こちら『季刊武器の友』編集部 1.第一話

 クラビウス王が善政を敷くサザンビークは、よく繁栄して活気のある土地だった。サザンビーク城の周辺の高台は貴族の豪邸が立ち並ぶが、城の入り口をとりまくあたりは広場があり、あの有名なバザーが開かれる。
 そこを過ぎると下町になる。間口の狭い小さな家が密集する地帯で、職人が多く住んでいるところだった。バザー前になると武器屋や防具屋におろす品物を作る職人たちが納品を控えて殺気立つほどの活気である。
 「武器の友」編集部も、その中に事務所を構えていた。
 レンガ造りの小さな建物だが、入り口には大きな鉄の鋳物の看板をかかげ、凝った書体で「『武器の友』編集部」と書かれている。他の手職人の仕事場と違って品物の材料が家の脇に積みあがっている、ということはないが、そのかわりひっきりなしにいろいろな人物が出入りしていた。そのどれもが、ケンカっぱやい職人町の中で妙になじんでいる。“知の職人”の誇りをかかげ、肩で風を切るような連中だった。
「ああ、『武器とも』さんは、そろそろ締め切りかい」
と、近所の職人はそう思って眺めている。
 若い男が一人編集部から出てきて、お天道様の光をまぶしそうな目で眺め、懐から煙管を取り出してタバコの葉を詰め始めた。まもなく、うっすらと煙があがった。
 隣に住む職人が声をかけた。
「どうだい、今度は」
男は向き直って、疲れきった顔でにやりとした。
「いけるよ」
煙管を口から放して、そう言った。
「大評判まちがいなしだ」
「目玉のレシピはなんだい」
「そんなことばらしたら、おれが編集長に絞め殺されちまうよ。けど、内容はお気に召すこと請け合いだ。次の号の内容が決まったときにこれがうまくいったら売れるぞ、とは思ったんだが、今回は執筆陣もすんなり決まったし、みんな締め切り前にじゃんじゃん入稿してくれるし、中身がこれまたぐっとくるし、おまけに校正もたったいま終わった」
あっはっは、と職人は笑った。
「『武器とも』さんも、やっと軌道にのってきたね」
「ああ。今は仕事がおもしろくてたまらねえ」
「営業もがんばってるんだろうな」
「聞いて驚け。ちょっと名前の売れている団体さんはみんな『武器の友』を予約購読してくれてる。このごろは個人で買うって言うお客さんまでいるんだぜ。おかげで次の発行部数は100部。三桁だ」
「それじゃあ、本を作るのもたいへんだな」
「もちろん、おれたちが一ページづつ作ってるわけじゃねえよ。プロがやってんのさ」
「プロ?」
「マイエラ修道院の写字室だ。修行で聖なる本を毎日書き写している坊さんたちが何人も、『武器の友』を原稿からページにしてくれてるわけだ」
「おいおい、百部だろ?」
「大仕事だろうなあ。でも、あそこの仕事はきれいだし速いし、もうシロウトは使えないんだよなあ。今もちょうど、うちの編集長が新しい原稿を頼みにマイエラ詣でをしてるところだよ」

 聖堂騎士団の団長室は、かなり広いが、むしろ質素で控えめな部屋だった。入って左手には作り付けの巨大な本棚がある。エドモンドは商売柄、ついそちらに目が行った。背表紙をざっと眺めただけでもたいへんなものだと思った。
 本は高価なものだ。そして、同じように高価でも、強い武器防具や貴金属のアクセサリ、速い馬などと違って、特殊な価値のあるものだった。書物とは高価だが一部の人間にしか意味を持たない、そういう存在なのだ。それをこれだけ収集していることに、エドモンドは素直な尊敬の念を覚えた。
「どうぞ」
鋼のような聖堂騎士団長が、冷ややかにいすをすすめた。エドモンドはどきりとした。おどおどと腰をかけ、反対側に青い制服の団長が席に着き、両手を組んでじっとこちらを見つめるのを固唾を呑んで見守っていた。
「あの、いつもお世話になっております」
咳払いをして話を切り出したとき、マルチェロは机の上に一冊の本を置いた。「季刊武器の友」だった。
「実はひとつ、お知らせしなくてはならないことがあります」
「はあ」
エドモンドは、「季刊武器の友」の編集長だった。この雑誌は最近なかなか評判がよく、あちこちの団体から欲しいと注文されている。現在の発行部数は百部に近かった。
「次回の発行は、そちらで行っていただきたいのです。マイエラ修道院はこれ以上お手伝いできませんので、あしからず」
思わずエドモンドは立ち上がった。
「そんな、まさか!」
「言ったことが聞こえなかったかな?」
平然としている騎士団長に、エドモンドはまくしたてた。
