魔界豆腐・おかわり

 ラインハットはおおむね平和だった。
 国王の御前会議では現在予算案が提出され、それについて議論、質問、解答、もめ事が絶え間なく起こっていた。
「今日の御前会議は反対演説に十人ぐらい来たぞ」
と、ヘンリーは言った。
「やばいじゃん」
と王太子コリンズが答えた。コリンズは八歳だった。家庭教師たちが帰った後、自主的に父の執務室に顔を出し、見学に勤しむのが日課だった。
「多数決じゃないからな。デールがうんと言えば予算は通る。俺、圧勝」
御前会議用の正式なマントと上着を脱いで従僕に手渡し、ぬけぬけとヘンリーはそう言った。国王であり弟であるデールのたくみなサポートがあったにせよ、今日も舌先三寸で敵対側をバッサバッサとなぎ倒す「宰相無双」をやってきたらしい。ちょっと見たかった、とコリンズは思った。
「これからどうするの?」
従僕たちが着替えをもって寄ってきた。腕を上げて身支度をまかせながらヘンリーはつぶやいた。
「質問の返しでだいぶ怒らせておいたから、そのうち反応があるはずだ。まあ、ようす見だな」
ようす見と言いながら、どう料理してやろうかと胸中楽しんでいるのが顔でわかった。コリンズは頬杖をついた。
「そういうの好きだなあ、父上は」
「何か言ったか?」
 コリンズが答えようとしたとき、部屋の外で大きな物音がした。親子は顔を見合わせた。
「ルーラだね」
「誰か来たようだな」
友達の、グランバニア王子アイルかその妹の王女カイならいいな、とコリンズは思ったが、激しい足音に続いて宰相執務室の扉が勢いよく開いたとき、見当違いだとわかった。
「ヘンリー、いる!?」
アイルとカイの父、グランバニア王ルークがいきなりやってきたのだった。
「ここだ」
白手袋のままの片手を振って従僕たちをさがらせ、ヘンリーが言った。
「なにかあったのか?」
宰相の大きなデスクの天板にバン、と両手のひらをついてルークはまくしたてた。
「土鍋の蓋を開けたらいきなりバシャーンでドカーンでタラとネギがぶわわってなって春菊とえのきがもう大変でぼくとビアンカと子供たちでがんばったんだけどお城があっちこっちバラバラになっちゃって、そんで魔界へ出かけて魔王さまにクレームつけたら、魔界大豆が歩くなんて仕様のうちでピサロナイトが本気出してつくるとしまいにゃ空を飛ぶって言われて、ああ走るだけなんてまだましだったんだと思ったけどやっぱりニガリがよくなかったのかなって思って、でもこれからグランバニアどうしようかと思ってビアンカも心配してるしどうしたらいいかな」
たっぷり5秒、ヘンリーは黙っていた。
「俺にどうしろと?」
 さきほどの物音で宰相付きの警備兵や従僕たちがどっと駆け付けたが、相手がルークとわかると手出しを控えて撤収を始めた。グランバニア王の乱入はラインハットでは日常茶飯事だった。
「とにかく助けに来てよ」
「おまえな……」
と言ってヘンリーは絶句した。机の上には御前会議に提出する書類の山と陳情書の束が置かれている。身体がいくつあっても足りない状況だった。
「頼むよ、きみじゃなきゃ、ダメなんだ」
「おまえ、それさえ言えば俺が言うこと聞くと思ってるな?」
不機嫌な顔でヘンリーが言った。不思議そうな顔でルークが答えた。
「聞くでしょ?」
父が渋面でうめいたのを見て、コリンズはルークが正しいと悟った。
「ごめん、時間がないんだ!」
ルークは執務室のバルコニーに続く大窓を押し開いた。身をひるがえしてヘンリーのところへ戻り、その腕をがっちりとつかんだ。
「ルーラするから」
「ちょっ、待てっ」
ヘンリーの目がコリンズと合った。
「タラネギ春菊えのき大豆!」
拉致されながら早口でヘンリーは叫んだ。
「国会図書館!」
ルークは暴れる友達の身体を思い切りよく抱え上げてバルコニーへ出た。コリンズは適当な書類の裏にヘンリーの注文を書きとった。
「……大豆、と。ほかには?」
「つかまって。飛ぶよ?」
ルークが呪文詠唱に入った。
「おい、下せ、抱くな、くそっ、コリンズ、マリアに愛していると伝えてくれ!」
コリンズはメモをしまった。
「ああ、いつものね」
従僕も護衛兵も、古くからこの職場にいる者は慣れているので動じない。新人が一人二人、俺様系宰相がグランバニア王の腕の中でじたばたしているのをおっかなびっくり眺めていた。
 ルーラが発動した。
「それからデールに」
続く言葉は空の上の方で消えた。
「うん、一日二日議会休むって伝えとく」
そう言ってコリンズはひらひらと手を振った。

 一国の宰相が消えたら普通大騒ぎになるのだが、ラインハット王デールは落ち着いていた。
