊な能力だった。
「……まあよいわ。体ならしにキサマらから血祭りにあげてやるわ!」
ルークはカイにささやいた。
「今は戦おう。サラボナ全体の安全がぼくらにかかってる」
うん、とようやくカイはうなずいた。
「みんな、行くぞ!」
ルークはパーティに声をかけ、まっさきに飛び出した。

 炎と稲妻のふりそそぐ戦闘は長く続いた。怪物は吠え、暴れ、もがき続けた。
「はっ!」
何度目かにアイルが剣を浴びせたとき、ブオーンの動きが止まった。パーティは緊張して見守った。ぎらぎらしていた目が白目になった。次の瞬間ブオーンの額がぱちんと割れた。中から黒い霧が立ち上った。
「みんな、下がって!」
ひどくカビ臭いような悪臭が漂った。ブオーンの巨体がたてにまっすぐ割れていく。中身がすべて霧となったあとは、外側も消滅していった。
 ことん、と音がした。金属でできた小さなものが塔の屋上のタイル敷きの上に転がり落ちたのだった。
「おや、これは」
ぽん、とスライムを動かしてピエールが近寄ろうとした。
「触るな!」
いきなりルークが叫んだ。驚いてピエールが動きを止めた。
「お父さん?」
驚いているパーティに、ルークはなんとか笑顔をみせた。
「大声だしてごめん。でも、それはすごく危険なモノなんだ」

