ヘンリーのゲーム 9.脱走

 そんな話をした数日後、ルークたちは大神殿の真後ろで働くことになった。大神殿の入り口から一番遠い壁は内部から見ると本堂の石舞台の奥にあたる。親方はその部分に三つの巨大な窓をつけることを計画していた。壁一面より一回り小さいだけの尖頭窓……てっぺんがスライム状にとがったアーチをすべてステンドグラスで埋めた大窓で、ほの暗いホールから見上げるとそこから彩色ガラスを通した美しい光がホールへあふれだすという仕組みだった。
 もともとこの大神殿は前後をふさいだトンネルのような形をしていた。おそろしく高い建物だが、二階建てなどではない。高さは入口の左右に二基の角塔をつけてさらに上へ伸ばすが中は天井の高いワンルームで、それこそが本堂だった。
 本堂は広い長方形の部屋だったが、最も広い部分は中央の身廊だった。身廊の両脇に壁ではなく柱の列で遮った側廊がついた。
 実は身廊は入るにつれてゆるやかに下がって石舞台の前で行き止まりとなる。逆に側廊は身廊より床が高く、両脇を通って石舞台の上へあがることができた。そのため入口から側廊へは階段を上がって登る構造だった。
 石舞台は、それ全体が大きな祭壇だった。祭壇の背後は一枚の平面ではなく、三面がカクカクしたカーブを描くような形になっていた。
 面一枚につき、大窓ひとつ。中央の窓は鱗で覆われ角のある神人の神々しい姿を描いたステンドグラスで埋まることになっていた。教団側のデザイナーは、それを「ミルドラース」と呼んだ。
 右側の壁の大窓は、法衣に身を包んだ僧侶の清らかな姿で、「イブール」と呼ばれていた。最後の窓はけなげな乙女の姿で、それが「マーサ」だった。ただしそのときのルークにとってその名はまったく意味を成さないものだったのだが。
 ガラス細工は専門の職人が制作している最中だった。親方は、大きな空間を開けたまま壁の石組みをするという難しい作業を職人たちにやらせていた。
 最難関はアーチ部分だった。大神殿のほかの窓はスライム型アーチの形状の木枠をまず作り、その上に細かい切石を並べる。石と石の押し合う力でアーチが保たれなくてはならない。うまくいくようなら石どうしをモルタルで継ぎ、木枠をつけたまま石組みにする。モルタルが固まったら木枠は外してしまう。
 石舞台の奥の三つのステンドグラス窓は、大神殿全体で最も大きな窓だった。木枠も巨大なものが必要だった。アーチ部分の切石づくりも精密さを必要とする仕事になる。作業現場は、ガラス職人、大工、石工たちが立ちまじり、足の踏み場もないほどたてこんでいた。自然と工事区域いっぱいまで現場は広がった。
 ルークたちは現場の隅に座り込み、わき目もふらずに手を動かしていた。造るべきパーツはたいへんな量だった。一抱えもある石の塊を足の間に置き、何種類かの鑿と小さな木槌を使って親方の造った見本の通りに彫り上げるのだ。親方は特にこの中央の大窓を太陽に見立て、周りを夜明けの空にたなびく雲で囲むことにしていた。ちなみに左右の大窓はそれぞれ月と星の形象で囲まれることになっていた。
 カ、カ、カ、カと音を立ててルークたちは繊細な曲線を鑿で石の上に描き出すのに没頭していた。飛散する石の粉は目に入り鼻や喉を襲うが、防ぐ手だてもない。猫背にかがめ続けた体はじんじんと痛む。食事はおろか休憩さえ与えられずに二人は働き続けた。
 あたりが暗くなり、現場に火壷が持ち込まれた。その明かりでなんとかその日のノルマを造り終えたとき、ルークたちは顔さえあげられないほど疲れ切っていた。
 他の職人や大工なども同じだった。それぞれ、大量のノルマを言い渡されて必死にこなしていたのだった。
 だから、兵士がやってきて質問したとき、誰も答えを知らなかった。
「おまえたちの棟梁はどこだ」
沈黙が漂った。兵士の一人がそばにいた職人をいきなりつるし上げた。