「兄上のことですから、すぐ帰ってくるでしょう」
事の次第をコリンズが報告すると、王は優雅にそう言った。
「コリンズはどうするのです?」
「オレ、図書館で調べたことをまとめて、キメラの翼でグランバニアへ行ってきます」
そうですか、と言ってデールは微笑んだ。
「行く前にイェルドに会ってくるといいでしょう。野菜と食べ物は彼が詳しいですから」
イェルドはラインハットの農林水産大臣であり、そもそも優れた農夫だった。
「はい、叔父上」
 結局イェルドからいろいろ聞きこんだために、コリンズがグランバニアへ着いたのはその日の午後も遅い時間になっていた。
 グランバニア城屋上庭園へ到着した時、コリンズは驚きのあまり動けなくなった。
「なんだよ、これ」
悠久のチゾット連峰を望む屋上庭園は、半分崩落していた。美しい花壇だった場所は中央に大穴が開いている。尖塔のひとつが無残に崩れ、あたりに瓦礫が散乱していた。
「コリンズくん?」
振り向くとアイルとカイが走ってきた。
「モンスターか?それともこれ、まさか魔王か?ひっでぇ、何があったんだ」
勇者アイルは、半べそをかいていた。
「ぼくが蓋を開けたら鍋つゆブッシャーってなってお花にんじんがどばーって、ネギがぶわわってなって春菊とえのきがしっちゃかめっちゃかで」
やっぱり親子だなぁと思いながらコリンズは聞いていた。
「とにかく、何が問題なのか言ってみろよ」
ぐすっぐすっとアイルは鼻をすするだけだった。カイは首を振った。
「魔界豆腐が逃げたの」

 グランバニア城は独特の構造をしている。国民をモンスターから守るために、市街の上に城がおおいかぶさる形になっていた。
 コリンズが案内されたのは、城の中の小食堂だった。というよりは食堂であったはずの施設の遺構だった。
 ルークとヘンリー、そしてビアンカ王妃が集まって、何か話し込んでいた。
 ヘンリーがふりむいた。
「コリンズ?資料か?」
コリンズは羊皮紙の束を差し出した。
「言われたことは調べて、基本的なデータを書き抜いて来た。でも、なんかオレ間違ったかも?本に書いてあったことやイェルドに聞いたことと、この状況がずれてるって気がするんだけど」
「正直俺も混乱してるよ」
とヘンリーが言った。
 グランバニア城は厳戒態勢だった。重武装した兵士の一団がしょっちゅう城内を巡回している。アイルとカイが同行しているにもかかわらず、コリンズは食堂へたどりつく前に三回も誰何を受けた。
「なあ、ルーク、もう一度確認するが、トウフが原因なんだな?」
「そうだよ」
とルークは答えた。
「基本的なことですまないが、トウフって、なんだ?」
「初雪のように白く、天使のように柔らかく、愛のように美味しくて」
そこまではいい、とコリンズは思った。調べによると、トウフ、ないしは豆腐とは、大豆ことグリュキネ・マクス、またはソーヤ・ヒスピダという豆からつくる加工食品であり、栄養に富んで美味だと言う。いたって人畜無害なシロモノであるらしい。
「そして、地獄のように凶暴なものだ」
「その最後のところを詳しく教えてくれ。なんで豆腐が凶暴なんだ?」
「魔界豆腐だもの」
とビアンカが言った。
「魔界産の大豆を育てて、ニガリを入れて作った豆腐なの。お鍋に入れて食べようとしたら暴れ出してこの惨状になったのよ。しかもスキを突いて城下へ逃亡して、人を襲ってるの」
「暴れた?豆腐が?」
「ええ」
「逃げた?豆腐が?」
「そうなの」
「麗しのビアンカ様」
とヘンリーが言った。
「か弱い女性の身で魔界へ渡られ、最近お疲れなのでは?」
「あたしは疲れてなんか……」
言いかけてビアンカは長いためいきをついた。
「ううん、疲れてるのは確かね。全部私のせいなの」
瓦礫のひとつにビアンカは力なく腰掛けた。ルークがそっと背をさすった。
「ビアンカ、大丈夫?」
心配そうに子供たちも寄り添った。
「お母さんのせいじゃないよ、アイツが悪いんだ」
「アイルの言う通りだよ。とりあえず、少し休むといいよ。あとはぼくがやるから」
ビアンカは小さな声で、お願い、と言った。

 ルークはラインハット親子を連れて城の厨房へやってきた。
「魔界豆腐はここで作ったんだ」
と言ってルークは豆腐の枠を見せてくれた。木製で、大人が片手で持てるていどの大きさだった。
「ここに流し込んで豆腐を作って、それを水に放して切り分けた。そのときまではぴくりともしなかったんだよ。それなのに料理に入れて、食卓へ運んで、蓋を開けたら」
「ばしゃーん、ドカーン、ぶわわ、だな?」