 波の音に櫂の動く音が加わった。誰かが小舟を操って、この島へ近づいて来たようだった。浜辺を重い靴が踏んで湿った砂がきしんだ。
「どこだ、ルドルフ」
くぐもった声が低くささやいた。
「約束通り、来たぞ」
 ルドルフは覚悟を決めた。
「こっちだ」
靴音が小走りで近寄ってきた。
「おい、本当におれは元に戻れるんだろうな?」
かつての冒険家仲間を、ルドルフは感慨を込めて眺めた。
「オレを信じるんじゃなかったのか?」
ふん、と相手は応じた。
「盗賊になってから、人の言葉は一度は疑うことにしたんだよ、おれは」
と盗賊ゴロステは言った。
「けど、ここへ来たってことは、ほかに手がなかったんだろう?」
ゴロステは頭からかぶった頭巾をはずした。月明かりにゴロステの顔が露わになった。
「手があったらとっくにどうにかしてるわ。こんな顔になっちまってよう」
ゴロステは猫のような顔になっていた。濃い色の体毛が顔の輪郭をおおっている。鼻の下が割れ、山羊のような角が生え、額の真ん中がふくらんで三っつめの目が生まれかけていた。
 ルドルフの顔に嫌悪の色を読みとったのか、ゴロステはいきなりすごんだ。
「あのときおめぇがこれを持ったら、こんな顔になったのはおまえのほうだったんだぞ」
これ、というのは、ゴロステが首にかけたひもから下がっている小さな鍵だった。くすんで古くなった金製品のような色の金属がアーモンド型につくられ、そのなかに赤い魔石がしこまれている。その下に翅のある鍵の本体がつづき、途中で一カ所、湾曲していた。この部分は鍵穴にさしこむと意志を持つように変化してどんな鍵穴にもぴったりとおさまり、解錠してしまう。強い魔法を封じ込めたアイテム、「最後の鍵」だった。
 ルドルフとゴロステ、二人の冒険家仲間は協力して古代の遺跡からその鍵を持ち出したのである。ほかにも手に入れた宝物は多かった。分け前を決める段階になってゴロステは「ほかの宝物はすべて譲るから、最後の鍵だけはおれが」と言い出したのだった。
「いいや、おまえだって、この鍵を持って盗みをし続けなかったらこんな目にあってやしない。違うか?」
ゴロステは懐からいきなりナイフをつかみだしてルドルフへ向けた。
「うるせぇ!おれに説教して無事なヤツは今まで一人もいねえぞ」
「刺すなら刺せよ。だがおまえは一生そのままだ」
静かにルドルフは言った。
「顔だけじゃない。おまえ、最近、すごく眠くなったりしないか?意識がとんでる間に自分がどうなってるか知ってるか?」
ゴロステは黙っていた。
「おれは知ってるぞ。夜になるとおまえのアジトの周りでばけものがでるってな。羽のついた牛の化け物がブオーン、ブオーンてわめきながら暴れ回るってな」
ルドルフはその目で見ていた。すでに人の背の二倍くらいはある牛の化け物が一晩暴れたあとで夜明けにゴロステの姿へと戻るのを。
「最初はふつうの人の背丈だったのが、おまえ一晩ごとにでかくなってんだよ」
 ゴロステは長いなじみの冒険家仲間だった。だが、彼をこのままにしておけないこともわかっていた。
「おまえなら、どうにかできるのか」
「その鍵を海へ捨てろ」
ゴロステはナイフを構えなおした。
「冗談じゃねえ!大盗賊ゴロステはこの鍵が作ったんだ。こいつはおれのもんだ!」
ルドルフはためいきをついた。こうなるだろうとわかってはいた。目の前にいるのは物欲の塊だった。過剰な物欲のあるかぎり、ゴロステの巨大化は続くだろう。
「じゃあ、これだ」
ルドルフはゴロステの前に大きな壷を差し出した。
「なんだこりゃ」
「今でこそ冒険家だが、俺の先祖の一人はルドストといって人に知られた壷つくりだった。これはルドストの傑作の一つだ」
冒険者だったころの好奇心を丸出しにしてゴロステは壷を眺め、手を出して素材にふれた。
「これをどうするんだ?」
「中を見てみろ」
暗いな、といってルドルフはそばにさしかけておいたたいまつをとって掲げた。用心深くゴロステは壷のそこをのぞきこんだ。
 小さな子供なら中へ入って膝を抱えればすっぽり隠れるほどの大きさがある。ゴロステの頭が近づき、首に下げた鍵が壷の中へ入った。
「うわっ」
ゴロステがもがいた。
「なんだっ、引っ張られるぞ」
ルドルフはしゃがみこみ、ゴロステの足首を抱えていっきに持ち上げた。
「わあああっ」
大の大人のゴロステが封魔の壷へ吸い込まれていく。壷そのものが大きく膨らみ、表面に猫のような顔が現れた。
 用意した蓋をルドルフはばたんと閉じた。
「これがせいいっぱいだ、ゴロステ」
できることなら、最後の鍵だけ閉じこめたかったのだが。持ち主の物欲をかきたて、盗みを働かせる邪悪な意志だけを。
 ルドルフは首を振った。誰かがうっかりこの壷を開けないように、この小島に封印所を作らなくてはならない。ゴロステが毎晩モンスター化するのをおそれた町の人たちや冒険家仲間が手伝ってくれるはずだった。
「もって、150年……」
先祖のルドスト自身がそう期限を切っている。150年後にあの邪悪な鍵がゴロステを解放してくれているといいんだが、とルドルフは思った。

 塔の屋上に転がった最後の鍵にルークは近づき、その前にひざをついて話しかけた。
「ルドルフを呼んでほしいかい?」
鍵の頭部のアーモンド型の部分がふるえ、内部の魔石が、まるで瞼が開くように開き、虹彩が見えた。最後の鍵はぎろりとルークをにらんだ。
「残念だけど、彼はもういないよ。君が封印されてから150年たってるんだ」
静かにルークは話しかけた。
「ルドルフの子孫ならいる。ルドルフは自分の子孫に、君をずっと見守るように遺言して逝ったんだ」
ルークは辛抱強くそう言った。
「もう150年壷に入る気ならそれでもいい。それとも、ぼくといっしょに旅にでるかい」
「お父さん!」
カイが何か言い掛けたが、口をつぐんだ。
 最後の鍵はしばらくふるえていたが、目を見開き、ルークを見上げ、そっと目を閉じた。瞼の裏から涙があふれて一滴したたった。
 ルークは手を伸ばし、最後の鍵を手に取った。
「行こう。君もそろそろ、解放されていいころだよ」
そして最後の鍵は、その後二度と目を開くことはなかった。