オウム返しの使い魔 11.紅白の薔薇

 空は午後の半ばで、もう暗くなっていた。日がかげったせいか、温度もどんどん下がっている。うすら寒いようだった。
「こりゃ、ひと雨来るねえ」
 宿屋の女将は天を睨んでそうつぶやいた。
 街道をもう少し行くとサラボナという土地だった。場所柄、行商人の客が多かった。
「外に出してるイスとテーブル、しまっちまいな。おまえさん、暖炉の火をかきたてておくれ。飯の支度はどうだい?簡単なもんでいいから準備しとくれ。客室のベッドはちゃんとしてるんだろうね。食堂も掃除するんだよっ」
 女中に料理人に夫まで含めて女将が次々と指示を出すうちに、ついに空が泣きだした。かなりの号泣で、街道の向こうの森からあわてた旅人たちが走ってきた。
「雨宿り、いかがです?はいはい、お早いお着きで」
 あっという間に街道沿いの小さな宿屋は客でいっぱいになった。
「ひでぇめにあった」
「夜までもつかと思ったのによぉ」
 宿の食堂兼酒場は混みあってきた。
「こちら、ご相席よろしいですか?」
 女中が隅の丸テーブルの客にたずねた。そこにいたのは、二人だった。一人は緑の髪の旅人で、もう若造という年ではないが悪ガキのように目をキラキラさせている。衣服はよくある旅人のそれで、腰に剣を帯びていた。
「かまわないよな、ルーク?」
 もう一人はその連れだった。紫のマントとターバンを身に着けた背の高い男で、テルパドール人のような黒髪と涼し気なまなざしの持ち主だった。
「もちろん」
 女中は次々と客を案内してきた。どれも酒を一杯注文して席に着き、手持ちの布で濡れた髪をぬぐってひと息ついているようだった。
「やっと落ち着いた……」
「このあたりじゃ、この季節にときどきこんな雨が降るんだ」
 後から来た旅人の一人が肩をすくめた。
「そうか。おかげで、荷がダメになりそうでハラハラしたぜ」
 どうやら、旅人は商人のようだった。
「荷はなんだい」
「煙草だよ」
「おや、景気はどうよ」
 へっへ、と煙草商人は笑った。
「サラボナはお目の高い旦那衆が多くてね。こういうもんは持ち込めば持ち込んだだけ売れるのさ」
 いいなあ、と声が上がった。気をよくした商人は、サンプルを取りだした。
「こいつをサラボナの工房へ持ち込んで、葉巻に巻いたり刻んで紙巻にしたりして売るんだよ。できあがりがこいつだ。一本どうだい?お近づきに」
 こりゃどうも、悪いな、などと言いながら、居合わせた客たちは煙草をくわえた。
「誰か火を持ってねえか?」
 一人が火打石を取りだしたが、にわか雨にやられたのか、なかなか火花は飛ばなかった。
 ぱち、と誰かが指を鳴らした。
 とたんに一本の煙草の先端がほんのり赤くなり、薄く煙が出た。
 えっ、えっ?と声を上げてそのテーブルの客たちはきょろきょろした。
「ヘンリー、いきなりやったらびっくりするよ?」
 ターバンの旅人、ルークが連れにそう言っていた。ヘンリーと呼ばれた旅人はくすくす笑った。
「そうだな、悪い、悪い」
 煙草商人をはじめ、客たちはそろってテーブルの奥の方を見た。
「今の火の……あんた、魔法使いか?」
 ヘンリーは笑いながら手を振った。
「手品だよ、決まってるだろ?さあ、お代は見てのお帰りだ、もう一丁!」
 そう言うと、もう一人の客の煙草を指さし、また指を鳴らした。極小の火の玉がまっすぐ飛んで、男の煙草に火をつけた。
「すげえな!」
「どうやったんだ?」
 男たちは、手品のタネを探して紙巻きたばこを調べていたが、お手上げのようだった。
 ふふ、とルークが笑い、小声で話しかけた。
「ヘンリーったら、ずっと城暮らしで練習不足とか言って、今の凄いじゃないか」
「何が」
「メラだよ。ものすごく効果範囲を絞って針ほど収束させたメラだよね、あれは」
 ヘンリーはにやりとした。
「退屈しのぎにどこまでピンポイントにできるか、前に試してみたんだ。実戦で使えるわけじゃない」
「そうかい?君ならいろいろできると思うけどね」
 さきほどの煙草商人は、上機嫌だった。
「あんたたちには、おもしろいもん見せてもらったな!これは火の礼だよ」
 煙草商人は、ルークに紙巻きたばこを差し出した。
「ほら、あんたにはこれだ」
 ヘンリーには、酒を注ぎなおしたグラスだった。一瞬、ヘンリーは固まった。
「あ、逆にしてもいいですか?」
 一度唇にはさんだ煙草を取ってルークはヘンリーに渡し、グラスを受け取った。
「あんた、酒は苦手かい?」