「うん」
素直にルークはうなずいた。
「そこがわからねぇ」
とヘンリーが言った。
「おまえらファミリーは世界最強だろ?相手はたかが豆腐……」
「だから豆腐が暴れ出したときはぼくたちも応戦したよ。取り箸とお玉と鍋の蓋で」
「それだけか?」
「あと天空の剣とドラゴンの杖で。ちょこっと魔法も」
ヘンリーがきゅっと片方の眉を上げた。
「ミナデインはご家庭の団欒でちょこっと使う魔法じゃねえよな?」
ルークは赤面した。
「……わかってるよ。でも、しょうがなかったんだ。相手が強すぎて早すぎて……。牙が生えてて怒り狂った真っ白で四角いはぐれメタルみたいなもんなんだから」
「牙だと?逃げたトウフの大きさは?」
ええと、とルークはつぶやいた。
「お鍋に入れたとき一丁を四等分したから」
「イッチョウがわからん。具体的に言うと?」
「人のてのひらにのるくらいかな」
そんなに大きくないな、とヘンリーが言いかけて外を見た。厨房の外の廊下から誰かが走ってきた。
「陛下、おいでですか?」
グランバニア兵が一人、息せき切って走ってきた。
「ここだっ。まさか?」
「トウフが出ました!」
と兵士は叫んだ。
「老人と子供が襲われています、お出ましを!」
ドラゴンの杖をひっさげて、ルークが厨房から飛び出した。

 品のいい老女は、額を血のにじんだ布で押さえていた。そのそばに教会のシスターが座り込み、膝の上に少年の頭を乗せていた。彼らの周囲を緊張した面持ちで兵士たちが守っていた。
「王さま!」
ルークを見つけた老女は、涙ながらに訴えた。
「孫が魔物に襲われました!どうか、どうか」
ルークはひとつうなずいて傷ついた少年のそばにかがみこんだ。大きな手を少年の胸に当て、小さく呪文を唱え始めた。辛そうだった男の子の顔がしだいに和らぎ、呼吸が楽になっていくのを人々は見守った。
 男の子は何度かまばたきをして、目を開いた。
「おおお」
老女が声を上げた。
「おばあちゃん!」
少年が手を伸ばし、老女と指を握り合わせた。
「王さま、ありがとうございます」
ルークは微笑み、必要以上に怖がらせないように静かに尋ねた。
「何があったんです?」
 そこは、グランバニア城一階にあたる市街地だった。大通りから少し入ったところにある民家に、魔界豆腐が入り込んだらしかった。
「私らはそこの台所で食事の支度をしておりました」
と老女が言った。
「生地にハーブをまぶして、あとから揚げるつもりでおりました。私が油の支度をして、孫が生地をこねて団子にしていたときに、かさかさっと音がしまして」
老女の指が台所の床の隅を指した。
「いきなりそこから白っぽいものが飛びかかってきました」
男の子が自分の頭を指した。
「ここにぶつかって、凄く痛くて、動けなくなっちゃった」
「あたしはもう孫が心配で、御器かぶりにするのと同じように、お酢のビンの蓋を開けてそいつに浴びせました。そうしたらかえって怒って噛みついて来たんです。怖くて叫んだら人が来たもので、アレは壁を破って逃げていきました」
ルークは優しく老女の手を撫でた。
「もう大丈夫。ぼくらがきっと退治します。他に住むところはありますか?ちょっと壊れたし、怖いでしょうから、このお家から逃げた方がいい」
そして兵士を呼んで宿屋に部屋を取らせていた。
「奥さま、少々お待ちを」
ヘンリーが老女を呼び止めた。
「この台所は、アレが襲ってきたままですか?何か片づけたり、足したりしたものは?」
「ありません」
と老女が答えた。
「そっくりそのままです」
ヘンリーは台所の作業台の上のバットを手に取った。丸めた生地がいくつも並んでいた。
「これを揚げる予定だった?」
「蒸したお豆をつぶして揚げ物にするのですわ。孫の好物で」
と老女は言った。
ファラフェル(豆のコロッケ)の生地を、ヘンリーはじっと眺めていた。
「ルーク」
とヘンリーが相棒を呼んだ。
「今まで襲撃はどのくらいあった?記録はとってるか?」
ん、とルークはうなった。
「魔界豆腐四匹は城下に出没してるよ。起こった事件は全部調書にしてある。オジロン叔父上が持ってる」
「コリンズ」
とヘンリーが言った。
「調書?オレが読む?」
「そっちは俺がやるから、一度ラインハットへ戻って必要なものを用意してくれ」
「必要なもんて?」
「あとでリストを渡す」
午前会議のために整えた眉が、眼頭から目尻まで細く伸びて、その下で半眼閉じた目がきらりと光ったように見えた。どことなくほくそ笑んでいるようなその表情にコリンズは見覚えがあった。
――父上、なんか考え付いたみたいだね?

