伝説のビールメイド・改

 ★2022年5月4日、このお話のヒロインを描いていただきました。⇒ディアンドルの少女

三つの金の鐘を掲げる白い教会の前の広場に、大きなテントがいくつも立っていた。テントの中には長テーブルが置かれ、大勢の人が座っていた。人々の前には大きなジョッキがあり、誰もかれも音を立ててジョッキを打ち合わせ、泡のあふれる飲み物をぐっと干していた。
「あれ、何、お父さん!?」
 グランバニアの双子、アイルとカイは、にぎやかなテントの方を見てそう言った。
「ああ、ビール祭りだね」
 双子の父ルークはそう答えた。
「毎年この季節には、ビールの製造元が樽を持ち寄ってお祭りをやるみたいだよ」
 かんぱーい、と繰り返す楽しそうな声、湯気をあげるフライドポテト、酢漬けのキャベツ。テントの前では炭火を入れたグリルの上で太いソーセージに美味しそうな焼き目をつけ、あるいは鶏肉を炙っていた。
「すごいや。そうだ、お父さん、おじいちゃんのところへ、お土産に買っていこうよ」
 少し興奮してアイルがそう言った。
 アイルとカイにとって、母ビアンカの父ダンカンは祖父にあたる。一家はときどき温泉の湧く山奥の村へダンカンを訪ねることにしていた。
 うふふ、とビアンカが笑った。
「あのね、あのお肉やお野菜、実は山奥の村から持ってきてるの」
 え?と双子は驚いた。
「ビール祭りは、この近所のいろいろな村から特産品を持ち寄るものなのよ」
「そっか。じゃあ、だめだね」
 ビアンカはこどもたちの頭に優しく手を触れた。
「大丈夫。お土産はあなたたちの笑顔で十分」
そう言って夫を振り向いた。
「そろそろ薬ができるころだから、私、薬師さんのところまで行ってくるわ?」
 ビアンカは、帰省のときはこのサラボナにいる薬師に、ダンカンの持病に効く薬を調合してもらうことにしていた。
「じゃあ、ぼくは子供たちとここにいるよ」
「少しなら飲んでもいいのよ?」
「お義父さんに会う前は、遠慮しとくよ」
 くすくす笑ってビアンカは行ってしまった。
 ルークと双子がいるのはサラボナの噴水の前だった。ビール祭りはよく見えた。
 肩を組んで歌いだす客がいる。次々とジョッキをあけ、お代わりをもらう客がいる。テントの奥では小太りの主人が大きな醸造樽からどんどんビールを注いでいた。
 ビールは、一リットルは入る大型ジョッキに注がれる。ジョッキには持ち手があるのだが、ひとつだけでもかなり重そうだった。
「向こうへむっつ!」
 主人が汗をふきふきそう言った。
 言われたのは若いウェイトレスだった。片手に三つずつ合計六個のジョッキの持ち手を一気につかみあげた。豊かな泡がジョッキからあふれ、明るい琥珀色の液体が波打つ。彼女は軽々と運んで行った。
「はぁい、おまちどうさまっ」
 来た来た!と客たちは歓声を上げた。
「あのお姉さんたち、すごいね」
 双子とルークは感心していた。
「あんなにたくさん、こぼさないし、落とさないし」
 それに、とカイが言った。
「あのお洋服、かわいい」
 ビール運びのウェイトレス、ビールメイドたちはおそろいの衣装を身に着けている。えりぐりの深いブラウス、腹部からアンダーバストまで紐で締めあげる胴着、ふんわりしたスカートに、エプロンという組み合わせだった。
 エプロンとブラウスは白だが、胴着とスカートは色とりどりで、しかも華やかな刺繍が一面に施されている。
「ああ、ディアンドルだね」
と誰かが言った。
 噴水のすぐそばに一人の老人が腰かけていた。彼の前にはイーゼルとキャンバスがあり、明らかに絵を描いていたようだった。
「小父さん、あのお姉さんたちのこと?」
 双子はすぐに老人のところに寄っていった。
 わあ、と双子が同時に声を上げた。老人のキャンバスにはビール祭りの情景が見事にえがかれていた。はしゃぐ客たちの前に、右から左からビールメイドたちが大量のジョッキをもってきたところだった。
「そうそう。“ディアンドル”は、サラボナからはちょっと離れた地方の民族衣装なんじゃが、ビール祭りのビールメイドはやっぱりディアンドルでないとな」
