テルパドールの戦い 11.戦車:戦い

 寝室の屋上からグランバニアのルークが声をかけた。
「モンストロッシ、君はモンスターだね?」
モンストロッシは胸を張った。
「それがどうした」
「種族はたぶん、バルバロッサ。HP170、MP20くらい、ラリホーやマホトーンは効きにくいけど混乱しやすい」
ヘンリーが振り向いて尋ねた。
「へえ、わかるのか?」
「メッサーラが仲間だから、なんとなくわかるよ」
ちっとモンストロッシが舌打ちした。
「もう一度言うぞ。モンスターだったら何だ?こっちは女王を抑えている。大人しくしてもらおうか。あんたとあんたの息子は、ミルドラース様へ差し出す生け贄なんだよ」
言いながら指を鳴らした。モンストロッシの一族が一斉に魔術の朗唱に入った。
「ああ、メラミか」
こともなげにルークが言い、ヘンリーにささやいた。
「当たるとちょっと削られるけど、火球はふんわり飛んでくるから十分避けられる」
ヘンリーがモンストロッシの一族を見下ろしたまま問い返した。
「こいつら、グループとか全体呪文使えないのな?」
なんだ、たいしたことねえじゃん、とつぶやかれてモンストロッシがかっとしたのがボアレイズにはわかった。
 ヘンリーがふりむいた。
「もういいか?」
ルークは先ほどの包みのあったところにうずくまって何か探していた。
「待って、もうひとつあるはずだよ」
「じゃ、先に行くぞ」
それだけ告げるとヘンリーは女王の寝室の上から空中へ飛び出して着地した。
 ボアレイズは大声で命じた。
「あいつを捕まえろ!」
 ボアイズの雇った兵士の残党がヘンリー一人に殺到した。鉄の剣がうなりをあげて迫った。
 刃のぶつかり合う音に続いて、もっと重く濁った音が鳴った。
 傭兵たちは、動きを止めた。
「何をしておる!そいつはどうせ」
確実に手にしているのはナイフ、そうでなければ倒した傭兵から奪い取った鉄の剣しかもっていないはず。
 先頭にいた傭兵が膝をついた。その男の前には折れた剣が転がっていた。ヘンリーが一歩前に出た。まっすぐ前へ突き出した手に握っているのは、ナイフでも鉄の剣でもなかった。
「まどろみの剣。俺も装備するのは初めてだ。テルパドール軍に頼んで寝室の上に隠してもらっていた」
傭兵たちが一斉にあとずさった。
「そう怖がるなよ。こいつには特殊効果があるんだ。一定の確率で剣を交えた相手を眠らせる」
な?とヘンリーは屈託なく笑ってみせた。
「寝ちゃえば痛くないかもしれないぞ?運が悪いと断末魔だけどな」
片手に無造作に握った剣をふると、まどろみの剣はひゅん、と刃うなりをあげた。
「使いこなせるものか!」
傭兵が呑まれかけているのを見てボアレイズは焦った。
「長年おまえの城でぬくぬくしていたくせに。グランバニアのルークと比べればおまえは雑魚もいいところだ」
さあ、顔色を変えろ。イラつけ。焦りを見せろ!
「そうだな、俺はあいつほど強くないさ」
あっさりとヘンリーは言った。
「だいたい、なんであいつと同じくらい強くなきゃいけないんだ?まどろみの剣は攻撃力プラス55。一回の攻撃で敵一人殺れればそれで十分」
彼は微笑みさえしていた。
「ひとの心を操るのがおまえの特技だって?修行が足りねえなあ。だから教祖になれないんだよ」
 腹の底からこみあげる真っ赤な怒りにボアレイズはかっさらわれた。
「殺せ!」
ほとんど同時に真上から声が降ってきた。
「あったよ!」
ヘンリーが顔をあげた。
「じゃ、交代だ」
そう言って装備したばかりのまどろみの剣の切っ先近くをつまみ、本体を高く差し上げた。真上から手が降りてきて剣の柄を握り、引き上げた。直後、上から何かが降ってきた。
 武器だ、とボアレイズは直感した。
「装備させるな」
丸腰になったヘンリーに傭兵があらためて襲いかかった。ヘンリーはとっさに女王の寝室の中へ退避した。入り口は狭く、一人しか入れない。
「出てこい!」
その声に、背後から答えがあった。
「ぼくがお相手するよ」
いつのまにかグランバニアのルークが屋上から降りていたのだった。
 背後から襲われた傭兵はふいをつかれていた。三名ほどがなすすべもなくその場に転がった。
「ぼくは杖使いだけど、剣を扱えないわけじゃない」
テリャク率いる傭兵の残党が襲い掛かった。先頭の傭兵が鉄の剣を頭上にかざしてルークに迫った。まどろみの剣の刀身にその剣を巻き込んで取り上げ、別の傭兵は眠りに落とし、後ろから襲ってきた傭兵は肘うちを一発決めてから膝、腕、喉元と切り裂いて戦闘不能にした。
「強い……」