「おい、やつはどこへ行った!」
「わかりません!」
兵士は次々と聞いて回ったが誰一人、答えを知らない。ルークがくたくたの体でなんとか立つと、首輪どうしを細い鎖でつながれているヘンリーがいっしょに身を起こした。
「やばいぞ」
「え?」
ヘンリーはいつも仕事中無気力な奴隷を装っているのだが、その擬態さえ忘れるほど彼は真剣な顔をしていた。
「あいつ、裏切ったんじゃないか?」
親方は、脱走した。そう悟ったとき、ルークは自分の顔がこわばるのを感じた。
「あいつらに聞いてください!」
気の弱い職人が、ルークたちのほうを指した。
「徒弟なんだから、何か知ってるかもしれない」
武装した兵士が大股に二人のほうへ歩いてきた。
「隠すとためにならんぞ!」
為すすべもなくルークたちは兵士に捕らえられた。
「わかりません、仕事、しろって」
実際、それ以上のことを二人は知らなかった。
「役立たずがっ」
怒り狂った兵士は長靴で若い徒弟二人を蹴りとばし、靴底で踏みつけた。
「何が何でも探し出せっ」
ヒステリックな声で隊長が叫んだ。その瞬間から、大神殿のすべてが停止した。

 その棟梁には、二人の息子がいた。兄の方は父親譲りの、直線的で地味だが堅実な作風で、親の代からいる職人たちにも信頼されていた。だが弟は、まるでちがった。父であり師匠でもある棟梁からどんなに叱られ否定されても、自分の作風を貫いた。奇抜で、豪華で、人目をひく。それが彼の作品だった。
「おまえは確かにうまいよ。天才かもしれない」
と兄は言った。
「けど、こんな気持ちの悪い建物におれは入りたくない」
弟の造った建築物は、石でできているのに曲線が多く、壁や柱がうねっているような錯覚を起こすのだ。
「おれだって、兄貴やおやじの造った城や会堂はごめんだ。退屈すぎて、あくびが出る。第一安っぽくってまるで積み木じゃねえか」
そう言い返したとたん、父の拳がとんできた。
「出て行け!もう息子とは思わん」
そう言うと、足元に石工道具の詰まった袋をどさっと投げ出したのだった。弟のほうの若者、ホレスは、無言でその袋のひもをつかんで肩にかけ、踵を返し、町から出て行った。長い放浪の旅の始まりだった。
 ホレスが父や兄の作風を安っぽいと評したのには訳があった。曲線になるように彫りを入れた石の方が、直線的な切石よりも高価なのだ。ホレスは自分の彫刻の腕に自信があった。柔らかい砂岩はもとより、かなり硬い石でもホレスのノミは巧みに動いて生きているような花や乙女、小鳥たちを彫り上げる。
 その実力をひっさげてホレスはあちこちの工事の現場を転々とした。腕前を披露すればたいてい雇ってもらえたが、長続きしたことはなかった。天才肌で生意気で、協調性がない職人なのだ。特に年輩の職人や親方には受けが悪かった。
 同年輩の職人の中には気のあう者もいた。というより、崇拝者さえいた。そういう若者たちに紹介されて、ホレスはいつしか石工の兄弟団に出入りするようになった。石工の同業組合で、ホレスはひとつの職場から放り出されると兄弟団で次の職場を紹介してもらった。
 その間に、父に教えを受け損ねた分野について詳しい者がいて、かなりの知識を伝授された。知識の吸収に関しては、天才ホレスも謙虚になれる。石造建築の要、重量の分散にホレスは夢中になった。いくつかの現場では総責任者、棟梁として働き、水を得た魚のように自分の才を存分にふるった。が、魚にふさわしくホレスは仕事が完成するとやはり別の土地へ流れていった。
 石工の兄弟たちにホレスは、武術の基礎も教えられた。職場から職場へと放浪する職人は追い剥ぎやモンスターに出会うことが多いので、それは必要なスキルだった。
 傲岸不遜で喧嘩に強いホレスは、二十代、三十代の日々を旅の空に散らして過ごした。ふと気づいたときには、ホレスには若さがなくなっていた。かつて自分の周りにいて、とんがったような作風をよしとしてくれた職人たちはいつのまにか親方になり、嫁をもらって子供をつくり、すっかり落ち着いてしまっていた。
