姫君の赤い靴

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第33回) by tonnbo_trumpet

 もともと大きな目がびっくりしたように見開かれ、口の下半分がぱかんと下がった。男らしいきりっとした顔立ちがなんだか少年のようにあどけない。ローラはくすっと笑った。
「これ、全部、ですか?」
勇者アレフは片手に青い兜を抱え、凛々しい鎧を身に付けたまま、あっけに取られて見上げていた。何を見ていたかというと、部屋全体に繰り広げたローラの嫁入り支度だった。一国の女王の品格を保つための豪華な衣装はイベント別、季節別などバリエーションが必要だった。そのほかにもっとプライベートなタイミングで身につけるドレス類もある。
 そして、それぞれにあわせて贅沢な付属品がついた。大量の貴金属や宝飾品、身分を示す宝冠のほかにも純粋にコーディネイトのための品々。マント、サッシュ、めったに持たないがポシェットやバッグの類、それからもちろん、大量の靴。ダンス用、セレモニー用、室内履き、ガーデン用、どれもそれ自体が工芸品であるような、大人の手にすっぽり入ってしまうほど華奢で美しい靴だった。
 こほ、と女官が咳払いをした。
「これはすべて日常用。婚礼衣装は、次のお部屋でございます」
アレフは絶句した。
「まあ、おやめなさい。わたし」
両手でほほを包んでローラは言いかけた。子供のころから王女付きをしてくれている仲よしの女官たちは笑いさざめいた。
「よろしいじゃありませんこと?国王陛下はもう、勇者様に位をお譲りになると決めておられるのですし」
「そのあかつきには、新王陛下の隣においでになるのはローラ様の他にありえません」
「花嫁衣装の出番はけして遅くはありませんことよ?」
ぱあぁぁぁっとローラ姫は耳まで赤くなった。
「あ、でも、だめ」
はいはい、と女官たちは言った。
「そうですわね。花嫁衣装をおつけになったお姿は、御婚礼の当日まで秘密ですものね。勇者様も楽しみにしておいででしょう」
「は、あのっ」
何か言いたいのにうまく言えないらしい。アレフはあうあうと言葉に詰まっている。ローラはすっとアレフの側に寄った。
「困らせてしまいましたか?ごめんなさい」
「そんなことありません。どれも、綺麗です」
「よかった。ほかにも、食器やティーカップの類も全部お父様に新しくしていただきましたの。絹ばかり使いましたのよ、お部屋も」
寝室と言えなくて、ローラはちょっと咳払いをし、そしてアレフの手を握った。
「こちらへ。もうひとつお目にかけたいものがありますの」
クルミの木でつくった古いチェストの前にローラはアレフを連れてきた。
「これはお母様がお嫁入りのときに持っておいでになったのですって。私が生まれた時女の子だったので、お父様とお母様が結婚に備え、何年もかけていろいろなものをここへしまっておいてくださったのです。ほら」
彫刻を施したチェストの蓋を開けた。
「宝石類と金貨、お母様が使われた結婚式のベール、王家伝来の短剣、魔力をもったアイテムがいくつか」
アレフの表情が柔らかくなった。
「愛されてお育ちになったのですね、姫は」
「そのお言葉にはい、とお答えできるのは私の誇りです」
しばらくアレフは黙っていた。そして低くささやくように言った。
「姫、いつまでも微笑んでいてください」
はっとしてローラは彼の顔を見た。アレフの口調がどこか、心にひっかかった。
「アレフ様はローラのことを想ってくださいますか?」
「はい!」

 確信をこめたその答えに、ローラは安心してもよいはずだった。だが、何かがしきりに心の中で騒いでいた。
「今頃アレフ様はどちらへおいでかしら」
女官の一人が窓の外を指した。
「あちらにおいでかもしれませんわ」
ラダトーム城の窓の外にそびえ立つのは、竜王の城である。
「あんな危ないところに?」
「せんだってこちらへお見えになった時、国王陛下に“竜王へ最後の決戦を挑みたい”、とおっしゃったとか」
ローラは城の大窓を通して、じっと竜王城を眺めた。
……姫、いつまでも微笑んでいてください。
さっとローラはふりむいた。
「誰かいて?お願いがあります。城下でお買い物をしてきてください!」
胸の中で騒ぐものの正体が、ようやく姿を現そうとしていた。

