奈落の祭壇にて

 広大な砂漠のど真ん中に竜骨がひとつ、風にさらされていた。現存するドラゴンに倍するほどの大きさの巨竜である。うつろな眼窩の頭蓋骨の、大きく広げた口こそが、竜骨の迷宮の入り口だった。
「みんな、ここよ!私が見た場所は。さあ行きましょう。あの水晶玉はここの奥にあるわ」
何の迷いもなくゼシカは入り口を指した。パーティはかるく武者震いしている。ラプソーンにつながる秘密を彼らは暴こうとしているのだった。
 そのパーティを、砂漠の周縁にある高所から眺める者がいた。黒のブーツが砂を踏みにじり、コートの裾が風に揺れた。その観察者は黙ったまま踵を返した。

 いつまで続くかわからない、長い階段をエイトたちは下って行った。幅はちょうど人ひとり分、両側には腕を組んだ巨漢の彫像が延々と並んでいる。やがて両側の彫像が尽き、ただの壁となり、地の底へ向かって四人は下り続けた。
 行く先に二基の灯りが見えた。なにが燃えているのか、不思議な青い光だった。あそこに何かある。一行はすこし足を速めた。
 竜骨の迷宮の奥で賢者ギャリングは魔神ジャハガロスについて警告してくれた。パーティはジャハガロスの隠れ場所を探し当て、トリッキーなダンジョン「奈落の祭壇」を潜り抜けて今最下層を目指しているところだった。
 目は暗闇になれたのだろう。長い階段を下りきった先に飾り彫りを施した大型の石の盤があることがわかった。進むにつれて、それは石盤よりもずっと大きいとわかってきた。
 青みがかった石を敷き詰めた、観客席のない円形闘技場のような大空間である。中央に巨大な彫像が置かれていた。壮大な巨石から達人が、こぶしを突き上げ恨みの形相で天を仰ぐ、羊角人面四足の怪物を巧みに彫り上げていた。
「ちがう!」
エイトはつぶやいた。それは生きていた。
 パーティが円形闘技場へたどりついたとき、怪物の石像が震えだした。石像の足もとに立つと顔の部分はのけぞっても見えないほど高所にある。その高みから最初に埃が、それから小石が降ってきた。石像が震えているのだった。
 石の体の表面に亀裂が走った。内側から外へ向かう圧力に耐えきれないように、ぼろぼろと石が剥がれ落ちていった。轟音を上げて石像は崩壊し、その中にいた怪物が姿を現した。
「はあはあ……」
緑色の皮膚に隈取のような赤い筋が全身に入った半人半獣の化け物だった。長い拘束をついに打ち破って、怪物……魔神ジャハガロスは最初肩で息をしていた。
「くそっ!あの忌々しい賢者どもめ!よくもこのジャハガロス様を石なんぞにしてくれたな!封印を破るのに無駄な時間を費やしてしまったわ!」
“賢者ども”とは、このジャハガロスの主人ラプソーンを女神像の中へ封じたあの七賢者のことだった。魂だけになったラプソーンは何人もの人間や動物に取り付き、ついに自らを解放して現在は空の上にいる。
 ジャハガロスはこの地底にいてさえ、そのラプソーンの気配を感じ取ったようだった。ぐっと顎をあげ、虚空をにらんだ。
「馬鹿な!?この波動はラプソーン様!すでに復活されているのか!」
ジャハガロスは片手で額をつかんだ。
「いかん!これでは吾輩の忠誠心を示す絶好のチャンスが……」
ぬおおおおおお!とジャハガロスは吠えた。
「おのれ人間!!おのれ七賢者!!」
よほど怒りを蓄えているらしい。エイトたちは互いに目配せして身構えた。怪物の視線がようやく足もとへ落ちた。
「む!何だ貴様らは!?なぜ人間がここに?……まあいい。人間ども、吾輩は少々機嫌が悪い」
虫けらをふみつぶす邪悪な歓びに魔神の顔がゆがんだ。へっへっとジャハガロスは笑った。
「あの忌々しい賢者どもを根絶やしにする前に貴様らで憂さ晴らしだ!」
ジャハガロスは後ろ足で立って前足を浮かせ、いきなりパーティに襲い掛かってきた。

