オウム返しの使い魔 9.コリンズと双子

 ラインハットのコリンズは、自分に割り当てられた部屋の窓から森を見下ろしていた。
 ずいぶん遠くへ来た、そんな気分だった。実際は、その部屋は何度も泊ったことのあるグランバニア城の王室居住区客用寝室だった。
「コリンズ君、いる?」
 ドアが細めに開き、旧知の双子が顔を出していた。
「うん、どうぞ?」
 グランバニアの王子アイトヘルと、双子の妹王女カイリファが入ってきた。二人とも真面目な顔だった。
「お母さんから、何か足りないものがないか聞いてきてって言われた」
 コリンズは窓を離れた。
「大丈夫。えーと」
 今までとは違う。コリンズは一生懸命言葉をひねり出した。
「俺を受け入れてもらっただけで十分ありがたいよ」
 かえってアイルはしょぼんとした。
「コリンズ君、デールさまのこと、聞いたよ。あのう」
 カイもいつもの明るさがなかった。
「マリア小母さまとヘンリー小父さまと離れ離れなんて、辛いよね」
 コリンズは、目の前の二人が幼い頃ずっと両親不在で育ってきたことを思い出した。
「気にするなって。母上にとって海辺の修道院は古巣で知り合い多いし、父上は、ほら、アイルたちの父上といっしょじゃん。きっと大丈夫さ」
 父のヘンリーがその友ルークといっしょに旅立つ前、グランバニアにコリンズを預かってもらうという話をつけていったのだった。
 旅立ちの前、修道院の祭壇の前で、コリンズは長いこと両親と話し合った。
「今のお前は、ラインハットそのものなんだ」
 真剣な目でヘンリーは言った。
「お前が無事なら、ラインハットは再建できる。そして、ここよりもグランバニアの方が安全だと思う」
「いきなり言われても、俺」
 王位継承者の責務をいきなり両肩にのせられて、コリンズは青くなった。
「王太子ってのは、そういうもんだ」
 あっさりとヘンリーは話をくくった。
 マリアがやさしく話しかけた。
「ここでシスターたちの手伝いをしてくれたら私はうれしいけれど、コリンズにはやらなくてはならないことがあるわね?グランバニアで勉強を続けてちょうだい、将来、立派な王さまになるために」
 結局コリンズは、承諾した。
 ヘンリーとルークはサンチョから聞き取りをするために一度グランバニアへ飛ぶことになっていた。コリンズも同行してルーラで飛んできた。
 ビアンカ王妃は事情を聞くと、ぎゅっとコリンズを抱きしめてくれた。
「何も心配しないでね。自分の家だと思ってこのお城にいるといいわ」
 友だちのアイルとカイもいる。コリンズ付きの侍女、ショーンがあとからコリンズの世話のために来ることになっている。アイルと同じ学校でコリンズも勉強できることになった。
 何も心配はいらないと頭でわかっていても、ヘンリーとルークがエルヘブンへ行くことになった朝、コリンズは思わず父の服をつかんで引っぱってしまった。
「帰ってくるよな?!」
 泣かないで言いたかったのに、声が震えてしまった。
「絶対、帰ってくるよなっ?」
 ヘンリーはふりむいた。てのひらをコリンズの頭に乗せ、優しくクシャと髪をつかんだ。
「誰に向かって言ってんだ、あ?」
 コリンズは目を見開いた。ヘンリーは笑っていた。
「俺の子分なら、泣きべそかいてんじゃねえよ。絶対親分がなんとかしてくれる、そう信じろ」
「誰が泣きべそかいたよ!」
 片袖で眼をそっとぬぐって反射的にコリンズは言った。
「とっとと行けったら。目鼻つくまで戻ってくんなよ!」
 ははは、とヘンリーは笑い声を放った。
「それだけ元気なら心配ないな。グランバニアの皆さんに迷惑かけんなよ?じゃ!」
 ルークの魔法が発動して、ルークとヘンリーの二人が空の彼方へ消えるまで、コリンズはじっと見送っていた。
――俺、泣かないよ。父上の子分だもんな。
 アイルとカイは、持っていたものを差し出した。
「これ、お城のキッチンで作ったお菓子だよ。元気出るから、食べて」
 こんがりきつね色の大きめのカップケーキで、真っ白な粉砂糖がかかっていた。
「お、うまそう!一緒に食べようぜ?」
 双子とコリンズの三人で客用寝室のじゅうたんの上に座り込み、お菓子を食べ始めた。
 ラインハットの悲劇にはあえて触れず、たわいもない話やバカ話をしたあと、アイルが聞いた。
「コリンズ君、明日から学校だよね。いっしょに行こうよ」