「もしマイエラ修道院の写字生たちの協力がなかったら、同じ本を百冊なんてどうやって作ればいいんですか!一瞬にしてページを書き写す魔法など存在しないんだ!」
じろりと騎士団長はにらみつけた。エドモンドはかたまった。
 聖堂騎士団員は、すべて聖職者である。そして、この大陸のこの地方では最強の武装勢力でもあった。特に当代の騎士団長マルチェロは、どのような誘惑にも屈しない鋼のような神の戦士として知られていた。
「どうやって作るかだと?それはそちらの都合だ」
「し、しかし、その仕事のためにわが社は修道院に多額の寄付をしているじゃないですか。しかも前は1ページに付き5ゴールドだったんです。このあいだ値上げして8ゴールドになったばっかりでしょう!ページ8Gはいかにも高いんだ、それを」
だんだん声が小さくなっていく。
「特に次の本は内容が厚くて、裏表の表紙をのぞけば、一部の構成が63ページ、一冊に付き504Gもお支払いすることになるんです。百冊ならご、五万四百」
マルチェロは咳払いをした。
「関係ありませんな。修道士は賃料目当てに仕事をしているわけではない。欲望を退けるために肉体労働をする必要性があるのです。書写はそのほんの一部だ」
エドモンドはわきの下が冷や汗でじっとりするのを意識していた。
「そんな、やっと、やっと『武器の友』は軌道に乗ったんです。今つぶすわけには」
マルチェロは音を立てて椅子を引き、立ち上がった。
「残念ですが」
そのまま窓際へ歩いていき、もう興味もないようすで窓の外を眺めた。
「団長」
エドモンドは言いかけたが、マルチェロはふりむきもしない。
「お引取りを」
目の前が真っ暗になっていく。帰ってから編集部のメンバーになんと説明すればよいのだろう。
「どうしても、だめですか?」
「すでにお返事したはずですが」
とぼとぼとエドマンドは部屋から出ようとして、そして振り向いた。
「1ページに付き、9ゴールドでは?」
マルチェロはゆっくりと振り向いた。
「画像のあるページは別料金でよろしいか?」
悪魔めいた微笑が口元に浮かんでいた。

 エドモンド編集長がサザンビークの下町にある編集部へ戻ってきたのは、翌日のことだった。げっそりした顔つきから、編集部の面々は何か起きたのだと悟った。
「738ゴールド?一冊につき?」
営業部長の声が裏返った。
「冗談じゃない、儲けどころか、持ち出しだぞ。試算を見せてくれ!」
エドモンドは力のない手で羊皮紙を一枚つまみあげた。
「テキストだけのページが16、図像入りのページが47、それぞれの単価が9Gと12Gだ。それに裏表の表紙にグラム数の多いのを使って特別仕上げをしてもらうと30G。しめて738G。その値段からは1Gも負けられないと、マルチェロ団長が……」
誰かがどさ、と音を立てて椅子に沈み込んだ。もう一人が自分の髪を両手でつかんでくしゃくしゃとかき回した。どうにも陰鬱な雰囲気が編集部に漂った。
「くそっ、ここまで来たのに」
営業部長が気が進まないという顔で言い出した。
「どうだろう、ページ数を減らせないか」
若い編集部員が顔を上げた。
「どれをですか。どの記事もはっきり言って入魂の傑作ですよ。それに実際問題として、今回はずした筆者が次回書いてくれると思いますか」
「じゃあ、字をギリギリまで小さくする。か、図版を減らすか」
「そんな……せっかくきれいに描いてもらったのに」
図版を担当した女性編集者が涙まじりに抗議した。
「そんなこと言ったって、じゃあ、次の発行を諦めるのか?ここまで編集するのにいくらかかったか君らはわかってるのか!これから百部作って、全部売って、それで利益がやっと出るんだぞ。道楽じゃないんだ」
若い編集者がぼそっと言った。
「でも、つまらないもん出したら次の号から誰も買ってくれなくなる。それは自滅ってもんでしょう」
沈黙が訪れた。
 エドマンドは椅子を引いて、ふらりと立ち上がった。
「編集長?」
「おれの責任だ」
「そんなこと言わないでください」
「いや、こういう状態のときになんとかするのも、編集長の仕事だ。みんな、心配するな。必ず本は作る。きみたちはこのまま仕事を続けてくれ」
「と言われても」
「まず、執筆の先生方に原稿料の支払いを少しだけ待ってもらってくれ。できるか?」
「少しくらいなら。毎回きちんと払っていますから」
「それと、売店に本を搬入する準備も進めよう」
「いいんですか、編集長」
「おれはこれから、心当たりをまわってくる。“一瞬でページを書き写す魔法のアイテム”を探すんだ」

