ウォレンティニスの日

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第35回) by tonnbo_trumpet

 コリンズは友達の手を引いて、オラクルベリー領主館の厨房の隅へ連れて行った。
「ここが俺の気に入りの場所」
厨房はラインハット城のそれにくらべると小さめだったが、負けず劣らず賑やかで人々が忙しそうに立ち働いていた。
「よく来んの?」
グランバニアの王子、アイトヘルはものめずらしそうにまわりを見回してそう言った。
「おまえ、厨房って行かねえの?こっそりおやつ取りに行くの、楽しいじゃん」
驚いたようにコリンズは聞き返した。
 二人がいるのは、かまどからやや離れた作業台のさらにはしだった。料理人の制服を着た若い男が、ボウルを持ってやってきた。
「普通いいお家の坊ちゃんはおやつを盗みにいったりしないものですよ」
「リッピ、うるせえ」
とコリンズは言ったが、ボウルの中身を見てぱっと顔を輝かせた。
「これ、ヴァレンタインの日のお菓子だ。そうだろ!?」
「試作品です」
と領主館のパティシェ、リッピは言った。
「本物は焼き上がって冷ましてます。これからコーティングをして、領主さまの御膳へさしあげます」
ボウルの中身は、大きめの四角に切ったケーキだった。甘いチョコレートの香りが盛大に漂う。生地そのものがチョコまじりで、その上から生クリームに上質のチョコレートを刻んで溶かしたガナッシュがかかっていた。
「コリンズ様、アイトヘル様、お味見はこちらで」
渡されたフォークで二人の男の子はさっそくチョコレートケーキの切れはしをほおばった。
「うめー!」
「いい匂い~」
リッピはうれしそうに口元をほころばせた。
「そりゃもう。ヴァレンタインの日のために、テルパドールから直輸入しましたから」
「気合い入ってんなあ」
ねえねえ、とアイルが言った。
「ヴァレンタインの日って何?」
「グランバニアじゃやらないんだっけ?なんかチョコのお菓子をつくってお祝いする日だよ、こっちじゃ」
「へー、いいなあ。カイにも食べさせてあげたいな」
あ~、とコリンズがつぶやいた。
「カイ、忙しいのか?」
いつも二人で遊びに来るグランバニア王家の双子が、その日に限ってアイルだけだったのだ。
「うん、今日は特別なんだって。なんかお母さんとドリスと、それと教会のシスターたちがカイを連れてっちゃった」
「なんだそりゃ」
「聞いたんだけどさ、よくわかんなかった。“一人で遊びに行ってね”って」
「ふ~ん、じゃあ、リッピに頼んでお土産に持って帰れるようにしてやるよ」
「ほんと?よかった!」
リッピ、なあ、と呼びながらコリンズがかまどの方へ行こうとしたとき、どこか遠くで騒がしい物音がした。大勢の人間が口々に何か言いながら近づいてくるようだった。
「アイトヘル様、妹君がお見えです。すぐ上へお戻りください」
領主館の召使がやってきて、興奮気味にそう言った。
「カイが来てるの?ここに来たら?楽しいよ?」
どうして妹が来ないのか、アイルにはわからなかった。オラクルベリーへ来た時はいつもコリンズと三人で、下町の路地裏でも領主館の屋根裏でも、かまわずに遊びまわっているのに。
「そうはいかないんですよ、今日は!」
リッピまでやってきた。
「今日はグランバニアじゃ、ウォレンティニスの日じゃないですか」
「え~となんだっけ、それ」
こころもとなさそうにアイルが聞き返した。ああ、もう!とリッピは手のひらで額を抑えた。
「ほら、もう、お見えになりました。しかたがない。みんな、汚れやすいようなものは片づけて!」
扉が開け放たれて一団の大人がどっと厨房へ入ってきた。先頭に、領主館の女主人マリアと、アイルの母、ビアンカがいた。二人とも目がきらきらしてうれしそうだった。
「アイル!こんなとこで何をしてたの!」
「お菓子もらってた……どうしたの、みんなで?」
「どうもこうも」
オラクルベリー、ラインハット、グランバニアそれぞれの警備兵や従僕、女官、侍女たちがそっと退き、その中に守られていた人物が進み出た。
 マーメイドラインの白いドレスは裾に金の縁取りがされていた。折り返した大きな襟、腰で蝶結びにしてから前へ回して垂れさがる幅広のリボンも、花嫁のベールに似たきれいにタックをとった髪飾りとそこから下がるリボンにも、やはり豪華な金縁でくるまれていた。ドレスの布地も純白に見えて着用者が動くたびに澄みきった青の色合いに輝いた。ドレスの腰から下には金線細工の華麗な渦巻き模様が刺繍されている。チョーカー、襟の折り返し、ベルトのバックルなどには魔法力を封じこめた石をふんだんに使った宝石細工が使われていた。
 豪華で清楚で、同時に神秘的なそのドレスは、プリンセスローブの名で知られていた。守備力80にのぼり、耐ブレス性能がある。アイルに取ってそのドレスは母の専用防具というイメージだった、その時までは。
「カイ!」
初めてプリンセスローブを身にまとう誇らしさにほほを染め、グランバニアの王女は白いドレスの金縁を引いてしずしずと現れた。襟にとりつけた涙滴型の赤い魔石が姫の歩みにつれて揺れた。
「お兄ちゃん、コリンズ君」
恥ずかしそうに、嬉しそうに、カイは言った。
「変じゃないかな……」
ぶんっぶんっ、とコリンズは首を振るだけだった。
「なんか、とっても、えーと」
ビアンカが言った。
「かわいいって言えばいいのよ。今日はウォレンティニスの日ですもの」
「なんだっけ、それ?」
同じ日でも、グランバニアとラインハット/オラクルベリーでは意味が異なるのだ。
「あるていど大きくなった女の子が、初めてドレスを着て、家族や親しい人にお披露目する日」
 こほん、と誰かが咳払いをした。
「カイリファ王女、実にお美しい。これほど母上に似ておられるとは不肖、気付かなかった」
オラクルベリーの領主ヘンリーが言った。
「なんか、花嫁さんみたいだ。カイ、とっても綺麗だよ」
グランバニア王ルークがしみじみ言った。カイは嬉しそうに振り向いた。
「今日はずっと着ていてもいいですか?」
「いいわよ。とっても似合うわ」
ビアンカが言うと、カイはきゅっと目を閉じて喜んだ。あどけない歓び方にビアンカとマリアは顔を見合わせて微笑んだ。
 マリアがパティシェに声をかけた。
「リッピ、お菓子の用意はよろしいですか?」
「はい、奥様」
「ではみなさん、お披露目のお茶会にしましょう」
初々しいプリンセスは人々に守られて厨房から上がっていった。
「いやー」
人々の一団が去ったあと、アイルはつぶやいた。
「ウォレンティニスの日って、そういうことなんだ。全然わかってなかったよ、ぼく。あはは」
「“あはは”じゃねぇっ」
「コリンズ君、何怒ってんの」
「び、びっくりしたんだよ、バカ」
リッピが声をかけた。
「お茶会に行かなくていいんですか、お二人とも」
大きなチョコレートケーキにガナッシュをかけ、金箔を散らした豪華な菓子が銀盆の上にセットされているところだった。
「これの出番ですよ」
ぱっとコリンズは立ち上がった。
「こうしちゃいられないっ、行くぞ!」
いきなりアイルの手首をつかんで彼は駆けだした。
「なんなんだよ、コリンズ君」
そんなにケーキ好きなんだ?と走りながらアイルはぽかんとしていた。