敵に回してはいけない女(ひと)

★このお話は、とんぼがいつも書いている5主(ルーク:奥様はビアンカ、双子はアイルとカイ)ではなく、別の5主(フィフス:奥様はデボラ、双子はレックスとタバサ)のいる時間線でのヘンリー一家の物語です。

 真夏の昼下がり、ラインハット城は暑さにじっと耐えていた。
 コリンズ王子はその時たまたま厨房に立ち寄っていた。厨房には井戸があり、そこから冷たい水を汲み上げることができた。
「何の臭いだ、これ」
 水を飲み終わって、コリンズはつぶやいた。
 料理人や下働き、メイドなどもきょろきょろしていた。
「誰か生肉を出しっぱなしにしやがったな?それとも昨夜のモツか?!ちゃんと捨てていないのか!」
 料理長が声を荒げた。
「そんなはずは」
 厨房の人々はあわてて臭いのでどころを探した。
「どこだ?くそっ、ひどい臭いだ!」
「完全に腐ってるぞこりゃ」
 新たな怒声が降ってきた。
「ちょっと、このカビ!」
 年配の料理女が癇癪を起していた。
「ああ、なんてこった!今晩使うパテが台無しだよっ」
 ううっと誰かがうめいた。
「誰か、扉を開けてくれ。鼻がもげる!」
 下働きの少年があわてて厨房と中庭をつなぐ扉を開け放った。途端に悲鳴が沸いた。
「庭の方が臭ぇ!」
 みんな鼻をつまんでじたばたしている。
「おれ、見てくる!」
そう叫んでコリンズは飛び出した。
 盛夏の白昼だった。薄暗い厨房から外へ飛び出すと、視界は真っ白に焼けて見えた。
「コリンズ君」
 名前を呼ばれてコリンズは立ち止まった。
「レックス、それに、タバサ?」
 そこにいたのはグランバニアの双子だった。
「いつ来たの?ここで何やってるんだ?」
 レックスはいきなり両手のひらを合わせて頭を下げた。
「ごめんね、コリンズ君、うちのモンスターたちを二三日預かって」
「うちの、って」
 ようやくコリンズの目が屋外に慣れてきた。双子の背後に大きな人影があった。
「スミス、って言うんだ。くさったしたいの」
「臭いのもとは、これかあ」
 コリンズの頭はまだ混乱している。
「え~と、預かるって言うと」
「ちょっと事情があって、あちこちに仲間モンスターを散らしてるんだ」
 少年勇者レックスは早口でそう説明した。
「ヘンリーさんには、あとで父さんが謝りに行くって言っておいて。ごめんね!」
そう言うと、身をひるがえそうとした。
「待った、待ったーっ、そもそもくさったしたいって何を食べるの!」
「あの子たち、ヨーグルトが好きなの」
とタバサが答えた。
「牛乳をお椀に入れてくさったしたいのそばにおいておくと、勝手にヨーグルトになるわ」
「そうなんだ……じゃなくて、今『あの子たち』って言った?!」
 すでにタバサはルーラの詠唱に入っている。早口でレックスが説明した。
「中庭の奥にロバートとマサールがいるよ。三人ともよろしく!」
「よろしくって、そんな」
 ルーラで飛び立つ瞬間にタバサが振り向いた。
「コリンズ君のちょっといいとこ、見てみたいな、わたし」
とどめの一撃は、デボラ王妃に似て姐御肌の王女の、意外に可愛いウィンクだった。