「お詳しいんですね」
とルークが言うと、老人は片目を閉じてみせた。
「わしゃ、祭りのたびにここで絵を描いとるでな。かれこれ二十年になる」
「それはすごい」
 ほっほっと老画家は笑った。
「しろうとさんには、どの娘も同じように見えるじゃろ?わしに言わせれば、まったく同じビールメイドはおらんよ。みんな個性的でな」
「そうなのですか」
 たぶん、たくさんいるスライムの中からうちのスラリンを見分けるようなもんかな、とルークはひそかに考えた。
「一人、忘れられんビールメイドがいてな」
と老画家はつぶやいた。
「まだ十五か十六の少女じゃったが、誰より明るく生き生きした娘で、その子がいるとその場がぱっと明るくなった。あの子がいると雨のビール祭りでも空に虹がかかるんじゃ。太陽、そうじゃ、まるで太陽のような娘じゃった」

 南国サラボナの空は、いつもの輝きをまとってはいなかった。教会前の広場の大噴水も勢いがなかった。
 ちっと誰かが舌打ちをした。
「やっぱり雨か」
 サラボナの人々は恨めしそうに天を仰いだ。光のない空からぽちぽちと雨粒が落ちてきて、石畳の上に水玉模様をつくった。
「せっかくのビール祭りだってのになあ」
「お祭りのテント、お通夜みたいになってんぞ」
 サラボナの人々はテントの中をのぞきこんだ。
 ビール職人の親方らしい男が、泣き声交じりに誰かをなじっていた。
「おまえ、俺に何か恨みでもあるのか?」
 親方の周りには若い職人たちや料理人、ビール運びのメイドたちが集まっている。その輪の真ん中にいるのは、うら若い娘だった。
「すいません、すいません、でも杖がないと歩けなくて。ジョッキを運ぶなんて無理です」
 身につけているのはビールメイドの衣装、ディアンドルだった。が、片足がきかないらしく、テーブルに半ばよりかかっている。腕も片方、包帯を巻き付けて首から布で吊っていた。
「だからって、ビール祭りの当日の朝にケガなんかするか、普通?」
 すすり泣くような声で親方はぐちった。
「ああ、神様、神様、山奥の村からなかなか食材が来ないのも、朝っぱらから雨が降ってきたのも、ビールメイドがケガをしたのも、みんな俺が悪いんですか?えっ」
 返事をできるわけもなく、ビール祭りのスタッフはうなだれた。けがをしたメイドはこらえきれずに泣き出してしまった。
「もういやだ、なんで俺だけがこんな目にあうんだ」
 ぐすぐすと親方は鼻をすすった。
「あの親方は、腕はいいんだが、こういう時に打たれ弱くてなあ」
 ひとりがそうつぶやいて、一斉にため息がもれた。
「いやはや、まいったね。おや?」
 雨の中を、古びた荷馬車がやってきた。荷台には大きな樽や箱が満載されていた。
 御者台から若者が降りて、ビール祭りのテントに声をかけた。
「あの~、遅れましてすまんことです~、あの~、山奥の村から~野菜と肉をお届けに~」
 ビール職人たちが荷物を受け取りに外へ出てきた。
「あの~、道が悪くて遅くなって~」
「わかった、わかった、もういいよ」
 若い職人たちは、なげやりだった。
「見ての通りさ。せっかく持ってきてもらったが、お祭りなんてできるのかね」
「え~、そいつは、いや~その~」
と山奥の村から来た若者が言いかけて、口の中でもごもごつぶやいた。
「お代をお願いします」
そう言ったのは、若い娘の声だった。
 荷馬車からもう一人の乗客が降りてきたのだった。十四か十五のほんの少女で、豊かな金髪を三つ編みにしてヘアバンドのように額の上に巻いていた。
「親方さんはどちらですか?これ、伝票です」
 若者と違って、はきはきした言葉遣い、毅然とした態度の少女だった。
 うわっと若い職人たちはつぶやいた。一人がテントの中へ親方を呼びに行った。
「ビアンカちゃん~、先方さんが怒ったらどうする~?もっとやわらかく言ったほうがいいよ~」
 村の若者は、ハラハラしていた。ビアンカと呼ばれた金髪の少女は、唇を引き結んだ。
「どうって、村じゃみんな代金を待ってるんだから、ちゃんといただいて帰らないと」
 その声を悲鳴のような叫びがさえぎった。
