水界の覇者 1.ターフル島閉鎖

 軍人は物々しく武装していた。
 ラグラーズ軍占領部隊である。総数千二百。鉄の規律のラグラーズと謳われるとおり、士官から一兵卒まで全員同じ姿勢、直立不動を保っていた。
「分が悪いやね」
コーラルは口の中でつぶやいた。ラグラーズ軍に威圧されそうになりながらも、必死の面持ちで向かい合っているのは、腰の曲がった年寄りと、その後ろへかたまった島民たちだった。
 コーラルのような、島へたまたま来ていた旅人は、宿屋の前に集まって、どうなることかと見守っていた。
 占領軍の司令官は、背が高くて幅もある、いかにもラグラーズ人らしい大男だった。
「本日ただいまをもって、このターフル島および対岸のミード島との境のターフル海峡は、ラグラーズ軍が管理する。みだりに航行するものは、ただちに攻撃の対象となる」
「お待ちくだされ」
島の長老がかすれ声で言った。
「ターフル海峡は昔からわしらが行き来してきた航路でござ……」
その声をかきけすように司令官が怒鳴った。
「ターフル海峡の軍事上の重大性にかんがみ!」
背後のラグラーズ兵が、じろりと島民をねめつけた。
「これよりは当部隊が、ラグラーズ王の御名において、航行を管理するものとする。違反あるものは、ラグラーズ王への反逆とみなす!」
長老のすぐ脇にいた若者が顔をあげて言いかけた。
「おれらはラグラーズの臣下じゃ……」
ぐふっとうめいて若者は崩れ落ちた。兵士の一人が若者の腹をいきなり蹴り上げたのだった。長老たちがあわてて抱えあげた。
「ターフル島は、すでにラグラーズ王国へ編入された」
それが合図だったかのように、副司令官は号令をかけた。
「右向けーっ、右!並足、行進!」
ざっ、ざっと音を立てて兵士たちは引き上げにかかった。その後姿へ向かって長老は叫んだ。
「水の精霊さまを畏れなされ!海の行き来を妨げるものは水の精霊様の加護を失いますぞっ」
司令官が振り返った。
「田舎ものが!われらラグラーズは、すでに地水風火の精霊を恐れはせん。神さえも、敗れたのだぞ」
長老は青ざめた。
「信じられぬ」
「新しき美しき神がついに古き神を降された。それが証拠に、4つの神殿は空へ飛び去ったという報告が入っている」
司令官はせせら笑った。
「その神殿すら、落ちたらしいぞ」
「ばかな」
「ふたつもだ。ひとつはフォーリッシュの東へ。もうひとつはそれより北のあたりでな」
腹を蹴られた若者がきっと顔をあげた。
「われらの神と精霊様はきっとまた立ち上がりなさる!」
「古き神は去った。4大精霊は眠っているらしい。英雄は封印され、神殿も空中をさまようだけだ。何がターフル島だ。こんなちっぽけな島、美しき神がその気になられたら、あっというまに闇に落としてしまわれるだろうよ。今、公然とあの方に逆らっているのは、愚かなるコスタール王くらいのものだ。おまえたちに、なにができる」
妙に優しげな声で司令官はさとした。
「悪いことは言わん。美しき神オルゴ・デミーラに帰依して、ラグラーズに降れ。長いものには巻かれることだ」
だが、長老はかたくなに繰り返した。
「水の精霊様を畏れなされ。海は、陸(おか)の者には想像もつかないところじゃ。精霊さまのご加護なしではとうてい生きてはいかれぬ」
「まだ言うか!」
耳が割れるような大声で司令官は一喝した。
「ただいまよりターフル島は全閉鎖とする!猫の仔一匹通さんからそう思え!」
そう言い渡すと、司令官は大またで歩き去っていった。
 コーラルはまだ立ち上がれないでいる若者のところへ駆けつけた。
「あんた、だいじょうぶかい?持ち合わせの薬草でよかったら、使ってくれ」
「すいません」
島の若者は、薬草を飲み込むくらいの元気はあるようだった。
「旅の方ですか?」
長老が聞いた。コーラルはうなずいた。
「吟遊詩人で、コーラルと申します。たまたまこの島へ来たところで、これだ。全閉鎖となると、次の興行場所へもいかれやしません。まったく」
コーラルの後ろから、さきほどまでいっしょにいた旅人たちが集まってきた。
「長老どの、なんとかあいつらに見つからないで島を出る道はないかね」
「わしは旅の商人なんだが、仕入れたものがはけないと大損なんだ」
「国で妻子が待っているんだが」
長老は疲れた様子だった。
「旅のみなさんにはまったく申し訳ない。のちほど、占領部隊に、みなさんだけでも島の外へ出られるように申し入れて参ります。もう少々時間をくだされ」
「申し入れ、って、大丈夫か」
一人が不安そうにつぶやき、旅人たちはぶつぶつ言い出した。だが、長老は意外に落ち着いていた。
「ターフル島とミード島は、昔から水の精霊様に礼を欠かしたことのない島でしてな。ご加護がある、と信じておるのですよ」
「形のないご加護より、保証がほしいね!」
旅の商人が言うと、その隣にいた筋骨逞しい旅人が笑った。
「水の精霊さまのご加護には、形がないと限ったもんじゃない」
「そうですか?」
「聞いたことがないか?地水風火のような大きな精霊には、それぞれ直に仕えまつる民がついているものだ。水の精霊様がお眠りになっていても、水の民は起きていると思うぜ?」
コーラルは思わず、その男の横顔を盗み見た。いたって自信ありげだった。