 ヘンリーは両腕を組んでコリンズを見下ろした。
「ダメだ。返してこい」
 真昼のモンスター騒動はすでに城中にばれていた。コリンズはなんと謁見室の玉座の前で両親と叔父に交渉しなくてはならなくなった。
「どうやって!」
「こちらからキメラの翼でグランバニアに使いをやった。もうすぐ事情がわかるはずだ」
「でも、預かるだけなんだけど!食べ物もわかってるし、おれが面倒みるから」
「あのな。おまえはモンスター使いじゃないんだぞ?」
そう言った時、謁見室の扉が開いて役人が小走りにやってきた。
「ご報告いたします!どうやら、原因はフィフスさまのようで」
「やっぱりか」
 現グランバニア王フィフスは、ヘンリーの旧友だった。幼馴染と言ってもいいころからの付き合いで、お互いの人となりはよく心得ている。
 コリンズもヘンリーから、そしてマリアからフィフスのことはよく聞かされていた。
 天真爛漫な疫病神。
 歩く局地災害。
 立てばイケメン、座れば天災、頭の中は花畑。
 今もヘンリーが自分の上着の上から腹を抑えているのは、どうやら胃痛らしかった。
「フィフス様が仲間モンスターの面倒をみずにモンスターじいさんに押し付け、なおかつ仲間モンスターを増やしまくったもので、デボラ様のご不興を買われたごようすです。結果、王妃様は『自分で面倒みられないなら全部捨ててこい!』とお命じになりました」
 使者が説明するにつれて、デールは玉座の背もたれに身を預けて片手で目を覆った。
「それからどうなったのです?」
 使者はうなだれた。
「それ以上はわかりませんでした。フィフスさまはグランバニア城の教会の隅に身を隠しておいででした。私に事情を話してくださった後、『まずい、見つかった!』と叫んで逃げてしまわれましたので」
 あのバカ、とヘンリーがつぶやいた。
「それじゃ、デボラ様のお怒りが解けなければ、スミスたちは野に返されてしまうわけか。なんとかしてやらないと」
 うっとつぶやいてヘンリーはまた胃の上から手でおさえた。マリアは心配そうに夫を見上げた。
「すぐに痛み止めを」
「ああ、あとで頼む。とりあえず、あいつらをどこに収容するか、そこは決めておかないと」
 デールが召使を呼び、城の見取り図を出させていた。マリアはしげしげと地図を眺めた。
「ヘンリーさま、神の塔へごいっしょしたときのことを覚えておいでですか?あのとき、スミスさんを仲間にしたのはこのラインハット城の地下ダンジョンだったとうかがいました」
「そういえば、そうだった。フィフスがあいつらをここへよこしたのは、そういうことか」
 ヘンリーの指が地図上を動いた。
「地下は直射日光が当たらないからひんやりしているよな。温度が低い方が、臭いもましなはずだ。地下二階の独房の壁を壊せば」
 デールは別の場所を指した。
「工事には時間がかかりそうです。この、地下一階にある船着き場はどうでしょう?お濠から船で入れるし、祭壇や椅子を片づけるだけで広い部屋になります」
「わかった、それでいこう。城下の道具屋に新しいベッドを三台、ちがう、キングサイズの棺桶を三つ注文しよう」
「兄上、棺桶と、それから?」
「地下を冷やすために氷の塊が要る。おまえの氷をわけてもらえないか?」
 氷は貴重品だった。真冬に作った氷を山中の氷室で保管し、夏に取り出して使う以外に手に入れる方法はなかった。
「氷ですか」
 子供のころから熱を出すデールは、よく王家の氷室に蓄えた氷を城へ運ばせて使っていた。
「わかりました。ただ、あまりたくさんは持ち出せないでしょう。城下でも地方でも、氷を必要とするところは多いですから」
「少しでいい。ありがとう」
「ヨーグルトは、私が」
とマリアも言い出した。
「修道院にいたころ発酵食品の作り方を習いました。ほかにも食べられそうなものを見つけましょう」
 あのっ、とコリンズは思い切って声を上げた。
「船でスミスたちを連れて行くのは、おれがやる。レックスとタバサに頼まれたのは、そもそもおれだもん」
「よし」
 やっとヘンリーは笑顔になった。
「デールもマリアもありがとう。なんとかなりそうだ。コリンズもな」
 おれはおまけかよ、とコリンズは思ったが、それでもうれしかった。
 控えめなノックの音がして、侍女たちが痛み止めになる薬湯をもちこんできた。
「お薬を召しあがったら、少しお休みください」
 心配そうにマリアが言った。
「きみにそんな顔をさせるなんて、おれもまだまだだな」
 ヘンリーは痛みをこらえて微笑んでみせた。
「ヘンリーさまは、私を守ってくださるのでしょう?それなら私は、ヘンリーさまのお腹を守ります」
 夫の肩に額をつけて、マリアはそうつぶやいた。
 こうして王室一家は、ラインハットを襲った局地的大災害に立ち向かうことになった。