ヘンリーが、自分より強いと認めるだけはあるのだとようやくボアレイズは実感した。当代の勇者の父、歴戦の戦士であり旅人であるルークは、人間の傭兵を軽々といなしていた。
 ボアレイズはほとんど金切り声をあげていた。
「モンストロッシ殿、なんとかしてくれ!」
ちっと舌打ちの声がした。
「準備はいいか」
モンストロッシが一族に呼び掛けていた。
「傭兵に当たってもかまわん。一斉にメラミだ」
ほとんど同時に魔法使いたち、ひと型に変化したバルバロッサたちがメラミの詠唱を始めた。
 傭兵の中で最後に残ったのは隊長のテリャクだった。さすがにベテランらしく堅実に構えてルークと対峙していた。テリャクとの間合いをルークは一気に詰め、いきなり肩をつかんでテリャクの胃のあたりを膝で高く蹴り上げた。さしものテリャクが目を向いて崩れ落ちた。その場へメラミの飽和攻撃が襲いかかった。身を翻してルークが逃れた。メラミの軌道の下をかいくぐって後退していく。
「続けろ、あいつを休ませるな」
またいくつかの火球が杖の先に灯り、空中へ放たれた。
 だが、その数が足りなかった。
「ぐ、う、む、む」
三人の魔法使いがメラミを放つことができず、両手で自分の喉をつかんでもだえ苦しんでいた。
「おい、何を」
すぐに、喉にくいこんだ鞭をはがそうとしているのだとわかった。
「物理マホトーン、なんてな」
そのおちょくるような声の主を、ボアレイズはきょろきょろと探した。ルークが正面で戦っている間に寝室を脱出したらしく、ヘンリーは魔法使いによる包囲網の外側にいた。
 ヘンリーの右手が握っているのは鞭の柄だった。そこから鞭にしては太めの強靭なワイヤーが続いている。ただし、その数、三本。それぞれの先端には鈍く光る鏃が取り付けられていた。
「グリンガムの鞭。ちなみに私物だ。っていうか、オラクルベリーのカジノから無理を言って調達してきた」
喉を絞められていた魔法使いの一人がぐったりと弛緩した。他の二人も顔色が紫になり、気絶した。ヘンリーは右手で柄を操って鞭の絞まりを緩め、するりと空中へ解き放ち、手元へ納めた。ローブとマント姿の三人は草むらに倒れると毛むくじゃらの体に大きな角の魔人、バルバロッサへ姿を変えた。
「攻撃力はプラス100。それよりも重要なことは、こいつを使うのに詠唱はいらない、つまり魔法の発動より早いってことだな」
 ヘンリーは右手に柄を握り左手で鞭の中ほどをつかんで目の高さに掲げ、いつでも放てる体勢にしていた。
「早撃ちを試してみるか?」
ふふ、とルークが微笑んだ。いつのまにかヘンリーの隣へ戻ってきていた。
「勝負するなら覚悟した方がいいよ。ヘンリーは鞭でオークハーフの首を斬り飛ばす腕だから」
モンストロッシの顔が赤くなった。
「なめるな!本気になったら詠唱などいらん!」
言い返したのはルークだった。
「いや、要るよね、詠唱が?君の一族の本物の戦士なら確かに詠唱なんかいらない。でも彼らはたぶん、バルバロッサ族のまだ子供だ。今の戦闘能力はいろんなタネを使ったドーピングだね?経験値そのものは絶対的に不足している」
確信をもってルークは語った。
「その子たちは“怖い思い”をしたことないんだ」
「問答無用!」
バルバロッサが変化した魔法使いたちがまたすぐに詠唱を始めた。
「ラインハットのヘンリーを狙え!」
命令と同時にいくつものメラミがいっせいに飛んだ。鞭を持ったままヘンリーは木立の中に飛び込んだ。メラミは木の幹にぶつかった。
「障害物のあるところだと、魔法弾を飛ばすタイプは不利だぞ?」
笑い声が木立の中から聞こえた。
「そして次の詠唱までの時間、君らは無防備だ」
まどろみの剣が襲いかかった。あわてて杖を構える者、逃げ出す者、必死にメラミを唱えようとする者、さまざまだった。ルークは魔法使いの杖を叩き落とし、逃げる者はあっさりと気絶させていた。草地の上はたちまちバルバロッサの体でいっぱいになった。
 なんとか距離をとってメラミ発動に持っていった魔法使いは五指に足りないほどだった。ルークは構わずに彼らに向かい剣をかざして迫った。
「君たちはまず、逃げなきゃいけなかったんだ。ぼくらから見えないところへ逃げおおせてそこから魔法を放つのでなけりゃ、後衛としての役割を果たせないからね」
まどろみの剣が、その穏やかな名にふさわしからぬ凶悪な輝きを帯びた。
「ちょうど、ヘンリーがやってるように」
その言葉と同時に先程の木立からグリンガムの鞭が放たれた。三人の魔法使いが不意をつかれて倒れた。残りの魔法使いはメラミをものともせずに接近したルークが仕留めた。
