兵士の物語

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第16回) by tonnbo_trumpet

 その男は、足を引きずりながらゆっくりと歩いた。ムーンペタの町はずれ、地面の上にむしろを敷き、棒をつきさし、その棒の上に大きな布をかぶせただけの粗末なテントがずらりと並んでいる場所だった。
「いるかい?毛布を持って来たよ」
テントのひとつから子供がひょこっと顔を出した。
「母ちゃんにこれ、かけてやんな」
そう言って古びた毛布を差し出した。子供は小さな手で受け取り、思いだしたように“あんがと”と言った。男はひとつうなずき、また歩き出した。
 テント村は、静かだった。たいがいの住民はケガをしていたし、そうでない者も膝を抱いて座りこんだまま震えていることが多い。先日ムーンブルクを襲った大災害で恐ろしい思いをした者たちだった。
「薬草足りてるか」
「水汲んで来たよ」
「食い物をもってきた。少しでも食わないと」
どこへ行っても男は背に負った荷物から何か取り出して、避難民を不器用に励ました。
 ひとわたり用が済むと男はやっとテント村の隅へ行って座りこんだ。
「お疲れさん。ほら、あんたの分だ」
ムーンペタの町民で避難民の世話をしている者たちが、男の側へ木の椀を持ってきた。シチューと匙が入っていた。
「あ、いや、おれは」
「みんなに食えと勧めておいて、自分がくわねぇって法はないだろう。食べなよ、元気が出るから」
男は黙って椀を受け取り、匙を使い始めた。
「それにしても、ひでぇよなあ」
「……ああ」
「お城は元に戻るのかねえ」
「さあ」
世話係の男たちは勝手に話を続けていた。
「あの立派だったムーンブルクが今じゃ見る影もないらしい」
「王様も王女様も亡くなったってな」
「ハーゴンの軍勢と闘った兵士は、死んでも死にきれないでさまよってるらしいぜ」
「信じられねえなあ。ついこの間まであんなに羽振りの良かった王国がよう」
「あそこには知り合いが勤めてたんだが、たぶん、だめだろうな」
「あたしの従姉がムーンブルクで女中をやってたんだよ」
「俺の叔父が兵士でね」
城と一緒に身うちを滅ぼされた人々はしんみりと語った。
「くそっ、大神官ハーゴンか。いきなり来たって言うが、兵士も魔法使いも大勢いても勝てなかったかねぇ」
「まあ、相手が強かったんだろうけどよ」
「ずっと戦なんかなかったから、油断してたかもしんねえな。なあ?」
シチューを食べていた男は、いきなり話を振られてびくっとした。
「それは、ないんじゃないか」
「油断じゃなかったら、よっぽど弱かったってことかね」
「知らん」
男はそう言って立ち上がり、シチューの椀を返そうと歩き出した。
「あんた、足を引きずってるよな。どこでケガしたんだ?」
男は答えなかった。
「もしかして、おまえ、ムーンブルグの兵士だったのか?」
男はぎくしゃくと急いだ。
「その傷、ムーンブルクで闘ったのか!」
そそくさと椀をおき、男はよろよろと逃げだした。
「待てよ、おい!」
世話係が追いかけようとした時だった。いきなり仔犬が飛び出してきた。
「わうっ、わうわうっ」
まるで逃げる男を守ろうとするかのように、仔犬はせいいっぱい四肢をふんばった。力いっぱい吠えかかられて、追っては後ずさった。
「あっ、この犬ころのせいで……くそっ」
足をひきずっていた男は、その間に姿が見えなくなっていた。