裏切られた。その思いはホレスをますます偏屈へと導いた。
 つまらない仕事はやらねえ。そう顔に書いてあるようなホレスには、回ってくる仕事がだんだん少なくなってきた。定職も蓄えも家庭もなく、あるものは古びてしまった道具と次第に老いてきた体。ホレスは居酒屋に居座って、人生への失望を酒に紛らわそうとした。
「ホレス親方だね」
と、声をかけられたのはそのときだった。
「仕事を引き受けてもらえないか」
あたりの柔らかな口調だった。ホレスは酔いのまわった目で相手を見た。
「俺の名をどこで聞いた?」
その男は、僧侶のような法衣を身につけていたが、慣れた口調でニ三人の石工の名をあげた。どれもホレスがいっしょに働いたことのある棟梁だった。
「私たちの教団の本山となる聖堂の建物を造って欲しいのだよ」
「つまらねえ仕事はやらねえよ」
「つまらないかな?数百人が入れる本堂と、儀式のための広い石舞台をすべて含める大きな神殿だ」
誘うように僧侶はささやいた。
「正面には大きな角塔を二基並べ、その中心に二人の女神像で飾った大きな入口を造ってほしい」
一瞬、ホレスの心が躍り上がった。彫刻はどんなものを彫ろう。柱は一番得意な螺旋模様をつけようか。
 だがホレスは腕前を安売りするように思われたくなかった。
「あんた、何人も棟梁にあたったんだろう。あいつらはどうして断ったんだ?わけありなんだろう、どうせ」
「わけか。そう、私たちの神殿は高い山の上に建てる。そして工事が終わるまで職人は下界に降りることはできないことかな」
ホレスは絶句した。
「おい……、あんた素人か。石造りの建物は、完成まで何十年もかかるんだ。その間、一日の休みもなく働けっていうのか」
「休みはある。その日は仕事はしなくてよろしい。でも、休息も山の上だ」
僧侶は月に五日の休み、宿舎をはじめ衣食住の世話、相場の三倍の給金を約束した。
 ホレスは考え込んだ。この仕事を受ければ少なくとも当分食うに困らないし、蓄えはできるし、しょっちゅう仕事を求めて兄弟団にいやな顔をされることもなくなる。
「総責任者をお願いする。仕事の段取りは自由につけていい。資材はこちらが責任を持って取り寄せる。さあ、どうするかね?もちろん、ご家族やお友達に会えなくなるのは辛いことだろうから」
はははっとホレスは笑った。会えなくなって辛いような人間が、もう地上にはいないことに気づいたのだった。
「そんなもん、いねえよ、おれには。よし、決めた。その神殿、おれが造ってやるよ」
なかば酔った勢いでホレスはそう言い切った。にんまりと僧侶は笑った。
「では、明日の晩、迎えに来よう。今夜は存分に呑むといい」
飲み代にしてほしいと言って数枚の金貨をテーブルに置いて、その僧侶は行ってしまった。
 運命の選択を自分はしたのだ、とホレスが気づいたのは、神殿の建設現場についたあとのことだった。

 少年奴隷たちは互いに向かい合って武器を構えた。やせっぽちが持っているのは細長い板だった。握りからやや上に小さめの板が打ち付けてあるのは、剣の鍔のつもりだった。
 対するナマイキは、長い棒を手にしていた。整形した木材ではなく自然木の枝で、上が太く下が細い。
「構え……始め!」
ホレスが声をかけた。先に打ちかかったのはやせっぽちだった。両手で握り、ぐっと踏み出して斜め上から相手の肩をねらった。
 やせっぽちのこの子供に、ホレスは板きれの剣を作らせ、それをもってがんがん素振りをさせた。ほぼ一年を素振りに費やし、それから型稽古に移った。元々ホレスに剣を教えてくれたのは石工の兄弟で、その男が気に入っていたのは、ラインハットスタイルの剣法だった。
「相手の攻撃を誘い出せ!」