「実はさ、俺、家庭教師ばっかりで、学校って行ったことねえや。何を持ってったらいい?」
「そこからなの?」
 驚いたカイがそう言い、指を折って数えた。
「石板とチョーク、それに教科書は絶対いるわね。あとは何が必要か、先生が教えてくれると思うわ」
 コリンズは指で頭をかいた。
「まじ?本とか、持ち出せなかったんだ」
 じゃあさ、とアイルが言った。
「ぼくとカイは二人で一冊使うから、明日はぼくの教科書持っていきなよ」
「アイルのは落書きしてるからダメよ。私のを持っていって。今取ってくるわ」
 そう言って身軽に立ち上がった。
「それじゃ、石板とかはぼくが持ってくる」
 アイルもいっしょに立った。
「待ってて~」
「ありがとな~」
 何から何まで世話になるんだな、とコリンズは思った。感謝すること、そして、忘れないでいて、いつか恩返しすること。
「大丈夫、できるさ」
 こんなことでくよくよしているわけにはいかないのだから。

 客用寝室を出ると、アイルは小走りに自分の部屋へ向かった。
「待って」
 アイルは振り向いた。
「なに?」
 カイは黙って立っていた。どこか緊張しているように見えた。
「どしたの?」
 妹の勘が鋭いのはアイルも知っている。カイは無言で無人の廊下を隅々まで眺めていた。
「何か、いるような気がしたの」
「なにそれ!」
 カイは息を吐きだした。
「ヘンよね。モンスターの臭いがしたのよ。でも、わからなくなっちゃったわ」
「お父さんが仲間にした子じゃない?」
 グランバニア城は城じゅうにモンスターがいて、それを誰も不思議と思わない城だった。
「仲間の子なら、私にもわかるわ。でも、なんかちがう感じだった」
 しばらくカイはあたりを眺めていたが、肩をすくめてあきらめた。
「行っちゃったのかな。今度会ったら、つかまえてみるわ」
と、希代のモンスター使いの愛娘は言った。

 グランバニアでの生活は、基本的にラインハットにいたころと変わりはなかった。毎朝学校セットを抱えて双子といっしょに教会へ向かい、シスターたちの運営する学校へ行くのも慣れてきた。
 それまでコリンズはしょっちゅうキメラの翼でこの国を訪れていたし、そういうときはアイルと、そしてアイルの友達も交えて遊ぶこともあった。蓋を開けてみると教室はコリンズにとって顔なじみのたくさんいる、過ごしやすい場所だった。
「おまえ、ラインハットの王子様なんだろ?」
 アイルの友達の少年たちは、とっくにコリンズの素性を知っている。
「まーな」
「なんでこっちにいるんだ?」
「ちょっとお城が壊れちゃって、父上が立て直しの旅に出ちゃったんだ」
 もたせてもらったお弁当(具だくさんのサンドイッチと果物)を広げながら、コリンズはそんなふうに説明した。
「へー、大変なんだなあ」
 実際は、ラインハットに出没する謎の声のために母のマリアが苦しんだことや、城の崩壊の際に叔父のデールが犠牲になったことなど、コリンズの知っていることはやまほどあった。が、とりあえずコリンズは、自分がしゃべっていい範囲だけのことを話すことにした。
「とりあえず、父上が帰ってくるまで世話んなるぜ!」
「じゃあさ、宿題いっしょにやろうぜ、カイもいっしょに」
 ラインハットの家庭教師たちのおかげで、コリンズはたいていの授業に楽についていける。コリンズが苦手なのはグランバニア史くらいのもので、それも教科書を読み通してひととおり覚えてからは無敵になった。
 ついでに言うと、第一王子にして少年勇者であるアイルは勉強については出来不出来の波が激しい。カイの方が成績は良かった。
「おまえら、答え写したいだけだろ」
「え~、いいじゃん」
 コリンズ初の学校生活はなかなか好調に滑り出していた。
 学校に行くようになって数日たったころ、コリンズとアイルは二人でグランバニア城の階段を上がっていた。
 この城は山を丸ごと一つくりぬいた広さがある。城の一階は国の首都を兼ねていて、教会と学校もここにあった。たまたまカイはやることがあり早めに王室居住区へ戻ったので、コリンズとアイルは二人で城へ戻ることになった。
 正門に近い大階段は城の主要な施設のある二階を通るようになっているが、二人がいるのは一階の教会から直接王室居住区へつながる小さい方の階段だった。
 階段の幅は比較的狭く、すべて城の外壁と同じ石でできている。ときどき壁にガラスの入っていない四角い窓があり、それが明かり採りになっていた。全体的に薄暗く、人通りは少ない。暗がりが多く言葉を発すると壁に反射して上下遠くまで届いた。
