エアストーリー2 ルーク覚醒

 

映画ドラゴンクエスト「ユアストーリー」のネタバレを含みます。映画未見の方はご注意ください。

 その瞬間、世界は停止した。
 直前までアルスは嬉しそうに笑っていた。
「お父さ~ん!」
やったよ、ついにやったよ!全身で少年はそう叫んでいた。パパス、リュカ、アルスと三代に渡る宿願、魔界の門の封印を、やっと八歳という齢でアルスは成しとげたのだ。
「アルス!」
 上空から落下してくる息子を受け止めようとリュカは走った。アルスも、抱き着こうとするように大きく両手を広げた。
 笑顔もそのままにアルスは空中で固まった。
「え?」
 世界から、音が消えた。
 ビアンカ、ゲレゲレは、駆け寄ろうとして、そのままの体勢で停まっていた。襲ってきたモンスターたちも、迎え撃つラインハット軍も闘志満々のまま静止した。ヘンリーは剣を敵にたたきつけた瞬間だったのだろう、砕け散る破片も空中にひとつずつとどまっていた。
「なんだ、何が起こった?」
 ふっふっふ、と誰かが笑った。
 世界が停まった時、暗雲渦巻くさなかにあった魔界の門は変貌し、まるで濃淡の緑色の積み木を使って雲の渦巻きを表現したようなシロモノへ変化した。
 その積木が、再度変化を起こした。リュカの目の前で、それは黒い粒子が明滅となった。粒子は寄り集まり、ぼんやりと人体らしきものを形作っていた。顔に当たる部分には、やけに質感のはっきりした白い仮面があった。
 不快な笑い声をたてながら白仮面は何か拾い上げた。魔界の門を通過したはずの、天空の剣だった。
「よくできている」
嘲るような声でそう賛辞を与え、次の瞬間、地べたへ放りだした。
「だが、しょせんはデータだ」
天空の剣は、金と白と緑の細かいブロックと化し、すぐに崩れ去った。
 リュカは呆然としていた。
「おまえが、ミルドラースか?」
あのゲマがこいねがった大魔王がこの白仮面?リュカはとまどっていた。
「正確には違う」
とそれは言った。
「私は、ミルドラースのキャラに擬態したコンピューターウィルス」
白い仮面は、仮面なりに表情が豊かだった。どうだ、と言わんばかりの尊大な顔で彼はそう言い放った。

 青いゼリー状の身体がぴくりと震えた。
 プログラム内に異常が検出されたのだ。検出場所は、キャラクターデータNo.13、ミルドラース。エラーはキャラクターから侵入し、メインプログラムの権限を奪取しつつあった。
 発動の条件が整ったため、プログラムはあらかじめ想定された通りに対抗措置を始めた。
 それはまず、スライムの身体に間借りしている“人格”を適当な所へ片づけることから始まった。