「はああ?伝票?払えって言うのか!」
 金切り声でそう叫んだ親方が、手箱をひっさげてテントから出てきた。
「金だって?ああ、いいさ、さあ持ってけよ、好きなだけ取りやがれ!」
そう叫んで手箱をその場へ放り出した。石畳の広場に箱は転がって蓋が外れた。中は空だった。
「この雨で!ビールメイドがそろわなくて!どうやって売れってんだ。どうやって金を払えるんだよぉ!何とか言えよ、おいっ」
 酒はまだ飲んでいないはずなのに、親方は泣きながら年端もいかない少女にからんだ。
「そこにビールがありますね。外にはお客もいたわ。売ればいいでしょう。どうしてお仕事しないの?」
 怒鳴られてもビアンカは、冷静にそう言った。
「『どうしてお仕事しないの?』、どうしてぇ?」
 バカにした口調で親方は口真似をした。若い職人やビールメイドたちは、親方の醜態を見せつけられてうんざりした顔になった。
「他人ごとならなんとでも言えるさ!」
 ぎゃあぎゃあと親方はわめいた。
「そこの間抜けな小娘のせいで、今日の祭りはだいなしだよ!」
 ケガをした娘がびくっとして、泣き声をもらした。仲間のビールメイドたちはその娘の背をさすったり、親方をにらんだりしていた。
 やおらビアンカが動いた。
「ねえ、その手と足、痛いんじゃない?」
 言いながら、椅子を引いてきてその娘を座らせようとした。
「あ、ありがとう。あたし、ご迷惑ばかり」
 力なくその子は椅子に崩れ落ちた。
「ケガしたくてする人はいないでしょ。気にしない方がいいわ」
 ビアンカは、彼女に笑いかけた。ケガをした娘はその顔を見つめていた。
「あのっ、お願いがあるんですけど」
「はい?」
「私の代わりにビールメイドになってくれませんか?」

 楽しみにしていたビール祭りが雨というのは気の滅入ることだったが、それでも画家は愛用の道具を背負ってサラボナの広場まで出向いてみた。
「おやおや、こいつは?」
 この天気では人もまばら、という予想はくつがえされた。石畳の広場には、ビール職人の大きなテントが例年と同じく設置されている。サラボナの市民が集まって、濡れるのもかまわずにテントをのぞきこんでいた。
「何があったんです?」
 ひとりが振り向いた。
「ああ、画家さんか。さっきまでこのテントお通夜みたいだったんだよ。見てごらんよ」
 テントの奥には例年と同じく、醸造所から運ばれてきた樽がいくつも並んでいた。その樽の前を男女がせっせと片づけ、掃除していた。
「さあ、広くなったわ!」
 ひとりのビールメイドが元気よくそう言った。
「長テーブルと椅子をここへ並べましょう。テントの下の、雨が当たらないところにね。その代わり、屋台は半分外へ出して。グリルの火だけはカバーしてね、消えないように」
 まだほんの少女だった。きれいな金の髪を頭の左右の高い位置でくくり、三つ編みにして頭に巻き付けている。明瞭な声でわかりやすい指示を次々に出していた。
「ソーセージは真ん中で焼いてください。火は燃料を足してカンカンに熾してね。煙が上がるくらいにして?そこはフライドポテトよ、広場を行く人たちから見えるところで揚げてほしいの。揚がったらお塩は多めにふってください」
 人々は三つ編みのビールメイドの思惑を理解し始めた。
「いい匂いがするじゃないか」
 よだれのでそうな顔で人々がテントをのぞきこんだ。ビールメイドは、ぱっと笑顔になった。
「いらっしゃいませ。すぐに焼けますから、座ってお待ちください」
 清潔な座席がいくつも並んでいる。
「じゃ、待たせてもらうよ」
 三つ編みのビールメイドは仲間の娘たちに目配せした。それと察して、同じディアンドルにエプロン姿の娘たちはそろって注文を取りにきた。
「お待ちの間に一杯いかが?」
 三つ編みのビールメイドは、広場へ向かって声を上げた。
「美味しいソーセージ、焼き立てでーす」
「雨宿りはいかがですか?今年のビールありますよ」
 いつのまにか画家のまわりにいた人々がテントの中へ吸い寄せられていた。
 三つ編みのビールメイドがテントから出てきて、広場の片隅の所在なげにしている一団に話しかけた。