 厳重な警戒のまま、グランバニアの夜が明けた。不要不急の外出を控えるようにと言われ、そのまま国民は自宅にこもり、息を凝らすようにしていた。
 町は静かだった。やがて夜明けが来た。城を覆う魔石を通して太陽光が直に街路を照らす。ただし大通りの中央の噴水は完全に水を抜かれ、沈黙していた。
 朝餉のための煙もない。井戸は蓋をして厳重に封じられ、誰も水を汲もうとしない。緊張に満ちた沈黙が町を覆っていた。
 武装した兵士たちが大通りに現れた。一人が木でできた桶を抱えていた。枯れた噴水の前に台を置き、その上に桶を乗せた。ぽちゃんと音がした。木桶には水が張ってあるようだった。
 兵士たちはそのまま戻っていった。沈黙の市街に水桶だけが残された。しばらくしてから武装した兵士たちに守られて、城の料理人と助手がやってきた。
 料理人は捧げ持った盆から、水桶の周りに小皿を並べ始めた。つんとした香りが漂った。
 ひとつはみじん切りの長ネギ、隣はすりおろした生姜、最後は紙よりも薄く削った乾し魚だった。
 兵士と料理人は帰っていった。大通りに沈黙が戻った。
 太陽はグランバニア城の上をゆっくりと動いていった。人々はまだ出てこない。兵士でさえも大通りの噴水付近を巡回のルートから外していた。
 じりじりと時が過ぎた。
 ふいに市街から城内へ通じる大階段を、一人の男が降りてきた。紫のターバンとマントの男、グランバニア王ルークだった。国民や兵士たちは隠れ場所からその姿をかたずをのんで見守った。
 ここ数日というもの、グランバニア国民はトウフという名のテロにひどい被害を被っていた。国王一家は世界最強と信じていたにもかかわらず、グランバニア城の一部が崩れ、国民は思わぬ時にトウフどもに襲われる。まるで悪夢だった。家屋を壊された人々は仮設住宅に移り、そうでない人々も、ひどく警戒していた。部屋の隅でカサッと音がしただけで悲鳴を上げるような緊張感にさらされていた。
 昨晩のうちに、グランバニア城全体に、豆と水を使わないこと、というお触れが出た。人々は野良ドウフを捕縛のためと理解して、半日の水絶ちに耐えていた。
「これでなんとかなるのか……」
息さえ殺して人々は今、市街地中心の大噴水を見守っている。
 王は大噴水の前に着いた。水を張った桶の傍らに立ち、手にしたもの空中へささげた。小さな壺のようだった。
 ルークは桶の上で壺を傾けた。ごくわずかずつ、壺の入り口がさがっていく。
 ついに液体があふれ出た。黒に近い濃い紫のそれは、一滴のしずくとなって水桶に落ちていった。
 透明な真水の中に、滴はまざり、溶けて、波紋を作った。
 その瞬間、民家の屋根から凄い勢いで飛び出したものがあった。同時に路地の暗がりから、街路樹の背後から、「牙のある白い四角いはぐれメタル」が全部で四匹、水桶めがけて殺到した。
 ルークは即応した。飛んできたトウフどもに向かってドラゴンの杖を振るい、相手を市街地の石畳へ叩き落した。ビチッと音を立てて野良ドウフが反撃しようと身を起こした。
 その眼前に、ドラゴンの杖と天空の剣、グリンガムの鞭と妖精の剣が突きつけられた。
怒り狂ったグランバニアのロイヤルファミリーが四匹の魔界豆腐を見下ろしていた。
「おまえたちに出来るのは、選択することだけだ」
厳しい口調でルークが告げた。
「選べ。焼き豆腐がいいか、それとも白合えにしてほしいか?」

 ビアンカ王妃は、事件が解決した後まもなく笑顔を取り戻した。王宮の中にある、王妃のプライベートな部屋に、回復を祝って華やかにしつらえたティーセットが持ち込まれた。