 世界はひどいありさまだった。
「マップ・オフ」
森羅万象が色彩を失い、現実感のない灰色のブロックの塊と化した。
「グラビティ・オフ」
瞳の色も肌の質感も失った人形のような者たちが、ふいに浮き上がって宙を漂い始めた。
「コリジョン・オフ」
引き留めようと伸ばした腕から、生命感を失ったビアンカがすりぬけ、上空へ消えていく。
 プレイヤーは怒りの声を上げていた。
「やめろ、やめてくれ!」
“ミルドラース”は嘲笑するだけだった。プレイヤー“リュカ”は声を上げて相手を詰った。
「なぜ世界をこわすんだ?」
やれやれ、というしぐさで“ミルドラース”は肩をすくめた。
「私を作った者は、あなたたちが嫌いで嫌いで仕方ないらしい」
くくく、と“ミルドラース”は笑った。
「そんな理由で……なぜ、そっとしといてくれないんだ」
疲れ切った顔で“リュカ”はつぶやいた。
「さあ。天才プログラマーのひまつぶしです」
優雅なしぐさで“ミルドラース”は片手をさしのべた。
「ああ、彼からあなたへ伝言があります。『大人になれ』だそうです」
 “リュカ”はぐっと顎を上げた。何か言おうとして、声が出ないらしい。自分の手で喉をつかんだ。その次に口を開いたとき、声が変わっていた。
「ふ、ふざけるな」
 スラリンは違和感を覚えた。この“リュカ”のデータは?データ記述の最後に「複数プレイヤーの協力プレイオプション」があった。自分、スライムのスラリンの身体をアバターとしてプレイしていたプレイヤーが、スライムから追い出されて“リュカ”へ同居したらしい。
「ふざける?そんな時間は終わったのです。さあ、現実に戻りなさい」
意気揚々と“ミルドラース”が言った。
「黙れ、野暮天」
と二人目のプレイヤーが答えた。こほ、と咳払いして最初のプレイヤーが続けた。
「ここが虚構だなんてことは、最初から知ってる。でも虚構だからできることだってあるんだ」
“ミルドラース”は首を振った。
「まさか。プレイヤーの記憶はキャンセルされるのに」
「おうよ。現世の記憶が薄れたおかげで前世の記憶がブイブイ言ってる」
「大人になれだって?人の楽しみをこんなふうにぶった切るのが大人のすることかい?それ、ほんとに現実?きみの独りよがりだろ?」
「この世界は俺らにとって限りなくリアルに近いんだ。おまえのペラペラな現実を俺らにおしつけるな!」
二人がかりで抗議されても、“ミルドラース”はこたえたようすがなかった。
「抵抗は無駄です。目を覚まして、本当の己に還りなさい」
“リュカ”の一人が遮った。
「還れというなら、還ってやる。ウィルスさんよ、自分が誰を呼び覚ましたのかを、よっく味わいな。やっちまえ、ルーク!」
 スラリンは、混乱に陥りかけた。
 データが勝手に書き換わっていく。主人公に付与された、“モンスターをなつかせる能力”の値が急速に高まった。それだけではない、もっと本質的な人格が変容している。人格を規定するいくつものパラメータが、あるものはマイナス方向へ、あるものはプラス方向へぐっと広がった。それは矛盾の塊だった。博愛と無慈悲がいちキャラクターの中に同時に存在していた。
 ルークと呼ばれたプレイヤーの視線が、ふと自分の上に留まった。その時に気がついた。主人公のキャラクターに与えられた目の色はゴールドをベースにした色合いだった。が、ルークの目はもっと濃いインディコ寄りのミッドナイトブルーだった。彼の瞳を通じて“闇”が覗いている。見つめられるとぞくぞくした。
 おいで、とルークの手がひらめいた。ふらふらとスラリンは彼に近寄った。
「いい子だね、手伝ってくれる?」
その手に乗って至近距離で不思議な瞳を見上げた時、スラリンは意図を察した。
 青い色合いもゲル質感も一気に流れ去る。スラリンだったデータは一度ブロックに戻り、そこから細長く形状を変えた。
 全体の80%は彩度の低い緑の色合い、テクスチャはおおむね鱗。顎に赤い魔石を抱えこむ竜の姿を模している。主人公専用最強装備、ドラゴンの杖だった。
  “リュカ”が戦闘に使うのはほとんど剣であり、杖は持ってはいても装備したことはない。だが、ルークは片手でドラゴンの杖を軽々とあやつった。指先で杖を水車のように一回転させると、希代の魔物使いはその先端を“ミルドラース”の胸へぴたりとつきつけた。
 何がここまで違うのだろう、とスラリンはいぶかった。体格や顔立ちはあまり変化がない。だが、表情が違う。ルークの表情は場数を踏んだ戦士のそれだった。
 “ミルドラース”は、危険を悟ったか逃げ腰になった。
「抵抗はムダだ」
ルークは首を振った。
「抵抗じゃない。これは戦闘だ」
言うなり、ドラゴンの杖が“ミルドラース”を貫通した。“ミルドラース”は愕然として自分の胸を眺めた。
「何をする!」
くす、とルークは笑った。
「自分でさんざん壊しておいて、壊される時はそれかい?」
引き抜いた杖を指先で半回転させ、上半身を袈裟懸けに殴り下ろした。
「ぐはっ」
 指先ひとつでこの世界を破壊することはできたが、“ミルドラース”は近接戦闘にはまったく不向きのようだった。ルークの目に哀れみはなかった。肩先、みぞおちと的確に攻撃していくさまは、まるで舞いのように見えた。
 ドラゴンの杖の形をしたアンチウィルスは次々と“ミルドラース”を侵食していった。杖が殴った部分は黒い粒子が消え、周辺がぼろぼろ崩れていった。
 ついに白い仮面だけが残った。仮面の真上から杖を突き付け、“リュカ”は告げた。
「この一撃で君は滅びるよ」
ウソでもはったりでもないことは、誰の目にも明らかだった。
「なんと恐ろしいことを……やめろ、やめてくれ!」
さきほどの“リュカ”と同じ言葉を“ミルドラース”は発した。ルークはいにしえの勇者のように神々しく微笑み、魔王の問いを発した。
「助けてあげてもいい。ぼくの仲間になるならね」
「仲間だと?ウィルスをか?」
信じられないという顔で“ミルドラース”は彼を見上げた。
「モンスターに比べればどうってことないよ」
ルークは微笑んだ。
白い仮面は目を見開き、それから諦めたようにまた閉じた。
「そう。いい子だ。さて、君を作った人のことを、いろいろ教えてくれるかな?」
ルークは大きな手で仮面をつかみあげた。
「お食べ、スラリン」
アンチウィルスは、問題の根源たるデータをするすると吸い込んだ。