 地底の決闘は長く続いた。が、ついにジャハガロスは前足を折り、片手で胸を抑えて青い石畳に膝をついた。
「ぐおおおおおおお!馬鹿なこの吾輩が貴様ら人間ごときに遅れをとるとは……」
疲労困憊したようにジャハガロスは顔を伏せていた。が、次の瞬間、顔を上げ、いかにも狡猾な笑みを見せた。
「と言うとでも思ったか、この間抜けどもめっ!!」
ジャハガロスの片手が高々と上がった。
 それが発動のキーであったらしい。コロシアムいっぱいに白い巨大魔法陣がうかびあがった。薄紅色のオーラをまとう魔法陣は、黒みがかった稲妻のようなものを絶えず発生させている。それに触れると肩に、頭に、全身に重みがかかった。大きな手に押しつぶされるような感覚だった。
「なんなの、これ!」
華奢なゼシカの体は立っていられないようだった。ジャハガロスは嘲笑った。
「無様だな。油断するからそうなる」
残忍な歓びにジャハガロスは目を輝かせ、太い尾をうれしそうにゆすっていた。
「どうだ?自らの重みに押しつぶされる感覚は?」
エイトの隣でくやしそうにヤンガスがうめいた。ヤンガスの体は頑丈だが、重さもそれだけ加わっているようだった。
「なに、心配するな。痛くないようひと思いにあの世へ送ってやる。吾輩は優しいからな」
ジャハガロスは巨体を寄せ、前足をあげてパーティを踏みつぶそうとした。
 その瞬間だった。
 パーティの背後から金色に輝く光が闇を切り裂いて飛来した。
 コロシアムの石畳に食い込むように金の光輪は突進し、重力の魔法陣をずたずたにして、反対側の壁へ激突した。爆発の衝撃にさしもの魔神が顔を覆って避けた。
「なにぃ!?吾輩の結界がっ!?」
ジャハガロスの顔は文字通り顎が落っこちそうだった。
 鍔鳴りの音がした。冷静な男の声がつぶやいた。
「まったくつめの甘い奴らだ」
濃いめのブラウンのロングコート、黒手袋、黒ブーツの長身の剣士が立っていた。額から後ろへなでつけた長めの黒髪、鷹のような鋭い目、そして傲岸不遜な態度の、その男。
「マルチェロ!一体何しにきやがった!?」
信じられないという表情でその異母弟がつぶやいた。
 マルチェロは問いを無視して進み出た。
 ジャハガロスは結界を破られてくやしそうに歯噛みをしていた。
「くそ!まだ仲間が潜んでいたのか?」
憮然としてマルチェロは答えた。
「こいつらの仲間扱いされるのははなはだ不本意なんだが」
いやみたっぷりな口調は聖堂騎士団長だったころと変わっていない。変わったのは……、何だろう、とエイトは思った。奇妙にマルチェロは生き生きとしていた。
「まあいい。人間ごとき何匹増えようとかまわん」
ジャハガロスはそう言い切った。
「おい、そこの貴様!吾輩の邪魔をしたからには楽に死ねると思うな」
その威嚇を、マルチェロは鼻で笑った。
「さっきからべらべらとよく舌の回るやつだ。グダグダ言ってないでさっさとかかってきたらどうだ?」
掌を上にして片手をあげ、小馬鹿にした手つきで”来い”、という合図をした。
 ジャハガロスは挑発に乗った。
「吾輩をコケにしよって!貴様らまとめてチリにしてやる!」
両手を握りしめて全身に力を入れた。人間が気合を入れるのと似たようなものなのだろうか、魔神の胸や腹から太い光の束が飛び出した。
 まずい、とエイトは思った。ジャハガロスのテンションがあがっていく。地底の闘技場に真昼のような光があふれた。赤みがかった光の中に、真紅色のオーラをほとばしらせたジャハガロスが現れた。
「おい、お前たち。私の足だけは引っ張るなよ」
スーパーハイテンションのオーラは台風並みだった。その強風の中でマルチェロは、やはり嫌味を一言放った。彼の視線が赤い衣の騎士に向かっていたような気がしたのはエイトだけだったろうか。
 赤み帯びた体に隈取を輝かせてジャハガロスが襲い掛かってきた。

 真っ赤に染まっていたジャハガロスの体が揺らぎ、がくりと前足を折って地に着けた。
「馬鹿な!そ…な…ば……な……」
驚愕のあまり、呂律も回らなくなったようだった。赤みの強いオーラが消えうせ、元の緑の体にジャハガロスは戻った。いきなりジャハガロスはもがいた。もう一度その身から光が出てきた。さきほどのような気合を入れるためではなかった。光のほうがジャハガロスの巨体を食い破っている。魔神は驚きに見開いた目のまま、内側からあふれかえる光によって粉々になってしまった。
 エイトはゆっくり肩の力を抜いた。ヤンガスたちも武器を仕舞って緊張を解いているようだった。
「どうしてあんたがここにいるんだ?」
ぼそっとククールが言った。マルチェロはふりむいた。奈落の祭壇へ現れてから初めて、マルチェロはククールに正面から向かい合った。
「ふん。私は自分がしでかしたことの後始末をつけに来ただけだ」
ラプソーンの魂に操られて本体の封印を解いてしまったのはこのマルチェロだった。
「べつにお前たちがどこでのたれ死のうと私の知ったことではない」
そう言うとマルチェロは、エイトとククールの間を通り抜け、大階段へ向かった。そして、ククールの脇を通り過ぎるとき、一言告げた。
「これであの時の借りは返したぞ」
聖地ゴルドでこの男は、大地の裂け目にわが身を落とそうとしたのだった。新法王の地位も世界改革の望みもすべて空しくなったと知ったとき、マルチェロは己の野心と心中しようとした。そのときその手をつかんで地べたへ引きずりあげたのがククールだった。
 あのときの、新調の法王の衣装はどうなったのだろうか。ずたずたに裂けて泥にまみれたあの服は。何も語らずマルチェロはロングコートの裾を翻して歩きだした。
「兄貴!」
マルチェロの足が止まった。
 呼びかけたククールは、一度口ごもった。
「その……ありがとな……」
マルチェロは黙っていた。そのまま行ってしまうのだろうな、とエイトは思った。だが、かすかにマルチェロの横顔が動いた。視線が背後にいる弟へ向かい、ふん、とつぶやいた。唇の両端が少しだけ、上がった。
 ククールがどんな顔で兄を見ていたかはわからない。だがマルチェロはそのまま階段へ向かい、振り返ることもなくのぼっていき、そして見えなくなった。