 夫のルーク、王子と王女、そして特別に訪問者であるヘンリーとコリンズ親子がお茶をお相伴していた。
「……やっと落ち着いたわ」
美味しいお菓子を添えたお茶を楽しんで、ビアンカがつぶやいた。
「面倒かけたわね、みんな」
大丈夫、とルークが言った。
「ビアンカはちっとも悪くないよ。そういえばヘンリー、あのときあいつらをおびき出したのは、結局何だったの?」
「これか?」
小さな壺を手に載せてヘンリーが聞き返した。それは、あの水桶に一滴投じた謎の黒い液体だった。
 コリンズはにやっとした。
「これ、ショウユだよ」
そう言って壺をアイルに渡した。隣でカイがのぞきこんだ。
「なんか、匂いがする」
「大豆を発酵させた調味料だよ」
アイルとカイの顔が引きつった。
「すぐに捨てて!」
ルークもビアンカも蒼白だった。
 ヘンリーの手が醤油壺を取り上げた。
「ご心配なく。これはオラクルベリーに入荷したもので、原料は地上産の大豆です」
グランバニアのロイヤルファミリーの顔に、ようやく生気が戻ってきた。
「そうさ、キメラの翼をたくさん使ってやっと手に入れた貴重品なんだ。こういうもんがあるってイェルドに教えてもらったんだけど、現物見たのは初めてさ」
「野良ドウフをおびき出すには、この匂いもアリかと思ってね」
ラインハット親子は、よく似た笑みを浮かべていた。
「でも、どうして?」
ヘンリーは首を振った。
「どうもこうも、俺もコリンズも、豆腐なんてまったくなじみがないからな。でも調書をざっと見ただけでも、あいつら豆のあるところに出没しているのがわかった」
襲われた老女が使っていたのは、ガルバンゾーだった。
「あらかじめイェルドが豆腐の食べ方についてコリンズにレクチャーしてくれたんだ。それを参考に、まず水を禁止にしてようすを見て、それでも出てこなかったんで豆腐と縁のありそうなものを並べてみることにした。ショウユでだめだったらいろんな豆を置いてみるつもりだったんだが、あいつらショウユで我慢できなくなったみたいだ」
 はぁ、とルークがつぶやいた。
「ひどいめにあった……ありがとう、ヘンリー。コリンズ君も。なんとかなったよ」
ヘンリーはティーカップを傾けてお茶を飲み干した。
「たいしたことしてねえよ。それより、仕事もあるんでそろそろ帰りたいんだが」
ビアンカが微笑んだ。
「せめてお食事をごいっしょにいかが?」
宮廷風に気取ったしぐさでヘンリーは片手を広げた。
「ビアンカさまのお誘いにわが身の引き裂かれる思いをしておりますが、宮仕えの身にて、残念ながら」
ルークが立ち上がった。
「ぼくがルーラで送ってくよ。デール様に謝っておいてね」
 ラインハットに帰りついたときは、日が暮れていた。城の屋上の見張り台から、ルークは再び魔法で帰っていった。
 コリンズは父に言ってみた。
「もう、グランバニアじゃ豆腐造らないのかな」
「あのようすじゃ、やらないんじゃないのか?」
「思ったんだけどさ、地上産の大豆を使えばいいんじゃね?イェルドは、ラインハットでも救荒作物用にちょびっと大豆作ってるって言ってたよ」
「普通の大豆は病虫害に弱いんだ」
帰ろう、と、ヘンリーは片手で一人息子を招いた。片手を後頭部にさしいれてかきながら夜空にむかってつぶやいた。
「イェルドに頼んで品種改良してもらうかな……」
先に立って階段を降りて行くヘンリーを眺めながら、父上はとことんルーク様に甘いな、とコリンズは思った。

終了