王国の首都を兼ねるグランバニア城の二階には職人たちの工房が多かったが、その中でもとある店は異色だった。モンスターだけの店である。
そこに王妃デボラが侍女も連れずに現れたと聞いて、奥から責任者であるモンスター爺さんは急いで出てきた。
「うちのは来ているかしら?」
元は孤児でありサラボナの商家でデボラは育ったと聞いているが、生まれついての女王だと言われても信じただろうと老人は思っている。デボラはそのくらい堂々とした態度だった。
「ここ二三日、お見掛けしておりませんな。国王さまに、何か?」
デボラの夫、グランバニア王フィフスは、天性のモンスター使いだった。ほとんど毎日のようにこの老人のもとに入り浸っていた。
「どこかでいじけているらしいのよ」
「あの方が?それは、また」
どこか子供っぽくてあまり難しいことを考えないタイプだと思ったのに、とは、モンスター爺さんには言えなかった。
「ラインハットから連絡があったの。昨日あの城でセレモニーのあった時にフィフスが来たらしい。それなのに誰にも声をかけずに帰っていった、ようすがおかしい、ってヘンリー殿からね」
「フィフス様は何かお悩みでもあったのでしょうか」
「そこがわからない。あなたなら何か知らないかしら?」
「あいにくと……いや、思い出しました」
とモンスター爺さんは言った。
「このあいだフィフスさまがお出かけになったときはピピンがごいっしょしたようです。何か聞いているかもしれません。ピピン君、ちょっと来てくれんか!」
同じフロアのルイーダの酒場から、グランバニア兵士の制服を着た若者がやってきた。デボラを見ると姿勢を正して敬礼した。
「フィフスはどこ?」
端的にデボラは尋ねた。
「……存じ上げません」
がちがちに緊張しているピピンの頭のてっぺんから靴の先までデボラはじっくり眺めた。
「では、知っていることを話しなさい」
真っ赤になっていたピピンがうなだれた。
「すいません、オレのせいです」
「誰のせいなのかなんて、聞いてない。そもそも何があったの?」
「ちょっと前のことですが、オレのところに、同僚兵士たちが相談に来たんです。『フィフス様からコレをたまわったのだが、どうしたもんか』って」
●
びろんと伸びた羽には、大きな目玉状の模様がある。蛾などによくある羽だが、くちばしを見るとカモのようでもあった。ただし大きさはカモよりも二回りほど大きい。そして、もう死んでいるのは明らかだった。
「ダックカイトだな。こんなもん、どうしたんだ」
ダックカイトはチゾットの洞窟近くに群れで棲んでいる、虫とも鳥ともつかないモンスターだった。
「フィフス様がくださったんだ」
「はぁ?」
とピピンは言ってしまった。
「キラーパンサーやスライムほかの仲間モンスターといっしょに、フィフスさまがいろんなモンスターの死骸を地面に並べておられた。そのうちのひとつを我々に、『はい』って、その、お下げ渡しになって」
若い兵士たちは困り切っているようだった。
「何かに使うのだろうか、この羽とか?」
「いっそ埋葬したほうがいいのか?」
ピピンは頭がくらくらしていた。
「それにしてもひどい臭いだ」
「モンスターの死骸だからな。最近暖かくなってきたから、ハエがたかりだすぞ」
「なんとかしなけりゃ」
ふとピピンは視線を感じた。
「フィフスさま?」
と言った時には、紫のマントが曲がり角の向こうで翻り、すぐに消えてしまった。
●
サンチョの家の裏側にちょうどいい隅っこを見つけ、フィフスは壁に背中をつけて座り込んだ。膝を立ててその間に鼻をうずめてみた。
「ぼく、みんなに嫌われてるかもしれない」
自分がどうもヒト一般になじめない、と感じることは多かった。
「仲良くしたいのに。どうしたらいいんだろう」
こんな時グチを聞いてくれそうなスライムナイトはそばにいない。ラインハットへ行ってみたが、いつも正解を教えてくれるヘンリーは忙しそうで、話しかけるのをあきらめた。
はぁ、とためいきをついてフィフスは眼を閉じた。
「何をやっているの」
ぎょっとしてフィフスは眼を見開いた。視界の中心には、ドレスの裾が見えていた。
「デボラ?」
顔を上げると、胸の前で腕を組んだデボラと目が合った。
「な、なんでここが」
「屋上から見つけたのよ」
とデボラは言った。
「でもっ」
「ネタは割れてるの」
よく見ると、デボラの後ろにピピンがしょぼんと立っていた。
「他のダックカイトはどうしたの?」
「……焼いて食べた」
げっとピピンがつぶやいた。が、デボラはうなずいた。
「そんなことだろうと思ったわ。あのね、ふつうの人はダックカイトを食べないの。ゲレゲレはキラーパンサーだから、ダックカイトを狩るのは本能。狩りが上手くいったら褒めてもらいたくて獲った獲物をあんたのとこへ持ってくるのよ。でも他の人にその獲物をおすそわけしてはダメ」
ピピンは目を見張った。
「あ、あれは、おすそわけだったんですかっ?!」
ちらりとデボラがピピンに視線を向けた。
「ええ、そう。猫を飼ったことは?ある?猫ってときどき虫を捕まえて飼い主へのお土産にしたりしなかった?」
「はい、してました……え、マジで、キラーパンサーが」
ピピンは手のひらで口元をおおってしまった。
「申し訳ありません、フィフスさま。せっかく分けていただいたのに、オレも同僚たちもわからなくて」
フィフスはぽかんとしていた。
「あの、じゃあ、ピピンたちは、ダックカイトが食べられなくてためらってたの?あげたのがぼくだから、気に入らなかったんじゃなくて?」
ピピンはすごい勢いで首を左右に振った。
「ぼくのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いじゃないでありますっ!」
とピピンは叫んだ。
「よかったぁ」
安心のあまり、フィフスはふにゃっとした顔で笑った。
ピピンは敬礼した。
「同僚たちに、事情を説明してきます!」
そう言って城内へ戻ってしまった。
「立ちなさい。帰るわよ」
は~い、と言おうとしてフィフスは気づいた。
「でも、デボラは食べてた」
じろ、とデボラがこちらを見た。
「あの、初めてグランバニアへ入った時、洞窟の中でさ。道に迷って食料がなくなちゃって、困った時に、その」
「覚えてるわ」
とデボラは言った。
あ~、とフィフスはつぶやいた。
「食べないんだよね、普通は」
「自覚しなさい、あんたが物好きなの」
「そっか。デボラがぼくらに合わせてくれたんだ。あの時はごめんね」
くる、とデボラは背を向けた。
「ほら、さっさと戻るわよ。これからはゲレゲレのお土産をヒトにおすそ分けしないこと。いいわねっ?」
と言いつけてから、少し低い声でデボラは付け加えた。
「ダックカイトの肉はちょっと鶏肉っぽくて、悪くなかったわ」
フィフスは目の前がぱっと明るくなったような気がした。
「デボラ、大好きだよ!ぼく、ピピンの仲間たちと仲直りしてくる!」
そう言ってうきうきと動き出した。
少し歩調をゆるめ、紫のマントを見送って小さな声でデボラはつぶやいた。
「私もそうとう、物好きだわ……」
了(2025年3月8日X上のイベント「デボラの日」のために)