 お濠の水面を吹き渡ってくる風は、なかなか涼しかった。くさったしたいのための地下室は片づけを終わって広々としていて、真新しい棺桶が三つ並んでいた。
「スミスさん、これでよいかしら?」
 マリアはモンスターたちに微笑みを向けた。
「ぐふぅ」
とつぶやいてくさったしたいの一人が頭上に両腕を上げ、左右に振った。
 マリアの後ろには料理女や女中たちがその背に隠れていた。
「マリア奥様、あの、客人たちの見分けがつきますので?」
 一人がおそるおそるたずねた。
「ええ。勘で、だいたい。牛乳をお渡ししてみましょう」
 くさったしたいの前に、ミルクを満たした木の桶が持ち出された。マサールとロバートがのっそりとやってきた。
「ごふっ!」
「ぐぶぶぶ、ぐふふ」
 くさったしたいが木桶のまわりをふらふらめぐるのを、女中たちはびくびくしながら眺めている。
「ごぅぶぅどぉ」
「はい」
とマリアが答えた。
 コリンズは母を見上げた。
「母上、母上、今、あいつなんて言ったの?」
「『ヨーグルト』じゃないかしら」
 マサールらしい者が桶に手をかけ、無造作にゆすった。
「きゃっ」
と女たちは怯えたが、マリアは平然としていた。
「あ、ほんとにヨーグルトだ」
 特有の香りがする。ほの白いかたまりが桶の中でぷるんと揺れた。
 三体のくさったしたいはそろって両腕をあげてふらふらと振った。
「ひいいっ」
「大丈夫。あれはスミスさんたちのご挨拶のようです」
 マリアは微笑みさえ浮かべていた。
「母上、すごいな」
とコリンズはつぶやいた。
「ただの勘ですよ。デール様がご病気がちで、ヘンリー様も胃が痛いのですから、私たちががんばらないとね」
 うん、とコリンズはうなずいた。
 ふいにスミスがこちらを見た。
「ぢぃぃずぅぅ」
 マリアはほほに指をあてて首を傾げた。
「チーズ、かしら」
 スミスたちはいっせいに腕ふりを始めた。
 マリアが振り向いた。
「誰か、王室の牧場へ使いをやってください。レンネットを取り寄せます」

 三人のくさったしたいがラインハットに放たれてから、半月ほどが経過していた。
 グランバニアのデボラ王妃はラインハットから届いた手紙に目を通していた。
「なんて書いてある?ヘンリー、怒ってる?」
とフィフスが尋ねた。
「いきなりだったし、ずっと預けっぱなしだし。迎えに行ったらぼく、ちゃんと謝るつもりなんだ」
 手紙から視線を放さず、デボラは答えた。
「スミスたちを引き取るのに、百万ゴールド要るわ」
 そばにいたグランバニアの双子は互いの顔を見合わせた。
「預り料?」
「くさったしたい三人と体温超えの夏の二週間。そのくらいは要るかも」
 デボラは首を振った。
「レシピよ」
 へ?とフィフスがつぶやいた。デボラは指を折った。
「ヨーグルト、チーズ、ピクルス、ドライソーセージ(=サラミ)、その他新しい発酵食品。スミスたちのおかげでそのレシピを全部作り上げて、ラインハットとオラクルベリーで販売を始めたのだそうな。大繁盛らしいわ」
「うそぉ」
とフィフスがつぶやいた。
「でも、スミスたちがうちへ帰ってくるとその新商品が、今までのようには作れなくなる。だからレシピもつけてお返しする、ついては百万ゴールド、というわけよ」
「コリンズくん、思ったよりやるわね」
とタバサがつぶやいた。
「デボラ、デボラ、百万G、払うでしょ?」
とフィフスに泣きが入った。
「そうじゃないとスミスたちが」
 大丈夫、とデボラは言って腕を組んだ。
「別の条件で、ちゃらにすると言ってきたわ。タバサ、あなた毎年夏にラインハットへ行って、氷室いっぱいの氷を作れるかしら?」
「マヒャド一発でしょ?お安い御用よ?」
「ええ、魔法使いならそのとおりね。でも他の国では真夏の氷は貴重品なの。盛夏においては、ひと山の氷の値打ちは百万ゴールドなんてものじゃないわ」
「やっぱりヘンリーさんは侮れないよね」
とレックスはつぶやいた。
「そして売れ筋の発酵食品ならグランバニアでいくらでも活用できる。もう市場で値が付いているならサラボナで売り出せばいいわ」
 ふぅとつぶやいてデボラは傍らに手紙をおいた。
「ではタバサ、ラインハットで氷をつくって、スミスたちを引き取ってきてちょうだい。レシピ付きで」
「はい!」
と元気よく答えた愛娘に、デボラは言葉を重ねた。
「タバサ、この手紙を書いたのはコリンズ殿でもヘンリー殿でもないわよ?」
「え、じゃ、誰が」
「覚えておくといいわ、ラインハットのマリアは、敵に回してはいけない女だと言うことをね。そうそう、マリア殿に伝えて。新作のチーズとサラミをつまみに、一杯やりたいって私が言ってたって。彼女とは美味しいお酒が呑めそうだわ」
そう言ってデボラは笑みを浮かべた。

了(2024年8月10日X上のイベント「ラインハットの日」のために)