教えられたことを思い出しながらホレスはやせっぽちをけしかけた。やせっぽちは、最初の一撃を防御されると剣を引くふりをして、剣先をひらめかせた。
 ラインハットスタイルは、ある意味演技に近い。フェイントを使って相手から攻撃させ、後の先をとる。型稽古は、フェイントとカウンターの定型を体に覚え込ませるための訓練だった。型が身についたと見て初めてホレスはやせっぽちとナマイキとの組み稽古に移行していた。
 やせっぽちの持つ板の剣は、最初の素振りの時よりかなり重く長いものに変わっていた。先を丸めた「剣」の先端がナマイキの顔すれすれを襲った。
 がっと音を立てて攻撃は阻まれた。ナマイキが持っている棒は、ホレスが杖をイメージして与えたものだった。最初ホレスは、やせっぽちと同じく剣を持たせたのだが、妙にぎこちなかった。相性が悪いのかもしれない、そう思ったホレスはナマイキに、やはり放浪生活の間に覚えた杖術を仕込むことにした。
 自然木の「杖」を、ナマイキはここ数年ずっと使っていた。最初、体が杖に振り回されるほど長かったのだが、ナマイキは辛抱強く素振りを続けた。板の剣より、杖は軽快だった。その分、素早く的確に繰り出せる。そして何よりの特徴はリーチが長いことだった。
 たっと音を立ててやせっぽちが下がり、剣を構えなおした。突きの体勢でナマイキは杖を構え、その先端を相手の顔に向けた。杖は、ナマイキがまだちびだったときホレスが与えたのと同じものだった。だがホレスは成長したナマイキのために、杖の太いほうの端をくり抜き、溶かした鉛を詰めていた。
「やあっ」
気合いを発してやせっぽちが床を蹴った。ぐっと姿勢を低くして胴を狙う。豪快に杖が一回転してその剣にすりあわせた。持っていかれまいと両手で剣を握り直し、かなり無理な体勢から突き上げる。一瞬でナマイキは杖を舟の竿のように持ち替えて床に突き立て、剣を阻んだ。
「おい、待て!」
ホレスが叫んだ。弟子たちはふっと息を吐いて、動きをとめた。
「ナマイキ、おまえ、そこはとどめを刺すとこだろうが」
真上から竿指すように相手を狙えばよかったのだ。
「でも……」
「でもじゃねえ。おまえ、相手が相棒だと思うから手加減してやがるな?ほんとに襲われてみろ。今殺らないと、次はおまえが殺られるんだぞ」
「違うね」
とやせっぽちが言った。低い体勢からゆっくり起きあがった。
「おれが次から次へ攻撃しても、こいつは全部防ぐんだ」
「何自慢そうに言ってやがる。おまえもこいつとなれ合ってんじゃねえぞ。殺す気でいけ」
「いってるさ」
そう言って、何歩か下がり、元の位置で剣を構えた。
「もう一本行こうぜ」
うん、とナマイキがうなずいた。
「こっちから行っていい?」
「おう」
ひゅん!と音を立てて杖の先端が舞った。斜め下からなぎ払う。剣で受ければ杖は跳ねあがり一回転して肩先へ落ちた。
 剣と杖の攻防は延々と続いた。まるで杖が腕の延長になったようにナマイキは見えた。薄汚い奴隷のガキなのだが、その姿は優雅でさえあった。時々、自分が教えた覚えのない攻め型がでてきてホレスは目を見張った。突く、払う、叩く、回す、ナマイキは杖を自在に使いこなしていた。
 その日の武術の訓練が終わると、ホレスは木の剣と杖をしまわせた。奴隷に反抗の手段を与えていることが教団にばれたらどうなるか。ホレスは弟子たちに「武器」を岩牢へ持ち込むことはけしてさせなかった。
「ありがとうございました」
弟子たちが帰ろうとしたとき、ホレスはやせっぽちを呼び止めた。
「おい、このあいだのな、あれ、もう少し手にはいるか?」
胡散臭そうな顔つきでやせっぽちは振り向いた。
「酒ですか、親方?」
ホレスはうなずいた。
「いいほうのやつだ」