「楽師さんたちね?雨のせいで音楽をやれないのね?」
「ああ、まあ」
 にこ、と彼女は笑った。
「テントの中で演ってくれないかしら。お祭りの景気づけがほしいの」
 楽師たちは、ほっとした顔になった。
「喜んで!」
 たちまち華やかなメロディが始まった。あたりは一気にお祭りらしくなった。
「さあ、ビール祭りよっ」
 わあっと歓声があがった。
 画家は、はっとした。荷物の中から羊皮紙のスケッチブックとパステルをつかみ出した。
「何をぼけっとしてたんだ、あの子を描かにゃ!」

 テントの奥でビールメイドたちは忙しそうに働いていた。
「見て!ルドマン商会から、ビール祭りに寄付ですって!」
 少女たちは新しく届いた荷をほどいていた。
「まあ、今年はテルパドールの香料を使ったお菓子よ」
 ビアンカが一瞬手を止め、ためいきをついた。
「ルドマン商会ってお金持ちなのねえ……」
「そりゃあ、もう!」
「毎年、ルドマン商会のご主人と奥様の御名前で何かしら差し入れがあるの」
「あら、今年はお嬢様方も連名みたいね」
 ビールメイドたちはうれしそうに焼き菓子を取り出した。
「ねえ、これどうする?」
 そうね、とビアンカはつぶやいた。
「テントに来てくれた子供たちに一つずつ配ったらいいんじゃないかしら」
「客寄せにもなるわね。了解!」
「ビールのほうは、どう?」
 質問された少女は、うふふ、と笑って、答えの代わりに指でさしてみせた。
 ビール職人の親方が、自分が仕込んだ自慢のビールをせっせとジョッキに注いでいた。
「ご機嫌が直ったみたいね」
 いきましょ、と目で合図して少女たちはジョッキを運びに行った。
 親方の前にある台にビールのジョッキがたくさん並んでいる。ビールメイドたちは客の元へ注文された数を運んでいた。
 最後に来たのはビアンカだった。
 親方はビアンカに背を向け、樽のほうを向いたままぼそぼそつぶやいた。
「あんたか。……さっきはすまなかった」
 ビアンカは肩をすくめた。
「人生、照る日も降る日もあるってことね」
 ふん、と親方は鼻を鳴らした。
「田舎の村の小娘が、言うもんだな」
 くすりとビアンカは笑った。
「母さんの口癖よ。母さんは、山奥の村へ来る前は大きな宿屋の女将さんだったの」
 親方はちらりとこちらを見た。
「山奥の村生まれじゃなかったのかい」
「少し前に父さんの病気の療治のために温泉のある村へ越してきたの」
「じゃあ、元は宿屋のお嬢さまか、あんた」
「お嬢様ってがらじゃないけどね。匂いでお客さんの気を引いたり、塩気のある食べ物でお酒をすすめるやりかたは母さんが教えてくれたの」
「いいおっ母さんだな。大事にしてやりな」
 若い職人が、テントの向こうから叫んでいた。
「親方、ご新規六つです!」
「おうっ」
 親方はあわてて空のジョッキを並べ始めた。

 目当てのビールメイドが奥へひっこんでしまったので、画家はスケッチブックを抱えてテントの裏へ回ってみた。
「ごめんよ、頭に三つ編みを巻いたお嬢さんはどこかな?」
 画家が毎年描きに来ているので、顔見知りのビールメイドも多かった。彼女たちは広場の片隅を指した。
「ビアンカちゃんなら、あそこよ?モデル?あら、すごい」
 スケッチブックには、彼女のさまざまなポーズや表情が描きこまれていた。
「ありがとう。本当に描いていいかどうか、聞いてみようと思ってね」
 画家は描く気まんまんで彼女に近寄った。
 ビアンカというらしい少女は、馬車の陰にいた。隣の若者が、彼女の代わりにトレイを持っている。ビアンカはピンをいくつか外し、長い三つ編みを頭からはずしてほどいていた。
「大丈夫かい、ビアンカちゃん?」
「……平気」
「あの親方さん、ひどいよな~。ダンカンの女将さん、去年亡くなってるのに~」
 ビアンカはかるくうつむいて髪に指を通していた。
「親方はそんなこと知らないんだからしょうがないわ」
「でもさ~」
 ビアンカは頭の左右の高い位置で髪をそれぞれくくり直して一本ずつ三つ編みにきつく編み直した。
「大丈夫って言ったら、大丈夫」
「でも~」