 金の腹をもった巨大な紫のドラゴンは銀の牙を煌めかせ、あざけるような表情でアレフを見下ろした。
「まだくたばらぬか」
今まで相手にしてきたモンスターとは格が違う、とアレフは認めざるを得なかった。自分の使う魔法はすべて無効化される。物理攻撃のみがアレフの戦いのすべて。斬る、突く、流す、合間を見て回復を取る。倦むほどに長い。長いが、一瞬でも気を抜けば死に直結する。
「おまえもしぶといな!」
言葉には言葉で。竜王の前足の爪を剣ではねのけてアレフは答えた。
「言いよるわ。生きて帰れば王女をめとって王の位が手に入るとあっては、精も出よう。なあ?」
くっくっくと炎も吐く口で嘲った。
「そんなことでぼくをゆさぶっても無駄だ」
冷静にアレフは言い返した。
「ぼくは、アレフガルドを出る」
「ほう、どこへ行くというのだ?この国しか知らぬお前が」
「わからない。でも、この国の玉座はぼくがいるべきところじゃない。それだけはわかる」
 それはアレフの実感だった。十六代を重ねた古い王家のありさまをアレフはここ一年ほどつぶさに観察してきた。そのなかに自分をはめこんだとして、そのようすが想像できない。自分には勤まらない、とアレフは静かに確信していた。
 竜王城のダンジョンを揺るがす勢いで竜王が突進してきた。
「あの女はどうする」
それがローラ姫のことだとアレフにはわかった。
「愛している!」
振り下ろす前足の中央に剣で刺突を見舞った。
「愛しているからこそ、おまえだけは、ぼくが倒す!」
このあいだ見た、部屋一杯の小さな靴、あの可愛らしい、針のようなヒールの赤い靴で花咲く平和なアレフガルドを歩んでこそ、ローラ姫にふさわしい。愛しい、愛しい姫、いつまでもあなたは笑っていて下さい……。
 ロトの剣の柄が自分の血でぬるっと滑った。強くつかみ直し、疲れ切った体でアレフは荒れ狂う竜王を見据えた。
 鮮やかな幻が浮かび上がった。
……アレフ様はローラのことを想ってくださいますか?
全身に新たな力がみなぎった。竜王が巨大な頭をアレフの高さに下げ、激しく威嚇した。双眼が怒りのあまり真っ赤に変じている。静かにアレフは微笑んだ。
「竜王、覚悟!」
攻撃を待たず、こちらから剣をかざしてアレフは走り出した。

 女官の一人が飛ぶようにやってきた。
「姫、一大事ですわ!」
さきほど兵士たちが騒いでいたので、アレフが城へ戻ってきたのはわかっていた。ケガはしていないか、いつローラに会いに来てくれるのか、それだけが心配だった。
「勇者様、凱旋でございます!」
荒い呼吸で女官は言った。ローラと女官たちは顔を見合わせた。
「それでは……」
泣き笑いのような顔で女官はうなずいた。
「はい!今、勇者様は陛下とお話中です。もうすぐお知らせが……」
わっと一気に雰囲気が湧きたった。アレフが竜王を退治してきたということは、すなわちローラとの結婚と言うことなのだ。ふらふらとローラは立ち上がった。女官たちはエキサイトしていた。
「これは、忙しくなりますわ!」
「こうしちゃいらせません、姫、すぐにお湯浴みを」
「ええと、いったい何から……」
その華やかな興奮を、もうひとつの足音が遮った。別の女官だった。彼女は、青ざめた顔をしていた。
「姫、勇者様が!」
全員が彼女の方を見た。
「国を、出る、と」
なんですってぇ!と、貴族出身の女官たちらしからぬ悲鳴が渦巻いた。
「な、なんということを」
「陛下はお許しになったのですか!」
わあわあと騒ぐ声が、ふっとローラの周りから遠のいた。ああ、そうなのだわ、やはり、とローラはつぶやいた。
「鎮まりなさい」
ぴた、と女官たちが口を閉じた。生まれから十数年、ずっと自分に仕えて来てくれた女官たちを、ローラは静かに見回した。
「私がすべきことは一つですわ」
感謝と信頼をこめてローラは語った。
「このあいだ用意したものを持ってきてください」
ひめ!と一人が叫んだ。
「このために用意したのですもの」
「で、でも、他のすべてはどうなさるのですか?」
女官は部屋一杯のドレスを指してそう言った。
「いりません。よかったら、みんなで分けてください」
おろおろする女官たちをしり目に、ローラは準備をすすめた。
「姫、無理ですわ、せめて」
せめてどうしろと言うのだろう。女官たちは力なく沈黙した。軽やかにローラは笑った。
「わたし、行きます。みんな、今日までありがとう!」
両手でドレスの膝をつまみ、ローラは駆けだした。