「ああ、その、煙草の方が好きでね。なあ、皆さん方、サラボナで商売してるんだろ?俺と相棒はこれからサラボナでちょっとした取引をするつもりなんだ。今の町のようすを教えてくれないか。景気とか、流行ってるものとか、どんなうわさがあるかとか」
「そんなことでいいなら何でも聞いてくれ」
 結局雨があがるまで、男たちは口々にサラボナの話をすることになった。とりとめもない話が多かったがルドマン一家の話になると、他の客も喰いついて来た。この地方では、ルドマン家と言えばセレブリティであり、ほとんど王族に近かった。
「ルドマンの奥様が、最近腰を痛めたそうでな。ルドマンの旦那は奥さまを温泉へ連れていきなさったのさ」
 サラボナのそばの大河をさかのぼり、山道をだいぶ行くと、温泉で有名な村がある。
「あの山奥までか?道が悪くてたいへんだろうに」
と、別の客が聞いた。
「なに、ルドマンご一家の旅は大名旅行だよ。大切な奥さまを豪華な馬車に乗せてのんびりしたもんさ」
「商売も休んでかい?ま、ルドマン商会ほどになると、できる番頭さんがたくさんいるんだろうな」
 客の一人が、なぜか自慢そうに言った。
「そりゃそうよ。第一、今回は留守番に総領娘のデボラさまがおいでだからな」
「サラボナの紅薔薇、デボラさまか!」
「あいかわらず美人だってよ。で、あいかわらず手厳しいそうだ」
「白薔薇と呼ばれた次女のフローラさまは、男なら誰でもお守りしたくなるような美少女だってのになあ」
「さすがに美少女って年じゃないし、フローラさまももう人妻だ。けど、優しいお人柄は変わっていないとよ」
 この客はなかなかの情報通のようだった。
「デボラさまが先頭になってルドマン商会を仕切り、部下にも取引先にもきついことをどんどん言う。フローラさまは陰からあれこれとフォローして、当たりを和らげる。いいコンビだよ」
 ヘンリーがつぶやいた。
「じゃ、何も心配ないんだな。それにしちゃあ、どうもこの地方の雰囲気が」
 なあ?と相棒に目で尋ねると、ルークもうなずいた。
「前に来た時より、サラボナの人たちがなんだかギスギスしている気がするんですけど、気のせいかな」
「あんた、テルパドールの人かい?」
 その場の人たちは、あー、とか、そのう、とか、口をにごした。
「ええい、言っちまえ!隠したってしょうがねえし」
 事情通の商人がぶっちゃけた。
「ここんとこ、サラボナが殺気立ってるんだわ。このままいくとグランバニアとは物の売り買いや人の行き来をしなくなるんじゃないか?」
 ルークが目を見開いた。
「グラン……なんで?」
 商人たちはお互いの顔を見た。
「きっかけは何だったかねぇ。そうだ、うわさが流れて来たんだよ。グランバニア王のお妃さまは、サラボナのルドマン姉妹とは付き合いたくないらしいって」
「俺もそれ、聞いた」
と一人が答えた。
「あんたら、十年くらい前のサラボナの大騒ぎを覚えてないかね。ある旅の若者が、ルドマン氏の美人姉妹と山奥の村の娘さんの三人の中から花嫁を一人選べと言われたんだ。てっきり美人姉妹のどちらかが選ばれるとサラボナのもんはみんなそう思っていた」
「ところが蓋を開けてみたら、その若者が選んだのは身よりの少ない田舎の娘さんだったんだよ。ルドマン家の財産も綺麗なお嬢様もあきらめて」
「そうそう。サラボナの若い衆の反応は複雑だった。サラボナの名花をよそもんに奪われなくてすんだ、という安心と、よくもうちのお嬢様方を袖にしやがってという反感と」
 あ~、とヘンリーがつぶやいた。
「覚えてるぞ?っていうか、俺もそのときサラボナにいたんだ。けど、結婚式の日はにぎやかで、恨みとかよりもっとこう、お祝いとかお祭りって雰囲気だったと思ったんだが」
 人々はうなずいた。
「そうなんだよ。旅の若者は、なんていうか、いいヤツでね。そいつが初々しいお嫁さんと連れ立っていると、こっちも毒気が抜けちまってさ」
「後になってわかったことなんだが、なんとその若者はグランバニアの王様の遺児、今じゃれっきとした国王様だそうだ」
 あ、あの、と言いかけたルークを、ヘンリーがさえぎった。
「その花嫁選びも、もうひと昔もまえの話だな。なんで今更グランバニアと関係が悪くなったんだ?」
「そう、そこなんだわ。うわさが流れて来たんだよ、グランバニアから。『サラボナのルドマン姉妹はグランバニアの王妃様に恨みがあるらしい。そういう態度なら、グランバニアの側も考えがある』って」
「サラボナの方でも、十年前にモヤモヤした気持ちはあったわけだ。それをいまさらほじくり返されてムッとしたわけよ。何言ってやがる、そっちが最初にやったことだろうって」