「君たちに足りないのは、互いに補い合うこと。ぼくらは何度もいっしょに戦って、いっしょに怖い思いをして、互いに互いをサポートする術を蓄えてきた。今でもぼくらが一緒に戦うときに、その補完効果は最大になる」
 ボアレイズはひそかに歯ぎしりした。だからこの二人の仲を裂いておかなくてはならなかったというのに。
「あとは君たちだけか」
ルークがそう言うと、モンストロッシは酢を飲んだような顔で硬直した。
 その後ろでボアレイズはそろそろと後退りした。
「大司教様」
グリンカーが小声で言った。付き合いの長い弟子たちは、モンストロッシの旗色が悪いのを見て逃げようとしているのだった。
 ボアレイズは懊悩していた。テルパドールの王宮前広場を埋め尽くす群衆がセベク神の装いで現れた自分を歓呼の声で迎えるビジョンは諦めきれないほど魅力的な夢だった。しかし明らかにモンストロッシはルークに押されていた。
――巻き添えはごめんだ。
じりっとボアレイズはその場から引いた。グリンカーたちはもうだいぶ距離を開けていた。
「待て」
とモンストロッシは言った。ルークに言ったのか、それとも自分、ボアレイズか。ボアレイズとしてはモンストロッシがルークに抵抗している間に自分と弟子たちが逃げられればそれでよかった。
「確かにそいつらはいろいろな種子で能力を上げただけのやつらだ。けどそれではすまないやつも私は呼べるのだ。いいのか、もし」
「ああ、いいとも」
片手にまどろみの剣を引っ提げ、どこか無造作にルークは歩いてきた。口許には微かな笑みさえ漂っていた。
「あのね、ぼくはいま、心底腹をたてているんだ、君らに。僕もヘンリーも、互いの傷を暴きあうなんてこと、やりたいわけがないじゃないか。ストレス、溜まってるんだ」
軽く握って剣を斜め上から下へ振り下ろした。特殊な形の剣がヒュンとうなった。
「こんなんじゃ全然足りない。暴れさせてほしいな」
 モンストロッシはおたおたしていた。静かに怒り狂うルークが近寄る間、地面をナイフの先でひっかいて何か模様を描いている。手先が震えるのか線がよれよれになっていた。
 それはどうやら魔方陣だったらしい。モンストロッシが短い呪文を放つと、魔方陣の中の空間が歪んだ。プリズムを通して見た風景のように奇怪に膨れ上がる。それがもとに戻ろうとたわんだ時、モンスターがその中央にいた。
 バルバロッサだった。群青色の体にくすんだ金の鬚の山羊頭がついている。体格は縦横ともモンストロッシの倍はありそうで逞しく、つり目の形の目は中央にぎゅっと寄ってどこか執念深そうな粘着質な性格を思わせた。
「おまえ、あのときの」
と、ルークがつぶやいた。のろのろと大型バルバロッサは顔をあげ、ルークを見ると険しい顔になった。
「オマエ、邪魔シタナ、アノ時」
ルークの顔も引き締まった。
「したさ。おまえは僕の娘を手にかけようとしたんだ」
上目遣いのような表情でバルバロッサはルークを睨んだ。
「オマエサエイナケレバ、アノ娘ハ、魔力ゴト俺ノモノニナッタノニ」
濃紺の尾の先で金の毛玉が揺れた。
 やっとボアレイズは思い当たった。モンストロッシの手駒の一人が人に化けてテルパドールの公衆浴場を訪れ、居合わせたグランバニアの姫に手出ししようとした、とメティトから報告を受けていた。
 ルークは自分のチュニックの肩にできていた裂け目を自分で引き裂いた。片方の肩がむきだしになった。ぐるんと腕を回し、あらためて剣を構えた。
「テルパドールから出ていけ。そうでなければ、僕はおまえを殺してしまうかもしれない」
先程からルークが心中燃やしていた怒りがゴッと音をたてて点火したようだった。
「大司教さま、お早く!」
焦りをこめてグリンカーがささやいた。
「ああ、今行く」
このようすなら、ルークはあのバルバロッサを仕留めることに拘るだろう。いい時間稼ぎになる、とボアレイズは考えた。
「今のうちだ」
グリンカー、トッペ、ガバイドが先にたち、ボアレイズたちは夜の地下庭園を走り出した。
「この道を辿っていけば非常出口がある。鍵は」
持っている、と言おうとしたとき、ぎゃっという悲鳴が聞こえた。
「グリンカー?」
名を呼ぶのと、ぴし、ぴしっという音がするのと同時だった。革のブーツが、がさりと音をたてて草を踏んだ。
「そんなに急いでどちらへ、大司教殿?」
小道を塞ぐようにラインハットのヘンリーが立っていた。
「待て、待て」
ヘンリーは片手を振っただけで鞭の先端を回収し、手のなかへ納めた。
「何を待つんだ。おまえの弟子はもう戦えない。たった一人の味方は、おまえが見捨てて逃げてきたんだろう」
絶望のなかでボアレイズは必死に頭を巡らせた。
――キーは、何だ?