 期待してくれた分だけ、断るのは辛かった。
「もし私の治める国があるなら、それは私自身で探したいのです」
がっかりした王様の顔、あわてている大臣の顔(「君はきっと立派な王になるだろう」)、怒っている将軍の顔(「ロトの血を引くというだけの馬の骨が何を生意気な」)、あせっている兵士の顔(「アレフ殿がいれば、もう何の心配もないですね!」)。すべて見回して、アレフは小さく首を振った。
「私は、これにて」
これでいいんです、どうか引きとめないで。アレフはそう願った。
 声は高みから降ってきた。
「まってくださいませ!」
可愛らしい、高い声。アレフは顔を上げた。何度も夢に思い描いた顔がこちらを見ていた。
「そのあなたの旅に、ローラもお供しとうございます」
宮廷中が一斉にわめき始めた。王様は呆然としていた。ローラ姫はその場に二人だけしかいないかのように、アレフの前にやってきた。
「このローラも連れてってくださいますね?」
まっすぐにアレフを見つめてそう言った。
「姫、いけません。あなたは、あなたのために用意されたものをすべて捨てるおつもりですか」
ローラ姫は片手に持ったものを差し出した。古来から旅人の使う丈夫な旅行用の袋だった。
「お母様のチェストにあったものを、全部詰め込んできました。今着ているドレスもお金に代えましょう」
「でも、あなたには、このお城がふさわしい」
つつっとローラ姫が後退した。後宮から走ってきたため、ドレスの膝をあたりを彼女はつまんでいた。そのスカート部分をさっと彼女は持ち上げた。宮廷の貴婦人、しかも未婚の王女がつまさきより上を見せるなど、ひどくはしたないこととされていた。アレフは思わずひるんだ。
「これでもそうおっしゃいます?」
それは、ピンヒールの華奢な上靴ではなかった。よくなめして赤く染めた革でつくったすねまでのブーツで、白い靴ひもできっちりとレースアップされていた。
「お供いたします、と言ったのはウソではありませんの。ローラは歩きます。歩いて世界の果てまでついてまいります」
そのために女官を遣わしてラダトームで長靴を買わせたのだから。
 ドレスには不似合いなそのブーツが動いた。かぐわしい姫君の上体がアレフにもたれかかった。
「つれていく、とおっしゃってください。さもないとローラは」
胸にしがみついてローラは言った。
「泣きます……」
アレフは、自分が負けたことを悟った。戦火の名残をとどめる鎧のまま、そっとローラ姫を抱きしめた。
「それは、困ります。笑っていて下さい、姫」
そう言って、かつて一度したように、ローラ姫を抱えあげた。
「ローラは歩けますったら」
「今だけです。ラダトームを出るまで」
「その後は?」
涙目をこすってローラ姫が見上げた。
「歩くのです。二人で、並んで、手を取り合って、世界の果てまでいっしょに歩きましょう」
そう言って、その頬に唇をつけた。