 ムーンペタの町を囲む壁に寄りかかるようなぼろ小屋に、元兵士は逃げ込んでいた。
「違う……!」
藁を積んだだけの粗末な寝台にすわりこみ、男は両手で頭を抱え込んでうめいた。
「私はムーンブルクで闘っちゃいない。あまりの恐ろしさに城から逃げ出したんだ……」
食いしばった歯の間から嗚咽がもれた。
 くーん、と声がした。涙で滲んだ視界に動くものがあった。
「おまえか」
それはその男を逃がすためにふんばった仔犬だった。兵士だった男は、仔犬を抱き上げた。
「ありがとよ」
仔犬は男の頬をそっと舐めた。
「みんな油断なんかしてなかった。剣術にも魔法にも通じた兵士がたくさんいた。けどハーゴンは強すぎた」
仔犬の心臓が人間より早い鼓動で動いているのが男にはわかった。毛皮に包まれた体は温かかった。
「なあ、ワン公、どんなにハーゴンが強くても、私の同僚はちゃんと闘ったんだよ。でも私は逃げてしまった。この足は逃げる途中でガーゴイルにやられたのさ。情けないよな」
くん、くん、と仔犬が鼻声をあげた。
「今日毛布を持っていった家族は、同期の兵士の女房と子供たちなんだ。おれなんか親なしの独り者なのに、なんで家族持ちが死ぬんだよ。くそっ」
仔犬は男を見上げ、涙でしめった顔をそっと舐めた。兵士は仔犬の背をやさしく撫でた。
「王女様も亡くなったって街のやつらが言ってた。本当かよ。信じられない。まだお若くて、亡くなった王妃様によく似ておられた。王様がどれだけ王女様をかわいがっておられたことか」
思い出を語る口調はせつなげだった。
「おれは一度だけ、まだ小さかった王女様のお供をしたことがあるんだ。6歳ぐらいのあどけないお姿だったが、誰が見たって将来美人になるってわかった。おろしたてのドレスを着て侍女たちに守られておいでだったが、王宮庭園の大階段をしずしずと下りていらっしゃる時に、お靴が脱げた。こんなちっちゃな赤い靴さ。それがころころ落ちていった」
仔犬は人の言葉を理解しているかのように黙って男の顔を見ていた。
「おれはとっさに警備の列から飛び出して、赤い靴を拾って王女さまのところへおもちした。そうしたらぱっと笑って、“ありがとう、お池へ落ちてしまうかと思いました”っておっしゃった。おれはその場に膝まづいて、かわいいおみ足に赤い靴をはかせてさしあげた」
男はためいきをついた。
「それだけさ。たったそれだけ。でも、目に焼き付いて離れないんだ。あのお方を守りたかったのに、俺は……」
しばらくのあいだ兵士だった男は仔犬を抱えて座りこんでいたが、やがてそのまま横倒しになった。
「なんで私なんかが生きているんだ……」
その呟きを最後に男はまぶたを閉じた。
 ゆっくりと時間は過ぎた。日没を迎え、夜が更けていった。そして真夜中になったとき、ひっそりと異変が起きた。
 兵士の腕の中に居た仔犬がそっと抜け出したのだった。寝台から床へ飛びおりるとしばらくじっとしていた。
 白いもやのようなものが仔犬から立ちのぼった。もやは急速に広がって、再び一か所にかたまった。白い靄は女の輪郭をとり、顔だちらしきものも現れてきた。もしその情景を見ていた者がいたら、驚きの声をあげたかもしれない。もやでできた女はいとも高貴なたたずまいのうらわかい乙女だった。
 藁束の上に身を丸くして眠る兵士の上に、白い乙女は哀しげな表情で漂っていた。彼女はもやでできた手を伸ばし、兵士のほほに残る涙のあとにそっと触れた。涙をぬぐうこともできない幻の手を、乙女は何度も撫でるように動かしていた。

 赤い靴が下草を踏んでさっさと歩いていく。彼女にとっては隅々まで知り尽くしたムーンペタの町中だった。
「どこまで行くの!?」
「勝手に行動するな!」
後ろから二人の従兄弟が追いすがってくるが、彼女は気にも留めなかった。
「ひ、ひめ!」
「王女様!」
ムーンブルグ王国の王位継承者である王女は、隣国の王子二人と自国の兵士たちを従えて、壁際のボロ小屋までやってきた。
 小屋の前にいるのは、傷ついた足の元兵士だった。兵士は自分のねぐらめがけてやってくる一団を最初いぶかしげに眺め、それから小屋へ逃げ込もうとして、やっと先頭に立つ人物に気づいた。
「姫さま」
白いローブに赤い頭巾の王女は、軽く足を開いて元兵士の前に立った。
「そうよ。私はムーンブルグの王の娘」
と彼女は名乗った。
「申し訳ありません」
男はがくんと肩を落とした。
「私はハーゴンがやってきたとき、あまりの恐ろしさに城から逃げだしたのです。今頃ムーンブルグのお城は」
とぎれた言葉を王女が補った。
「毒に犯され、瘴気であふれ返り、死者は憩うこともできないありさまです」
「申し訳……」
兵士はその場に膝をつき、ぐっと下草をつかんで嗚咽をもらした。
「泣きたかったら、泣きなさい」
静かに彼女はそう言った。
「ちょっと冷たくない?」
背後に居たサマルトリアの王子がそう言った。
「お城が滅んだのは、この人のせいじゃないよ」
兵士はこぶしで涙をぬぐった。
「いや、おれはたぶん、誰かにそう言ってもらいたかったんです」
そしてあらためて王女に向かい合い、うつむいた。
「どんな罰でも受けます」
王子たちは兵士と王女の顔を見比べたが、口をはさめなかった。
「いいの。顔を上げて」
と王女は言った。
「私にはあなたを責めることはできないわ」
「しかし!」
「あなたに罪があるというのなら、私の罪は父と国民を助けられなかったことよ」
兵士は立ちすくんだ。
「約束します。私は罪をつぐなうためにハーゴンを倒すわ。だからあなたも約束して」
熱心に兵士は答えた。
「なんでもいたします」
「死に急がないでちょうだい」
と王女は言った。
「私が約束を果たしてこの国に帰ってくるまで生きていて」
真摯な訴えを瞳に湛え、切迫した口調で王女は訴えた。
「私がいない間、この国と国民を守って」
兵士は、口を開こうとして、自然に背筋を伸ばし、ぴしっと立った。
「必ずご命令を守ります、王女様」
6歳のときと同じ笑顔で彼女は微笑んだ。