この男を動かすキーがわからないのだった。金を持っていない人間は金がキーとなる。名誉が欲しいなら称号が、権力が欲しいなら地位が、承認がほしいなら耳に快い言葉が、女が欲しいならそのものズバリ、それがキーだった。
 だがこいつは大金持ちの元王子、現役の王国宰相、妻子持ち、友人がいる……ボアレイズは迷った。
「何か俺を釣るネタを考えているんだろう?諦めろ。おまえに提供できるものなんか、おれは全部持っている」
ヘンリーの口角がわずかに上がった。ボアレイズの目の前が暗くなった。その瞬間、ボアレイズはひらめいた。
「おまえの罪を祓ってやろう!」
ラインハットのヘンリーを動かすキーは、罪悪感からの解放にほかならない。
「あの男パパスの死は、光の教団のせいだ、そう証言してやろう。ラインハットは関係ない、と」
ヘンリーの顔が強ばった。
「ふざけるなよ」
とヘンリーは言った。
「もともと手を下したのはゲマじゃねえか。それでも、人質を取られた状態でパパスさんをゲマと対決するはめに追いやったのはラインハットだ。すべてラインハットの内紛が原因だ」
「ちがう……パパスを呼び寄せたのも、おまえの誘拐も全部、部外者の誰か……そうだ、アデル太后のせいだ」
ボアレイズは得意になっていた。心から欲するものを目の前にぶら下げられた人間の表情なら何度も見たことがある。否定できるものか、おまえに!
「この私、光の教団の大司教が言うのだから間違いない。おまえにはなんの責任もなかったのだとあいつ、グランバニアのルークに証言してやる」
ヘンリーは険しい顔のまま鞭をわずかに下げた。
「ルークをここへ呼んでこい。不安ならその間、私をその辺のヤシの樹にしばりつけておけばいい」
ボアレイズはじっとヘンリーの反応を待った。

 大型のバルバロッサはルークの剣で体のあちこちが傷ついていた。なかなかきれいな毛並みが乱れ、体液も滲んでいた。しかし、それ以上にルークのHPは削られていた。
「どうした、勇者の父!」
嬉しそうにモンストロッシは嘲笑った。
「そいつは古の秘法でぐっと強化してある。もともと私の戦力にするために育てたのだ」
ルークは舌打ちした。
「まだ使える者がいたのか」
かの、進化の秘法を。とはいえこのバルバロッサは頭と体に双面を持つ巨人になってはいないのだから、本当に成功した訳ではないらしい。
「あの人間の男、ボアレイズは、イブールの後釜になりたいらしいぞ。あいつが教祖なら、私はゲマ様になる。この砂漠の国は大陸をまるごと一つを領有している。邪魔は入りにくいし、ちょうどいい」
嬉しそうにモンストロッシが笑った。
「見下げ果てたよ」
とルークは吐き捨てた。
「なぜだ。強い者は正義だ。ゲマ様の権力は私にとってひどく魅力的だった。それがモンスターというものだ」
「君はモンスターよりも人間に似ているな」
強化バルバロッサが腕を振るってつっこんできた。剣でうけきれずにルークは横へ飛んで避けた。
 フィールドモンスターのバルバロッサとはHPもMPも桁違いだとルークは認めた。ふしゅふしゅと強化バルバロッサが小鼻から息を吐き出した。
 昼過ぎからずっと地下庭園にいて、ルークHPは次第に削られ、半分ほどになっている。怒りに駆られても、守りを無視したような攻撃ができない。回復できないことがこれほど辛いとは。ルークはじっと相手を見ながら勝機を探した。
 ふとルークは耳をそばだてた。耳慣れた翼竜の声がした。この南の国にはいないはずのモンスターの鳴き声だった。
――ヘンリーだ。呼んでる?
大神殿の奴隷だったころ、奴隷どうしで情報を伝えあうために全員がこの翼竜の鳴きまねを体得していた。
 ルークは意を決してその場から飛び出した。聞こえた方角へ走ると、あとから強化バルバロッサが追ってきた。