 真夏の日差しは緑の天蓋にさえぎられ、気持ちのいい風が吹いていく。エドモンドは足を止めて額の汗をぬぐった。手の中の地図をもう一度確かめてみるが、この道で間違いない。エドモンドは背中の荷物をゆすりあげ、もう一度歩き出した。
 少し進んでいくと、小さな小屋があった。エドモンドはつばを飲み込んでその扉の前に立ち、拳を作ってたたいた。
「魔術師殿!いらっしゃいませんか!」
自分の声だけが木々の間に吸い込まれていく。
「失礼します」
そう言って扉を開けようとしたが、中から閉まっているようだった。
「だめか……っ」
このところ、不眠不休で世界中を飛び回っているのだった。その疲れがどっと出たような気がした。
「俺は、あきらめるわけにいかないんだ」
顔を上げると、小屋からさらに先へ道は続いている。エドモンドはわずかな希望にすがって歩き出した。
 “一瞬でページを書き写す魔法のアイテム”を求めて、エドモンドがまず訪れたのはパルミドだった。パルミド一の情報屋に会って、そんな魔法の道具のことを知らないか、と尋ねたのだった。
 情報屋はメガネをかけた小男だった。
「変わった物をお探しですな?」
「どうしても必要なんだ」
「そうですなあ」
しばらく考え込んだ後、情報屋は言った。
「この世でいろいろと値打ちのあるものがどこにあるのか、私はたいがい知り尽くしております。特にこの町の品物の売買はね。が、“一瞬でページを書き写す魔法のアイテム”は一部の人間、あなたのようなお方にしか値打ちがない。と、なると……」
情報屋は羊皮紙を引き出して、書き付け始めた。
「変わった物を集めているところなら二三心当たりがあります。まず、メダル王の城。王様はご病気ですが、王女がおわしますからお聞きになってみるといい」
「それから?」
「トラペッタのマスター・ライラスが魔法アイテムのコレクターとして有名だったのですが、あいにくの火事ですべて消失したはず」
「トラペッタ?たしか、よくあたる占い師がいたんじゃなかったか?」
じろ、と情報屋はエドモンドの顔を見た。
「それは私の情報と、その男の占いと、どちらを取るかの問題ですな」
こほ、と情報屋は咳払いをした。
「ですがトラペッタに行くのは悪くありませんぞ。トロデーンに近いのでひょっとするとひょっとして、錬金釜の行方がわかるかもしれません」
「なんですって?」
「錬金釜です。トロデーンの国宝でしたが、王国の壊滅の際どこかへ持ち出されてしまったらしいのです。それがあれば、あなたの言うような魔法のアイテムを作り出すことができるかもしれない」
「本当ですか!」
エドモンドが飛びつくと、情報屋は羊皮紙を差し出した。
「あと、ベルガラックのカジノにもいろいろと珍しいものが持ち込まれるので、書いておきましたよ。それからかなり山奥になりますが、サザンビーク王国の元主席魔法使いが隠棲している小屋があります。この方は魔法関係では博識ですからね」
 エドモンドはためいきをついた。手の中の羊皮紙は、ほとんどの名前が線で消されていた。たった一つ残ったのが、リストの最後の魔法使いの小屋だったのである。
 回想しながら歩いているうちに、あたりの空気がかわったのをエドモンドは感じた。気温も少しさがったような気がする。目の前に、小さな美しい泉が姿を現した。
 緑の木立に守られた水面は光をまとってゆらめき、あたりの空気は静まり返っていた。小鳥の声と木々の葉ずれの音だけが聞こえてくる。騒がしいサザンビークの下町に比べると、ここは別天地だった。
「なんと……」
エドモンドは言葉もなく立ち尽くしていた。
 不意に後ろから、話し声が聞こえてきた。
「あのう」
 エドモンドは振り向いた。泉へいたる小道に、一台の馬車と数名の旅人がやってきたのだった。エドモンドは我に帰った。
「すいません!」
話しかけられるのを待たずにエドモンドは言った。
「元サザンビークの主席魔法使い殿を探しているんですが、ご存知ありませんか」
馬車の前に立っている若者が答えた。
「あの方は、先日サザンビークへお出かけになりましたよ」
「ええっ」
無駄足だったらしい。
「こうしてはいられない。すぐに追いかけます。失礼」
言ってエドモンドは馬車の横をすりぬけようとした。思ったよりもだいぶ疲れていたらしい。二三歩進んで、足がいきなりもつれた。
「おっと!」
湿った土に頭からのめりこみそうになる。先ほどの若者が飛び出してきてエドモンドを支えた。
「危ないですよ」
お世話かけまして、と答えようとして、エドモンドはめまいを覚えた。不安と、疲労と、責任感と、不眠が、どっと襲い掛かった。エドモンドの意識はぱちんとはじけて、闇のそこへ沈んだ。