 まわりのサラボナっ子たちが互いにうなずきあった。
「なあ、そのうわさ、ガセじゃないのか?」
 一人が言いだした。
「それがな、テルパドールの商人がグランバニアへ行ったとき、城下で確かに聞いたことなんだと。なんでも、今の王様の側近中の側近だという家来が、『あのとき振られたせいでサラボナの姉妹がグランバニアの王妃に今でも恨みを持っているらしい』って言ってたって」
 げほっ、げほげほとルークが酒にむせた。
「おい、あんた、大丈夫かい?」
「大丈夫です……」
 ヘンリーは相棒の背をさすりながら尋ねた。
「その話、当のルドマン姉妹も知ってるのか?」
「これだけうわさになっちゃ、お耳に入ってるんじゃないのかい?」
「さぞお怒りだろうねえ」
 雨は激しさを増して降り続けていた。

 この地方最大の都市サラボナは、町の近くを流れる川に大きな港を持っている。河岸あたりは人が多く、昼も夜もにぎわっていた。
 だが町をはさんで川と反対側には森が広がり、古い巨大な塔がそびえたっているだけで、ほとんどひとの気配もない。
 古い塔は「見張りの塔」と呼ばれていた。大昔ルドマン家の先祖によって封じ込められた巨大悪魔ブオーンの襲来を監視するために造られたものだった。ブオーンが討伐された今、ここに常駐していた兵士も引き揚げてしまい、塔は無人になっている。つまり、人に知られたくない集まりには絶好の場所ということだった。
 白昼堂々、十数名の人間がこの塔の一階に集まっていた。見張りの塔は巨大な角塔だった。中に入って周囲を見上げると四方の壁に沿って階段が巡らされているのが見えた。
「バカにした話じゃないか!」
 一人が言うと、その声が壁に沿って上のほうでこだました。
「王国をかさに着やがって」
「サラボナのチカラを思い知らせてやろうぜ」
 集まっているのは、身なりのいい若者たちだった。各商店の若旦那たち、つまり商業都市サラボナの次期支配者たちのようだった。
 お互いがお互いの言葉に煽られて、すっかり興奮している。なかでも威勢のいいのが、大声を上げた。
「グランバニアにはこっちから先に、出入り禁止だと言ってやろう!」
 一斉に歓声があがった。
「なにバカ言ってるの!」
 女の声だった。若旦那たちは、一斉に口を閉ざした。おそるおそる入り口の方を振り向いた。フード付きのマントで身をおおった人物が数名、立っていた。
「デボラお嬢様?」
 マントのフードを、サラボナのデボラはゆっくり外した。
「ルドマンの娘、デボラ」
 見張りの塔の上階は石壁ではなく鉄格子になっている。そこから午後の光がさしこみ、石畳の上に格子模様の陰を落とした。光を浴びて立つデボラは凛として、女王デボラと名乗っても見劣りしない威風だった。
「こっちは妹のフローラ。父が留守なので、私たちが言い分を聞くわ」
 フローラもフードを取って、何も言わずに会釈した。乙女の頃と比べると身の飾りは控えめだった。が、美しい青の髪とたおやかな美貌は今も変わらなかった。
 姉妹の背後にはフード付きマントの人物がまだ二人いた。二人はルドマン商会の雇った護衛らしく、ありふれた鎖帷子に長剣を装備し、両手を腰の後ろに回し足を肩幅に開いて背筋を伸ばした姿勢で、姉妹の後ろに慎ましく控えた。
「デボラさん、あの」
 出禁を言いだした若者がそう口を切ったが、あとが続かないようだった。
「振られた恨み、そんな話だったかしら」
 冷ややかにデボラが言った。
「まさか、そんなこと信じているわけじゃないでしょうね」
 若者たちはざわめいた。
「いや、しかし、信頼できる筋から聞いたんですよ」
 カッと靴音を立ててデボラが一歩踏み出した。
「誰が言ったとしても、うわさはうわさにすぎないわ。それに対して、一度商売の信用を失うと、取り戻すには時間がかかる。そんなことすらわからないのかしら?!」
 鋭く言われて若者たちは首をすくめた。
「俺たちは、その、デボラさんとフローラさんのために」
 デボラはぴしゃりと遮った。
「私たちのせいにしないでちょうだい」
「でも!」
 最初から威勢のよかった若者が、片手を大きく広げた。
「すみません、デボラさんの言うことでも、これは聞けない。サラボナの名誉がかかってるんです!みんな、行こうぜ!」
 頭に血が上った若い男たちは、口々に叫んで動き出した。
「そうだ、行こう!」
「思い知らせてやる!」
 姉妹の背後にいた護衛が、さりげなく姉妹を守るように立ちはだかった。