奴隷の子供たちは十四歳くらいになっていた。石工の徒弟として、もう六、七年働いていた。武術でもそうだが彼らは石工としてもけっこうスタイルが違う。手先の器用なやせっぽちは与えた見本の通りなんでもきっちりと作り上げる。ナマイキはどちらかというと石の目を読むのがうまく、相性のいい石があると見事なものを彫った。
 後からこの山の上へ石工の熟練工も数人来ているが、工事現場では二人の徒弟は他の職人から離れて親方であるホレスの元で技術的に難しい作業をすることになっていた。それはつまり、この二人に現場を離れて食糧倉庫へ遠征に行くのを黙認できるということだった。
 ホレスは工事責任者なので優先的に食糧を与えられる。教団本部の者とほとんど同じ内容の料理が届くのだ。が、酒などの嗜好品はもともと坊さんばかりなのでめったに口にしないらしく、当然ホレスへの配給もひどく少なかった。
 しかし、やせっぽちとナマイキは、ある日どこへ潜り込んだものか、かなりいい酒をくすねてきた。最初ホレスは単純に喜んだが、しばらくして大きな可能性に気がついた。
「高級な酒なんてふつうの職人はめったに飲めねえもんだ。兵士もな。だから、あいつらにとっちゃエサになるんだ」
とホレスは言い聞かせた。
「酒、それから、あったら煙草を探してこい。ここぞというときの賄賂に使うんだ」
教団の警備をしている兵士たちは、みんながみんな熱心な信者ではなく、腐った奴もだいぶ多い。ホレスはそのことに気づいていたし、そういうやつらなら若い時にずいぶん見てきた。こっちの思うとおりに動かすやり方もあると思った。
 数日して、やせっぽちは教団幹部用に取り寄せられたらしい酒を持ち出してきた。高級酒らしく小さな樽に入っていたのを樽ごとくすねたらしかった。
 ホレスはその酒を兵士といっしょに呑みながら、山の上と下界を物資補給隊が往復するサイクルについて聞き出したのだった。
「そんなこと聞いてどうすんだよ、親方?」
「いや……おれの好物をいっしょに買ってきてもらえないかと思ってね。ここにゃ食うぐらいしか楽しみがないからな」
「まったくだ。人間、霞食って生きられるわけじゃねえ」
酔った兵士は赤くなった顔で笑った。
「馬車は月の始めに必ず来るぜ。でもって次の次の日には下界へ降りる。下じゃ注文された品をそろえておいて、月が変わると馬車をよこすのさ」
「たくさん運ぶんだろうね、こんな山の上まで。そうかい、馬車を使うのかい」
「一台だけじゃねえんだ。馬車隊っていうのか、何台も列を作ってさ」
「おれはもう五年以上この現場にいるが、馬車なんて見たことねえな」
「ああ、だいぶ下の方に馬車の待機所があるんだよ」
「へえ、どこだい?」
どきどきする鼓動を隠して何気なく聞いた質問はかわされた。
「悪いがそいつは規則で教えられねえんだ」
内心親方は舌うちしたい気分だった。
「だが、麓へ降りる道はあるのかい?どう見たって」
どう見ても大神殿の立つ予定の台地から下は下界とは隔絶した岩山で馬車の通る道などありそうにないのだが。
 兵士はにやにやした。
「心配すんな。岩山の上からじゃ見えない道があるってことよ」
 酒盛りをしてからすぐ、ホレスは密かに自分の手荷物をまとめた。
 そして徒弟二人を他の奴隷や職人から隔離すると、馬車の待機所を探して来いと言いつけた。
 合い鍵はあるが、岩山の外で奴隷がうろうろしているのを見つかったら問答無用で殺されてもしかたがない。だがやせっぽちとナマイキは食料倉庫に往復した結果、こっそり探ることにどうやら慣れたようだった。ふたりは崖の上から岩陰に隠れて下の方の道を観察し、馬が何頭も集まっている場所を見つけてきた。教団本部の裏手だった。
 興奮して三人は手製の地図にその場所を描きこんだ。
「よし、いよいよだ。おまえら、食糧倉庫に物資がどっと増えたら教えろ」苦節八年。脱走が目の前に見えてきた。半月ほどして、物資が増えた、馬車が来たらしい、と知らせが来たとき、ホレスは胸の動悸をかくして、そうか、とだけ言った。