 トレイをちょうだい、と言ってビアンカは若者から給仕用のトレイを受け取った。
「気持がへこんだら、切り替えるの。楽しいことや綺麗な景色、可愛いもののことを考えるといい」
「ビアンカちゃんて、つくづくオトコマエだよな~」
 若者はまぶしそうに彼女を見ていた。
 雨模様の空を見上げて、ふふっとビアンカは笑った。
「あの猫ちゃんがいいかしら」
「猫って~?」
「昔、私と幼馴染の男の子と二人で助けた、ちょっと変わった子猫がいたのよ。あの子、今でも私のリボンを持っててくれてるかしら」
 やおら、ビアンカは目を見開いた。
「見て、あれ、虹?」
 物陰で聞いていた画家も、驚いて空を見上げた。サラボナの町の向こう側、大きな見張りの塔の上に光のアーチができていた。
「こうしちゃいられないわっ」
 ビアンカはトレイを抱えて飛び出した。まだ頭に巻き付けていない二本の三つ編みがふわりと広がった。
「虹が出てるわ。もうすぐ雨があがるわよっ」
 浮き浮きと弾む声、明るい笑顔。
「さっきしまったテーブルを広場へ出しましょう!もっと席を作って。お客さんが来るわよ?!」
 若い職人とビールメイドたちがいそいそと動き出した。

 老画家は、懐かしさと憧憬の入り混じった顔になった。
「忘れられんよ。あの子が笑うと空に虹がかかり、最高のビール祭りになったんじゃ。わしゃ、夢中で描きまくったよ。自分で言うのもなんじゃが、なかなかいいものが描けてのう。あの子にその絵を渡したかったんじゃが、次の年の祭りにはあの子はおらんかった」
「おやおや」
「なんでも前の年はビールメイドの人手が足りなくて、山奥の村から野菜を運んできた村の娘さんに頼みこんでビールメイドになってもらったそうじゃ。本職でないとは、思わなんだ。まさに天性のビールメイドだったというのに」
 はあ、と老画家はためいきをついた。
「お父さん……?」
 ルークと双子は、互いの顔に同じ疑念を見て取った。
「ええと、その娘さんの絵を、見せてもらえますか?」
「もちろん」
 老画家は振り返り、噴水にたてかけたキャンバスを探って、小さめの一枚引き出した。
「わしの自信作じゃ!」
 深い緑の地に華やかな花鳥刺繍の胴着とそろいのスカートにエプロンをつけた少女が、そこにいた。スカートの縁取りと胴着を締めるリボンが鮮やかなオレンジ色だった。胴着からハーフカップであふれる胸は白いブラウスに包み、鎖骨のあたりだけ乳色の素肌が見えている。頭の両側に分けて高い位置で結び、三つ編みにした見事な金の髪。
 彼女の背後にサラボナの家々があり、その上に空が広がっている。雨上がりの灰色がかった空にはくっきりとした虹がかかっていた。
 虹のアーチの下をくぐり、彼女は嬉しそうにこちらへ走ってくる。小走りの勢いで背後に跳ね上がる金の三つ編み、スカートは膝頭の形のまま突き出され、エプロンの裾が大きく波打っている。
 今にも笑い声が聞こえてきそうな、生き生きとした姿だった。
 恐れを知らない青い瞳を、そして何より少女の輝くような笑顔を、ルークたちは知っていた。
 背後から足音がした。
「お待たせ!」
 ルークたちはあわててふりむいた。ちょうどビアンカが薬を持って帰ってきたところだった。
「お、お帰り」
「あら、何してたの?」
と、ビアンカが笑いかけた。
 ルークと双子は笑みを浮かべ、半歩脇へ退いた。ビアンカは、老画家の掲げるキャンバスに向かい合った。
「え?」
 画家は、目を見開いた。
「ああ、あなたは、あの子だ」
 キャンバスを持つ手は細かく震えていた。
「神よ、感謝します」
 老画家は目を細めて笑った。
「綺麗になって、幸せそうで」
 ようやくビアンカは、その絵の少女に気付いた。
「これって」
「『伝説のビールメイド』。わしの自信作じゃ。お嬢さん、ずっとあなたに渡したかった。受け取っていただけるかな?」
 ビアンカは口元に手を当てて目をぱちくりしていたが、しゃんと背筋を伸ばした。
「ええ、ありがとう」
 彼女が笑うと虹がかかる。伝説のビールメイドは真面目な口調でそう言って、両手で絵を受け取り、華やかな笑顔になった。