水界の覇者 6.総領の刃

 「ラグラーズの爪牙」号は、斬り込み隊がほとんど制圧していた。水兵も士官も武装を解かれて一箇所に集められている。そうでないものは死体になって甲板に転がっていた。
 船腹の、マール・デ・ドラゴーン号のへさきがめり込んでいるあたりが、すさまじくえぐられている。あたりには大砲を撃ったあとの火薬の煙が漂い、臭いがたちこめていた。
 コーラルはこわごわとあたりを見回しながら、キャプテンのあとについて甲板を歩いていった。無念の形相で刀を握り締めて倒れている士官のわきを、なんとなく足を忍ばせて通り過ぎようとしたとき。
 死体が立ち上がった。
「動くな!」
「ひいいっ」
コーラルは悲鳴を上げ、シャークアイの背中に張り付く形になった。動きたくても、動けない。シャークアイが、足をとめた。
 ラグラーズの兵士は、死んだふりをしていたらしかった。コーラルには目もくれず、シャークアイの背中に剣先をあてがった。
 斬り込み隊の隊員が怒りの声をあげて殺到してきた。
「動くなといったろうが!」
兵士は上ずった声で叫んだ。
「驚いたぜ。海賊の親玉ともあろう人が、なんとも油断したもんだな。吟遊詩人だけをお供にたった一人、しかも丸腰と来た」
コーラルはぞっとした。兵士の言うとおり、シャークアイはまったく武器を帯びていなかった。
「なにかおかしいか?」
世間話のような口ぶりでシャークアイが答えた。
「おれは武器を持たない。なくしてしまった」
緊張に震えながら兵士はあざ笑った。
「剣一本もってないのか、貧乏海賊!」
その言葉を言い終わる前に、ガネルが無造作に足を踏み出した。
 きら、と刃が日をはじいて輝いた。
 一拍置いてルドゥブレが兵士の片腕をとらえた。
 コーラルは目を瞬いた。ラグラーズの兵士は、あっというまに肩先を甲板に押し付けられ、彼の剣は甲板を滑っていった。
「口の利き方に気をつけろ」
舌打ちしてガネルが言った。
「水の民の総領の得物はたったひとつ。それがないときは、斬り込み隊そのものが総領の刃だ」
シャークアイは、また歩き出した。
「ガネル、その男、吊るすな。ダグランドよりは、まだ骨がある」
今の騒ぎが十分見えるあたりに、立派な軍服を着た男たちが固まっていた。
「おまえがダグランドか」
ダグランド提督は、聞いていないようだった。
「おれをどうするんだ、吊るし首か」
シャークアイは冷ややかにその男を見つめた。
「いいか、仕方がなかったんだ。おれのような男が上を目指すには、金が必要だったんだ。世の中、甘くはできちゃいないからな。誰でも出世を、一階級でも上を目指すのは当たり前だろう。わかるか、しかたがなかったんだよ!」
「水上神殿を遅い、無力な守り人を殺した。その罪を支えられるのか、おまえの身勝手な論理が」
ダグランドの額に汗が浮かんでいた。きょろきょろとあたりを見回すが、海賊たちはもとより、ラグラーズ人さえも目をそむけた。
「悪いのはラグラーズの、上のほうの連中だ。あいつらにむしりとられたせいでおれはどうしようもなくやったんだ。おれのせいじゃない!おれが提督になって悪いわけでもあるのか!」
口角、泡を飛ばす。ダグランドの目は血走っていた。この男、おびえている、とコーラルは思った。饒舌も責任転嫁も、恐怖の故だ。
 シャークアイは言った。
「おまえの罪の大きさは、おまえ自身が知っているはずだ。聞け、ダグランド、水の民の長が、裁きをつける」
ダグランドは口を開きかけたが、歯が触れ合ってカチカチと耳障りな音をたてるだけだった。
「おのれの欲のために、水上神殿の守り人をはじめ、多くの者の命をおまえは奪った。代価として、おまえ自身の命を要求する」