「なーなー、帰ったら先に宿題やる?それともおやつ食べる?」
 コリンズの声がなーなー、とこだました。
「ごめん、今日はピエールと剣の」
と言いかけてアイルは足を止めた。
「あれ、サンチョ?」
 そこは階段の踊り場だった。アイルはきょろきょろした。
「どうしたんだ?」
「今サンチョの声が聞こえたと思ったのに、誰もいないんだ」
 二人の男の子は、しばらくするとまた階段を上りだした。
 今日、学校でさ、と、再びアイルが言い始めた。その時だった。
「大切なお嬢さん方を袖にされたら、表面はともかく、内心はむかつくでしょうなあ。振られたご婦人の恨みもあるでしょう」
 コリンズとアイルは立ち止まった。
「ちょっ、これって」
『お嬢さん方』を。
『袖にされ』た。
 ルークこと現在のグランバニア王ルキウスがサラボナで三人の美女の中から花嫁を選ぶにいたったいきさつは、国民なら誰でも知っていた。そしてルークはアイルとカイの母ビアンカを選び、サラボナのルドマンの娘たち、フローラとデボラは選ばれなかった。
「サンチョがこんなこと言うなんて」
 アイルがつぶやいた。
 が、次の言葉を聞いて、その場に凍り付いた。
「変なこと言うんだね。そんなのぼくのせいじゃないよ」
 コリンズは、隣に立つアイルの唇が“お父さん?”という形に動くのを見た。コリンズの耳にも、それはルークの声に聞こえた。
 最初の、サンチョの声の持ち主は弁解しているようだった。
「いやいや、女というものは、昔は昔、今は今と割り切れないものなのです」
「サンチョ、何を言ってるの?サラボナの人たちはお父さんを恨んでたりしないよ!お母さんだって、フローラさんたちとは」
 アイルは階段を駆け上がった。
「おい!」
 コリンズはあわてて追いかけた。
「色男には色男の苦労があるもんですなあ」
 ですなあ、ですなあ、ですなあ。声のこだまを追いかけて、子供たちは走った。
 アイルは突き当りのドアを大きく開け放した。部屋には誰もいなかった。
 やっとのことでコリンズはアイルに追いついた。アイルは泣きそうになっていた。
「サンチョが……お父さんも……!」
「落ち着け!」
 コリンズは友だちの両肩を左右からつかんだ。
「ルークさまはうちの父上と一緒に旅してるじゃないかっ」
 え、とつぶやいてアイルは目をぱちくりさせた。
「でも、今」
「誰もいないぞ。そうだろ?」
「声はした」
 コリンズは首を振った。
「サンチョさんもいないよな?」
「うん、でも、声も、話し方も、全部」
「全部そっくりの、ニセモノだ!」
 アイルはぽかんとしていた。
「なんだ、よかった」
「よかったじゃないって」
 アイルの肩にあてがったコリンズの手のひらは、冷汗で濡れていた。
「ビアンカさまに会えないか?報告しなきゃ」
「何を?」
「来たんだよ、やつが」
 コリンズは大きく息を吐きだした。
「オウム返しの使い魔、エビルスピリッツが、このグランバニアに!」

 グランバニア城二階にある会議室に人々が集まっていた。中央正面の席は、不在だった。
 お父さんの椅子だとアイルは思った。会議室は重い雰囲気だった。お父さんがここにいてくれたら。別に冗談を言うわけではないのだが、父はそこにいるだけで人々の心をそっと包んでくれていた。
 こほん、とオジロンが咳払いをした。
「本来、このような席で問うべきではないのだが」
 オジロンは政治家にしては押しが弱く、人柄が穏やかで、悪く言えば優柔不断、と言われている。言いにくそうに尋ねた。
「サンチョ、最近城の中でささやかれているうわさについてなのだがな」
「オジロンさま!」
 サンチョは会議室の机を平手でたたいて立ち上がった。
「まったく、どうして皆さんそろいもそろって……!」
 憤慨のあまり口も回らないようだった。
「私は知りません!誓って何も言っていません!サラボナのルドマン家のお嬢様方が?ビアンカさまに恨みがあって?それでサラボナとグランバニアとの関係が悪くなっている?そんなことがあるもんですか!」
「わかっている、サンチョ、わかっているとも」
「だったら!」
 くやしそうにうなると、サンチョはどさっと椅子に座り込んだ。