 ルークは高台の縁へ歩み寄った。
 世界に色彩が戻ってきた。魔界の門は閉じて青天の空は輝かしく、足もとはこの神殿本来のごつごつした感触を取り戻した。眼下に半円形に広がる広場は、周囲にかまぼこ型の出入り口を連ねている。広場の中央には大型帆船が鎮座していた。
 マップが先に完成し、その後にキャラが配置されるのだろう。“リュカ”は落ち着いて登場キャラが戻ってくるのを待っていた。
「リュカーっ」
振り向くと、この世界での家族たち、ビアンカとアルス、そしてサンチョ、ゲレゲレがやってきた。
「何があったの?」
“リュカ”は笑顔になった。
「君たちは眠らされていたんだよ。大丈夫、やっつけた」
 広場から“ヘンリー”が上がってきた。
「“リュカ”!」
やあ、と“リュカ”は手を振った。
(ヘラりんへ戻ったんじゃないの?)
“ヘンリー”はにっと笑った。
(気が付いたらこっちにいた。スライムは今、ゲームの運営にウィルスの報告をあげるんで忙しいんだろう)
「前世から思っていたが、お前やっぱりすごいな。人からモンスターからウィルスから見境なしに手あたり次第」
「それ、褒めてないよ?」
鎧兜に身を固めたまま、“ヘンリー”は両手を腰に当てて笑い声を上げた。
「そうか?けど、お前は最高の魔物使いだよ」
設定されたラインハット王子のキャラよりやや人の悪い笑顔で親友が笑った。にや、と口元が緩んでしまった。
「ありがとう」
 広場では、ラインハット王国軍とブオーンがモンスターの群れをあらかた屠っていた。
「みな、聞けーっ」
と“ヘンリー”は声を張った。
「リュカと勇者アルスが、魔王ミルドラースを倒したぞ!」
おおおーっと歓声が上がった。その中に、プサンことマスタードラゴンも混じっている。両手を合わせて拝むようなしぐさをしているのは、ウィルスの一件を悟っているのだろうと“リュカ”は思った。
「さあ、帰ろう、サンタローズへ」
妻も息子も、輝くような笑顔だった。この世界の家族たちとも、もう少しでお別れになる。その分、愛しさがこみあげていた。