「な、よせ、死にたくないっ!」
ラグラーズ人たちはダグランドから目を背けたが、海賊たちは、嘲るでも哀れむでもなく、真剣な表情でじっと見守っていた。
「待ってくれ、アレをやる!命を助けてくれるなら、あれをくれてやる」
シャークアイは冷たい目を向けた。
「水上神殿に奉納されていた財宝のことなら、身代金にはならぬと思え。どんなに貴重でも、金銀ならかわりはいくらでもある」
「ちがう、ア、アレだ。おまえたち水の民の、宝だ」
ガネルがぴくっとした。
「キャプテン、もしや、この男」
シャークアイはうなずいた。
「ダグランド、あれを持ち出したのも、おまえだったのか?」
ダグランドの喉がひくりと動いた。
「提督用特別室の、一番小さな宝物箱を見てみろ」
ガネルがうなずくと、斬り込み隊の若者が二人、さっと宝物箱を探しに行き、見る間にもどってきた。
「ありました!」
ダグランドは媚びるような目になった。
「これを身代金にするぞ。おれの命はとらないでくれ。おれだけは!」
ラグラーズ人の船長が顔色を変えた。
「そんな、提督、わたしたちはどうなるんですか!」
「そこまで知ったことか!」
口汚く言い返すようすが見苦しく、海賊たちはいやな顔になった。
「キャプテン、本当に、こいつを許しなさるので?」
シャークアイは、きっぱりと首を振った。
「いや、裁きは行う」
ダグランドが悲鳴をあげた。
「話が違うぞ!」
「ふざけるな。もともとはわれらの宝だ。しかも、今は、わが一族の命を張った戦いの、その戦利品だ。もともと身代金をもって交渉できる立場ではない!わが裁きに異論のある者はいるか」
波の音と死刑囚の悲鳴のほかには、沈黙が落ちているだけだった。
「綱を用意しろ」
そのときだった。ひとつの声が、はっきりと異を唱えた。
「その裁き、不服です!」
高い、明晰な、女の声だった。
 甲板に参集するマール・デ・ドラゴーン号の海賊たちをかきわけて、きゃしゃな婦人が裁きの場へもがき出た。
「アニエス……」
アニエスは毅然とした表情で海賊の首領を見上げて、繰り返した。
「お裁きに、異論がございます」
「アニエス様!」
ルドゥブレがあわてて留めようとした。
「あたくしもマール・デ・ドラゴーンの女です。自分の民の異論を聞く耳も、総領にはないのですか!」
ここまで走ってきたのだろうか、彼女の息は荒かった。
「降伏し、身代金を支払った者を吊るし首にしてはいけません」
「言うな。どれほど厳しくても、それが水の民の法だ」
「いいえ!」
斬り込み隊所属の大の男たち(と少数ながら女たち)が、アニエスをなだめようと小声で声をかけ、手をさしのべるのだが、アニエスは視線を向けようともしない。手をはらいのけ、見ているほうがはらはらするような激しさで、アニエスは総領に抗った。
「たとえ法にのっとり理にかなったとしても、水の精霊がお許しになりますか?」
海賊たちは静まり返った。
「降伏するものを皆殺しにするのは、ラグラーズの流儀。そしてラグラーズの信じる“神”の流儀でございましょう。決して、水の精霊のなされようではありますまい!」
「それなら、この男が犯した罪を、水の精霊はお許しになるというのか」
アニエスは呼吸を整えた。
「水の精霊にお尋ねなさいませ」
シャークアイの眉が小さく動いた。
「許してよい命なら、精霊がお助けになるでしょう。そうでないなら、精霊ご自身が、その命をお取りになるでしょう」
シャークアイは、ダグランドに視線をあて、一度瞑目した。
「いいだろう」
と、シャークアイは言った。
「この男の運命、水の精霊にゆだねよう」