「だったら何で私ばかりが責められるんです!面と向かって聞きに来る人はまだいい!けれど、陰で集まって私のことをぐちぐち言うやつらは何なんだ!お城に仕えて何十年にもなりますが、こんな口惜しい思いは初めてです!」
 サンチョは背を丸め、両手で顔をおおってしまった。
 ビアンカはそっとサンチョの背をさすった。
「サンチョさん、落ち着いて。ね?」
 うっうっ、とサンチョは声を漏らした。
「この部屋にいる人たちは、みんなサンチョさんの味方よ。あたしも含めて。さあ、いっしょに戦いましょう。くやしいんでしょ?負けちゃダメだわ」
「びあんがざまぁ」
 サンチョは盛大に鼻をすすった。
 アイルとカイ、そしてコリンズは、会議室の隅に座っていた。コリンズが、アイルの手をつついた。アイルはうなずいた。
「お母さん、あの、ぼくたち話したいことがあるんだけど」
 ビアンカは、子供たちの方を見た。たぶん、制止しようと片手を伸ばし、そこでアイルたちの表情に気が付いたようだった。
「関係のあることなのね?」
「あるよ。ぼくたち、この変なうわさの正体を知ってると思う」
 サンチョが、オジロンが、ドリスが、一斉にアイルたちの方を見た。
「いいわ。話してごらんなさい」
 アイルはちょっと緊張した。傍らを向いて小声で言った。
「コリンズ君、説明してよ」
 コリンズはやはり緊張したようすで立ち上がった。
「今からひと月くらい前、ラインハットで俺の母上のことがうわさになりました。誰かが母そっくりの声で、“黒髪の男の人が好き”って言って回ったんです」
「あの、コリンズ君?」
 ビアンカはとまどった顔だった。
「どうして知ってるのかはあんまり聞かないで。ラインハット人の大半は俺がそんなうわさを聞かないように守ってくれたけど、なかには俺がどんな顔をするか見たくてわざわざ噂を教えに来た下衆もいたんです。母上、すごく辛そうだった」
 会議室の人々は黙って聞いていた。
「叔父上と父上は、その声がほんとの母上じゃなくて“オウム返しの使い魔”だって言ってました」
 なんと!とサンチョが声をもらした。
「そりゃ、坊ちゃんとヘンリーさんが旅に出たそもそもの原因のあいつのことじゃないですか!」
「サンチョさんの声も、あいつはマネできるんじゃないですか?」
「その通りです。あいつは一度私の目の前で、私の声で話していましたよ!今思い出しました!」
 憤慨してしゃべりたそうなサンチョを、待って、というしぐさでアイルは止めた。
「その“オウム返しの使い魔”は、グランバニアに来ちゃったんだと思う。カイ?」
 今度はカイが立った。
「私、コリンズ君が来てすぐに、コリンズ君のお部屋のそばで妙な気配を感じました。モンスターなんだけど、うちの子たちと違う感じの。たぶんあれが問題の使い魔なんだと思います」
 コリンズが引き取った。
「父上たちはそいつをエビルスピリッツって呼んでました」
 そして、深く息を吸った。
「ビアンカさま、どうか警戒してください。エビルスピリッツは、ひと月ラインハットに潜伏した後で暴れだしたんです。叔父上は、その時に」
 それ以上続けられなくてコリンズはうつむいた。
「わかったわ」
とビアンカは言った。
「オジロンさま、みんな、聞いての通りよ。あいつはもうこの近くにいる。いつ暴れ出さないとも限らない、そういうことね?」
「そうです」
とコリンズは言った。
「万一エビルスピリッツが凶暴化して襲ってきたら、大きな声を出しちゃだめです。ラインハットではあいつ、声を頼りに人を襲ってるみたいでした。声を立てずにただ震えていた人は助かったんです。だから父上はラインハット領の町や村にお触れを出して、エビルスピリッツが襲ってきたら声を出さないことを知らせていました」
「グランバニアもそれにならいましょう」
 グランバニアの女主人ビアンカはきっぱりと言った。
「では、城じゅうの人々にこのことをつたえますかな」
とオジロンが言った。オジロンの言う城とは、王都グランバニアそのものだった。
「サンチョの声で勝手なことを言っているのはエビルスピリッツ、声真似のモンスターだということ。エビルスピリッツは人を襲うかもしれないこと。そうなったら騒がず静かにしていれば助かる可能性があること。王妃様、これでいかがかな?」
「それでいいと思います。すぐにお触れを出してください」
ビアンカは真顔で言った。
「それから、みんなで祈って。ルークとヘンリーさんが何か解決策を見つけて、無事に戻ってくることを」